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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第八話 喪失
30/60

10

長い、眠れない夜となった。

疲れはあるのだが、それが眠りには繋がらず、目は冴えるばかりだ。

もう子の刻を過ぎただろう。

「お休みにならねば陽が昇ってから持ちませんよ」

宗温の声で我に返る。

余りにも考えねばならぬ事が多過ぎる。そのようで考えてもどうにもならない事ばかりだ。

時間だけが過ぎてゆく。

「何か食べられましたか?」

龍晶は首を横に振る。給餌をしてくれているあの少年兵は、ぶつけられて皿の中身をひっくり返したまま逃げていった。

「そういうお前は?」

「殿下より先に頂く訳にはいかないでしょう?」

「そんな気遣いはするな、面倒くさい」

「冗談ですよ。食いっぱぐれただけです」

実際、飯時に起こったあの騒動のお陰でそれどころでは無くなった。

だがここでは食事の有無が明日の生命を左右する。

「水だけでも飲めれば良いのですが」

龍晶も実際、日中から脱水症状の兆しを感じていた。頭痛や目眩がする。重症人が居る手前、言い出せないのだが。

「俺は朝まで大丈夫だ。お前だけでも貰って来いよ」

「またそんな事を、殿下。貰うなら二人…いえ、三人分です。せめて朔夜殿の分は手に入れないと」

「危ないか」

「予断は許さないでしょう」

朔夜は目の前で殆ど気を失うようにして眠っている。

ここに来て何日目なのか、何日水を与えられていないのか分からないが、死に至らなかったのは彼の持つ不可思議な力ゆえだろう。

それももう危ない。

「敵兵に掛け合ってみます」

宗温が立ち上がる。龍晶は即座に呼び止めた。

「それなら俺の方が良いだろう。通じぬ言葉で話しても埒があかない」

「それはそうですが」

「俺を甘やかすなよ。自分の事を他人にやらせる程、出来の良い王族じゃないんだ、俺は」

宗温は思わず笑いを噛み締めて、頷いた。

「お願い致します、殿下」

龍晶も笑い返して立ち上がった。

が、その瞬間視界が気持ち悪く歪んだ。手足の力が抜け、膝を折って地に手を付いた。

「殿下!」

宗温が肩を抱き、引っ張られるままに横になる。

猛烈に吐き気がするが、吐けるものが無かった。

「矢張りご無理を…!どうかお休みください!」

龍晶は顔を顰めた。言い返せるなら言い返したかったが、言葉にならなかった。

ふと、死という一字が頭に浮かんだ。

不思議は無い。これまでいくつもの屍がここから運び出された。己もいずれそうなる。

何の悔いも未練も無い。この世にはもううんざりしている。この先も良い事は無いだろう。

ただ、目の前に。

このまま置いては行けない奴が居る。

扉が開閉する音がした。

足音。こちらに近付いてくる。

最低限首を動かして、それが誰かを確認した。

「お前…」

宗温が驚いた声を出す。それは龍晶も同感だった。

あの少年兵が、水を入れる皮袋を持ってそこに立っていた。

彼はその皮袋を宗温に向けて突き出した。

驚いた顔のまま宗温は受け取り、中を確認する。

水がたっぷりと入っている。

即座に龍晶の体を抱き起こして水を飲ませた。

飲み込んで、荒い息のまま龍晶は訊いた。

『良いのか?』

恐らくこれは捕虜にやる水ではないだろう。

少年兵ははっきりと頷き、言った。

『あんたを死なせたら俺は怒られる』

それで少し納得した。

彼のここでの使命は、敵国の重要な捕虜を死なせぬよう世話をする事なのだ。

溢してしまった夕食は己の責任として代わりを出しては貰えない。だから自分の水袋を渡してくれたのだろう。

『ありがたい。助かった』

苦しいながらも龍晶は少し笑って見せた。

少年は相変わらず可愛げの無い顔だ。当然の事をしたまでと言わんばかりに。

『この水、他の者にも飲ませて良いか?』

朔夜と、人の事は言えず無理をしているだろう宗温にも飲ませてやりたい。

『好きにしろ。朝にまた取りに来る』

言うだけ言って踵を返そうとするので、龍晶は慌てて呼び止めた。

『待て。お前、名は?』

振り返った少年は、何故そんな事を訊くのかという顔をしながらも答えた。

馬卑羅(マヒラ)

異郷の名に龍晶は満足気に微笑んで言った。

『ありがとう、馬卑羅』

少年兵は足早に去って行った。

宗温が目を白黒させている。

「殿下、一体何を話されたのです…?」

龍晶は悪戯ぽく笑い、一つだけ教えてやった。

「彼の名は馬卑羅と言うそうだ」

「…名ですか」

「世話になる者の名ぐらい聞いて損は無いだろう?」

言いながら、手にしていた皮袋を差し出す。

「飲め。お前こそ無理が祟るぞ?あと、朔夜にもやってくれ」


馬卑羅の水のお陰で、龍晶の不調は治り、朔夜も少しずつ回復してきた。

日に二度の食事以外にも、人目の無い所で馬卑羅は皮袋に水を満たして渡しに来てくれた。

それを他の捕虜にも分けてやりたいのは山々だが、限りがあるし、馬卑羅に罰が下ってはならないので出来なかった。

老兵に言われた通り、龍晶は己が生きる事を何より優先して考える事にした。

それは自分の為だけではない。

朔夜の失った記憶の、その一部に過ぎないが、しかしそれを掴んでいるのは自分だけだからだ。

何も知らないままに、朔夜を独りにする訳にはいかない。死を覚悟してそう思った。

「殿下、朔夜殿が目覚めたようですよ」

ここに来て五日目の朝、宗温に呼ばれて龍晶は朔夜の元に駆け付けた。

やっと、意識のはっきりしたらしい顔をしていた。しかし、宙に彷徨わせる視線は心もとない。

当然だろう。己の身に起きている事を、彼は何も理解出来ていない。

「朔夜」

とにかく龍晶は名を呼んだ。それで向けられる視線があるから、名は覚えているのだ。

あの夜の言葉が本当なら、彼は己の故郷に居た頃の記憶まではある。

「俺が誰か分かるか?」

念の為、訊いた。期待はしていない。

案の定、首を横に振られた。

龍晶は一人頷いて、少し微笑んだ。

「お前の味方だ。俺が傍に居る限りは安心して良い。誰にもお前を苛めさせないから」

朔夜の表情に少なからずあった警戒の色が、その言葉で少し解けたと龍晶は感じ取った。

そして後ろの宗温に目配せする。

「あいつもお前の味方だ。俺は頼りにならないけど、この宗温は必ずお前を守ってくれる」

不思議そうな顔をして宗温を見上げる。

龍晶は一つ息を吐いた。

教えねばならぬ事が有り過ぎる。

だが、今一度に捲し立てても、受け入れられる筈が無い。

「燈陰は?」

不意に、朔夜の方から訊いてきた。

聞き慣れぬ名だが、全く初めて聞いた訳でもない。

数日前、彼自身の言葉の中にあった名だ。

「済まないが、俺達はその人の事を知らない」

それ以外には言えなかった。朔夜は驚き、また不安そうな顔をした。

「その人は…梁巴の人か?」

何か手掛かりになるとも思えないが、出来るだけ彼の記憶を掘り起こしたい。

朔夜は頷いて教えてくれた。

「俺の…父さん」

後半は殆ど聞き取れない声で。

龍晶らには分からぬ事だが、燈陰を父と呼ぶ事に、朔夜は罪悪感めいたものすら抱いていた。

何とか聞き取った龍晶は納得して、しかし事態の深刻さに頭を抱えたい気分だった。

恐らく、精神的にも記憶の残る時期まで逆行している。それでこの場所で、あの仕打ちだ。

殆ど狂気と言っても良い最初の姿も致し方無い事だった。寧ろよくここまで回復したものだと思う。

だがこの先も苦しい事に変わらない。

「朔夜、よく聞け」

肩を掴み、こちらに向けさせて、噛んで含める様に龍晶は事実を告げた。

「お前は記憶を失っている。多分、五年以上もの記憶を。この頭の傷を作った時が原因だろうと思う」

澄んだ翡翠の瞳には戸惑いしか浮かばない。

何を言われているのか理解出来ないのだろう。それは仕方ない。だが理解せねばならない。

「ここは梁巴ではない。そこから随分離れた場所だ。俺は戔という国の龍晶という者だ。お前と共に哥という国と戦っていた。ここはその哥の陣中だ。俺達は捕えられた」

朔夜は説明の最中に頭を振って、膝を抱える腕の中に耳を埋めた。

肩に置いた手を空に滑らせて、龍晶は虚しい息を吐いた。

この状況を理解しろという方が無理だ。

「…悪かったよ、朔夜。お前をこんな事にさせてしまったのは、俺のせいだ。だけど分かってくれ。俺達は生きてここから出なきゃならない。そうでなければ梁巴にも帰れないだろ?」

僅かに朔夜の顔が起こされる。

「帰りたいよな…生まれ故郷に」

こくりと、頷く。

龍晶も頷いた。そして後ろを向き、朔夜に見られないように目元を拭った。

多分、帰してはやれない。

だけどせめて、生かしてやりたい。

「殿下…」

宗温が小声で声を掛ける。

案じてくれているのは、龍晶自身の心だ。

「大丈夫だ。だが…」

震える唇を噛む。

この数日で、壊れてもおかしくない程に疲弊した心に、更に追い打ちを掛けられた。

それでも壊れてはいられない。正気を保ち続けねば、ここからは出られない。否、朔夜を出してやれない。

重たい責任。己に果たせるとは思えず。

夜。

時折朔夜に話しかけるが、相変わらず反応は薄い。

仕方の無い事だと分かっている。分かっていながらも、聞き分けの無い子供を相手にしている様で苛立たしくもなる。

苛立つ自分に己の焦りを見る。そしてまたそれに対して苛立ちが募る。

悪循環。今もつい、朔夜に怒鳴り付けてしまった。

良い加減にしろ、今の状況が分かっているのか、甘えるなーー

言ったそばから自己嫌悪だ。

こいつに罪は無い。悪いのは俺だ。全て俺が作り出した状況。

頭を抱える。

駄目だ。冷静で居られない。

「大丈夫?」

意外な問いかけに、龍晶は思わず顔を上げた。

本当に子供のそれの様な純粋な瞳。

こいつは怒鳴り付けた俺を本気で心配している、そう気付いて気まずく「ああ」と答えた。

これがこいつの地なんだと思った。積年の苦労の垢を取り除いたら、優しく繊細過ぎる綺麗な翡翠の玉が出てきた。

俺はこの玉を壊さずに居られるだろうか?

この地で耐えられる代物ではあるまい。

どうして強いままで居てくれなかったと、運命を呪う。もう何度目だろう。

「大丈夫だよ龍晶、俺、怒鳴られ慣れてるから」

驚く目ににこりと笑って見せる。

少し考えを訂正せねばならなかった。

思っていたより弱くは無かった。強さはこいつの地の中にある。

「誰がお前を怒鳴るんだよ?」

龍晶も久しぶりに笑みを浮かべて問い返す。

「燈陰」

当然とばかりに即答。

「親父さんか?」

怒られる話なのに、何だか嬉しそうに頷かれる。

「好きなのな、親父さんの事」

気恥ずかしそうに笑うだけで否定しない。

純粋な可愛げのある子供そのもの。

「どんな人?」

自身は父親の記憶は薄い。幼い頃に亡くした上に、当然だが職務に忙しくてあまり構って貰った記憶は無い。

だから普通の父親がどんなものか、少し興味が湧いた。

「すごく強い人」

簡潔に答えが返ってきた。だがそれでは分からない。

「強いって?」

「刀で戦うのがすごく強い。村の人達も燈陰が居れば戦が出来るって言ってる」

一瞬、真顔に戻って朔夜を見つめてしまった。

戦。これまでの彼ならこんなに嬉しそうに言える単語ではない。

失くした物が何なのか、改めて突き付けられた。

「…そっか。凄いんだな」

やっと言葉を継ぐ。

無邪気に頷く。

「お前は?」

ふと気になって、訊いた。

勿論それだけで意は通じず、首を傾げられる。

「お前は刀を使えるのか?」

この意識があるか無いかで、違う。

何が違うかーーこれから生き残れる確率、とでも言おうか。

「いつも燈陰にふっ飛ばされてるよ」

恥ずかしそうだがどこか楽しそうに答える。

どういう事だと見返す。

「燈陰には絶対勝てない。だけどちょっとは上達したって言って貰えた」

「ああ…成程な」

手ほどきされている頃の記憶はあるのだ。

全く使えないよりはマシだろう。否、刀を持つ恐怖感が無いなら良い。

持ちさえしたら、感覚で動けるという事もある。

「そう言えばさ、なんで親父さんの事名前で呼ぶんだ?」

雑談のつもりで訊いた。

途端に笑顔が掻き消えて、一言、ぽつりと答えが返ってきた。

「俺が化物の子供だから」

軽い気持ちで訊いておきながら、言葉に詰まる。

忘れかけていた。彼が尋常の人間ではない事。

「他の呼び方したら怒られる」

思い出した。出会った時、そんな事を話していた。

兄に蛇蝎(だかつ)の如く嫌われる様を見て、気持ちは分かると。

あの時は何が分かるものかと思っていたが。

「悪い。辛い事訊いたな」

ううん、と首を振る。

そして底抜けの笑顔を見せた。

「良いんだ。前と違って、ちゃんと怒られるようになったから。野菜は食えってね」

思わず龍晶は吹き出した。

「お前、野菜嫌いなの?」

「嫌いな振りしてるだけの時もある」

怒られたいから。

笑っても良いものか、龍晶には複雑だ。

だけど、かなりほっとした。

かつては、普通の人間として暮らせていた時期もあったのだ。野菜を食べなくて怒られるなんて、龍晶にはかなり贅沢な、平和で家庭的な話に聞こえる。

「お前、幸せだったんだな」

つい、言ってしまった。

そんな記憶とは懸け離れた、荒涼とした砂漠に今がある。

「…母さん、どこに行ったんだろ」

呟きを聞いて、ぎくりとした。

はっきりと聞いていた訳では無い。無いが。

かつて聞いた、「俺が、この手で…」の続きにあったであろう言葉。

それさえ忘れている。

かなり当たりに近かろうと、推量を伝える訳にはいかない。否、そんな事は絶対に言えない。例え事実だろうと。

それを知れば、この柔らかな玉は、確実に壊れる。

そしてその己を壊す事実を抱え続けてきたのが、かつての朔夜なのだと、知った。

自分ならば、耐えられない。

「どこかで生きてるよ、きっと」

罪作りな嘘を吐いた。

「戦の中でさ、お前、はぐれちゃったんだよ。大丈夫、お前の母さんはちゃんと上手く逃げてるから、心配するなって」

嘘だと見抜かれただろう。

それでも朔夜は頷いた。

こんなものは、龍晶が自分に対して誰かに言って欲しい嘘に他ならなかった。

お前の母さんは何処かで生きてるよ、安心しろ、と。


ここに来て十日目。

今日も生き延びて、やっと息のつける夜が訪れる。

この場所で生きる術も、記憶を失くした朔夜にも、龍晶は慣れつつあった。

受け入れる事が出来てきた、そうとも言える。

ならば今からどうすべきか、それを考え始めた時だった。

敵兵が五、六人、柵の中にずかずかと入って来る。

真っ直ぐ、睨む龍晶の元へやって来た。

『騙したな』

前へ立ちはだかるなり、そんな事を言われる。

『何の事だ?』

『峯旦に使者をやった。かの地を譲り渡さねば王弟の首を送り付ける事になるが良いか、と』

『…返事は?』

『戔王に弟はおらぬそうだ』

驚きは無かった。そう来るだろうとは思った。

だが怒りは湧いた。今、こうして見捨てられるのか。

兄王の薄い笑みが見える。

お前など助けてやる理由も価値も無い、と。

知れきっていた結果だ。

『それで…どうする?』

何も言われず両肩を掴み、無理矢理立たされた。

「龍晶!」

隣に居た朔夜が驚いて声を上げる。

「朔夜、構うな!」

連行されながら龍晶は叫び返した。

そうしながら、男達の酷薄な笑い顔を横目に見た。

『奴も連れて行こう。面白いだろう』

仲間への耳打ちを聞いて、咄嗟に掴まれた腕を振り払おうとしながら叫んだ。

『やめろ!あいつは関係無い!』

掴まれる力が強くなる。振り解く事など到底無理だ。

後ろで宗温が駆け付け、朔夜を守ろうとしていた様だったが、殴る蹴るの音を聞いて龍晶は諦めた。

捕虜の身では、何も出来ない。

「宗温、やめてくれ!お前は生きてこの事を伝えてくれ…皆に…」

最期の頼みが伝わっただろうか。

宗温は抵抗を止めたのだろう。朔夜と二人、柵の外へ連れ出され、簡素な小屋へ投げ入れられた。

武装した男達に囲まれる。

震えている朔夜に寄って、肩を抱いて囁いた。

「大丈夫。二人なら怖くない」

何も説得力が無い。だけどそうとしか言えなかった。

死ぬのは、龍晶も怖い。

そんな自身の震えも伝わったのだろう。朔夜は自分の肩に置かれた手を握り返した。

「うん…怖くない」

目が合う。

二人共怯えきっているのに、無理矢理口許で笑った。

兵の一人が白刃を抜く。

窓から差し込む月光に、それは不気味に輝いた。

固唾を飲んで二人はその様を凝視している。

『向こうに約束したからな。貴様の首を送る事を』

『…俺は王と何の関係も無いんだろう?そんな首を送って何になる?』

最後の虚しい抵抗だ。

だが、朔夜が居るから強気に出れる。出ねばならない。

『無論、脅しさ。効果など期待してないがな』

無駄死にも良いところだが、敵としては嘘を吐かれた怒りがあるのだろう。

そんな厄介な捕虜はさっさと始末しておくに限る。それは解る。だが。

『それなら俺だけの首で良いだろう。こいつはただの子供だ。子供の首を送ればどうなる?向こうの戦意に油を注ぐだけだろう?止めておけ』

朔夜の前に出て、その存在を隠すように庇う。

殺させる訳にはいかない。だが、敵の問いに鋭く息を吸った。

『只の子供じゃないんだろう?』

そうだーーもう、敵に割れている事だ。

孤軍で敵線を押し留めた子供だと、もう証明されてしまっている。

龍晶はその様を見ていないが、敵はこの子供が厄介者だと分かっている。だからこそ甚振った。

返す言葉を無くして、ただ朔夜の前に腕を広げるより無かった。

「朔夜、ごめん。やっぱり二人で逝く事になりそうだ」

後ろに囁く。

「でも…お前はまだ足掻いてみろ。俺が気を引く、だから逃げろ」

無茶を言っているのは分かっている。だけど諦め切れない。

朔夜なら、或いは何かしら抵抗出来るかも知れないと思った。これまで、ずっと独りで闘い抜いてきた朔夜ならば。

白刃が近寄ってくる。

「行けよ」

念を押して。

兵に体ごとぶつかっていった。

不意を突かれた兵と共に倒れ込んだが、自分の頭上に白刃が煌めくのが目に入った。

敵は多いのだ。別の刃が己を斬るだけ。

「っ、朔夜!!」

叫んだ。逃げろ、そう願って。

その瞬間、鋭い痛みが身を割く。覚悟していたそれ。

気の遠くなる意識の中。

目の前に落ちてきた物が、夢幻の代物に見えた。

刀を持った敵の腕。

見事に断ち切られている。

え?と意識を何とか持ち直して視線を上げる。

敵兵が、何にも触れられていないのに、血飛沫を上げてそこに倒れた。

信じられない。これはもう、自分の意識が死の間際でおかしくなっていると、そうとしか思えない。

だけど、何もかもはっきりしている。し過ぎている。

背中を斬られた痛みも、ここは現実だと教えている。

ならば。

視界に入ってきた友の姿に、龍晶は息を呑んだ。

月光を受けて、青白く輝く。

その目はどこも見ていない。

敵兵が彼を襲う。

それに視線をくれる事も無い。なのに、敵は勝手に血を噴いて倒れた。

尚も息を呑んで見つめていると、不意に視線がこちらを向いた。

ああ、殺される、と。

直感的に、そう思った。

それよりも、

なんて冷たく美しい瞳だろう、と。

魅入られた。

神のような、悪魔のような、その手がこちらへ向けられる。

怖いが目を離せなかった。死ぬ間際まで見ていたかった。

手は、

己に向けられたのでは無かった。

頭上に転がる先程の腕、その手に掴まれた刀を彼は拾ったのだ。

次の瞬間、新手が扉をぶち破って現れた。

半端ではない数の敵だとは思った。霞の掛かった頭と目ではそれ以上は分からない。

そのまま彼は、刃を手に敵へ向かっていった。否、現実の刃だけではない。先程の見えぬ刃も共に。

喧騒が遠くなる。

自身の意識も、遠く。

ーー月夜の悪魔。

薄れる意識の中で、その言葉を手繰り寄せて。

ああ、やっぱり本当だったんだ。そう眠りながら思った。


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