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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第六話 取引
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(セン)?俺が行くのか?」

 目をまん丸にして朔夜は問い返した。

「ええ。そうです」

 にこにこと皓照が頷く。

 横で燕雷が険しい目で相棒を見ている。

「どうして…いや、その前に戔ってどこ?」

「この(カン)の隣国に当たります。首都までは三日と言った所でしょうか。遠くはないですよ」

「へぇ…」

「私が戔の王城まで案内しますから、ご安心下さい」

 言われてもすぐには飲み込めないようで、うーんと唸って。

「どうしてなのか、教えて貰えるのか?」

 とにかく、そこだ。

「勿論。(シュウ)を滅ぼす為です」

「俺が戔に行くと、繍が滅びる?何故?」

「戔軍を動かして貰いたいのですよ」

「俺に?どうやって」

「あなたが戔に行けば軍は動きます。そういう約束です。そこで戔軍と共に繍に引導を渡して頂きたい」

 はたと、何か思い当たった顔付きになり、朔夜は黙った。

「繍の東部…今残っている国土に隣接する唯一の大国が戔です。戔が攻めれば今の繍はひとたまりも無いでしょう。逆に言えば、繍滅亡の為には戔の力がどうしても必要だ。そして朔夜君、君の力も」

 茶を出しに来た華耶が、そのまま身を固くして話を聞いている。

 少し離れて燈陰が、聞くともない雰囲気で成り行きを窺っていた。

「それは」

 朔夜は喋りにくそうに皓照に問うた。

「俺は戔に行くしかないって事なんだよな」

「選択の余地くらいあるだろう」

 横から厳しく燕雷が言った。

「本当の事を話して朔夜に行くか行かないか選ばせてやれよ。でないと…」

「何でしょう?」

 悪びれる顔が無い。

 そんな男だとは判っている。判ってはいるが。

 燕雷の中にある、『騙している』という意識は、皓照の中には全く無い。

「俺は反対だ。行かせたくはない」

 何を言っても無駄だろうとは思いながら、燕雷は言い切った。

「本当の事って何?」

 尋ねる視線は皓照ではなく、燕雷だ。

 一瞬言い淀んだ燕雷に畳み掛ける様に、朔夜は言った。

「俺は戔に出兵させる為の条件なんだろう?つまり、戔は悪魔の戦力を欲している、と」

「お前…」

「大丈夫。そのくらいは聞かなくても解る」

 言葉に詰まる燕雷から視線を外し、再び皓照に向けた。

「行くつもりはあるから安心して。ただ、少し猶予が欲しい」

「朔」

 止める声に構わず朔夜は続けた。

「まだ目覚めてから刀を持ってすらないんだ。戦力として行ったは良いが刀が抜けないじゃ冗談にもならないだろ?」

「そうですね。では暫し待ちましょう。どのくらい有れば良いですか?」

「二週間。出来れば一月」

「分かりました。ではまたその頃お迎えに上がります」

 皓照のみ立ち上がる。

「忙しいな」

「一国を滅ぼそうとしてるんですから」

 言って、まだ座る燕雷に視線を落とす。

「行け。後から追う」

 不機嫌に燕雷は皓照に背中を向けたまま告げた。

「では」

 不審そうな色を少しも見せずに皓照は去った。

 静まった部屋。

 黙したまま燕雷が茶を啜る。朔夜も気まずさからそれに倣った。

 華耶がはたと我に返ったように部屋を出ようとしたが、燕雷が呼び止めた。

「言いたい事は言って行けよ。でないとこの馬鹿には分からない」

 朔夜を顎で示して言う。

 華耶は戸惑いつつ、何度か口を動かそうとしてやめて、やっと一言呟いた。

「行かないでって…言って良い?」

 言われた朔夜は口をぽかんと開けて、何とも答えられぬまま。

 逃げるように華耶は出ていった。

「…馬鹿」

 また燕雷に馬鹿呼ばわりされる。

 理由は解る。華耶にあんな顔をさせるなという事だ。

 でも、と朔夜は思う。

「それほど復讐にこだわるのか」

 燕雷に問われて、華耶が去った後に彷徨わせていた視線をはたと戻した。

「あの娘を悲しませてまでやらなきゃいけない事か?」

「そうだと言ったら?」

 前のめりになっていた燕雷が、少し引いた。

「ごめん燕雷。止めてくれる気持ちは解る。でも俺は行くよ」

「それほど…憎いか」

 朔夜は頷いた。

 嘘ではないが、憎しみは二の次だ。

 本当は、もっと切迫した危機感。

「…戔は…嫌な国だ。繍と同じか、それ以上の仕打ちを受けるかも知れないぞ」

「だから止めるのか?」

「それもある。皓照はそんなもの俺の主観だと笑うが」

「戔で何かあったのか?」

 不躾に訊いて、あっと声を出しそうなまでに後悔した。

 それほど燕雷の眼の奥に、不穏なものを感じ取った。

「ごめん」

 謝るしかなかった。

「いや…別に良いんだ。ただ話せば長い話でな。今はちと無理だ。あいつが待ってるし」

 皓照が待っているとは思えなかったが、そう簡単に話したくはない事なのだろうと思った。

「ごめん、燕雷。俺は戔に行く。それは何を言われても変わらないから」

 もう一度謝ると、燕雷は席を立った。

「それはよく判ったよ。ま、気が変わったら遠慮無く言え」

「…うん」

 わざとらしくいつも通り気楽そうに振る舞う燕雷を見送って、気まずさだけが残った。

 だが、意思は揺るがない。揺るがせてはならない。

「特訓してやるよ」

 今まで静観していた燈陰が、やっと口を開いた。

「猶予なんざ一月も要らない。さっさと行けるようにしてやる」

 その真意なんか考えたくなくて、朔夜もまた席を立った。


 今の今まで手の中にあった筈の木刀が、回りながら中天の太陽に吸い込まれるのを眼の端で捉えて、苛立ちを押さえられず舌打ちする。

 対する燈陰は既に構えを解いている。さっさと拾えとばかりに。

 自分の背後からの重たい音を聞いて、渋々そちらに体を向けた。

「遅い。待たせるな」

 悪態を返す気にもならない。

 そもそもこちらにやる気は無い。稽古を頼んだ覚えも無い。挑発するから乗ってやっただけ。

 本当は木刀での対戦よりも真剣で素振りしたい所だ。尤も相手さえ違えば格段にやる気は違うのだが。

 気だるく木刀を拾った側から強かに背中を打たれる。

 洒落にならない程痛い。踞っていると上から叱咤が降ってくる。

「阿呆か。背中を向けて得物を取りに行くなんざ、斬ってくれと言っているようなものだ」

 だから誰も実戦訓練なんか頼んでないのに!

「そんなに喧嘩したいなら余所でやれよ」

 唸るように悪態をついて、やる気の無さを表明するようにその場へ座り込む。

「戔に行くんだろう?」

「行くよ。だからあんたと喧嘩してる暇は無い」

「喧嘩だと思いたいなら勝手にしろ。繍に(なます)にされるのが落ちだ」

「勝手に死んでくるから安心しろ」

 剣呑なまま立ち上がり、屋内に向かう。

 こんな面と向き合っていても苛々が増すだけだ。

「死にたいなら止める義理も無いな」

 ――義理、か。

 結局何の関係も無い二人なのだ。人間と化物の間に血の繋がりなどあろう筈も無く。

「…どうせなら、あんたが殺せば?」

「は?」

 自分でも思わぬ言葉が滑り落ちた。

「憎いんだろ?母さんの仇を伐てばいい。俺が繍に殺される前に」

「……」

 燈陰が刀を構えたのが空気で伝わった。

 朔夜は背中を向けたまま静止し、待った。

 自分でも可笑しいとは思うが、これで斬られるのなら本望だと本気で思う。

 燈陰に斬られるのではない。

 己が己に向けたい刃だ。

 刃が空を切った。

 切先は確かに首筋を捉えていた。しかし。

 からん、と乾いた音を発てて剣先が地に落ちる。

 燈陰が鋭く息を飲んだ。

 朔夜は。

 閉じていた瞼をゆっくりと開けた。

「…やるなら真剣でやれよ」

 燈陰の持つ木刀は、その身の半分から上が綺麗に切れていた。

 見えぬ刃によって。

「お前がやったのか…!?」

「他に誰が居る?」

「だが、まだ…」

 月の出る時間には程遠い。

「甘いのはどっちだろうな」

 朔夜は父親を一瞥して言った。

「俺はずっと命懸けでやってきた。捨てたくとも自由にならない命だけどな。…あんたはどうなんだよ?あんたは何をした?」

 縁側伝いに於兎がこちらにやって来る。

 緊張は揺らいで、燈陰は使い物にならなくなった木刀をその場に棄てた。

「…次は真剣を使ってやるよ」

 自嘲気味に口を歪めて彼は言った。

 あの夜、自分とて命を棄てるつもりで。

 だがあれ以来、そんな思いに駆られた事はあるだろうか。

 息子が死線を掻い潜っていた同じ年月、過去の記憶だけを(よすが)として生ぬるい世界を生きていた。否、それを生きると言って良いのかも分からない。

 己のこの憎しみは、そんな己自身に向けた苛立ちだ。

「朔夜!ちょっと上がって!」

 於兎がこちらに気付いて呼ぶ。

「華耶が来て欲しいって。何でもお母さんがあんたをお呼びみたい」

「分かった。すぐ行くと伝えてくれ」

 応えると、半笑いで皮肉を吐かれた。

「ほんと、仲良し親子よね」

 華耶の事かと本気で勘違いして、大人しく見送りながら考え、真相に気付いた時にはもう姿は無かった。

「どこがだよ…」

 一応、行き場の無い反論を口に出しておく。

 それにしても華耶の母親がわざわざ自分を呼び出すとは只事ではない。特に最近は容態が良くない。

 朔夜は木刀を濡れ縁に立て掛け、そこから上がろうとした。

「待て」

 後ろから声がかかる。

 片足を床板にかけたまま、肩ごしに振り返る。

「大丈夫なのか?」

「何が」

 言い淀んだその表情に、冷淡さも皮肉の影も無い。

 本心から心配している。

「今のお前は…朔なのか?それとも…月なのか?」

 朔夜は縁側に上がって、父親に向き直った。

「月なら、木刀じゃなくてあんたを斬ってる」

「…力を制御出来たという事か?」

「あの程度ならな」

 これまでも昼間に僅かな力を使う事は出来た。

 己の意識下での事だから、制御出来たと言えばそうなのかも知れない。

 ただ、それが自由に繋がるかと言うと、まだ遠い。

「何にせよ、あんたが心配する様な事態にはならない。もう行っても良いな?」

 朔夜が、華耶や村の人を傷付ける事――それが燈陰の心配する『事態』。

 それは朔夜自身の心配でもある。だから他人に心配される事が鬱陶しい。

 余計な世話だと顔に書いてある。

「ああ。行け」

 その命令口調が気に入らなかったのか、一睨みして去っていった。

 やれやれ、と小さく呟いて溜息に代える。

 だが、希望は見えた。

 僅かながらでも、力を自在に使えるようになっている。

 いつか、昼夜問わず、己の意思で力を駆使出来るようになれば――

 そこにあるのは、自由か。平和か。

 こういう静かな場所で、争う事も、人を危険に晒す事も無く、ただただ普通に生活する。

 そういう希望を見たいのだろうか。

 それこそ甘い事だろう。

 あの力を自在に操れるとなれば、ますます兵器として使役し易くなる。この戦乱の世で、そんな存在が放っておかれよう筈が無い。

 現に、今でさえ戔に売られようとしているのだ。

 それに賛同し決定打を出してしまったのは、自分なのだが。

 後々、この事実を恨まれる事になるだろう。

 だが、何にせよ今は。

 燈陰は朔夜の去った先を見遣る。

 皆が無事に過ごす為には、不確定の未来を犠牲にしても、罪は無いだろう。

 そう、彼一人が罰を背負ってくれれば。

「…俺は本当に父親失格だな」

 青空の向こうの妻に、自嘲混じりに呟いた。


挿絵(By みてみん)

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