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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第八話 喪失
29/60

9

 敵兵に連れて来られたのは、捕虜の収容施設のようだった。

 施設とは言え、砂漠の一画を柵で囲ってあるだけに過ぎない。中には同郷の兵達がやっと身を横たえられる程の間隔で入っていた。

 ざっと見て五十人と言った所だろう。今日の戦で捕らえられた者も入っている。

 砂の上に直接寝転んでいるか、絶望的な表情で座り込んで項垂れているか、皆どちらかだった。

 入れられて、龍晶は何よりもまず本来の目的を果たさねばならなかった。

 この中に朔夜は居るのか。

 目立つ銀髪を探せば良いのだが、人が(ひしめ)き合う中ですぐには目に付かない。

「朔夜!朔夜は居るか!?」

 呼べども、返事は無かった。

 最悪の事態が頭を(よぎ)る。

 矢張り、ここまで辿り着けてはいないのではないか?

 途中で力尽きて。

「殿下!」

 宗温の呼び声で我に返った。

 人の群れから外れた方向で、宗温は呼んでいる。

「ここです!生きています!」

 信じられない心持ちでその姿を探したが、矢張り見当たらない。

 と言うより、宗温の居る場所に人が居ないのだ。

 とにかく走り寄って、宗温に目で問うた。

 宗温は足元を指差した。

 一見すると毛布が無造作に置いてあるだけ。

 しかしよく見ると、下から銀髪が覗いていた。

「朔夜?」

 眠っているのだろうかと声を掛ける。

 返答は無く、龍晶は毛布を剥ぐって見た。

 その瞬間、まるで猫がそうするように、手を叩かれた。鋭い痛みに思わず身体ごと引く。

 手の当たった指先に、相手の爪で切ったらしい血が滲んだ。

 唸り声。獣のそれのように。

 龍晶は呆然と佇むより無かった。

「手負いの獣ですぞ」

 近くに居た老兵が独り言のように呟いた。

「誰も近寄れませぬ。敵が無理矢理連れて行って拷問にかける時以外は」

「…そんな」

 それ以上言葉が無かった。

 苦労して、多大な犠牲を払って見つけた結果が、これなのか。

 虚脱感に襲われる。

「敵は何を喋らせようとしている?」

 宗温が老兵に訊いた。訊いても無駄だとは判っているが。

 案の定、老兵は首を横に振った。

「しかし、言葉が通じぬのに喋らせても意味は無いだろう」

 地面を睨みながら龍晶は言った。

「敵はただ甚振(いたぶ)りたいだけだ。それには調度良い子供だろ?…こいつ服も剥ぎ取られてる」

 一瞬だけ見えた毛布の中は、痣と傷で変色した肌しか見えなかった。

 己の過去の残像がちらつく。

 思い出したくもない。頭を振って、もう一度毛布に向けて呼び掛けた。

「朔夜、俺だ。龍晶だ。迎えに来た。何もしないから顔だけ見せてくれ」

 動きは無い。

 暫く待ったが、龍晶は諦めを溜息に変えた。

「ここまで襤褸襤褸にするかよ…」

 虚しい苛立ち。敵軍に何を言っても無駄だろう。

 それとも、呼び掛けに応じないのは自分だからだろうかと考えを変えた。

 道具として使いたい本心が伝わってしまった?

 愛想を尽かされたのか。

「宗温、お前ならどうだ?俺が嫌われているだけかも知れない」

 冗談ぽく、苦笑混じりに振ってみると、彼は大真面目に返してきた。

「それは無いでしょう、殿下。彼は誰よりも殿下の事を案じていたのですから」

 苦笑が深まって、苦味しか残らない。

 果たして本当にそうだろうか。そうやって純粋な友情を装っている分、道具にしたいと判れば裏切られた感も強まるだろう。

 だが龍晶とて、本心は分からないのだ。

 ただ友と思っているのか、利用したいだけなのか。

 両方だろうか。

 利用出来るならしても良いと思っている。それが正解に近いだろう。

 そんな自分に嫌悪する気持ちも無かった。

「…時間はある。待ってみよう。俺が殺されるまでは」

 何か言わんとした宗温を笑みで封じて、龍晶はその場に座り直した。

 ここに居る皆が皆、死を待つよりすべき事は無いのだ。

 ならば、奇跡を待っても良いだろう。

 ただ、この場所では奇跡よりも死の方がずっと近い事を、半日もすれば十分に思い知らされた。

 砂漠の炎天下で日を遮る物も無い。水は資源豊富なこの陣でも矢張り貴重らしく、捕虜に支給されるのは日に二回の食事時のみ。それも砂混じりの水が一人に椀一杯のみだった。

 弱った者は脱水症状を起こし、処置などされよう筈もなく死んでゆく。

 龍晶がここに来て夜までに二人死んだ。

 他の者も暑さと戦いながら、じっとその時を待っていた。

 日が沈めば、気温は落ち込む。

「寒いな」

 自身も支給された毛布にくるまって、龍晶は朔夜に声を掛けた。

 返事は無い。震えている事だけは分かる。

「なぁ、朔夜、何も言わなくて良いから聞いてくれ」

 座る足元にあるであろう耳にだけ聞こえる声で。

「俺はお前の力を信じている…今もだ。その為にここまで来たと言っても良い。お前が繍で使ってきたという力を、どうかこの国で使えないだろうか。そうでなければ…」

 一度言葉を切って、過酷な大地に視線を投げる。

「お前もこれ以上、人死にを出すのは嫌だろう?犠牲を抑える為に、あの時戻った筈だ。俺だってあの時反対はしたが、可能ならば一緒に戻りたかった。立場というのは嫌なものだな。やりたい事も出来ない。その上今は、お前を利用する事を考えてしまう。お前の意思など二の次にして」

 これが素直な感情だった。

 王族としての自分は、力を利用するのは当然だと言う。だが人としての自分がそれを許さぬのだ。

 俺は友を力としか見ないのか、と。

「お前が力を使えなったのは、俺への天罰なのも知れないな」

 今まで、その望みの力を手に入れられなかった。故にこの状況だ。

 それが続けば、いずれ死が待つ。

「なぁ、お前はここで死ぬ事無いだろう?俺の巻き添えでしかないもんな」

 こんな国に来る事も望んで無かっただろう。

 全ては自分達の勝手な行いのせいで。

「…待っている人が居るんじゃないのか。帰らなきゃいけない場所があるんだろう?」

 言っていた。自分の力から彼女を守る為に来た、と。

 その力が無くなったとしたら、ここに居る理由は無い。

 どこかで平穏に、幸せに暮らしてゆくべきなのだ。

「お前だけでも逃げろ。もう俺達の事なんか考えなくて良い」

 一段と声を落として龍晶は言った。

 力を失ってしまったとしたら、そうすべきだ。否、そうして欲しい。

 だがその力が無ければ脱出も不可能だ。

 溜息と共に夜空を仰ぐ。

 遮る物の無い空は広かった。

「…勝手だな」

 何の為にここへ来たのだろう。

 何の為にここまで来させてしまったのだろう。

 このままでは無駄死にも良い所ではないか。

 せめて相手が何を考え、感じているのか判れば少しは救いになるのだが、それも望めなかった。

 独りで虚しい考えを巡らすしかない。

 ここに来て朔夜に会えれば何かが変わると思っていた。

 それも甘かったという事だ。

 そんな都合の良い話は無い。そうは解っていても。

 きっと他の行動は出来なかった。


 朝が来た。

 昨夜と同じ場所で柵に寄りかかって座ったままうとうとと寝ていた。

 陽射しの眩しさと暑さで目が覚める。

 過酷な一日が始まる。

 朔夜も変わり無かった。毛布の下で、胸の辺りがゆっくり上下している。浅い眠りに落ちているのだろう。

 眠れているならまだ良いか、と龍晶は気休めを胸の内で呟く。

 自分は恐怖で眠れなくなった時期があった。兄が王座について間も無い頃だ。

 あの頃は、意味も分からないまま甚振られていた。故に怖かった。

 比べる対象として間違っているかと思い直す。それでも、過去の自分をどうしても思い出してしまう。

 牢獄よりも明かりの無い部屋。

 黒い影に囲まれて。逃げ場は無い。

 叫べども誰も助けてはくれない。

「殿下」

 呼ばれてびくりと体を震わせた。

 驚きのあまり息が乱れる。

 呼んだ相手が宗温だと確認して、龍晶は息を安堵のそれに変えた。

「大丈夫ですか?」

 様子がおかしいと思われたのだろう。何食わぬ顔で頷いた。

 ここはいつ心身を蝕まれてもおかしくない場所だ。

 もう、自分については手遅れなのかも知れないなと、龍晶は一人虚しく笑った。

 だが、まだ狂う訳にも斃れる訳にもいかない。

「おや、どうやら朝食を頂けるようですよ」

 複数の敵兵が鍋や食器を手にして柵の中に入ってきた。

 動ける者は列を成し始め、渡された食器に水と鍋の中身を掬い上げ、またそれぞれの場所へ帰って食べる。

「お取りして来ましょうか?」

 動く様子の無い龍晶に気を遣って宗温が尋ねるが、彼は首を横に振った。

「皆が取ってから行く」

「しかし、残るとは限りませんよ」

「それで良いんだ。それよりも、動けぬ者達に持って行ってやってくれ」

「畏まりました」

 宗温が動こうとした所に、少年兵が椀の乗った盆を持って近付いてきた。

 龍晶の前でそれを差し出す。

「俺に?」

 己を指差して問うと、無愛想に頷いた。

「敵も殿下には一目置いているという事でしょう」

 宗温が龍晶の戸惑いを解消しようと声をかける。

 だが本人は納得出来ない。

「俺は要らない。もっと必要としている人に持って行ってくれ」

「取り敢えずお受けになったらいかがです?その子は殿下にお持ちするのが役目なのですから」

 宗温の言う事は尤もで、少年兵は苛立ちも露わな表情で待っている。

「ああ…すまない」

 哥の言葉でもう一度少年兵に謝って、龍晶は盆を受け取った。

 改めてその中を見ると、汚れの少ない水と、粥が入っている。

 他の者は泥水に焼かれた芋。その違いにますます龍晶は納得し兼ねる。

『本当にこれは俺に持って来たものなのか?お前の上官が食べる物じゃないのか?』

 念押しして少年に訊くと、一睨みして踵を返された。

「可愛げの無い子供ですな」

 宗温は苦笑いしている。

「敵だからな、仕方ない。しかしこれはどういうつもりなんだ?」

「敵も殿下が必要だという事でしょう」

「そうだろうか…」

 自ら生かして利用せよと予防線を張った癖に、龍晶には敵の考えが信じられない。

 変な場所で野垂れ死ぬより有効に使って殺したい、そういう事なのだろうと納得する事にした。それよりもこれを誰が食すかだ。

「誰が今一番危ない?」

 龍晶は馴染みになった老兵に訊いた。

 だが素直に答えては貰えなかった。

「誰にやっても同じですよ。皆餓えています」

 一人を救っても、次の誰かが死ぬ。

 龍晶は口を閉ざさざるを得なかった。

「己が生き残る事だけをお考えなさい」

 老兵の言う事は尤もだった。

 だが、はいそうですねと言える気分ではない。

「朔夜!」

 龍晶は毛布に向けて叫んだ。

「お前、何も食ってないだろ!?少しは出てきたらどうなんだ。俺の食料をやるから!」

 半ば捨て鉢に呼び掛けたが、案の定反応は無かった。

 苛立ち混じりの溜息を吐きながら座り込む。

 己の無力さに腹が立ってくる。

「殿下…朔夜殿が何も口にしていないとしたら、相当危険な状態なのでは?」

 宗温の一言にはっとした。

 この様子では、ここに来てから誰も水や食べ物を与えていないかも知れない。

「おい、朔夜!捲るぞ!」

 毛布は何の抵抗も無く開いた。

 現れた顔は蒼白で、痣と傷と窶れで別人の様だった。

 触れようと手を延ばしたが、その様子を見て躊躇った。余りに酷い。

 宗温が横からさっと手を出し、抱き起こして水を飲ませた。意識は無いが、少しずつなら飲み込む事は出来る。

 呆然としている自分に気付いて、龍晶は己に与えられた粥の腕を差し出したが、宗温に断られてしまった。

「食べる事は難しいでしょう。意識が戻らなければ…」

 何も言えず、腕を元に戻す。

 結局、何も出来ない。

 そのまま、宗温が傷を看るのを横から見ていた。

 手当てらしい手当ては出来ない。包帯も無ければ水も無い。骨が折れているやも知れぬ箇所だけは、宗温が己の衣を割いて固定した。

 頭の傷が酷く、血糊が髪と顔にべったりと付いて固まっている。

「よく…生きていたものです。この状況下で言える事でも無いかも知れませんが、生きているだけ幸運でした」

 宗温が己の上衣を着せながらしみじみと言った。

「このまま死んだりしないよな?」

 宗温の言葉に多少は希望を持って龍晶は訊いた。正直、死人にしか見えないのだ。

「予断は許しませんが…」

 言葉こそ濁したが、宗温はにこりと笑って見せた。

 大丈夫だと断言は出来ぬが、可能性はある。

「殿下、朔夜殿が目覚めた時に殿下が倒れていては元も子もありません。食べるものは食べて下さいよ?」

 言われて、すっかり忘れていた椀を振り返る。

 水分が飛んで固まり始めていた粥を、結局は自分で食べた。


 夜。

 日が落ちて暑さが少し和らいだ頃、配給と共にまたあの少年兵が盆を手にやって来た。

「毎度毎度こうなのか」

 少年兵の姿を見つけ、苦笑いしながら呟く。

 自分だけ特別扱いされるのは良い気がしない。

「まあまあ。敵なりに気を遣っているのでしょう」

 宗温に宥められながら、少年兵を迎えようと立ち上がった。

 その時、後ろからやって来た二人の兵に少年兵は突き飛ばされ、盆もろともに()けてしまった。

 突然の事に驚く間も無く、二人は朔夜に近寄ると乱暴に腕を掴み立たせようとする。

『待て!』

 咄嗟に龍晶は割って入った。

『離せ!重傷を負っていると分からないか!』

 二人は一旦動きを止め、龍晶を見下して下卑た笑いを見せた。

『これが噂の王子様か』

 朔夜を掴んでいない方の男が悪戯に龍晶の顔を覗き込み、片手で顎を持ち上げ顔を向けさせる。

 その手を龍晶は叩いて退けた。

『気安く触るな下郎め』

 男達の目付きが変わる。

 朔夜を放るように投げ出し、二人の男が龍晶を囲んだ。

『あいつの代わりに貴様を甚振ってやろうか?』

 脅し文句に怯まず、男を睨み付ける。

 その間に、宗温が立ち塞がった。

「去れ!捕虜と言えどこの方に手を出せばただでは済まさぬ!」

 言葉こそ通じぬが、その気迫に男達は動きを鈍らせた。

 そして異様な気配を感じて背後に目をやる。

 動ける捕虜全てが、取り囲んで鋭い視線を送っている。

 二人は目で会話し、唾を吐きかけて去って行った。

「お国柄が知れますな」

 怒ったように、しかし先程の気迫とはとても比べものにならない冗談めかした感じで、宗温が去る背中に向けて言った。

 龍晶も鼻で笑って、宗温に助けてくれた礼を言った。

 そして同胞の皆にも目を向ける。

 彼らは既に解散してそれぞれの場所へと戻ろうとしていた。

「礼など無用ですよ」

 言いそびれたなと思った側から宗温に言われてしまった。

「我々はそうしたいから行動しているだけです。殿下をお守りする事は、祖国を守るも同然ですから」

「…そうなのか?」

 その心情は龍晶には不可解だったが、それよりも今は優先せねばならぬ事がある。

 倒れている朔夜に駆け寄る。

 膝を抱えて震えていた。目は薄く開いている。

「もう大丈夫だ。奴らは追い払った、もう来ない」

 肩に手をかけて龍晶は噛んで含めるように告げた。

 触れてももう攻撃される事は無い。ただ目は虚ろだ。

 その様子に嫌な予感を覚えた。

「朔夜、俺が判るか?」

 何かを失っている。声を失った祥朗(ショウロウ)と出会った頃、同じ目をしていた。

 朔夜はゆっくりと顔を向け、じっと龍晶を見詰めた。

 そして掠れた声で言った。

「誰?」

 龍晶は咄嗟に何も言えなかった。

 冗談を言っている顔でもないし、そんな状況でもない。

 目は見えているのだろうし、そうだとすれば判らない訳は無い。

 ならば、失ったものとは。

「朔夜殿、ここが何処かお分かりか?」

 (そば)で成り行きを見ていた宗温が横に膝を付いて尋ねた。

 暫し間を置いて、朔夜は答えた。

梁巴(リョウハ)しか知らない。他の場所は行った事がない」

 宗温が龍晶に目で問う。

 声を低くして龍晶は教えた。

「梁巴はこいつの出身地だ」

「では…」

「朔夜、何でも良い、覚えている事を教えてくれ。なるべく最近の事で」

 宗温への即答は避けて、僅かな希望に賭けて問う。

 だがその答えは疑念を確信へと変えただけだった。

()の奴らが攻めてきて、燈陰(トウイン)と戦いに行った…あとは、覚えてない」


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