表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第八話 喪失
25/60

5

 砂漠を照らし付ける陽が暮れる。

 朔夜は寝台に座りながら窓越しにそれを見ていた。

 手は無意識に腹の傷に当てられている。

 治らないまま五日が過ぎた。

 その事実に、正直参っている。力が戻ってくる気配は無い。

 力が使えないという事は、ここに居る意味が無い。周囲にとっては全く不要のお荷物だ。

 視線が怖くなってこの部屋に閉じ籠っている。尤も動くにはまだ傷が痛むし、わざわざ出て行く用も無い。

 衛兵が食事を持ってくる他は、時折、龍晶が顔を覗かせるくらいしか人と会う事が無い。

 それで調度良いのだ。他人と目を合わす気にはなれなかった。

 唯一まともに顔を合わすその龍晶も、発する言葉も表情もどこか空虚で、ぽつりぽつりと中身の無い会話をするだけだ。

 恐らく彼も、自分と近い苦悩を抱いているのだろう。自分がこの力を使えないせいで。

 日が暮れた。夜が迫る。

 気怠い動きで朔夜は窓を閉めようと立ち上がる。もう月の光で傷を治そうと思えなかった。

 ふと。

 遠く、川の向こう、灌木の生い茂る山々から僅かな光がちらちらと見え隠れした気がして、扉に掛けた手を止めた。

 気のせいではない。確かに光、それも松明の光が動いている。

 それが何を意味するか、考える間も無かった。

「誰か!」

 朔夜はその場で叫び、動ける限りの速さで壁を伝って廊下へ飛び出した。

「誰か居るか!?敵が動いた!!」

 人の気配が遠い。確かにこの階は比較的身分のある者しか使わない。それにこの時間はまだ大半の兵が階下で食事や見張りをしている。

「龍晶!」

 朔夜は呼ぶ対象を変えた。彼ならこの近くに居る筈だ。

「龍晶、居るか!?」

「殿下なら今宗温殿と話しておられる」

 桧釐が室内から姿を現した。顔に面倒臭いと貼り付けている。

 あの日からこの人とはまともに話していない。

「桧釐でも良い!敵が動いたんだ!早く陣中に報せてくれ」

「ほお?」

 今度は胡散臭いとその顔が言っている。

 ここまで信じて貰えないと苛立ちが勝ってくる。

「自分の目で見ろ!山影に松明がうろついてる!」

 怒鳴りつけて窓を指差す。

 桧釐が動くより早く、早鐘が陣中に鳴り響いた。

「敵襲!敵襲!陣形を整えろ!」

 兵たちが口々に叫び、走り回る音が聞こえる。

 桧釐は朔夜を一瞥し、足早に動きながら吐き捨てた。

「余計な事はするな」

 朔夜は言い返せずその後ろ姿を見送った。

 初めて突き付けられた。己が何も出来ない現実を。

 進む事も出来ずに階下の喧騒を耳に入れる。

「…駄目だ」

 呟く。誰かに言いたくとも、誰にも届かない。

「負ける…」

 恐らく今のままでは相手にならない。この部隊が丸々消されてしまう。

 そうならない為の、自分だったのに。

「朔夜!」

 階下から龍晶が走り寄ってきた。

 宗温と話していたと聞いたが、それならばわざわざ自分の元に来なくとも、という気がした。共に軍を操る将として城の奥に座していれば良いのだ。

 全く用向きが想像出来ないで居ると、切れる息で思わぬ事を言われた。

「逃げるぞ」

「逃げる?」

 どういう意味で言っているのか理解しあぐねる。

「退却だ。峯旦(ホウタン)平原まで兵を退く」

「馬鹿な!」

 朔夜は反射的に叫んでいた。

 峯旦とは北州の手前に当たる。つまり北州を巻き込む戦になる事は避けられない。

 それは、龍晶自身が恐れていた事態ではないのか。

「何とでも言え。もう決まった事だ」

 据わった目には確かに迷いは無い。

 意思を覆すのは困難だと朔夜は知った。だが。

「今退く気か!?敵はもうそこまで来ている!」

「必ずここで食い止めると、宗温が約束してくれた。俺は先導を務める。手伝ってくれ」

「そんな…!」

 渦巻く数々の反論が感情をも掻き乱して言葉にならない。

 もう、負けるなどという次元の問題ではない。

 誰を、何を犠牲にするのか。

 戦を知らない龍晶が、そこまで考えられているとは思えなかった。

「お前は一人で逃げてろ!」

 氾濫する気持ちは罵声になった。

「どうせお前は傷物に出来ない王子様だ、丁度良い。お前一人生き延びろよ、皆を殺してでもな!俺は役立たずでも臆病者の仲間入りはしない」

 龍晶は何かを言いかけた。言いかけたがすぐに唇を噛んで耐えた。

 その様に、朔夜は薄く後悔を覚えた。龍晶とて本当は不本意なのだ。だが、ここは立場上、逃げねばならぬと解っている。だから何も言い返せない。

 己の言葉は酷に聞こえただろう。

 だが、朔夜は自分が間違っているとは思えなかった。

 龍晶を生かして峯旦まで辿り着かせたいなら、ここに一兵でも多く残らねばならない。

「…俺は残る」

 もう一度、決意を変えられない事を伝えた。が、気まずさからそれは呟きになった。

「そうはさせられない」

 龍晶もまた、静かながら揺るぎなさを湛えた声音で言った。

 朔夜はじっと相手の目を見据える。

 黒目がちな龍晶の瞳は、全く動じなかった。

 背後から兵が走り寄ってくる音。

「殿下、お急ぎ下さい!」

 敵は目前まで迫っている。時間は無い。

「…すぐ行く」

 朔夜から目を逸らさず龍晶は返答した。 

 焦りを見せず、朔夜に再び言う。

「頼む。何も言わずに来てくれ」

 朔夜は目を逸らした。

 振り返って兵に問う。

「馬は二頭用意出来ているのか?」

「は。ぬかりなく」

 溜息。そして渋々、龍晶に応えた。

「行こう」

 龍晶は大きく頷くと、すぐさま踵を返した。

 階下に降りると、意外に兵の数は少ない。

 既に城下へ布陣しているようだ。

 残った兵は籠城の支度をしている。

「何人残す?」

 足早に門へ向かいながら朔夜は問うた。

「五十足らずだ。もっと少なくなるかも知れない」

 今から始まる戦次第なのだろう。

 何人だろうが朔夜には気が重かった。

「これで良いのか、お前は」

 今更遅いのは重々分かっているが、要らぬ念押しをしてしまう。

 犠牲の上に逃げおおせて、それでも良いのかと。

「ああ」

 言葉少なに龍晶は応えた。

 その言外に、無念さが滲み出ていた。

 朔夜はああ、と思い直す。

 全部俺のせいだよな。

 力が使えていれば、こうはならなかった。

 そんな自分が龍晶に何を言える筈も無い。

 だけど。

「二百余りの兵が共に来る。お前は俺と先頭へ立って欲しい」

 引かれてきた玄龍に跨りながら、龍晶は朔夜を見下ろして言った。

 朔夜も馬に跨る。上の空のまま返事もしない。

「朔夜!」

 怒鳴られて、ああ、とぼそぼそと応じた。

「大丈夫か?傷が痛むのかよ?」

「ん、まぁ…」

 痛くない訳が無い。だが、問題は勿論そんな事では無い。

「殿下、敵が迫っております。お急ぎを!」

 兵に急かされて、龍晶は朔夜を一瞥し、馬に鞭を入れた。

 朔夜も続く。

 丘の下では軍勢と軍勢が今まさに交錯しようとしていた。

 無数の松明の明かりが、まるで蛍の乱舞のように。

 絶叫も蹄音も、金属のぶつかりあう音も、全てひっくるめて地響きのように伝わってくる。

 二人、そして共に撤退する兵達は、それらに背中を向けて丘陵を進んだ。

 進めば進むほどに、朔夜の中に割り切れない思いが募ってゆく。

 このままで良い筈が無い。

「何も考えるな」

 龍晶が言った。

「今は考えても何も変わらない。進むべき道を進め。脇目などするな」

「…そんなの」

 顔を顰めて目を瞑り、溜息に変える。

 後ろで戦う彼らに、先は無いのだ。

 考えれば頭がおかしくなりそうだ。だから彼はただ黙々と前のみを見る。

 だが、朔夜には出来ない。

 自分のせいで、という思いばかりが膨らんでゆく。

「今のお前には何も出来ないだろう」

 (とど)めのような龍晶の言に、朔夜の中で膨れてきたものが弾けた。

「お前に何が分かる!?」

 馬首を転じる。後先などもうどうでも良かった。

「朔夜、戻れ」

 嫌な程落ち着いて命令する龍晶を一睨みして、朔夜は言い放った。

「俺はもう道具じゃない」

 馬腹を蹴る。

「朔夜!」

 風を切って流れを逆走する。

 行列の中から驚きを含んで見る目、目、目。

 何と思われようが構わない。

 誰かを犠牲にして生きるなど、出来なかった。

 自分には不死の力がある。ならば、矢面に立って彼等を守るべきだ。他人に一つしかない命を投げ出させるべきではない。

 例え、破壊と再生の力が利かなくとも、朔夜には自信があった。

 死なない、と。


「止まるな、進み続けろ」

 後続の兵に命じて龍晶は列を離れた。

 離れてゆく後ろ姿を認め、玄龍を止める。

 追う気は無い。

ーー俺はもう道具じゃない。

 戦の道具。今まで命じられるままに戦場に立ってきたのだろう。

 その戦場から離れろと命じたつもりだったが。

 俺の命令など聞けぬという事か。

 卑屈に笑って龍晶は列に戻った。

「殿下…よろしいのですか」

 先頭を任せていた兵がおずおずと訊く。

 少し言葉を選んで、龍晶は返した。

「当然だ。この退却は俺の責務だからな」

 勝手な行動は許されない。

 その点、あいつは自由過ぎるよなと毒付きたくもなる。

 自由。

 道具じゃないと言い切れたのは、戦場に戻る自由を俺があいつにやってしまったからか、と。

 薄く自嘲する。

 道具であって欲しくはなかったのだが。


 桧釐の姿を本営の中に見つけて朔夜は馬の速度を落とした。

「桧釐!」

 呼び掛けると目を一杯に見開いて驚かれる。

「おま…何やってる!?」

「交代だ。王子様のお供はお前の役目だろう」

 目の前で馬を降り、その手綱を差し出す。

「俺はお前が居るから残ったのに…!勝手な事を、また…!」

「怒ってる暇は無い。戦況は厳しいだろ?」

 隣に居る宗温に訊くと、無言で頷き返された。

「桧釐、お前はこんな戦で命を捨ててる場合じゃないだろう?北州を守るんだろ?他所者の俺が生き残っても北州の為にはならないが、お前はやるべき事がまだあるだろう?」

 更に前に出された手綱を桧釐は見下ろす。

「…反対してた癖に」

「それは今でも変わらない。ただ方法を考えろって話だ」

 今度は朔夜の目を捉えて、桧釐は言った。

「手負いの餓鬼を置いて行っても何も変わらないだろう」

「なんだ、戦力の話か」

 朔夜は呆れた笑いを見せ、一旦手綱を近くに居た兵に預けると、瞬時に刀を抜いて桧釐の鼻先に突き付けた。

「…普通の人間よりは使える。だろ?」

 全くの不意打ちに為す術も無かった桧釐は、鼻で笑って、やれやれと呟いた。

「降参だ。俺は王子様のお守りをするよ」

 朔夜は口角を上げて笑い、刀を下す。

「頼む。あいつ、何するか分からないから」

 別れ際こそ無理にでも平静を装っている風だったが、本心は知れない。

 全くだ、と桧釐は笑って手綱を受け取った。

 騎乗し、彼は言った。

「まだ俺はお前を悪魔だと信じてはいないからな」

 朔夜は眉根を寄せる。こんな時に何を言い出すのか、真意が読めない。

「だから、刀の腕は認めるが、一人の子供としか思えない。本当なら子供を戦場に出すべきではないとは思うが…。生きて、戻って来いよ」

 咄嗟に頷いた。それが精一杯の応えだった。

 桧釐も頷き返して馬腹を蹴った。姿が闇に飲まれるまで、時間はかからなかった。

 やっと彼の怒りの真意を知った。

 もう遅かったのだろうが。

「…気休めだ。そんなに甘いとは思っていない」

 宗温の手前、そう言わなければならなかった。

 彼らは死ぬ気でここを抑えているのだ。

 だが、彼はその建前をやんわりと否定した。

「我々に遠慮する事は無い。君は生き延びるべきだ」

「でも…!」

 遠慮ではない。責任を感じるからこそ、ここに戻ってきたのだ。

 気持ちは有難いが、決断は変わらなかった。

「俺一人で敵の中に突出する。暴れられるだけ暴れるから、その間に兵を退いて欲しい」

「しかし、それでは君は…」

「大丈夫だ。いつもやってる」

 言い切ったが、胸には不安しかない。

 敵軍に一人で突出するのは、味方を力による殺戮に巻き込まない為だが、全て力が使えればの話だ。

 今の自分に、それが出来るのか。

 やるしかない。だけど。

「俺の事は構うな。失敗したとしても救出なんか考えなくて良い。とにかく兵を一人でも多く逃して欲しい。せめて籠城出来るだけの時間は稼ぐ」

「…それは失敗する可能性が高い、と聞こえるが」

 考えながら宗温が核心を突いてくる。

 朔夜は言葉に詰まった。

「悪魔の力はまだ、使えない、か」

 そう思われるのが妥当だろう。

 当人こそ確証を持っていないのだから。

「そんな不確かな策は使えないか」

 問うと、宗温は片眉を上げて笑み、意外な事を言った。

「成功した暁には、陛下より悪魔ではない称号をお考え頂こう」

 小首を傾げると、宗温は柔らかく笑って言った。

「これだけの人数を救っておきながら、悪魔と呼ぶのは忍びないだろう?」

 冗談でも、不安に凍てつく心が少し解けるようだった。

「殿下も桧釐殿も認めた事を、私がとやかく言う筋合いは無い。存分に刀を振るわれよ」

 震え。これは武者震いというものだろう。

 朔夜は一度だけ、深く深く頷いた。

 己の刀に、こんな期待をかけられたのは初めてかも知れない。

 宗温に背を向けて、戦場に向かって歩き出す。

 独りではなかった。

 これまでの、長い長い孤独な闘いとは、違う。

 応えたいと、心から思った。

 川を挟んで蠢く人や馬が見える。

 味方が次々に討たれてゆく。戦線の崩壊は目前だ。

 地を蹴り、駆けだす。

 傷の痛みも忘れた。

 そこには、生きる居場所があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ