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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第八話 喪失
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 龍晶が部屋を出ると、目の前の壁に桧釐が寄りかかって立っていた。

 中の会話を聞いていたのだろう。龍晶を見る目ですら険しい。

 龍晶は目配せだけして無言のまま歩き出した。桧釐もそれを無言で追う。

 朔夜の部屋を十分に離れて初めて龍晶が口を利いた。

「俺達まで信じない気か」

 桧釐には慌てて否定する気配すらなかった。

 ただ龍晶を一瞥して溜息を吐く。

「信じようが信じまいが、結果は同じでしょう」

「負けると言いたいのか」

「勝ちたいなら殿下ご自身が目を覚まして下さいよ」

 龍晶は意に介さなかった。

「俺はあいつを信じる」

 不快だとばかりに眉根を寄せる桧釐。

 対して龍晶は澄んだ瞳を真っ直ぐに向けて言った。

「この国も北州も、あいつは守ろうと考えている。何の関わりも、利点も無いのに。その気持ちに水を差す気にはなれない。この国の者として」

「どうだか。騙りは居るだけで迷惑だ」

「騙りなんかじゃない」

 きっぱりと否定する。桧釐は少し眉根を上げた。

「あいつは本物だ。この体で二度も証明してくれた。尋常ではない力を持つのは確かだ」

「へえ?殿下が斬られたとでも?」

「違う。一度は折れた骨を一瞬で治し、二度目は毒で瀕死の状態だった所を救ってくれた」

「悪魔の正体は神のような医者だって言うんですか。そんな話は聞いた事も無い。どうやって戦場で戦うんだか」

「それだ」

 桧釐の馬鹿にした言など気にもせず、龍晶は考えていた。

「俺もそこは分からない。ただ、今回は何か予期せぬ不都合があって、その力は不発だったと考えている。その原因を突き止めねば、勝利は無い」

「殿下…」

 ついに桧釐は呆れ混じりに主人を見下ろした。

「気は確かで?何か違う悪魔に取り憑かれたんじゃないでしょうね?」

「は?」

 全く思ってもみない事を言われて龍晶は初めて顔を顰めた。

「確かに腕は立つが、あんな子供一人に勝利を賭けようなんて正気の沙汰じゃないでしょう。もっと現実的な策を立てるべきだ」

 反論しようと口を開きかけたが、桧釐の言う事は正論だ。龍晶はそれを解りながら、冷静に物事を考えられない自分を感じていた。

「有効な策があるならお前がそれを進言すれば良い。実際、有るとは思えないけどな。だから俺はあいつに賭ける」

 殆ど駄々を捏ねているようなものだ。桧釐は苦い顔で訊いた。

「どうしてそこまで拘るのです」

「拘っている訳じゃない。あの力が本物だと知っているからだ」

「見たのですか」

「…ああ。見た」

 夢の中で他人の記憶を見たと言っても通じないだろう。

 言葉少なに龍晶は答えて逃げようとした。

「適当な事を言って誤魔化せと兄上がお命じになりましたか?」

 桧釐の言葉に足が止まる。

「その果てに、この戦に負け、北州の力を弱めよとでも?」

「何を言っている…!?」

「別に、戯言ですよ。ただあり得る話かとは思いますが」

 龍晶は顔色を変えて振り返った。

 怒りに震える唇で、一言一言押し出すように否定した。

「そんな命令は受けていない。有り得ない」

「受ければ言われるままになさるのでしょう?何せあなたは兄上の走狗だ」

 血の気が引いて、身体中が震えた。

 怒りなのか。分からない。

 ただ、否定の言葉は出なかった。

 頭で考えるより先に、体がその言葉を肯定してしまった。

 兄の走狗。故に、大切な母の故郷をも滅ぼす。

 俺は、きっと、そうしてしまう。

 あの人の言葉ならば、きっと。

「祖父の仇の狗など当てにした俺が馬鹿だった」

 言い捨てて、桧釐は立ち去った。

 龍晶は、立ち尽くしたまま。

 初めて本当の己の姿を己が眼で見た。

 愚かで、醜く、惨めだった。

 そんな筈では無かった。

「…お前に何が解る…!?」

 言えなかった抗弁が喉の奥から絞り出される。

 惨めだろうが滑稽だろうが、他にどうしようも無いのだ。

 あの人に操られる様に、荊の道を辿るしか。

 自分はそうする事を選んでしまった。

 誰も、自分も、傷付きたくないから。


「どうした?何やってるんだ?」

 目覚めた朔夜はそこに居る龍晶に目を丸くして問うた。

 体感で今は夜中だと思われる。そんな時間に近くに居るべきではないと、重々判っているだろうに。

「また何か言いたい事でもあるのか?」

 大体こんな時は自暴自棄になっている。今も鬱々とした表情で虚空に視線を投げている。

 朔夜は苦笑しながら応えの帰らぬ問い掛けを続けた。

「何があったんだよ?俺が原因じゃないだろうな?」

「元を正せばお前のせいだよ」

「あっ…そうなのか?」

 冗談混じりだっただけに、思わぬ的を得てしまったようで尻すぼみになる。

「お前がちゃんと仕事していれば…。いや、こんなの言っても栓の無い事だ」

「桧釐と喧嘩した?」

 そう言えば眠る前にだいぶ怒られた。

 怒りが龍晶にも向いたのだろう。

「喧嘩なんて幼稚な事するかよ。お前じゃあるまい」

「悪かったな。俺も喧嘩した覚えは無いけど」

 短い沈黙。

 朔夜は傷の痛みを思い出した。

「ちょっと龍晶、窓開けて」

「は?」

「襲わねえから。開けろよ」

 渋々龍晶が立ち上がって窓を押し開ける。

 月光がすっと筋を作る。

 その筋に、朔夜は腹の傷を晒した。

「こうやって傷を治すんだ、俺は」

 龍晶は半信半疑だとばかりの顔をする。

 構わず朔夜は続けた。

「今は力が弱ってるから時間が掛かるみたいだけどな」

「ふーん…」

 目を細めて朔夜の傷を凝視する。

 矢傷は狭いが、周囲の皮膚が変色し、その深さを窺わせる。

 見ている限りでは変化は無いように思える。

「信じられないものはそれで仕方ないんだよ、龍晶」

 不意に朔夜が言った。

「況してこんなもの、本当は人目に晒しちゃいけない」

 龍晶は真意を確かめるように、朔夜の碧の瞳をじっと見た。

 深い森の底の色。

「信じられもしない力に縋って俺達は戦をしろと言うのか」

 目を逸らして龍晶は吐き棄てた。

 対して朔夜は落ち着き払って返した。

「そうだな。こんなもの無いと思ってやった方が良いだろう」

「お前…」

「悪魔に縋るなよ」

 怒りを込めて返そうとした言葉を止める。

「こんな力、使ってはいけないものだから。使えばいずれお前達が身を滅ぼすかも知れない」

「何だよ今更…」

「いい気になってた俺が悪かった。ごめん」

 一番、この力を過信していたのは、自分だ。

「じゃあ…俺は何なんだ。有りもしない力に頼って似合いもしない戦地にわざわざ死にに来た馬鹿か。苦戦する兵達へ悪戯に希望を持たせるだけ持たせて全て裏切らせる気か」

「龍晶…」

「俺は確かに兄の狗だよ。こんな馬鹿らしい命令にほいほいと従うしか能の無い馬鹿犬だ…」

 虚しさに身体から力が抜けて、その場に座り込んだ。

 朔夜とて言葉が無く、ただ友を見詰めるより無かった。

 力が使えれば。

 それは願ってはならない事だろうか。

 あらゆる世の理に背いても、どんな罰を受けようと、今は、今だけでも、悪魔の助けを借りたい。

 この人の絶望とを、天秤にかけるべきでは無いのだろう。それでも、救えるのなら、と。

 でも、どれだけ願ったところで無駄だ。願いに応えてくれる力ではない。

「俺は兄を…憎んではない」

 いつかの問いの答え。

「憎める筈が無い。俺の牙はあの人に抜かれたのだから」

「…どうやったらそんな事が出来る」

 龍晶は空しい微笑を虚空に向け、逡巡して、口を開いた。

「母の命を救ってくれたのはあの人だ。全てを奪っても、助命だけは受け入れてくれた」

「お前、それは…」

 朔夜は言いかけて口を閉ざした。

 そもそも母子を窮地に陥れたのは王その人だし、助命嘆願を受け入れたのは龍晶に恩を売る為にも見える。

 何より、本当に生きているのかすら疑わしいのだ。その消息すら教えもしないのは不自然だ。

 だが、それを口にするのは酷だった。

 そんな躊躇いなど承知のように、龍晶は言った。

「そんなことであんな非道を許せるのかと思っているんだろう?だけどな、餓鬼の俺は信じたかったんだよ。兄上は、良い人なんだって。馬鹿みたいだけど、それで今まで全て許してきたんだ…」

「お祖父さんの事も…貧民街の人達の事も…?」

 龍晶は頷いて、力無く言った。

「逃げてた。全てをまともに考えてたら、兄を恨んでたら、俺は壊れてしまう気がして」

 二つの相反する感情を、常に抱き続けてきた。

 それにまともに向き合って決着を着けるのは、とてつもない精神力を必要とするだろう。

 今も、二つの自分が存在する。

 走狗と言われる事に反発し怒りを覚えながら、どこかでそれでも良いと思っている。

 使い捨てられてもそれで兄の役に立つのなら、尻尾を振って従っても良い、と。

 自嘲が浮かぶ。そんなものにしかなれない卑小な自分に。

「逃げたら許されないのかな…許されないよな?俺はお前や皆が思ってるような人間じゃないんだよ。所詮こんな程度の、情けない人間だ」

 思ってもみなかった独白に、朔夜はふっと笑った。

「人間だって言い切れるだけ良いよ、お前」

「…そこかよ」

 自嘲が、少しだけ純粋な笑いになる。

 それを見て朔夜は言ってやった。

「良いんだよ、お前はそれで。だって当たり前の事だろ。兄貴なんだもん、憎めやしないよな」

「でも」

「いくら酷い事をされても、憎めないお前が正しいよ。酷い事されてお互い憎しみ合うからお前の母さんは…」

 龍晶の顔色が変わった。

 朔夜は口を滑らせたと自覚した。

 彼の祖母である国母が息子達の報復に、現王とその母を殺そうとした。龍晶の周囲の悲劇はその報復でもある事を、彼はまだ全て知りはしないだろう。

 知らない方が良い。不毛な憎しみ合いなど。

「でもな、朔夜」

 夜空の漆黒を睨みながら、龍晶は口を開いた。

「母を陥れたのが兄でなければ、俺はそいつを殺している…」

 声から、全身から滲み出る静かな凄みに、朔夜ですら言葉を失った。

 憎悪は決して持っていない訳ではない。膨らみ続けて、しかし向ける場所が無いだけだ。

 朔夜自身が、母を死なせた相手ーー或いは自分に、成す術が無いのと同様に。

「傷」

 龍晶が不意に声を出した。

 話を変えたかったのだろう。作った笑いを口許に貼り付けている。

「少しは良くなったのか?」

 残念ながら朔夜にも変化は感じられない。

「何日腹出して寝れば良いんだか…」

 うんざりした顔を作れば、軽い笑いが返ってきた。

「風邪引くなよ」

「自信無い」

 龍晶は笑いながら立ち上がった。

「邪魔したな。おやすみ」

「ああ。…ちゃんと寝ろよ?」

「今更だろ。もうすぐ夜明けだよ」

「ええ?もう?」

 時間の感覚が狂っている。そこまで遅い時間とは思わなかった。

 龍晶は笑い声を残して去って行ったが、朔夜にはこの場に深い闇を残された気分になった。

 そもそも、こんな夜更けまで独り、ここで何を思っていたのか。

 その答えが、彼の兄への感情なのだろう。

 憎めはしないという、真意。

 それこそ信じ難い。信じ難いが、解らなくはない。

 それが肉親というものなのだろう。朔夜はとうに無くしてしまった存在。

 でも、かつては居た。どんな仕打ちを受けても、手を伸べ続けていた、相手が。

 遠い昔の事のようだ。今ではそんな幼い自分にすら嫌悪感を抱いてしまう。

 今、どうしているだろうか。

 肉親だと思いたくもない、あの男は。


「あの、おじさん」

 珍しく華耶(カヤ)が走り寄って来るので、燈陰(トウイン)は忙しい足を止めた。

 忙しいと言っても何の事は無い。ただの畑仕事へ向かう足だ。

 ただ(カン)に住まわされるという訳にはいかないし、そもそもそれがあの男の親切というのも癪なので、空き地を開墾し田畑にしている。

 これで避難している同胞を皆養えるという程立派なものではないが、少しは口の足しになるだろう。まだ収穫には程遠いのが現状だが。

 だが、故郷と同じ労働が、手伝う梁巴の民の慰みになっているのは確かだ。

「おじさん、あの」

 追い付いた華耶が一呼吸置いて尋ねてきた。

「朔夜からの便りは有りませんか?」

 そんなもの答えなど知れているだろうに。燈陰は無表情のまま答えた。

「君に無ければ俺の所に来る筈も無い」

「そんなこと…」

 華耶は心底落ち込んだ表情を見せて、言い足した。

「朔夜は本当は、おじさんのこと大好きなんですよ?」

 燈陰は微苦笑する。反応に困る。

「急にどうした?何か心配事でも?」

 微苦笑のまま本題に返した。

 華耶は頷いて、泣きそうな顔で燈陰を見上げた。

「朔夜が戦に行ったって聞きました。それで、大きな怪我をしたみたいで…」

「へえ?誰に聞いた?」

 燈陰には初耳だ。

皓照(コウショウ)さんです。いま、帰って来られて」

「ほお。また何の用事で急に」

 燈陰の関心はどちらかと言うと皓照の怪しい動きの方だ。何を目論んでいるのか、もう無関係ながら気にはなる。

「あの、朔夜は…」

 無論、華耶の気持ちは分かる。蔑ろにする気は無いが、慰めるほどではない。

「怪我なら問題無いだろう。あいつはすぐに治る」

「そう…ですけど」

 華耶はまだ何か言いたげだが、言葉を探しているようだった。

 親ならもっと心配して然るべきだと思われているのだろう。そんな非難がましい事を言えないだけで。

「済まんな」

 華耶は思ってもみない謝辞に驚いたようだった。

 え?と目を見開いて見上げる。

「俺が選ばせた道だ。あいつにはともかく、君にとっては悪い事をした」

「そんな、私に謝られても」

「朔の為だった。俺はそのつもりだ」

「戦に行かせる事がですか?」

 口調は穏やかだが、華耶の目が責めていた。

 確かに責められても仕方の無い事をしている自覚はある。それでも朔夜の為だと燈陰には言い切れる。

 誰にも理解されるとは思わない。朔夜自身からも。

「どうしてですか…?」

 おずおずと華耶が問う。

 あいつに君を殺させない為だ、と直入に言ってしまうのは流石に憚られた。

 何よりも守りたい人を、二度もその手にかけさせたくない。これは本心だ。

 華耶は信じないだろう。朔夜が母親の息を止めた事。

「あいつは戦場で生きる者だ。こんな平和な地での暮らしは、却ってあいつを蝕む」

「そうなんですか…!?」

 あながち嘘でもない嘘だ。夜毎に己の内なる悪魔と葛藤していたのだから、精神は随分疲弊していただろう。

 華耶はもっと直接的な病を想像したらしい。深刻な顔で訊いてきた。

「ずっと平和な所に居たら、どうなっちゃうんですか?」

 燈陰は思わず考えた。どうなるかなど誰にも判る筈が無い。

 何も起きないかも知れない。だが正直にそれを答えようとは思わなかった。

「誰かが死ぬだろう。それが耐えられないからあいつ自身が死を選んでもおかしくない」

 華耶は口許に両手を当てて心底驚いていた。

 流石に毒を吐き過ぎたと燈陰は反省した。

「そのうち、そんな事も無くなる筈だ。そうなればあいつは必ず君の許へ戻ってくる」

 悲壮な顔に、少し安堵が過ぎった。

「おじさん、私」

 華耶が微かに震える声で言った。

「朔夜のこと、ずっと待ってます。ずっと、ずっと」

 燈陰は頷く。

 華耶は顔を赤らめて、足早に住居の方へ戻って行った。

 きっと彼らの望む瞬間が訪れる頃、自分はとうにこの世から居なくなっているだろう。

 近いが遥かな未来。明日の事も見渡せない日々なのに。

 それでも二人は永遠を生きる予感がする。

 燈陰は畑に向かう歩みを再開させた。

 とにかく、明日を生き延びる。この穏やかな地での暮らしを、一日でも長く。

 それが今何よりも重大な事だった。

 この暮らしを脅かす者は遠避けねばならない。例えそれが、実の息子でも。



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