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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第八話 喪失
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2

 馬の蹄が地面を掻く度に、乾いた砂埃が舞い上がる。

 龍晶が手綱を引くと、玄龍(ゲンリュウ)はぶるる、と鼻を鳴らした。

 大地を見下ろす丘の上。

 壬邑(ジンユウ)は褐色の土地だ。灌木が疎らに生え、荒涼とした平地が延々と続く。

 その向こうに川が流れる。

 幅は広いが一目で浅瀬と判る。干上がった大河。

 それがあるべき国境線だ。今は(セン)()が睨み合いを続ける場所。

「この丘陵に沿って行けば城砦がある。本営はその中だ」

 動きの無い大地を見つめながら龍晶は二人に告げた。

 そしてまた玄龍を進める。朔夜と桧釐もそれに倣う。

 壬邑という土地を実際目の当たりにして、朔夜はこの地での箋軍の苦戦の理由が目に見えるようだった。

 この土地には物資が無い。恐らく水を手に入れる事すら難しいのだろう。

 その上都からは遠い。一番近い街、北州からでも三日かかった。兵糧の確保に時間が掛かる。これは致命的だ。

 そして何よりもの理由は、都はこの土地の事など既にどうでも良いと考えているのではないかーー?

 ここに自分達が送られた。それが証拠だ。

 悪魔という兵器を試す場所。それが例え期待外れでも、痛手にならない戦場。それがこの壬邑なのだろう。

 あわよくば勝ちたい、それが無理でもこの場所は捨てても良いと王は考えている。

 負ければ次に戦場になるのは、恐らく北州の手前だ。

 北州の金鉱脈は捨て難いだろう。ならばその戦線は死守する筈。

 その時戦場に駆り出されるのは、間違いなく北州の民だ。

 同じ事を桧釐も考えたのだろう、朔夜に声を掛けてきた。

「お前の力、頼りにして良いのか?」

 これは故郷の存亡を賭ける戦いになると気付いたのだろう。

 朔夜は答えた。

「ああ。巻き込まれないように気を付けろ」

 自分に言えるのはそれだけだ。

 自信はある。己の力は必ず勝利に結び付けられる。

 重要なのはその後だ。龍晶を生かして都に帰す事。

 そして、北州の苦難を考えねばならない。敦峰(トンホウ)の二の舞にしない為に。

 しかし誰か取り合ってくれる大人は居るのだろうか。貧民街のように、誰からも見て見ぬ振りをされれば、手を打つ事は難しい。

 龍晶の言論は封殺されると思っておいた方が良いだろう。せめてその意を汲んで政の場で発言してくれる人は居ないだろうか。

 ーー俺がこの戦で功績を挙げ、認められれば或いはーー

 朔夜がふと思い付いた時、前から龍晶の声がした。

「あれが目的地だ」

 寂れた古城が丘の上に佇んでいた。まるで永く独りで生きてきた老人のように。

「この城は戔が建てたのか?」

 見るからに時代が古い。(いかめ)しい作りは巨岩を切り出して積んだものだ。

「さぁな。詳しい事は知らんが建国前からここにあった城だろう。乱世より前、北方民族を見張る為の」

 龍晶より年長の桧釐が答える。北州から近い分、この土地の知識も少しはあるのだろう。

 朔夜がこの大陸の歴史を懸命に手繰る間に、感心したように龍晶が言った。

「なるほど。ここは()の時代からの境界線か」

 嘉とは、乱世になる以前に大陸を纏めていた国である。

 つまり、この境界線以南と以北では、民族に違いがある。かつて嘉だった箋、()、繍などの国は農耕民族であるのに対し、哥に住まう民は砂漠をさすらう遊牧民だ。

 流れる血も、習慣も、恐らく言語も違うのだろう。そんな民と戦をせねばならない。

 朔夜の中で、思い描いていたこの戦の様相が少し変わった。

 これまで立ってきた戦場とは、違うのかも知れない。

「なんだよ、歴史の勉強は不得手か?」

 ふと芽生えた不安を、桧釐はそんな方向に受け取って揶揄してきた。

「教えてくれれば別に?だって、俺はお前達とは違う歴史を持ってるから」

 何気無い風を装って言い返す。

 実際、梁巴の民はかつての嘉の民族とは違う。嘉の支配下ではあったが、高山に住む民だけに、他民族とは交わらず独自の発展を遂げた。

 どこに行っても目立ってしまう銀髪は、梁巴の民ならではの物だ。

「何だよ?歴史に違うも同じも無いだろ」

 そもそも朔夜の出身など知る由も無い桧釐が、意味が分からないとばかりに言い返す。

 確かに歴史の中の真実は一つだ。だが、どこから見るかによって歴史というものはいくらでも変化する。

 それが対立を生む原因ともなる。朔夜は咄嗟の反論を避けた。

「歴史の講義は暇な時にしろ。着いたぞ」

 龍晶の一声で余計な事は考えずに済んだ。古城の石門が目前に迫っている。

 走り寄ってきた番兵に、馬上から龍晶は名乗った。

「王の(めい)で都から参った龍晶である。大将の元へ通されよ」

 名を聞いて兵は畏まった。

 龍晶は下馬し、玄龍の手綱を兵に預ける際、念を押した。

「大事な馬ゆえ、扱いにはくれぐれも気をつけよ」

 兵は深々と礼をし、玄龍を厩舎に引いていった。

 朔夜らもまた下馬し、龍晶に続いて古城へと入る。

 殿下到着の一報は既に城中に広まっていたらしく、兵達が整列して三人を迎えた。

 その列の奥から大将らしき人物が歩み寄って来る。

 この難しい土地の戦を指揮する将は、まだ若く見えた。

「こちらが我が軍の指揮官、宋温(ソウオン)殿です」

 案内を頼んだ兵が若き将を指して紹介した。

 細い面に爽やかな笑みを浮かべて、宗温は手を差し出した。

「殿下の参陣を歓迎します。長旅でお疲れの事でしょう。どうぞ、こちらへ」

 通された小部屋には、玉座と思しき豪華な椅子が一脚、あとは木製の簡素な長椅子と机が置かれている。

「何せ物が無いので、この城に置かれていた調度品を使うより無いのです。汚しくて申し訳無い」

 言われる程汚い感じはしない。古いがよく手入れされている。

 上手の椅子に龍晶、長椅子に朔夜、桧釐が座り、その対面に宗温が座る。

「早速だが戦況が知りたい。決して楽な戦ではないのだろう」

 挨拶など要らぬとばかりに龍晶が本題を切り出す。宗温も無駄話で茶を濁す事無く応じた。

「殿下を前に申し上げるべきではないのでしょうが、御察しのようですので包み隠さず説明致します。今、我が軍は非常に厳しい。次に攻め込まれたら退陣は必至でしょう」

「なんだ?やる前から諦めているのか」

 北州の命運が懸かっているだけに、桧釐が顔色を変えて突っ掛かる。

 横に座る朔夜が軽く手を添えて、前のめりの桧釐を抑えた。

 そうしながら宗温に問う。

「敵軍の規模は?」

「我が軍の倍はあるかと。それも、続々と後続が到着している模様です。それに比べこちらはこれまでの防衛で兵力は減り、士気も低い。援軍を申し出ましたが…」

 言葉を切らした宗温の代わりに、龍晶が自嘲気味に続けた。

「まさかたった三人しか来ないとは、ますます士気が落ちるだろう」

 宗温は慌てて頭を振る。

「いえ、殿下がお出で下さった事で、兵達は励まされるでしょう。ただ…」

「そのくらいの事では状況を打破できない、そうだろう?」

 宗温は項垂れるように頷いた。

 龍晶は顔色を変えず頷き、彼に告げた。

「それは百も承知の上で来た。無論、兄も俺が戦の役に立つとは思っていない。兄がここへ送り込みたかったのは俺ではない。この朔夜だ」

 宗温は顔を上げ、初めてこの銀髪の少年と真正面から目を合わせた。

「これが…」

 言いかけて、はっと言葉を呑む。

「失礼、陛下よりの使いで大体の事は聞きました。どのような豪傑かと思いきや、想像とまるで違ったので何かの行き違いかと…。いえ、あなたなのですね?」

「え、まぁ、はぁ…」

 そんな問われ方をされると、生返事しか返せない。

 龍晶は二人のやり取りを鼻で笑って言い足してやった。

「信じられぬのも無理は無い。実際、俺もまだ半信半疑だ。腕が立つのも確かだし、人ならぬ力を持つのも確かだがな。中身は見た目通りのお子様だから気をつけろ」

「は!?どこがだよ!?」

「ほらな?そこだよ。子供ゆえ無礼は見過ごしてやってくれ」

 「は」と頭を下げ、 忍び笑いで宗温は畏る。

「そして紹介が遅れたが、その隣は俺の従兄弟の桧釐だ。護衛を頼んでいる。故に俺への気遣いは無用だ」

 桧釐が軽く頭を下げる。その表情は憮然としている。

 先ほどの発言もあり、宗温への不信感が既に芽生えているのだろう。

 それは宗温にだけに対してのものではなく、都の軍人全てへの不信感でもある。

 何せ彼はその軍を相手取って反乱をしようと考えているのだ。馴れ合うつもりは無いだろう。

 宗温も何か察したらしく、敢えて彼に声を掛けなかった。

 一旦その場はお開きとなり、部屋を出る。

 宗温はそれぞれに自室を用意してくれていた。王からの使いで知っていたのだろう、朔夜には錠の付いた部屋を。

 まだ日暮れには時間がある。休むには早い。

 どうしようかと思っていると、龍晶が顔を覗かせた。

「厩に行こう。玄龍の様子を見ておきたい」

 朔夜はすぐに応とは言わず、ちょっと吹き出した。

「お前、本当に馬が可愛いんだな」

「良いだろ。心配なんだよ。どうせ暇だろ、付き合え」

「別にいいけどね」

 厩に向けて城内を歩き出す。

「ご丁寧に錠前が付けてあったが…あれは本当に意味があるのか?そろそろ疑わしくなってきた」

 龍晶に言われて、苦笑いするより無い。

「保険だよ、お前達の為の」

 実際、戔に来てからまだ月に憑かれた事は無い。

 己にはどうしようも出来ぬ、あの恐ろしい復讐の衝動も、久しく忘れている。

 兵器として連れて来られた国で、何処よりも人間らしく暮らしているとは、何やら皮肉めいている。

 それも今日までだと、朔夜は思い直した。

「どう思う」

 唐突に訊かれて、龍晶の横顔を振り向く。

「この戦、勝たせられるのか?」

 問いの意を理解しても尚、朔夜は黙して先を見た。

 厩に入る。玄龍は他の馬より一回り広い馬房に入れられていた。

 (あるじ)に気付いて鼻を寄せる。龍晶は優しく撫でながら、馬房の中を点検する。

 十分に手に入らないのだろう。寝藁も飼葉も少ない。水桶の中は濁っていた。

「少しの間の辛抱だ。許せよ、玄龍」

 厩の中は自分達の乗ってきた三頭の他に、数頭しか馬は居ない。

「…相手は騎馬隊だ。数も多い。こちらはこの城を拠点に迎え撃つしかない」

「だが物は無い、か」

 龍晶の言葉に応じて、朔夜は尚も考え、そして己の策を告げた。

「敵軍が騎乗しない場所を戦場にする」

 訝しんで龍晶が問い返す。

「騎乗しない場所?」

「自分達の陣中だよ。夜中の奇襲だ。俺が先陣を切る」

 龍晶は黙って視線を遠くに投げたまま、玄龍の額を撫でていた。

 厩に赤い陽が差し込む。砂漠に落ちる夕陽。

「…宗温に言ってみよう」

 熟考の果て、龍晶は提案を飲んだ。

 朔夜は頷いて、不敵に笑った。

「この軍でも楽に勝てるくらいに、俺が敵を片付けておく。そう伝えてくれ」

「大した自信だな」

「経験上の予測だよ」

 玄龍と別れ、二人は自室へと歩き出す。

「お前は桧釐とこの城で大人しく待つんだぞ?恐らくここに居れば危険は無い。俺がしくじらなければ」

「それは怖いな」

 鼻で笑って龍晶は返す。

 朔夜はふと真顔になった。

「最善は尽くすが…何があるか判らないのが戦場だ。向こうが自陣を棄てる覚悟でここに突っ込むかも知れない。桧釐の(そば)を離れるな、絶対に」

 何せこちらは一人だ。向こうの数が予想以上なら、そんな策を取らぬとも限らない。

 奇襲を見破られれば、本陣の守りが手薄なのも看破されるだろう。こちらの兵力が少ない事も知られていると思った方が良い。

 その上で勝てる戦をせねばならない。この男を無事に都に帰す為に。

 龍晶は目を射るような西日を睨み、語気も強く誓った。

「俺はこんな所で死にはしない。この国を変えるまでは」

「その意気だよ」

 朔夜は安堵していた。これなら大丈夫だ。

 気を緩めた所へ、全く意外な事を言われた。

「だからお前も生きて帰れよ」

「は?」

 自分の事を言っていると理解出来なかった。

 判って、初めて心配されていると気が付いた。

 敵陣に一人で斬り込むのだ。普通に考えれば自殺行為に等しい。

「何だよ、俺にはあれだけ勝手な事をほざいておいて、自分は生きる気は無いのか」

 怒らせてしまって朔夜は慌てて否定した。

「違う違う!当たり前過ぎて何の事か分からなかっただけ。まさかお前に心配されるとは思わなかったし」

「別にお前の心配じゃない!」

 宥めているつもりなのに何故かまた怒られた。

 ぽかんとしていると、龍晶は早足になった歩を止めて、声を沈めた。

「…真面目な話、この戦はお前が居なければ勝てない。兄は哥を甘く見ている節があるが、あの国は今や北方の大部分を支配する大国だ。この壬邑を渡してしまえば、戔は…」

「その前に北州だろう。危ないのは」

 龍晶は頷く。その顔には焦りが見える。

「桧釐もそれに気付いて苛立っている。敵が欲しがっているのは間違いなく金鉱脈だ。兄がみすみす北州を渡すとは思えぬ。だとしたら、国を傾ける事も顧みずに北州へ兵を送るだろう」

「あの街を焦土にはしたくないな」

「ああ。だが問題は北州だけではない。この国の全てが危うくなる」

 金で栄えるこの国が、その金を守る為に、持てる兵力を全て注ぎ込む。

 そうなれば確実に国が傾く。何せ戦の資金ともなる金鉱脈のある北州が戦場となるのだ。金の採掘は止まり、戦の費用ばかりが膨らんでゆく。

 例え勝ったとしても、そこから国を立て直すのは難しいだろう。そのまま滅びかねない。

「滅ぼしたくはないのか…この国を」

 朔夜の問いに、さも心外だとばかりに龍晶は振り向いた。

「どこに自国を滅したいと思う王族が居るんだ?俺はお前達とは違う」

「俺は繍が自分の国だとは思ってない。…いや、この状況でそう思えるお前が不思議で」

「虫けら同然の癖にでかい口を叩くなって?」

「別にそんな事は言ってないよ。素直に偉いと思う。国全体を考えられる事は」

 ゆっくりと、龍晶は歩みを再開させた。

 この国の大部分に、自分は歓迎されていない。身体にはいくつもの傷跡があり、何を言っても誰にも相手にはされない。

 それでも、この国を憂う。滅べば良いとは思わない。ここは、己の父祖の築いた国なのだ。

 今は悪しき形をしていても、いつかきっと、誰にとっても暮らしやすい国になると信じて。

 そんなものは、夢物語なのだろうが。

「考える事しか出来ないのは、何もしないのと同じだけどな」

 自虐的に言って、龍晶は着いた自室への扉に手を掛けた。

「良いんだよ、お前はそれで」

 朔夜の言葉が自室に逃げ込むのを止めさせた。

「お前が考える事を、俺達が手足となって実行すれば良い。上に立つ人間はどっしり構えてれば良いんだよ、せこい事せずにさ」

 龍晶は可笑しくて顔を歪ませた。子供っぽい朔夜が知ったような口を叩くのが笑えてしまう。

「そうだな。ありがとよ」

 怒られないうちに言い逃げ。室内に入って扉をぱたんと閉める。

 逃げられた朔夜はぽかんとしていた。

 怒ってなどない。龍晶の『ありがとう』に驚いて。

 毎度思うのだが、彼は自他が思うよりずっと素直なのだ。

 王とは己の威厳の為にいちいち他人に感謝しないものだと、少なくとも朔夜はそう思っていた。

 自然にそれが出来ない龍晶には、それ故に付け込まれる隙も生まれるのだろう。

 それでも、上から人を見下すより、同じ地平で物を見ようとするから、朔夜は龍晶を王にしたいと思った。

 朔夜も自室に入ろうかと思ったが、思い直して踵を返した。

 やるべき事はやっておきたい。

 城を出、夜の帳が降りる砂漠へと歩き出した。


挿絵(By みてみん)

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