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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第八話 喪失
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 北方の地方、壬邑(ジンユウ)へ向かう三騎。

 桧釐(カイリ)は渋々ながらも付いて来た。龍晶の命令だから聞かざるを得ない、と言って。

「でもさ、そこまで刀が使えるなら、実戦で試してみたいと思わないのか?」

 朔夜が問う。

「こんな所で試す筈じゃなかったんだよ」

 渋い顔の答えに横で聞いていた龍晶が睨みを効かせる。

「そんなに反乱を起こしたいのか」

「殿下ぁ、そんなに怖い顔しないで下さいって」

「煩いな。名前で呼べ。前みたいに」

 桧釐は笑いながらも少し驚いた顔をする。

「へぇ?良いんですか?」

「それもだ。朔夜と同じように普通に喋ってくれ。形だけで持ち上げられるのは嫌なんだ」

 言葉だけで(へりくだ)られ、誰も彼も中身が伴わない。ならば、同じ立場で語り合ってくれる方が良い。

「前って、会った事はあったのか?顔は知らなかったのに」

 龍晶の言葉が気になって朔夜が訊く。

「知ってはいた。だが昔の事過ぎて道場では判らなかっただけだ」

「最後に会ったのは俺が十四で殿下が六つだったからなぁ」

「だから」

 つい殿下呼ばわりした桧釐が睨まれる。

「その頃はなんて呼んでたんだ?」

 ちょっと気の毒になって朔夜が訊いてやる。

「何だっけ。でも王子とか龍晶様とか言ってたと思うけど?」

「嘘付け。思い切り呼び捨てしてただろ」

「そうだっけ」

「お前に様付けされた覚えは無い」

 龍晶は言い切っているが、朔夜も桧釐の記憶の方が正しい気がしている。

 いくら従兄弟で年下と言え、相手は一国の王子だ。不遜な呼び方では許されまい。

 それに、龍晶の話では北州(ホクシュウ)を訪れたのは僅かな回数だ。その中で名前を呼び合う程親しくなるだろうか。

 それを問うと、意外な回答が返ってきた。

「ああ、俺は剣術修行の為に都に行って近衛兵団で見習いをしてたんだ。だからこの小っちゃな王子様とはしょっちゅう会ってた」

 その呼び方にも当然、苦い顔をする龍晶。だがいちいち口を出す事は止めたらしい。

「へえ。剣術修行か、成る程な」

 それで二人の関係性も、桧釐の刀の腕も納得できる。

「可愛かったがなぁ、あの頃は。目ぇきらきらさせてお兄ちゃん!って走って来んの」

「やめろよ!」

「ま、今も可愛い弟みたいだけどさ」

「だからやめろっ!!」

 赤くなって噛み付く龍晶を朔夜は笑う。

 その頃の龍晶が目に浮かぶ様だ。素直で可愛い子供だったのだろう。

 運命を分けた、あの瞬間までは。

「祖父さんが死んで…いや殺されて、俺は北州に帰ったんだけど。何もしてやれなくて悪いとは思ってたんだぜ?でもそれ以上に…見てられなかった」

 龍晶は自嘲した。

「俺の無様さがか?」

「そりゃ王に対して子供のお前が抵抗出来るとは思ってないよ。だけど…何もしないお前が歯痒くて」

 言われて、龍晶は無表情になって口を閉ざす。

 代わりに朔夜が訊いた。

「お前にとばっちりは来なかったのか?」

「流石に公式にはお咎めは無かったけどな。公然と侮蔑され始めたし、部隊から除名しようとする向きもあったから、こっちから辞めてやった」

 そして言いにくそうに付け足す。

「何より、祖父さんの処刑をする立場として現場を見てからは…もうあそこには居られなかった」

「…見たのか」

「ああ。何も出来なかった。済まん」

 龍晶はそれを見てはいない。その頃は母と共に牢に入っていた。

 処刑の一報を聞いて、次は自分達だと覚悟した。まさか自分だけ助かるとは思わなかった。

「…いや、謝る必要は無い」

 もし自分が現場に居たとしても、何が出来たとも思えない。

「桧釐」

 祖父の事を想えば、ますます謀叛など有ってはならないと心を決めて、龍晶は言った。

「祖父は俺の為に処刑台に上った訳じゃない。あの人が守ったのは、北州の民だ。被害を最小限に食い止める為に。…だから、それを無駄にするような真似は、許せない。民の為に」

「処刑される事が民を守る事だとどうして言える」

「王に恭順を示す為だよ。桧伊(カイイ)はそれを受け継いでいる。臆病でもお前の父親は間違っていない」

「…何も出来ないだけだろう。あんな奴」

「それが都合が良いんだ」

「お前は都の人間だからそんな事が言えるんだ!北州の民は皆、都の圧政に苦しんでいる…だから俺は決起が必要だと!」

「駄目だ!絶対に。兄は甘い人間じゃない。皆殺しに遭うぞ!」

「負ける前提で物を考えるからだろうが!俺は絶対に勝つ」

「現実を見ろ!そんなの不可能に決まっている」

「仮にも俺は軍に籍を置いていた身だ。演習しか見ていない王子様よりその辺は分かっていると思うがね」

「今は昔とは違う。お前も強がっているだけだろう?…朔夜、お前はどう思う」

「俺?」

 突然意見を仰がれて、咄嗟に何も言えない。

「この馬鹿に頭を冷やす事を言ってやれ」

「馬鹿?それならお前は親父以上の臆病者だ」

「まぁまぁ、喧嘩はよせって…」

 頭を冷やさねばならないのは二人共だ。

 それが可能な一言を朔夜は探した。

「都でも北州でも、俺がついた方が勝つ。戦の勝敗を言うならな」

 狙い通りに二人の驚く視線を受けて、朔夜は少し笑みを浮かべたが、すぐに口元を引き締めた。

「だが戦をする以上は勝とうが負けようが多くの人が死ぬぞ。俺が居る戦なら、尚更」

「お前は…何者だ?」

 桧釐は朔夜の事をまだ知らない。ただの従者だと思っている。

 朔夜は自嘲して即答を避けた。代わりに龍晶が教えた。

(シュウ)に居た戦場の悪魔だ」

「繍の…!?()の部隊を一人で壊滅させたという、あれか!嘘だろう…お前が…?」

 桧釐の、朔夜を見る目が変わる。人を見るそれではない。

 もう何とも思わない。思わないが、自ら即答するのを避けたのはこれが嫌だったからだ。

「確かに腕は立つが…」

「俺は俺の腕で戦場に立つ訳じゃない。…見れば判る。この戦を見て…本物の戦を見てから、自分達がどうすべきか考えろよ。想像で知った振りが出来る程、甘いものじゃない」

 二人が言葉を失った。

 矢張り、実際の戦場を知らないのだと、朔夜は改めて思った。

 知らないから、勢いで物も言えるし、想像で躊躇する事にもなる。

 では戦場を渡り歩いてきた自身は。

 夜。宿屋の浴槽に浸かっていると、不意に戸が開いた。

 驚き慌てながら入ってきた相手を確認する。

「龍晶!?」

「そう驚く事も無いだろ。共同浴場なんだから」

「いや、だって…」

 窓の外に目を向ける。

 雲間から月が覗く。

「俺を殺すか?」

 瞬時に目を逸らして、首を横に振った。

「大丈夫だとは思う…けど、保証は出来ないぞ」

「良い。それも悪くないと思い始めた」

「いやでも、風呂場はまずいだろ」

「確かに」

 軽く笑って、龍晶は湯に浸かる。朔夜に背中を向ける形で。

「ま、お前に殺される気は無いけどな。危険を犯してでもお前に訊きたい事がある」

「何」

「俺は兄に刃を向けるべきか」

 湯気が、龍晶の姿を霞ませる。

 斜めに向いた顔は、どんな感情を映しているのか窺えない。

「桧釐の手前、否定し続けているが…あいつが言う事も事実だ。俺は所詮、都の人間に過ぎない。北州の辛苦など、知った振りしか出来ない。俺の我慢など、自己満足でしかないのかもな」

 湯気の間から、背中の痛々しい傷跡が見え隠れする。

 山に閉じ込められる以前のものだろうから、痣は治りかけている。が、白い肌を覆い尽くす程のそれは、平時彼がどんな目に遭っているか語っていた。

「それが自己満足なものか」

 怒りすら込めて朔夜は言った。

「お前は間違っていない。お前が耐える事で、救う事の出来る人は確実に居るんだ」

「ああ。今までそう思ってきた。だが…」

 実際に北州に住む桧釐を始めとした者達は、現状に決して安んじている訳ではないのだ。

「俺は確かに叔父以上の臆病者だ。だから、お前の言う通り戦場を見てしまうと、もう立ち上がれる気がしない。その前に…まだ何も知らないうちに、お前の意見を聞きたい。戦を知っている、お前の意見を」

「謀叛も必要だと思うようになったのか」

「俺一人の命で済むなら躊躇わないんだがな」

 朔夜は浴槽の縁に頭を持たせ掛けて目を閉じた。

 簡単に出せる結論ではない。

 自分の一言で、目の前の彼の、はたまた誰かの運命が動く。

「俺はずっと戦を憎んできた」

 意外だと言わんばかりに龍晶は振り返る。

 朔夜はその意を汲んで続けた。

「戦場でしか生きていけない俺が、こんな事を言うのは矛盾していると思うだろう。だけど逆だ。戦を憎み、それを始めた奴らを恨むから、俺は戦場の悪魔と成り下がった。これは永遠の復讐だ。俺の故郷を戦火で燃やした奴らへの」

 梁巴(リョウハ)を燃やし、自分を生ける兵器へと変えた者は、繍だけに居るのではない。

 同じく戦へと踏み切った苴、そしてこの戦乱の世を作り出した全ての国。

 復讐の刃はその全てに向けられている。

「だから俺は、戦をやれとはこの口で言いたくはない。お前を奴らと同じにする訳には」

「…そうか」

 低く、龍晶は呟いて、また背を向けて朔夜に告げた。

「ならば今のうちに俺を斬っても構わない」

「は…?」

「どう転んでもいつかお前に斬られる事になるだろう?反乱を起こせば俺はお前の憎む戦の指導者だ。起こさずともいつか、兄の命でお前は俺を斬る。だから、誰かを巻き込む事のないうちに、お前に斬られても悪くないと…そう言いに来た」

 先刻言った言葉、そしてここに来た意味を改めて知った。

 戦を起こす、その当事者となるくらいなら。

 朔夜は湯の中を歩いて龍晶の隣に座った。

「死にたくないってその口が言ってただろ。それでもそんな覚悟があるのか?」

「無駄死にはしたくない。祖父の事を思い出して、誰かを生かす事が出来るなら、と…そう思った」

「お前が死んでも誰も生かされない。桧釐達の抑えが無くなるだけだ」

 龍晶は横目に朔夜を睨む。

「俺は居ても居なくても同じという事か」

「それはお前次第だよ」

 朔夜もまた、龍晶を睨み返した。

 ただ、それは怒り故ではない。その意思の固さを確かめたかった。

「お前が、自分一人の命で済ませても良いと言える今のままのお前で居られるなら、立ち上がる意味も有るだろう」

 龍晶は目を逸らさなかった。

 それが覚悟だろう。

「そうなれば、俺はお前の側に付く。お前を生かすと決めたから」

 ひたと視線を注いでいた目が、少し見開いた。

「良いのか?」

「訊く間でもない事だろう?俺が王の側に付くと思うか?」

「俺は兄からお前を預かっているだけに過ぎない」

 本来は王の物なのだ。二人が割れるのなら、朔夜は王の刃となるのが筋だ。

「俺にも選ぶ権利はあるだろ?あんな王様の命令なんか聞きたくない」

 子供のような言い様に、龍晶は少し笑った。

 だがすぐに口元を引き締める。

「選ぶ権利が有ると言うなら…お前の本来の目的に従うべきじゃないのか」

「…そっか」

 言われて初めて思い出した。

 間が抜けているがそれ程、龍晶に傾倒していた。

「詳しくは知らないが、ただ兵器として使われる為だけに来た訳じゃないだろ?この国に」

「ああ。でも…」

「故郷を燃やした奴らへの復讐なんだろ?」

 先刻の朔夜の言葉をそのまま返して、龍晶は相手を窺った。

 迷いを見せながら、朔夜は頷く。

「繍を滅ぼす。それが目的だった」

「だった?」

 過去形に訝しむ。

「それはそれだよ。今はどうでも良いとは言わないけど、この国の事の方が優先だ。大体、俺一人で繍に攻めて行けないし」

 (セン)が進軍を開始しない事には、目的は達成出来るべくもない。

「俺に付けば、それは不可能になるぞ」

「うん。それでも良い」

 厳しい表情を和らげて、龍晶に向けて笑んだ。

「本当はな、ある人を俺の力から守る為に来たんだ。その彼女も、繍を攻めるよりはお前の味方をする方を望むと思うんだ」

「何だそれ。そんな理由かよ」

「お前だって母上の望む事ならやりたいと思うだろ?」

 龍晶は否定出来ずむくれた顔をする。弱みに付け込まれるようで面白くない。

「くだらないと思うかも知れないけどさ、俺をまだ人間として居させてくれているのは、彼女のお陰なんだ。こうしてお前の相談相手が務まるのもな」

「…そうでなければ、ただの兵器か」

「ああ。心の無い刀と一緒だ」

 龍晶は湯気に霞む窓の向こうを見ていた。

 黒い空に浮かぶ灰色の雲。その流れは早い。

「俺も…意思の無いまま流される雲と変わらない。抗う事も出来ずに」

 そしていつか、消えて無くなる。

 誰にも省みられる事も無く。

「戦にはしたくないんだ」

 初めて芯の通った声だった。

「何も出来ないかも知れない。でも、反乱を回避出来るなら、やれる事はやらなければならない。この身がどうなろうと」

 それが、初めて持てた、確固たる意志なのだ。

 まだ、己にやるべき事がある。

「俺が守ってやるよ。この意識が保てる時はな」

 朔夜が言う。何故だろう、龍晶に対する時は常に己で居られる気がする。何の自信も根拠も無いが。

「…紙一重だな」

 龍晶もそう返すが、顔は笑っていた。

「ああ。俺は常に紙の表を向けられるように努力する。だからお前もあまり俺を怒らせるなよ?」

「それは…自信無いな。他人のご機嫌窺いは苦手なんだ」

「だろうな」

 笑いながら朔夜は湯から出る。

 指先の皮に皺が入っている。すっかり長風呂になってしまった。

 昔から水の中が好きだったから、風呂の中で遊んでいて時を過ごしてしまい、しょっちゅう両親に怒られた。

 皺くちゃの手を見るとあの頃が思い出される。まさか一国の王子様と風呂に入るとは、十年前は思いも寄らなかった事だ。

 華耶は今頃、どうしているだろう。

「朔夜」

 脱衣所の衝立の向こうから、龍晶が呼び掛けた。

「何だ?」

「俺は壬邑で無駄死に出来ない。…守ってくれ」

 ふっと、朔夜は微笑む。

「分かってるよ」

 風呂場から出ると、桧釐が待っていた。

「何だよ?警護か?立ち聞きか?」

 朔夜の軽口に顔を顰めて彼は返す。

「お前が殿下に何もしないか心配でな」

「大丈夫だよ、まだ生きてるから」

 冗談混じりの言い草に桧釐の眉間の皺が深くなる。

 朔夜は真顔になって訊いた。

「話は聞いてないんだな?」

「ああ。断じて立ち聞きはしていない」

「そうか。なら良い」

 龍晶の迷いを逆手に取られて反乱に押し切られては困る。

「聞かれて困る話なのか」

 逆に問われて朔夜は足を止めた。

「反乱の事だ。決して戦にはしない、それが俺達の結論」

「他人事だからな、お前達には」

 まじまじと、朔夜は桧釐を見返した。

 そして問う。

「本気で勝てると思っているのか?龍晶の手前で言っていたんじゃなく?」

「厳しいのは分かっている」

「厳しいどころじゃない。俺が道場の奴らとの手合わせをした感触じゃあ、まず相手にならない」

「手厳しいな」

 桧釐は苦笑いして上がり框に腰を下ろした。

「それが現実だろう。無駄な犠牲を出すだけだ。お前にも辛い事になる。…諦めろ」

「いや」

 きっぱりと否定されるので朔夜は訝しんだ。何か手が有るのだろうか。

「諦める事は出来ない。だが、今日明日では確かに無理だ。だがいつの日かの為に、戦力は蓄える。殿下の気が変わるその時までな」

「その時は来ないと思うぞ」

「何とでも言え。お前には関係が無い」

 そこまで言うなら、と朔夜はそれ以上口を挟まず立ち去る事にした。

 確かに関係無い。全くの部外者だ。桧釐から見れば、そんな奴が口を挟むなと言いたい所だろう。

 悪魔が首を突っ込んではならない。必ず、良い事にはならない。そうだとは思う。

 ずっと脳裡から離れない光景がある。己の手で滅ぼした、敦峰(トンホウ)の街。

 住民の起こした生きる為の反乱を、絶望の淵に叩き落とした。

 同じ事が、この戔でも繰り返されるのだろうか。

 ならば次こそ、悪魔は国側に付いてはならない。

 それは敦峰への償いにもならぬだろうが。

 あの時望まれたのは、繍への復讐だった。

 どちらを取るべきか。否、答えは明白だろう。繰り返したくない。

 同時に、繍への復讐は矢張りやらねばならないと思い直した。

 自分に選べる事ではない。彼らに託された、義務だ。

 いつかは一人でも、繍に戻らねばならないだろう。

 あの男を殺す為に。


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