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真正面から打ち下ろした自棄っぱちの一手は、流石に易々と受け返された。
弾かれた勢いのまま脇を狙う。朔夜は姿勢を低くしてそれを躱し、今度は自分から打っていった。
それも大袈裟に刀を回してわざわざ龍晶の正面へ。
お互いの目線の前で刀が交わる。
余裕の無い龍晶と、実に楽しそうな朔夜。
相手の心情が、更にそれぞれの感情に拍車をかける。
朔夜は刀を押す力を増し、龍晶の刀を押さえ付けて脇に並んだ。
小声で耳元に囁く。
「俺が離れたら、下から打ち上げろ」
龍晶は相手を睨んだ。何を考えている。
「いくぞ」
朔夜は合図して飛び退き、間合いの中で打ち下ろした。
咄嗟に龍晶は言われた通り打ち上げる。
木刀と木刀の当たる乾いた音。その重さが手に伝わるや否や、ふっと軽くなった。
目の前で、相手の得物が回転しながら飛んでゆく。
道場がわっと沸いた。
朔夜の木刀は、彼の背後に呆気なく落ちた。
「いやぁ、参りました」
にこにこと笑いながら朔夜が言い放つ。
わざとだ。
何が起きたか分からず立ち尽くしていたのは、木刀を弾き飛ばした当人だけである。
「お前…」
こんな試合あるか。
勝たされた龍晶は苦虫を噛み潰した顔をしている。
「皆さん、殿下の鮮やかな手並、如何でしたか?」
戯けて場を更に湧かす朔夜を睨みながら、龍晶はさっさと踵を返した。
途中、朔夜の耳元に恨み言を落とす。
「余計な事を」
「殿下の印象は強い方が良いだろ。あと、俺もこの人数を敵に回したかないし」
どう考えてもこの場の全員が全員、龍晶贔屓に見ていたのは間違いない。
ここで普通に勝ってしまえば、この場の全員、下手したら北州の住民全てを精神的に敵に回してしまう。
場を穏便に納める為の自作自演だ。
龍晶は舌打ちして帰ろうとした。
が、朔夜の本番はここからだ。
「殿下と手合わせしたければ、まず俺に勝ってからな!」
わぁっとまた場が盛り上がる。
思わず龍晶はぎょっとして足を止めた。
「お前がやりたいだけか!!」
それが正解らしい。朔夜はにっと良い笑顔を向けてきた。
呆れるしかない。帰る事は諦めて、もうどうにでもしろとばかりにどさりと壁際に座り込んだ。
若者達が、我先にと朔夜に群がる。
結局、道場に居る半分以上が立ち上がっただろうか。朔夜は彼らに言った。
「一人一人やるのも面倒だ。いっぺんで済まそうか」
騒然とする。十人は下らない人数を、一人で相手すると言うのか。
しかも、体格の差は歴然だ。筋肉隆々の大男が多い中、朔夜は本当にひ弱な子供にしか見えない。
馬鹿にされたと思われて、男達の目付きは剣呑だ。
龍晶は内心ひやひやして場を見守る。少なくとも今は出る幕は無い。本当に朔夜が危なくなったら鶴の一声をかけるのみだ。
そんな心配を余所に、朔夜は悠々と木刀を竹刀に持ち替えた。彼らに怪我をさせてはならないという気遣いからだが、それが更に敵愾心を煽っていると気付いてない。
朔夜はちらりと人数を見、少し考え、二本の竹刀を取った。
それを左右両手に持つ。
いつもの短刀よりは長いが、重さとしては調度良い。何より、対する人数が多いので攻めと守りを同時に出来る方が良い。
流石に日暮れまでには戻らないとな、と窓から空を確かめた。要は時間短縮だ。
一方で攻め手は斬新な二刀流に眉を顰めたり嘲り笑ったりしている。子供の出鱈目な手段にしか見えない。
「よし、やろうか」
言いながら朔夜は道場の真ん中に立った。
囲む攻め手は互いに目配せした後、一人が斬り掛かった。
上段からの攻めを難無く躱し、背後を取って突きを入れる。
「あ、ごめん。痛かった?」
これがまた余計な一言だが、突かれた相手はすぐには立ち直れぬようだ。
仇打ちとばかりに別の一人が打ってくるが、それを受け止めながら朔夜は周りに言った。
「いっぺんにやろうって言ってるじゃん!遠慮せずに同時に来なって!」
誰が遠慮などするものかとばかりに、三人が同時に打ち込んでくる。
竹刀を交わらせていた相手の得物を弾いて胸部に一本を滑り込ませ、襲い掛かる三本の竹刀を低い姿勢から躱しつつ一人を打ち据え、一人の追撃を受けながら片手で一人の横腹を打つ。
残った一人を片付ける間に次の攻め手がやって来るが、同じ事だ。
全員を降参させるまで、時間にしては余り掛からなかった。ただ朔夜が物足りないだけだ。
「なんだぁ。誰も殿下と手合わせしたくないのか」
煽ってみるが皆打たれた箇所を押さえてうんうん唸っている。
「加減しろよ」
龍晶は呆れているが、朔夜は悪戯っぽく笑って返すだけだ。
尤も朔夜が抜かれれば困るのは龍晶だ。そんな相手にどう戦ったものか見当も付かない。
これまで半信半疑だった朔夜の実力も、これで認めざるを得ないと言った所だ。
それは収穫だと思い直して龍晶は立ち上がる。もうここに用は無い。
「帰るぞ」
当然朔夜もそのつもりで居るだろうと思っていたが。
付いて来ない朔夜を訝しんで振り返る。
その朔夜もまた振り返っていた。 道場の片隅で飲んだくれでいた男を。
「殿下、暫しお待ち下されよ」
のそりと立ち上がる。
上背があるが、他の男達のように筋骨隆々という印象ではない。薄い身体にしなやかな筋肉が付いているのだろう。
何より、思っていたよりずっと若かった。猫背で蹲り一人杯を重ねながら目だけを光らせていたので、てっきりこの道に煩い老爺かと思っていたのだが。
龍晶はその顔に目を細めた。何処かで見覚えがある。
「殿下には悪いが、この坊ちゃんを少々お借りしたい。このまま当方がやられっ放しというのも後生が悪いのでね」
朔夜と手合わせさせろという話らしい。
龍晶はまた帰りそびれたが、この男は何か気になるものがある。
「尤もだな。このままでは道場の沽券に拘るだろう。俺は別段困らぬから好きにしろ」
朔夜の意向など全く無視して、ただしと続ける。
「どんな結果になっても俺は知らぬぞ。足元が怪しいなら辞退を勧める。この餓鬼は見た目より使えるからな」
普段なら餓鬼扱いに怒る所だが、自分で家臣の振りを初めてしまった以上それを崩せず口だけがぱくぱくと動いている。
そんな事は御構い無しで男が受けて返した。
「だからこそですよ殿下。酒より面白い相手とお見受けしたればこそ、手合わせ願いたい。茶番抜きでね」
龍晶との試合は茶番だと見抜いている。朔夜は改めてその相手に向き直った。
「そういう事なら本気で立ち合った方が良さそうだな」
「お、やっとやる気になってくれたか」
「最初から俺は逃げる気は無かったよ。お兄さんこそ楽しそうな相手だし」
龍晶は訝しんで朔夜に問うた。
「酔ってるだけじゃないのか」
朔夜は肩を竦める。
「だとしても、それはそれで面白いでしょ?大丈夫ですよ殿下、この人は相当使える人です」
それは大丈夫と言うのかと問い返したいが、これ以上無駄口を挟まない事にした。
そこまで言うなら腕の程を見てみたい。
「いくらでも待ってやる。気の済むまで打ち合え」
二人はそれぞれに礼を言った。実に顔が嬉々としている。
「だけど野暮な木刀なんかで打ち合うのは俺の趣味じゃない。無論竹刀など以ての外だ。お前、腰のものは飾りじゃないだろう?」
朔夜は問われて短刀を抜いた。
「お兄さんの得物は?」
「あるさ」
伸ばした手に、門下生が刀を持たせる。
それで彼がこの道場でどういう扱いを受けているか窺えた。道場主より余程腕が立ち、門下生の尊敬を集めているのだろう。
「おい…真剣で切り結ぶ気か」
流石に龍晶が止めに入ったが、二人とも聞く耳は無い。
「だから殿下、この人は使えるから大丈夫、心配無いですって」
だからそれがどう大丈夫なんだと問い返す間も無く、二人は踏み出した。
相手が抜きながら放った一手を朔夜は後ろに跳躍して既のところで躱し、続いて降りかかってきた刃を己の短刀で止めた。
「よく避けたな」
男が意外を物語る笑みを見せる。
朔夜もまた驚いてはいた。
「あんたと同じ、居合を使う人間に仕込まれたお陰だよ」
燈陰と同じ剣だ。だからこそ避ける事が出来た。
「へえ。矢張り面白いな。見込んだ通りだ」
刃を通じての押し合いでは身体の小さな朔夜にはかなり分が悪い。
短刀を斜めに反らして相手の刃を滑らせ、身を回しながら反撃に移る。
こうなれば如何に多く手数を加えられるかだ。斬る勢いのまま、舞うように回転しながら両手の短刀で、姿勢を低くしたり跳んだり様々な箇所を狙ってゆく。鍔迫り合いにならぬよう常に刃を滑らせながら。
その戦い振りの美しさに場内からどよめきが起こった。誰もこんなものは見た事が無い。
龍晶もまた目を見張った。
それはさながら銀の残像を輝かせて舞い遊ぶ雪の嵐のようだった。
一同が見惚れている中、肝心の勝負は付こうとしていた。
短刀の片方を弾き飛ばし、返す刀で胴を狙い、朔夜もまた相手の懐に深く入って残った片方の短刀を首筋に突き付けた。
両者、身体と紙一重の所に刃を付けられ、動きを止める。
そのまま。
どちらからともなく、笑い声を上げた。
周囲は呆気に取られて見ている。
二人は刀をそれぞれに収めて笑い続ける。
朔夜は飛ばされた短刀を拾いに行き、その場にどさりと座ってまだ笑っていた。
男もまたその場に座り込み、笑いながら朔夜に言った。
「いやぁ、世の中にはこんなに面白い奴も居るんだな。見直した」
「俺もだ。こんなに楽しい戦いは初めてだよ」
龍晶はいち早く我に返って二人に声を掛けた。
「見事だった。お前、名は?」
男は酔眼を悪戯っぽく細めて龍晶を見返す。
「殿下に名乗るような立派な名も無い男ですよ。周りは俺を蟒蛇と呼びますがね」
「それは酒の飲み過ぎだろう」
呆れて返すと、まんざらでもないとばかりに呵呵大笑された。
「それはそうと殿下、このしがない蛇の元に龍が降りて来るとは何かの啓示と思って聞いて頂きたい。我らがここに集う理由たる大望を」
「ほう?」
先程まで惚けていた他の門下生らも、目の色が変わった。余程の理由があるのだろう。
最初に出迎えてくれた道場主だけが慌てた様子で悲鳴を上げた。
「それはお止め下され、北州の一大事となり兼ねませぬ!」
「言うだけ言うのだ。あとは殿下次第」
「何だ?」
当然、龍晶は訝しむ。そんな事を言われて聞かずに帰るのも後味が悪い。
「では申し上げます。我々の大望とは即ち、今の国家を転覆させる事」
龍晶は目を見開いた。傍で聞いていた朔夜も顔を顰める。
「その力となるべくこの道場をお借りして日夜己の腕を磨いておるのです。我々を率いて頂くのは、殿下、貴方を置いて居ない」
謀叛を。
起こせと言うのか。己が筆頭となって。
龍晶は頭が真っ白になった。
思いも掛けぬ所から冷水を浴びせられたような、そんな気分だ。
「お頼み申し上げます、殿下。この国に、あの王に不満を持つのは、我々と変わらぬ筈」
「ならぬ」
「殿下!」
「断じてならぬ!」
その場の総意を覆さんと、龍晶は怒鳴った。
身体が震える。浴びせられたのはとびきり冷たい氷水だ。
「俺が何の為に泥水を啜って生きていると思っている…?陛下はこの街など潰そうと思えばいつでも潰せるのだ。少しでも翻意を見せればどうなるか、よく考えろ」
彼があくまでも兄に従う理由はここにもあるのかと、朔夜は目を見開かされる気分だった。
この北州の命運すら、彼は引き受けて我慢し続けていたのだ。
「俺一人の命などいつでも捧げてやる。だが、お前達のやろうとしている事は、一人の命では済まぬぞ。この街の罪無き人々まで巻き込む気か。前の州長たる祖父の犠牲を無駄にするような事は許さぬ。決して」
を上げていた若者達は黙り込む。だが、蟒蛇は殆ど龍晶を睨み上げるようにして言い放った。
「祖父さんの無念は今の殿下でしょうよ」
「何?」
龍晶も双眸を鋭くする。
その意に増して、北州の民が敬意を払うべき祖父に対する非礼に対して。
「祖父さんは確かに殿下を救った。だけど救った結果が兄君の奴隷同然では浮かばれないでしょう。俺とて何とかしたいと思っているんですよ、彼を尊敬する一族の一人としてね」
小さく、龍晶は声を漏らした。
男を見た時から引っかかっていた物に、漸く気付いたのだ。
「お前は…」
その時、ばたばたと大勢が道場に入ってきた。
「殿下!ここにおいででしたか!」
足音も荒く入ってきた叔父に、龍晶は顔を顰めた。
桧伊は随分多くの取り巻きを使って自分を捜していたらしい。
「心配致しましたぞ。お怪我など御座いませんか?外出の際は使用人にでもお伝え下されば良いものを…」
言いながら、桧伊は蟒蛇に目を遣った。
途端に何か汚い物でも見たかのような顔をして、彼に怒鳴り付けた。
「お前か、殿下を誑かしたのは!こんな時に…余計な事を…!」
蟒蛇はただ無表情で桧伊を見ている。
横から龍晶が口を開いた。
「叔父上、桧釐殿に落度はありません。ここには俺が勝手に入ってきただけの事。御子息には朔夜の剣の相手をして頂いたのです」
「えっ?子息?」
朔夜一人が驚いて声を上げている。
桧伊の息子となれば、この蟒蛇は龍晶の従兄弟という事だ。
「殿下、御報告が遅れましたが…。これなる桧釐は既に私の息子ではありません。御覧の通りの体たらくで殿下に御迷惑をかける恐れがあり、先日親子の縁を切りました。よって気遣いも庇い立ても無用です。我々は他人ですので」
龍晶は表情を変えず、従兄に確認した。
「そうなのか?」
桧釐は肩を竦めて応えた。
「そうなんでしょうよ。俺はずっと家を出ていて知りもしませんでしたが」
当人が初耳らしい。
朔夜は呆気に取られて話を聞いていたが、この親子は変だと思った。自分は棚上げで。
父親の保身の為の一方的な勘当に、息子は何も感じていない。
自分なら、猛烈に怒るだろうか。少なくとも捨て台詞の一つくらい吐き棄てる。
「良いのかよ、それで」
思わず朔夜は問うていた。
「不満は無いね」
あっさりと桧釐は答えた。
「お二方とも、この者の喋る事などお聞きめさるな。帰りましょう」
二人を促し、桧伊はついぞ息子と目を合わせる事無く踵を返した。だが。
「ちょっと待ってよ。俺、提案があるんだけど」
もはや敬語を使う事も忘れた朔夜が皆の動きを止めた。
「何の提案だ?」
龍晶が問う。親子の遣り取りが腑に落ちないのは一緒なのだろう。
「この蟒蛇…いや桧釐だったか。この人に、殿下の護衛をして貰う。どうだ?」
「は!?」
親からも子からも、とんでもないとばかりの素っ頓狂な声が上がった。
先に声を荒げたのは桧伊だ。
「御冗談を!このような出来損ないにそんな大役、務まる訳がございませぬ!」
朔夜は落ち着いて返した。
「腕前なら先刻、俺が確かめた。これ以上心強い味方は居ないと思うけどね?」
「しかし…腕前の問題ではなくて…」
言葉を濁した桧伊。その言いにくい問題は既に知る所だ。
「やんちゃが過ぎるなら一旦仲間から離してみるのも手だと思うけど」
朔夜の意見に龍晶も桧釐本人も吹いた。
「お前、どの立場から物を言ってんだよ」
舌をぺろっと出す。反乱の話を出さずに切り抜けようと思ったら、あんな物言いになった。
だが確かに謀叛の気運を抑えようと思うなら、桧釐はこの道場から離れて貰った方が良いだろう。
それを考えて龍晶は桧釐に問うた。
「来てくれないか?せめて、この戦だけでも」
腕の良い護衛が欲しいのも確かだ。
桧釐は頭を掻きながら仕方ないなという感じで答えた。
「殿下がそう仰せなら、俺には断れる筈が無いでしょう」
「そんな!どうかお考え直しを!」
悲鳴に近い声で父親が懇願する。
「心配せずとも、御子息は無事にお返ししますよ」
「違いますよ殿下。この人は俺の安否を心配してるんじゃなくて、俺が何かやらかした時に親だと思われるのが心配なんですよ」
それ以前に、王に許可も取らず自分に人を付けた事が露見する時を恐れているのだと、龍晶は知っていた。
それが親族なら王の怒りは余計に大きいと思われているのだろう。
「叔父上、これは貴方には関わりの無い話だ」
「何ですと?」
一言一言、噛んで含めるように龍晶は説明した。
「我々は偶々、戦への道中で使える人間に出会い、勝手に供を命じた。それは別に叔父上の縁者でも何でもありません。俺が気に入ったから連れて行く、それだけです。よって責任は全て俺のものだ。北州の州長は何ら関係は無い」
桧伊は口を開けてその説明を聞いている。何もかもが意外だったのだろう。
「良いですね?貴方は何も関係が無い。よって我々は貴方に許可を取る必要も無い」
「殿下…」
まだ何か言わねばと口を開いたが、もう何を言う権限も無くなったと気付いた。
「そもそも既に他人なんだろう?ならそれで十分だろうが」
桧釐が父親に対して毒付く。直接ではなく、独り言というように目を合わせもせず。
「叔父上ご安心ください。兄上が処罰したいのは俺ですよ。従順で臆病な一地方の長官など、兄上にはどうでも良いのです」
更に龍晶にも毒を吐かれてしまって、桧伊はいよいよ言葉を失った。
そんな訳で、北州からは三人で出発した。
兵を付ける事は矢張り、王からの許可が下りなかった。




