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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第六話 取引
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2

 それからの日々は、いたって平穏な、幸福に溢れた日々だった。

 華耶がいつも側に居る。於兔が時々訪れて世話を焼き、同郷の人々の笑顔に囲まれて。

 それを遠目に燈陰が見ている。

 本当に梁巴に帰ってきたような感覚。だが、埋まらないものもある。

 囚われた梁巴の民の一割もここには居ない。残された人々がどうなったか――考えるのも胸が痛んだ。

 更に、華耶の母親は潅の旅の中で病に侵されていた。過労と、繍で受けた傷が原因のようだが、回復の見込みが無く、床に臥している。

 そして、陽が落ち、夜が訪れると。

 朔夜は一人、窓の無い、錠の付いた部屋に入る。

 長い、長い夜の始まり。

 力が暴発して誰かを傷付けない為に、独りであらねばならない。それは己で決めた事だし、当然の義務なのだが。

 燭台に灯を入れる。

 ゆらゆらと、己の影が不気味に(うごめ)く。

 自分の知らない自分が居る。少なくともここにあるのは、一つの命ではない。

 自分とは違う、何かに生かされている。

 一年間、動く事の無かった心臓が何故再び動きだしたのか。

 どうしてそうまで生き続けるのだろう。

 (すべから)く生ける者に平等に与えられた命ではないのか。

 自分は特別だなんて思いたくない。

 神の、(たち)の悪い悪戯(いたずら)なのだろうか――

 火が、揺れる。

 炎が。

 村を飲み込んで。

 天国のように優しい場所は、阿鼻叫喚の地獄となった。

 刀が炎に反射してギラギラと光る。

 血に濡れた大地。そこにまた倒れる人々。

 助けての声はもう届かない。

 奪われ、犯され、殺され、滅ぼされて。

 こんな筈ではなかった。

 壊されていく故郷を、ただ眺めているだけだとは。

 何のための、月の力か。

 何のための、己の存在か。

 闘うのだ。

 闘い、滅ぼしてやらねばならぬのだ。

 神の報いを受けるべき、愚かな人間共を――

 こんな所に居る場合ではない。

 奴等は近くに居る。

 繍も、()も、この国も、皆同じ。戦をし、誰かを滅ぼしてのうのうと生きている。

 そんな奴等(やつら)に、報いを。

「――っ!」

 扉をこじ開けようとしている手を押さえた。

 何をしている。俺は、何を。

 何を考えていた?

 己の内から抗う力に押さえる手は振りほどかれる。

 二つの力に体が揺すぶられる。立っていられない。

「やめろ…!」

 己で己に叫び、その声で我を引き寄せた。

 視界がぐにゃぐにゃと歪む。呼吸は乱れ、耳鳴りが酷い。

 冷たい板張りの床に転がって、真っ暗な中、独り。

 どうしてこんな事になった。

 あの戦が、あの夜が無ければ。

 居るべき人が居ない。在ってはならない存在は産まれ、残る。何故。

 この砂の城のような本来の自分が崩された時、俺もあの様になるのだろうか。

 人の命を石ころの如く弄ぶ人間に。

 でも、それは。

 今までの自分と何が違う?

 無数の命を奪ってきた自分に、何の言い訳が出来ると言うのだろう。

 善くありたいと願っても結局、自分可愛さしか無いのか。この、身勝手な。

 ならばいっそ、このまま悪魔に意識を奪われようか。

 なるようにしかならない。

 世界は暗く、黒く、染まってゆく。



「はぁ?冗談だろ?」

「私が冗談を言った試しがありますか?」

 燕雷は眉間に眉を寄せて笑いもせずに返した。

「あり過ぎるだろ。冗談か本気の呆けなのか知らねぇけど」

 皓照は心外とばかりに小首を傾げているが、無視して空を仰いだ。

 抜けるような青さ。ぽかぽかとした小春日和だ。

(セン)が…どんな国か知らない訳じゃないだろ」

 青を睨みながら燕雷は言う。

「どうも、あなたはあの国の事になると冷静でなくなりますねぇ」

「怒らせたいのか、お前」

「いいえ、滅相もありません。ただ、私の方が戔との付き合いはありますよ」

 否めない。燕雷は溜息で鬱憤を霧散させた。

「一つの国に悪ばかりある訳ではないでしょう?あなたは戔の悪い所ばかり見てきたのでしょうが」

「お前の口からそんな人間染みた説教を聞くとは思わなかったよ」

「それはどうも。一応、私も少しは人間な訳でして」

「そうかい。そりゃ良かった」

 全く気持ちの入らない返事をして、人の気配のした背後に目をやる。

 襖が開いて朔夜が顔を出した。

「縁側に並んで日向ぼっこなんて、(じじい)の癖に仲良いよな」

「爺でも無いし、仲良しってのも違うぞ」

「何が違うんだよ?はい、これ」

 差し出したのは握り飯。盆に所狭しと並べられている。

「華耶から。好きなだけ食って良いって」

「ふーん。お前、華耶ちゃんの為なら給仕係でも何でもするんだな」

「は?…こんなの成り行き上に決まってるだろ!?」

「いとしの華耶ちゃんがお握り作る姿を眺めてたら成り行き上こうなったって事か」

「…分かった。二人は飯抜きな」

「え!?どうして私まで!」

「仲良しの連帯責任だよ!」

 立ち上がりかけた足を慌てて捕まえる。

「分かった分かった、俺が悪かったよ!認めるから華耶ちゃん手作りのお握りを分けてくれ!」

 しょうがないな、とごちながらも口元が緩い。

 それぞれに握り飯を持たせると、盆を横に置いて自分も一つ頬張った。

「やっぱ美味いよなぁ。だろ?」

 これは頷くしかない。

 尤も不味い握り飯というのもなかなか作り難い。

「調子良さそうだな?華耶ちゃんの飯を毎日食ってるから当然か」

 地雷を踏まないうちに話題をずらす。

「んー。ま、ここは戦が無いから」

 最後の一口を平らげて朔夜は言った。

「繍は?どうなった?」

 燕雷と皓照は繍との戦を視察して回り、帰ってきたばかりだ。

 朔夜にとっては目覚めて以来、二人とゆっくり話すのは初めてだった。

「ずいぶん領土は削れましたよ。元の三分の一程度までにはなったんじゃないでしょうか」

「まだ核心は突いてないけどな」

「奴は…桓梠はまだ生きてるって事か」

「ああ。国王はじめ重鎮や軍幹部の連中はまだ揃いも揃ってピンピンしてるよ」

「実質的な滅亡はまだまだって事か…」

「お前さ」

 二つ目の握り飯を取りながら。

「繍を滅ぼしたいのか?それとも桓梠に復讐したいのか?」

 考える間も無かった。

「両方。決まってる」

 問うた燕雷は少々眉を顰めはしたが、咎め立てはしなかった。

 復讐について自分がとやかく言う事はしたくない。

「約束だから」

 指に付いた飯粒を口で取りながら呟く。

「約束?」

敦峰(トンホウ)で誓った。こんな国は俺が滅ぼすって」

 自嘲を溢して朔夜は続けた。

「自分では何も出来なかったけど」

 皓照が何か言いたげに笑顔を作ったが、間髪入れず燕雷が声を張り上げた。

「馬鹿だな。国を滅ぼした所で何の供養にもならない」

「…そうかな」

「そうだ。また誰かが憎しみを抱えるだけだ」

「でも、あんな国…」

「この生活が不満か?」

 朔夜は言葉に詰まって抱える盆に目を落とす。

「…もう、あんな地獄に戻る事は無いだろう?」

 燕雷は優しく声音を変えて、少年の肩を叩いた。

 空は青く、鳥が啼く。

 闘いの日々は、ここでは、遠く。

「なぁ、これ燈陰に渡しておいてくれないか?華耶が絶対渡せって言うから…」

 いくつか余った握り飯の盆を差し出す。

「自分で行けよ」

 呆れ混じりに笑って突き放すと、本気で困った顔をされた。

「頼むよぉ。隣の部屋に持って行くだけなんだから」

「その台詞そっくりお前に返すよ。持って行くだけだろ」

「もー!何でだよ、お願いだからさ!」

「いい加減、変な意地張るのやめろって言ってんだよ。ほら、行け!」

「だぁーもぉー!しょうがないな!」

 何がしょうがないんだと突っ込みたかったが、そこは大人の寛容さで我慢した。

 盆をひったくった朔夜は足音荒く隣の部屋を開け、そこに居る燈陰に何か言う暇も与えず盆を手荒く置くと、無言のまま戸を閉めてまた足音荒く去って行った。

「お前それ華耶ちゃんに怒られるぞ」

 燕雷が背中に注意したが無視。

 やれやれと外に向き直る。

「いやはや平和ですねぇ」

「全くな。平和は人を子供にさせるみたいだ」

「ふふ。お陰様で私は子供になる間もありません」

「そりゃあな。お前はそのままで十分手がかかる」

「え?」

 本気で分かってない。

 今更説明するのも面倒なので流した。

「子供は子供のままで良いだろう。あいつにまた、あんな厳しいツラさせたくない」

「ああいう時があるから、今のような顔が出来るんですよ。ほら、国と一緒です。人だって一面ばかりではない」

「それは解るけどな」

 苦い、苦い溜め息を吐き出して、燕雷は言った。

「どうしてお前があいつの運命を決め付ける。お前に何の権限がある?もう戦場に連れて行く必要は無いだろう」

 皓照は真顔で即答した。

「必要があるのですよ」

「…何だと?」

「戦場でしか生きていけない生き物なんです。私達は」

「……」

 訝しげに長年の相棒を見やる。

 麗らかな陽気の中の、いつもの穏やかな微笑。

 そこから計り知れない、殺伐とした、何か。

「お前と朔は同じだと言うのか」

「ええ。少なくとも同じ種類の生き物です」

 人間だとは言えない。

 それを越えるもの。

「どうして、“戦場でしか”なんて言える。朔は平和な場所で産まれ育った。今からもだ。この数年間が異常だっただけで」

「おや。今しがた本人の口から出たじゃないですか」

「あ?」

「“戦が無いから”まともでは居られないんですよ」

「それは…逆だろ。あれは戦が無いから調子が良いって」

「そうはっきりと言わなかったでしょう?」

「…お前の捻た解釈に過ぎんだろ」

 軽く笑って、しかし真面目な表情に戻って皓照は言った。

「力を発散させる場所が必要なんです」

「使わないとどうなる?」

「暴発します。解るでしょう?」

 その二文字の意味は嫌になる程解る。

 自分だって殺されかけた身だ。誰に向くか本人さえ判らない刃。

 それがこの平和の中で、最も向けてはならない人に向けられてしまったら。

「彼自身も判っている筈ですよ。ここには居られない事を」

「だからって…戔には…」

 言いかけて、黙った。

 余計な感情が邪魔をする。

「おや?ぴったりだと思うんですがね」

 複雑な表情の燕雷に対して、どこか嬉々として皓照は言う。

「あなたの憎む戔でならば、どこで暴発しても構わないでしょう?」

 何か言おうとして、呆れの余り溜め息になった。

「お前それ本気で言ってるのか…」

「いえ、舎琵那のように使える臣も居ますから、どこでもと言うのは言い過ぎですね」

「もういい」

 燕雷は立ち上がる。

「どうせ俺が何言ってもお前は聞かないからな」

「そんな事は無いですよ」

 頭をわしゃわしゃと掻きむしって捨て台詞を探したが、何も思い付かないままその場を後にした。

「そんなに信用されてませんかねぇ、私は」

 一人残された皓照。

 隣の戸がすっと開いた。

「信用云々じゃない。お前の言動は正直過ぎるんだ」

 燈陰が空の盆を片手に出てくる。

「聞いてたんですか?」

「この距離で聞くなって方が無理だ」

「正直ですかねぇ?私は」

「燕雷だから物言いが軽率になるんだろ、お前の場合」

「成る程」

「朔を戔に連れて行くのか?」

 立っている燈陰を上目遣いに見上げて。

「すみません。保護者の了解を取るのを忘れていました」

「取って付けるな」

 こちらもまた呆れ混じりに。

「大体、俺は保護者でも何でも無い。連れて行きたいなら好きにしろ。お前の言う事は恐らく事実だ」

「と言うと?」

「朔をここに置いておきたくはない」

「…ほう」

「夜毎あいつが暴れる音を聞く。お前の言う暴発は…時間の問題だ」

 皓照は膝を打った。

「ありがとうございます。やはり保護者に聞いてみるべきでした」

「皮肉ってんのか」

 燈陰もまた去ろうとして、ふと立ち止まった。

「…いつか、普通に暮らせるものなのか?」

「え?」

「力を制御する事は可能なのか?お前は難なく出来ているんだろうが」

 ふっと、遠い目で青空を吸い込む。

 気が遠くなるほど昔の記憶。

「それは…何ともお答えし兼ねます」

 何も難無く出来た訳ではない。

「彼次第です。数十年で可能かも知れないし、その日の前に命を落とすかも知れない」

「そうか…」

 笑い顔で振り向いて。

「すみませんね。何せ同じような知り合いがなかなか居ないもので。参考になるお話でもしたい所ではあるんですが」

「いや…良い。やっぱりお前の話は胡散臭い」

「え?」

 言い逃げで立ち去る燈陰。また残された皓照。

「人間は難しいなぁ…」

 自分は棚どころか空の上に上げた呟きは、そよ風に浚われていった。



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