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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第七話 陰謀
15/60

5

 医者達が帰った後、朔夜は泥のように眠った。

 龍晶が病んでからまともに眠れなかったし、何より彼が快復した安心感と看病から解放された事で、やっとゆっくり眠れたのだった。

 目覚めたのは、昔懐かしい包丁の音が耳に入ったからだ。

 土間からの、炊事の音。

 母さんが朝ごはんを作ってくれている――夢うつつにそう思い、いやそんな筈は無い、誰だと目が覚める。

 重たい瞼を無理矢理押し上げて土間に目をやると、祥朗が忙しく立ち働いていた。

 昨晩は佐亥らと共に帰ったが、朝になって再び来たのだろう。

 殊に、ここにある食糧に毒入りの嫌疑がある為、家から食べられる物を持って来てくれたらしい。そのついでの調理だろう。

 窓から日の位置を確認する。真上まで来ている。これは既に昼食だ。

「祥朗」

 呼び掛けると、振り向いて、口の形でおはようを言った。

 お早くはない目覚めだが、そこは諸々の事情で勘弁して貰おう。

「ありがとな、飯を用意してくれて」

 笑って頷き、鍋の中を見て具材を入れる。

 邪魔するのも何なので、龍晶に目をやる。

 すると、意外な事にその目は開いていて、ぼんやりと天井を見ていた。

「起きてたのか」

 問うと、ああ、と短い返事が返ってきた。

 声は掠れていて、喋るのは辛そうだったが、意識ははっきりとしている様だ。

「痛い所とか無いか?」

 医者に臓器がやられている可能性があると聞いていたので、一応訊いてみる。

 龍晶は暫し沈黙し、無いと思う、と曖昧な言い方をした。

 目を合わせる事もせず、ただ天井を――遠くに視線をやっている。

「ここは娑婆だよ」

 冗談めかして朔夜が言った。

 まだ生きている実感が湧いて来ないのだろう。朔夜とて、つい先日、同じ思いをした。

 まだ頭の半分は向こう側にあって、夢うつつをさ迷っている。

 そんな事を思っていると、驚く事を言われた。

「お前、川に溺れた事があるか?」

 余りに突拍子も無い問いに、朔夜はすぐには答えあぐねた。

「何だよ、急に」

 答えは顔に出ていたのだろう。龍晶は横目にちらっと朔夜の顔を見て、問いの理由を話した。

「お前の記憶を夢に見た」

「…は?」

「溺れたんだろ?」

 駄目押しとばかりに再び問う。

 訝しさを思いきり顔に出しながら、朔夜は頷いた。

「でも、俺の記憶にはその時の事が無い…」

 話にだけ聞いた。

 急な鉄砲水に巻き込まれて、一晩中捜索され、奇跡的に村外れの岸辺に打ち上げられていた、と。

「あとは戦場ばかりだった。嫌な物を見せられたもんだよ」

 それは。

 自身の記憶から抜け落ちた記憶ばかりではないのか。

「…他に…梁巴は見なかったか…?」

 そこに、一番重要な記憶が。

「そんなの判る訳無いだろ」

「俺に似た女の人を見なかったか!?ひょっとしたら、この手で…」

 必死の形相に、龍晶も薄々事情を感じ取った。

「…見なかった」

 実際、覚えてない。

 走馬灯のようにそれぞれの映像は一瞬で、そんなものいちいち記憶に留められるものではない。

 何より、あくまで夢だ。

「そうか…」

 空気の抜ける風船のように、気負っていた体が萎んでいる。

 これでおあいこだと思って龍晶は確認した。

「それはお前の母親か?」

 一瞬躊躇い、朔夜は頷いた。

「戦で…死んだのか」

 先刻よりも間を開けて、何か言おうとした口をまた閉じて、頷くだけ。

「そうか…」

 それ以上は龍晶も問えなかった。

 この手で――言葉からその先の見当は付くが、信じ難いし知らなくても良いと思った。

 どうせ酷でも真実を知らされるのなら、他人ではなく自分の事が知りたい。

 母は今、息をしているのかどうか。

「どうしてこんな事が起こったんだろうな」

 軽く問うと、朔夜は肩を落としたまま答えた。

「俺が力を使ったから。力だけでなく変な物までお前に伝わったんだと思う」

 華耶を不死にしてしまったのと同じようなものだと思う。

 龍晶の場合は完全に息を引き取っていた訳ではないから、不死にまでしてないと思いたい。それは時間のみが証明する事だが。

「ごめん。勝手な事して、変な物見せて」

「は?謝られても困る」

 真顔で言って、龍晶は口の端を歪めて笑った。

「まぁ…お前が羨ましいって言ったの、あれは撤回するけどな。絶対嫌だ、お前の人生は」

「なんか…改めてそう言われると悔しいな…」

 朔夜も、何か諦めた笑みを浮かべた。

 力に振り回され、何も良い事が無かったような半生だが、それでも自分の生きてきた半生だ。

 愛着と言う物ではないが、諦めと共にその記憶を抱いて生きてゆかねばならない。

 祥朗が椀を手に座敷に上がって来た。

 龍晶の傍らまで来ると、椀を差し出した。

 中には粥が入っている。

「良かったな。念願の祥朗の料理がまた食えて」

 しみじみと朔夜が言ってやると、祥朗は気恥ずかしそうに笑った。

 龍晶は弟に礼を言い、ゆっくりと箸を運ぶ。

 柔らかい粥を噛み締めるように食べた。

 その間、祥朗は朔夜にも粥を持って来てくれた。こちらには刻まれた野菜が入っている。

「あ、ほんとに美味いな」

 一口食べて素直に感想を述べた。

 龍晶が当然だと言わんばかりに鼻で笑う。そして皮肉な一言を忘れない。

「お前も少しは見習え」

「いやお前が見習えよ」

 そこは朔夜も譲る気は無い。何しろ相手は絶対に一人で暮らしていけない家事音痴だ。

 祥朗が笑う。それを見て龍晶も口許を緩ませる。何気無い幸せが戻って来る。

 それを見ながらも、朔夜には引っ掛かる物があった。

 龍晶は何より気になるであろう事に、一切触れて来ない。

 貧民街のこと、病のこと。

 真先に状況を訊いてくるだろうと思っていたが、敢えて避けているのかとも思えてくる。

 その理由は見当も付かない。忘れているのだろうか?

 朔夜としては、どう言ったものか言葉を選べないでいるから、訊いてくれない方が都合が良いのだが。

 それにまだ、龍晶の様はまさに病み上がりと言った風で頬はこけ、顔色は白く、眼にはこれまで宿っていた光が消えている。

 厳しい現実と、残酷な推測を話すのは躊躇われた。

「ごちそうさま」

 食べ終えた龍晶が、祥朗に椀を返し、再び寝ながら弟に言った。

「余計な苦労をかけて済まない」

 祥朗は首を横に振った。兄の為ならば、苦労などとは思わないのだろう。

 龍晶は目を閉じた。そして朔夜、と呼んだ。

 呼ばれた方は目を見開く。初めて名前を呼ばれた。おばば様の所で訊かれたきりで覚えていたのかと、まずそこに驚いた。

 そんな朔夜の内心など知らず、龍晶は何事か呟いたが、朔夜には聞き取れなかった。もう本人は夢の中だ。

 思わず祥朗に目をやる。彼はにっこり笑って、兄の言わんとした事を口の形で教えてくれた。

 『治してくれて、ありがとう』と。

 朔夜は狐に鼻を摘ままれたような気持ちになった。

 こいつがそんな事を言うのか、と。

 同じような事を思った覚えがある。玄龍の足を治した時の、あの嬉しそうな顔。こいつがこんな風に笑うのか、と。

 心底、生を願っていたのだ。玄龍の時も、自分の事も。

 だから、生きていられた事に、驚く程素直な謝辞も出るのだ。

 朔夜は感謝されるとは思っていなかった。勝手な事をしたという気持ちだけで。

 客観的に見れば当然の『ありがとう』だが、長きに渡った荒んだ生活は、そんな当然を忘れさせていた。

 自分が誰かに感謝される事が、ちょっと信じられないのだ。

 恨まれる事、憎まれる事しか無かったから。

 今、随分久しぶりに心に血が通った――そんな感覚。

「お前も兄貴も、良い奴だな」

 祥朗に言ってやると、はにかんだ笑顔が返ってきた。

 龍晶が羨ましくなった。

 こうやって笑ってくれる兄弟が居る事。居てくれるだけで、どれだけ心強いだろう。

 一方で血の繋がった兄は、彼をここまでの窮地に追いやっている。

 不思議なものだと思った。

「祥朗、明日で良いから、ちょっと馬を貸してくれないか?」

 きょとんとした目が返される。

「城に行きたいんだ。俺達をここから出してくれる人に会いに行く。その間、ここで兄貴の世話をしてて欲しいんだが…」

 いつまでもここに閉じ込められたまま、という訳にはいかない。

 恐らく藩庸は本当に龍晶が死ぬまで城へ戻す気は無いのだろう。様子も見に来ない所を見ると、黙っていては永遠に放っておかれる。

 勝手に戻る事は可能だが、龍晶の立場を考えれば、正式に許可を得てから城へ戻った方が良いだろう。

 では、誰が許可をくれるのか。

 朔夜はその人に会う為に必要な物を佐亥に用立てて貰えるよう、祥朗に伝えて帰した。

 祥朗は目を白黒させて聞いていたが、我ながらとんでもない計画ではあると思う。

 出来れば龍晶には内密に進めたい所だ。誰の為かなんて棚に置いて、皮肉の一つや二つ頂く事は想像に難くない。


 翌日、朔夜は城の中へ居た。

 佐亥に頼んだ女官の服を身に纏って、塀の穴を探している。

 以前、おばば様が龍晶に約束した抜け穴だ。

 佐亥は知り合いの女官を一人紹介してくれた。服も彼女のものだが、何より一緒に行動してくれるのは有り難い。

 誰かに話しかけられた時に、声で正体が露見してしまうのではと危惧し、代わりに説明してくれる人が居るだろうと佐亥が気を回してくれたのだ。

 それに後宮の事情に詳しい人物が必要だ。皇太后側の女官に見つかりたくはない。

 要するに朔夜の立てた計画とは、自ら後宮に忍び込み、おばば様に龍晶を解放して貰えるよう頼むというものだ。

 朔夜とて自らこんな格好はしたくなかったが、おばば様より他に頼める人も居ないし、後宮に入るからには変装せねばたちまち捕まってしまう。

 因みに佐亥の紹介してくれた女官は十和(トワ)といい、彼の親戚にあたるのだと言う。歳は佐亥とあまり変わらないくらいだろう。

 その彼女はご親切にも朔夜の大嫌いな化粧を施してくれ、これなら絶対に男には見えませんと太鼓判を押してくれた。

 どうして龍晶なんぞの為に俺がこんな目に…と早くも後悔しつつ、自分の発案である以上嫌な顔も出来ない。

 そういう訳で無駄に似合う女官姿で人目をくらましながら、城の中をこそこそと動き回っている。

「何をしておいでで?」

 武官風の男が話しかけてくる。視線は朔夜を嘗めるように見ている。

 嫌だなぁと思いながらも朔夜は黙っている。その間に十和が説明してくれる。

「後宮の塀に不備が無いか確認しているのです。心当たりがあればお教え願いませんか」

 おうそれならば、と武官が歩き出す。どうやら案内してくれるらしい。

「しかし近頃は随分幼い子供まで宮仕えするのですな」

 歩きながら武官が言う。視線はまだ朔夜をじろじろ見ている。

 幼いってどういう事だと朔夜は言い返したいが、ここはひたすら我慢。

「この娘の親御さんはこれ程の器量良しを田舎に留めておくのが惜しかったのでしょうよ。おや、あれですね」

 十和が塀の穴に気付いて指差した。

 何を言われるか気が気じゃなかった朔夜もそれに目をやる。

 何なら修繕しましょうかと余計な事を言う武官に丁重に断りを入れて別れ、二人は穴を前に顔を見合わせた。

 屈めば入れる程の穴だ。これはかなり目立つ。

「…おばば様、気合い入れ過ぎだろ…」

 苦笑して孫の為に気合い入り過ぎな穴を潜った。

 後宮は相変わらず絢爛豪華な建物が並び、一度入ったきりの朔夜に現在地など判ろう筈も無い。

 十和に行く先は任せて付いて行く。

 すれ違う女官達が朔夜をじろじろと見ていく。

 内心は冷や汗たらたらだ。彼女らはどう思って自分を見ているのだろう。実はもう見るからに女装だと判ってしまっているのではないか。

 十和に尋ねたくとも声が出せない。

 何でも良いから早く元に戻りたいと思い始めた時。

 回廊を曲がった十和が急に立ち止まった。

 後ろをぴたりと付いて歩いていた朔夜もたたらを踏んで立ち止まる。

 目の前には、いつかも見た、あの行列。

 一番鉢合わせたくなかった、皇太后御一行様。

「皇太后様のお通りじゃ。そこに直れ」

 行列の先頭を行く老女がひび割れ声で怒鳴り付ける。

 十和が回廊の隅に跪く。朔夜もそれに倣った。

 頭を下げ、行列をやり過ごそうとしたが。

「見ぬ顔じゃな」

 どきり。

(おもて)を上げよ。名を何と言う」

 躊躇って、しかし変に逆らってはますます怪しまれるとも思い、おずおずと顔を上げる。

 目の前で、あのおっかない皇太后が、ひたりと朔夜を見下ろしている。

「そなた、名は」

 苛々と皇太后が再び訊いた。

 困った。声を出す訳にはいかない。

「恐れながら」

 十和が顔を伏せたまま早口に言った。

「この者は本日より後宮に入りましたので、未だ口の利き方も知らぬ未熟者でございます。名も無き山出しの娘ですので、これより国母様に名付けて頂く所存にございます」

「ほう」

 皇太后の目が細まる。今にも狩られそうだ。

「せいぜい山の泥土を落とすよう勤めよ。都の水で洗われた暁には、西向きの部屋に入れてやろう」

 ぽかんとしている間に一行は去っていった。

 尚もひれ伏してやり過ごし、姿が見えなくなって、朔夜は囁いた。

「どういう事?」

 十和は笑いを堪え切れぬと言った風だ。

「西向きの部屋は側室の住む部屋よ」

「…ん?」

 この時にはまだ理解していなかったが、後々その意味を考え解明した時、鳥肌立てて絶句した事は言う間でもない。


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