表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第七話 陰謀
14/60

4

 龍晶が病に臥して三日目。

 これが例の流行り病なら、三日の後に死に至るという。

 信じたくは無かった。昨夜の死にたくないという言葉を耳にしているから、尚更。

 だが、この日はもう明らかに衰弱しきっていた。

 目覚めても虚ろに天井を見ているだけで、口を利く素振りも無い。水を飲まそうにも、飲み込む事すら出来ない。

 昨日までのように喘ぐ息も無く、弱々しく呼吸を繰り返す様が痛々しい。

 佐亥に貰った解熱剤を無理にでも飲まそうとしたが、水を飲めないお陰で失敗に終わった。

 万策尽きた。

 もう、待つ事しか出来ない。

 何を待つのか――祥朗が連れて来るであろう医者を?まだ彼とて治療法をみつけた訳ではないだろう。

 それとも、来るべき時を待つだけか――

 そんな事を枕元で考え続けて、否、考えたくもないが頭からそれが離れずどうしようもなくて、朔夜も望みをすっかり失っていた。

 額の塗れ布巾を冷やして戻し、乾いてひび割れた口元に水を数滴垂らす、その繰り返し。

 それ以上、何も出来ない自分が悔しい。しかし何をしてやれば良いのか、考え尽くしてもう考える気も失っていた。

 ぐったりと、二人、ただ虚空を見上げて。

 涙も出ない。悲しいとは思えず、悔しさの果ての虚しさ。

 どうしてこんなに辛いと朔夜は自問する。

 別に肉親でもなく、出会ってたった一月足らずの関係。こうも肩入れせずとも良いではないか。

 確かに良い奴だとは思った。だけど世の中に『良い奴』はごまんと居る。

 そもそも、良い奴か否かなど、その人と付き合い何を見るかで評価など変わる。人には良い面も悪い面もあるのは当たり前だ。

 良い奴だから生きて欲しい、は筋が通らない。それは悪い奴、つまり自分の気に入らない奴なら居なくて良いという偏狭な理論を正論にしてしまう。

 では何がそう思わせるのか。

 無数の人の死を見てきた。見るばかりかこの手で命を奪ってきた。

 その彼らとてこうして付き合えば生かしたいと願うだろうか。

 皆が皆、そうとは限らないだろう。当然それは主観だが。

 他の人々と、何が違うのか。

 生かして戻すと約束したからか。それが果たせない悔しさだろうか。

 あれは祥朗の為だけの約束だっただろうか。

 自分にずっと言い聞かせていたのではないか。

 必ず、生きて戻ってくる、と。

 待っているのはそれだろう。

 龍晶が、生きる気力を取り戻して帰ってくること。

 だが、望みは薄い。

 奇跡でも起きない限りは。

 何も出来ないまま、何もしないまま、日が暮れる。

「龍晶」

 独り言になっても仕方ないと、朔夜は囁きかけた。

「お前、このまま死んでも良いのか?」

 死にたくはないと言った。そうだと思う。この人は自分のように浮き世を投げてはいない。

「貧民街の皆はまだ助かってないぞ…お前が行かなきゃ…。祥朗だって、まだまだお前が世話を見なきゃいけないだろうし、佐亥さんだって、世話かけっ放しで恩も返さない訳にはいかないだろ…。おばば様だってお前は可愛い孫だろうし、後宮の女官達はお前を見ると色めき立ってたぞ。それに、まだまだお前の事待ってる人は居るだろうし。何より母上だろ …。まだ、どこに居るか見つけてないだろう…諦めるのはこの世の隅々まで探してからにしろよ…。でないと、一番悲しむのは、その母上だろ…」

 ああ、と朔夜はやっと答えらしき物を見出だした。

 俺はこいつの死を見たくない。

 まだ出会って一月足らずだが、否だからこそかも知れない。まだ、こいつと別れたくはない。それが永遠の別れなら、尚更。

 こいつが居る事で、周りで笑っていられる人が居る。それを幸せと呼ぶのだろう。

 そんな幸せを、自分は通りすがりでしかないけれども、出来れば長く見ていたい。

 いくつもいくつもこの手が壊してきた幸せを、今度は守りたかった。それは贖罪などではない。

 ただ、純粋に、こいつがこの世の中に居て欲しいと願う、それだけの気持ち。

「お前はさ、生きてるだけで良いんだよ。誰かの役に立つとか、生きてる価値が無いとか、そんなのどうでも良い。ただ生きてるだけで、お前を想う人達の為になるんだ。いい加減、それを解れよ」

 解るまで死なせないと決めた。

 まだ、こいつは何も分かっちゃいない。

 だから、このまま死なせる訳にはいかない。

――もう一度。

 諦めれば楽になれると思っていた。こうなってしまった以上、どこかで見切りを付けて、心の準備をしておこうと。

 でも、まだ諦めてはいけない。

 まだ生きている。龍晶は、まだ、必死に。

 朔夜は龍晶の手を取った。

 ひんやりとした。少しずつ、生きている事を止めようとしているような温度。

 両手で包み込み、額に押し当てて。

 生きろ、と。

 ただ、それだけを念じた。

 どのくらいそうしていただろう。

 西の空の山の端に昇った月が、窓を通して二人の許に光を届けた。

 手の中に、光が宿る。

 手から、体中へ、そして二人で一つの光のかたまりとなって。

 外で息を飲む鋭い音がした。

 朔夜の集中が切れて、光も消えた。

 音のした方へ目を向ければ、窓の外に祥朗の驚く顔があった。丁度佐亥と医者を連れて来たのだろう。後ろに二つの人影がある。

「裏に回れ。入口がある」

 教えると、戸惑いながらも走りだした。

 龍晶の様子を窺う。

 浅く、早かった呼吸が、深くなっている。苦しさに歪んでいた表情も、安らかそうに見えた。

「…戻ってきたんだな、龍晶」

 一人呟く。口元が綻んだ。

 足音に振り向くと、祥朗が土間に立ってこちらを見ていた。

 近寄っても良いものか、少なからずそこには警戒心が見て取れた。

 人間では有り得ない先程の光景が、彼を恐れさせているのだろう。

 口に出来ないだけで、心の内にどんな言葉が渦巻いているのか――朔夜には想像出来たから、緊張した面持ちで黙って待った。

 張り詰めた対峙は一瞬だった。

 佐亥と医者もその後から入ってきて、緊張は崩れた。

「朔夜殿、ご無事でしたか」

 その口ぶりから、大人二人はあの光景を目にしなかったのだろうと朔夜は思った。

 見ていたら、大人ならば尚更、普通に話し掛ける事は出来ない。

「俺は大丈夫です。龍晶を診てやってください」

 応えて、朔夜は龍晶の枕元を空けた。

 立ち上がりながら、後ろを窺い見る。

 まだ祥朗は土間で足を止め、朔夜の一挙一動を凝視していた。

 朔夜はふっと微笑みかける。

「お前の兄貴も大丈夫だよ。ほら、近くに行ってやれ」

 間髪入れず、大人達が驚きの声を上げた。

「熱が下がっている…!」

 土間の祥朗の目が、龍晶へと向いた。

 それでもまだ動き兼ねているので、朔夜は種明かしした。

「言っただろう?悪魔は人の命を奪う事だけが能じゃないって。お前はそれを見たんだよ」

 大きな瞳でまた朔夜を見て。

 おずおずと、頭を下げた。

 そしてぱっと、草履を脱ぐ間ももどかしそうに兄へと駆け寄る。

 祥朗の顔に安堵の笑みと、緊張の解けた涙が流れるのを見て、朔夜は座を外した。

 闇に呑まれた土間に行灯を付け、竈の火を起こす。

 昨日から何も腹に入れていない。腹を減らす暇も気力も無かった。

 龍晶が持ち直し、家族らの喜ぶ顔を見たら、こちらも安心して腹が減ってきた。

 作業をしていると、医者先生が後ろに立った。

「あなたは本当に何も症状が出ないので?」

「気疲れくらいのものだよ。先生の仕事を取って悪いけどさ」

 手を止めず朔夜は答えた。

 医者は声を潜めてまた尋ねた。

「あなたには病を治す力があるのか」

「怪我は治せるけど。病は…今回たまたま。だから当てにはしないでくれよ」

 本当は祥朗に偉そうに言えた立場ではないのだ。

 何も当ては無かった。出来るとも思って無かった。

 奇跡と呼ぶと大袈裟だが、これは本当にその類いのものだ。

「街の方はどうなった?」

 今度は朔夜から尋ねた。可能ならば自分が彼らも治せば良いのだろうが、もう一度同じ事が出来る自信は無い。

「流行は収束しつつあります。良い言い方をすれば、ですが」

 つまり、流行るだけ流行って、もう新たに病にかかる者も居なくなったのだろう。

「街の半分以上が亡くなりました…」

 沈痛な沈黙が訪れる。竈の火だけが爆ぜて音を発てる。

 目を覚ましたら、龍晶にどう伝えようか――朔夜はそれを想った。

 非情だが、逝った者の心配は出来ない。それよりも、龍晶が気落ちしてまた寝付かないかが心配だ。

「しかし、この病…どうも腑に落ちない事があるのです」

 医者の言葉に朔夜は即座に反応した。

「感染方法?」

 医者は頷き、更に声を落として言った。

「私はこの病…毒が撒かれたのだと考えます」

「え…!?」

 それは流石に考えなかった。

「殿下には空気感染と言って申し訳ない事をしたが…しかしあの時はそうとしか考えられない流行りようで。ですが冷静に考えれば、近くに居るだけで伝染るのなら、真っ先に私がやられている筈です」

 確かに、あの院内の状況では、医者が無事で居られる方が不思議だ。

「更に、病が流行り出し深刻化してから街に帰ってきた者達が居りましたが、彼らには伝染らなかった」

「だけど…龍晶は…!?」

「元より別の病だったと、治った今は考える事も出来ますが…」

「こんな事言いたくないけど、俺の力が無ければ今頃息は無かったと思う。今日に入ってだいぶ厳しかったから」

「ええ、ええ…すみません。医者坊としてはやはり自然に抗う現象は認め難いのですよ」

「それが真っ当だよ」

 皮肉ではない。本心からそう思う。

 自分のような者は、本当は居てはいけない。

「…或いはこうも考えたのです。これは殿下を狙った謀ではないかと…」

 朔夜は目を剥いて医者を見上げた。

「まさか」

「そのまさかが有りうる国です、ここは」

 確かに城の中で起こる様々な事が常軌を逸していた。

 燕雷も言っていた。「戔は嫌な国だ」と。

「我々の街も…殿下の存在も、城の中のある人達には目障りなものですからね…。この際、纏めて消そうとした…私にはそう思えます」

 街の中に何らかの方法で毒を撒き、流行り病と見せ掛けて。

 街を訪れた龍晶を、感染防止の為と言って拘束し。

 同じ毒で、病による死として、亡き者にする。

「そんな恐ろしい事…」

 この病は、人の手で作られたという事だ。

「病が街の外へ出なかった理由も、そう考えれば合点がいきます」

 言われて、朔夜は思い出した。

 龍晶が病に倒れた時の、藩庸の不気味で不可解な笑み。

 己の狙い通りに事が運んだという笑み。

「…あの野郎…」

 間違いない。

「犯人は藩庸だ。先生、毒が何か判れば証拠になるんじゃないか?」

「毒物を突き止める必要はあります。が、犯人を突き止める要はありません」

「は!?どうして!」

 思わず声を荒げる。座敷の祥朗と佐亥の目がこちらに向いた。

 医者は落ち着き払って答えた。

「犯人を突き止めた所で訴えられる場所も人も、我々にはありません。それどころか、また新たな災厄の種となり兼ねない」

 これは、この国の頂上に居る者の意思なのだ。

 訴え出た所で自分達の所業を認める筈は無く、また更なる迫害となって返ってくる。

 犯人を突き止める事自体、危険だ。

「…そんな…」

 理不尽過ぎる。これだけの事をしておきながら、首謀者達は、己の権力の元のうのうと生きていられる。

「ですから、この事はあくまでここだけの話として下さい。くれぐれも口外される事の無いよう」

 悔しいが、従うしかない。話せばこの先生にも街の人々にも累が及ぶ。

「龍晶には話しても?」

 当人に黙っておくのも辛い。

「さて…。冷静に受け止めて頂ければ良いのですが」

 朔夜は水に浸していた米の入っている笊を上げた。

 米と言っても正確には、粟や稗などの混じった雑穀である。

「冷静に…って方が無理だろう。こんな酷い話」

 釜に笊の中身を移そうとして。

 医者がその腕を掴んだ。

「…何?」

 思いがけぬ行動に目を白黒させて問う。

「お待ち下され」

 医者は笊を朔夜の手から取ると、行灯の許へ持って行き、中を検分し始めた。

「それが怪しいのか?」

「きちんと調べてみない事には何とも…。これは何処から?」

「そこの納屋に用意されてあった」

 医者は立ち上がり、納屋の中を覗く。

「ここの食糧は口にせぬ方が良いでしょう」

「…そうか…ここに毒を仕込めば…」

 だが、それならば朔夜もとっくに毒に当たっている筈だ。

 それを問うと、医者はしげしげと朔夜を見返した。

「私もそれが不思議です。しかしあなたはそういう不思議を起こす方ではありませんか」

 確かにそうだ。傷が自然に消えるように、毒もまたこの身が消したのかも知れない。

「…ここの食糧を一通り調べてみましょう」

 医者は納屋を見回して言った。

「私は原因を突き止めます。その間、どうか短気を起こさぬよう…殿下を頼みます」

 龍晶の母と同じ言葉に、朔夜も頷かざるを得なかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ