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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第七話 陰謀
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3

挿絵(By みてみん)


 うっすらと眠っていた。自分が寝ている事に気付いて、危機感で目を覚ます。

 夜が明けようとしている。炉の火は消えて白い煙が細く上がっていた。

 龍晶は眠っている。額に汗が浮かび、苦しげに喘いでいる。悪寒が収まり、いよいよ高熱と変わったのだろう。

 朔夜は布団の上に掛けた毛布を剥ぎ取り、布切れで顔の汗を脱ぐってやった。

 触れる肌が、熱い。

 立ち上がって土間に降り、井戸の水を汲む。

 盥に水を取って枕元へ戻り、布切れを浸して額に置く。

 こんな事しか出来ない。これで治ろう筈も無いのに。

 祥朗にはあんな事を言ったが。

 きっと次会う時には嘘つきだと罵られるだろう。出ない声で、刺さるような目で、お前は生かして帰すと言ったのに、と。

 それとも、嘘だと解って聞いていただろうか。

 いずれにせよ、悪戯に希望を持たせた罪は重い。

 自分とて――希望くらい持ちたいのだ。嘘を嘘だと思って言い切った訳ではないのだ。

 頭を抱える。どうしたら良い?

 どうしたら助けられる?

「…おい」

 微かな声を聞いて顔を上げた。

 虚ろな目が、こちらに向けられている。

「目が覚めたか」

 龍晶は、水、とだけ言った。

 朔夜は立ち上がって再び井戸の水を椀に取る。

 戻って、起き上がろうとする背中を支えた。

 一口、水を飲んで、龍晶の目は窓に留まる。

 紫色の朝焼け。

「凄いな」

 朔夜が言いたいであろう事を代弁すると、龍晶は頷いた。

 その目にこの空はどう映っているのだろうか。

 この世で見る、最後の朝とでも考えているのか。

「…ちょっと疲れが出たんだよ」

 反射的に朔夜は言っていた。

「ほら、お前みたいな王子様がさ、こんな山奥で暮らそうなんて…慣れない環境にも程があるって。おまけにやった事も無い竈の火を焚いたりとか、知恵熱でも出たんだろ」

 煩いとばかりに視線をくれる。それでも朔夜は言ってやった。

「竈の代わりに自分の熱上げてりゃ世話は無いな。それで湯でも沸かせられれば良いけど」

「…言ってろよ」

 再び寝転んで、荒い息の中で龍晶は言った。

「これがあの病なら、三日三晩高熱が出た果てに死ぬ。そう聞いた」

「もうすぐ下がるよ」

「気休めは良い」

 朔夜は口を閉ざす。

 お前だけの気休めじゃないと言ってやりたい。

 その点、こいつは最後まで分からないままなのか――そう思ってすぐ打ち消した。

 分からせるまで、死なさない。

「…死んだらまず藩庸の馬鹿に取り憑いて後悔させてやる…」

「そうか。お前はこの国を脅かす大怨霊になるんだな」

 ふっ、と笑って。

「そのくらいしか出来まいよ…もう」

 顔を横に背けて、ふうと長く息をついた。

 額にかけていた塗れ布巾が、横を向いた事で目元へ落ちる。

 朔夜はそれを直してやる気にもならなかった。

「生きる気が無いなら、祥朗に詫びて死ね」

 捨て鉢に言ってやった。

 返答は無かった。

 朔夜もそれを期待した訳ではない。

 投げ槍な気分で明けてゆく空を睨んでいた。

 ただただ無性に腹立だしく、情けなかった。

「なんでお前が泣くんだよ…」

 泣いていたつもりは無い。

 涙が止まらないだけ。

「高熱だと目が乾いて涙も出ないみたいだ…。お前、贅沢だよ」

「知らねぇよ、そんなの」

 人の気も知らないで。

「…俺には何も出来ない…。お前が、羨ましい」

 悪魔が羨ましいと言うのか。

 本当に、人の気を何も分かっていない。

「お前の言う通りだよ。俺は何も出来ない馬鹿な王子様。何も出来ない癖にぎゃあぎゃあ騒いで周りに疎ましがられて。せめて…俺に兄のような権力があれば、もう少し何かの役には立てたのかな…」

 朔夜は龍晶の目元を隠していた布を引ったくると、水に潜らせて絞りもせずに額に押し付けた。

「お前は阿呆だ!」

 意味も分からず泣きじゃくりながら。

「何も分かってない癖に、そんな事偉そうに言うんじゃねぇよ!お前はまだ、多くの人の為に生きなきゃならないんだ!今頃になって権力が欲しいなんて言うな!生きてるうちにやれよそんな事は!まだ、お前には…!」

 知らず知らず掴んでいた両肩の上に、涙が一粒、落ちた。

 自分だって泣いているのに、朔夜はそれに驚いた。こいつが泣く事も有るのか、と。

 濡れた目で見つめる先にあの小箱があった。

 代わりに手を伸ばして取ってやると、その蓋を開いて朔夜に見せた。

 母親からの、最後の手紙。

『――これを見つけた人へ、

 どうか私の宝珠にお伝えください。

 母の事は忘れ、貴方は生き延びなさい。

 くれぐれも、短気を起こしてはなりません、と――』

「…親しい皆が俺に生きろと言う」

 感情の抜け切った声で龍晶は呟く。

「ずっと分からなかった…。俺は、皆を…母上を、犠牲にしてまで、生きる価値のある人間か?死を願う連中があんなに居て…現にこうして殺されようとしているのに…」

 あまりに、身に覚えのある問いかけに、驚きで息が詰まりそうになりながら、朔夜はそっと龍晶を寝かせた。

 同じ想いを、同じ自問を、同じ年月で、問いかけ続けてきた人が居る。

 俺は生きていて良いのか。皆を犠牲にしてまで。

 多くの人に死を願われてでも、生きていく意味は。

 朔夜に、咄嗟に答えなど出せよう筈が無かった。

 嘘でもお前は生きなきゃならないと、答えを言うべきなのは分かっている。でも、何を言おうと、自分自身にその言葉が重くのし掛かる。

 直接の答えを出す事を、朔夜は諦めた。

「…逆なら良かったな、俺達…」

 死を選ぶべきなのは、自分の方だ。

 そして、この男は生きてゆくべきなのだ。理屈ではなく、そう確信している。

「そうかな…?俺にお前の世話は出来ないぞ」

 龍晶は薄く笑って言った。

「分かってるよ、そんな事。お前は飯も炊けないし」

 言い返して、軽く笑って。

 熱くなった布をまた水に晒し、額に戻して。

 否、と弱気を消すべく言った。

「何の病かは分からないんだ。大丈夫…治るよ」

 龍晶が眠ってしまうと、風の音だけ。

 祈る神はとうに無くした。だから風に祈るしか無かった。

 どうか、こいつを生かしてください、と。



 夜。

 そう深い時間でも無いだろう。だが朔夜には直ぐに今が何刻頃かも分からなかった。

 夕暮れ、疲れてうとうととしているうちに、すっかり寝入っていた。

 こつり、と音がする。それで目が覚めた。

 また、こつり。

 重たい瞼を開けると、龍晶の眠る顔がある。苦しげな息はまだ続いており、額からは汗が流れ落ちている。

 一先ず起き上がって、すっかり乾いた額の布を濡らした。音の正体は後で確かめれば良い。

 こつり。

 何かが戸口に当たる軽い音だ。獣でも居るのだろうかと朔夜は窓に目を向けた。

 そこに人の顔があったから、驚いて大声をあげた。

 窓の顔はしぃっと人指し指を立てる。何の事は無い、その顔は佐亥だ。

 朔夜は驚きながらも窓に駆け寄る。

 こつりの正体は、壁に小石を投げていた祥朗だった。何とか龍晶を起こさず朔夜だけに気付かせたかったらしい。

「こんな夜に…危ないですよ!」

 小声ながらも精一杯叫んで、朔夜は二人を咎めた。

「この時間しか無いのです。連中に見咎められずに、ここまで来るには」

「でも…」

「我々は龍晶様より後に生き残ろうとは考えておりません。このくらい、何でも無い」

 言う佐亥の隣で、祥朗が力強く頷く。

 朔夜は情けなく顔を歪めた。

「それを…あいつに聞かせてやりたい」

 それを知れば少なくとも、もう少し生きようとする気にはなるだろう。

「容態は?」

 訊かれて、朔夜はますます肩を落とした。

「高熱が出たまま、下がりません。昨日からだから、かれこれ丸一日以上…」

「これを」

 格子戸の穴から、小さな包みが押し込まれる。

「熱冷ましの薬です。少しは楽になるやも知れません」

「試してみます。でも…二人とも早く去った方が良い。ここで伝染したら、龍晶はもっと投げ槍になってしまう。俺もきっと感染してるし」

「あなたは症状は無いのですか?」

「まあ…幸いにして、まだ」

 言いながら、おかしいなとは思う。

 あの時、感染者に近付いたのは朔夜の方だ。それ以前に龍晶がより接触していたかも知れないが、しかし朔夜にも何らかの変化があっても良い筈だ。

「祥朗も病の出始めにあの街へ行っていました…が、感染はしていないようです」

 佐亥の言葉に更に首を傾げる。

「ただの幸運か…症状の出る者と出ない者が居るのか…」

「空気で感染する訳ではないのかも」

 医者の言葉を思い出しながら、朔夜は佐亥の言葉を接いだ。

「だって…空気ならもう都中に病人が溢れてますよ。感染する方法は別にある…」

 それが判れば、感染者の増加も、もしかしたら治療法も、解明するかも知れない。

 祥朗が、行灯の火を頼りに腰に提げた雑記帳へ何やら書き付けだした。

 それを破り、格子戸へ押し込む。

『あした、先生をつれてここに来ます』

「先生?」

「貧民街の医者の事です。我々は先生と呼びます」

 佐亥の説明に頷き、しかし顔を顰めた。

「本当に空気感染じゃないなら良いけど…あの街に入るのは危険過ぎる」

 祥朗は首をぶんぶんと横に振って反論する。それでも行く、と。

「でも、祥朗…お前の兄貴はそれを望みはしないぞ」

 言っても、首を振る。横から佐亥が口を挟んだ。

「龍晶様をお助けする為なら、この祥朗も危険など省みません。殿下のお怒りは甘んじて受けます。しかし今我々が動かねば、お怒りを受ける事すら出来なくなりましょう」

「…そんなに、命と引き換えにする程、大事なのか」

「ええ、無論です」

 朔夜は後ろを振り返り、眠る龍晶を見る。

「幸せだな、お前は」

 呟いて、二人に向き直った。

「分かった。くれぐれも気を付けて。入口は俺が何とかするから」

「ありがとうございます。では明日、この時間に」

 二人を見送って、見れる限りに空を見た。

 月明かりは無い。厚い雲で覆われている。

「俺が本当に神の子なら、もう少し有能だろうよ…」

 こんな肝心な時に、何も出来ない。

 力など無いと見える人達が、命を(なげう)つ覚悟で動いていると言うのに。

 龍晶の枕元まで戻ると、譫言(うわごと)が耳に入った。

 母親を呼んでいるのか。朔夜はたまらず、その手に金の小箱を握らせて立ち上がった。

 手燭を持って土間に降りる。

 母を呼びたい気持ちは痛いほど分かる。でも、龍晶はまだ呼んではいけない。

 身近に、まだ、その帰りを待つ人が居るのだ。

 忘れなさいと手紙に書いた母親は、きっともうこの世界には居ない。

 彼らを差し置いて、自分だけ母親の許へ行って良い筈は無い。少なくとも朔夜は許さない。

 自分には、行く資格も術も永久的に失われたから、余計に許す気になれないのかも知れない。

 土間から納屋へと入る。

 手燭が無ければ足元も見えないほど暗い。

 丁度ここは屋敷の裏手になる。あの坂道からは見えない場所だ。

 手燭を地面に置き、その僅かな光を頼りに、朔夜はそこにある雑多な物を退かし始めた。

 ここに入口を作るのだ。

 どうせ腰抜けの憲兵どもはもうここに来る事は無いだろうが、それでも万一を考えてすぐには見つからない方が良い。

 狭い空間で様々な物を退かすのは難儀だったが、邪魔な物はあらかた土間へ出し、人一人通れる空間が出来た。あとは壁を壊すだけ。

 薄い木の板が打ち付けてあるだけの壁だが、勿論人の手では壊れないだろう。

 壁に触れる。神経を集中させて。

 問題は、壊す事ではない。

 この力を、暴走させない事。

 月の無い今ならその危険性は少ない。が、保証は無い。

 だが、今は四の五の考えている時ではないのだ。

 助けたい。

 その為に。

 閃光が走り、壁に亀裂が入った。

 朔夜は詰めていた息を吐き出し、触れていた壁から離れる。

 板が割れている。思いきり蹴ると、いとも簡単に人の大きさに穴が開いた。

 外の空気が埃と木の屑を飛ばしてゆく。

「…よし」

 大丈夫だ。正気は保てている。

 座敷に戻ると、龍晶の目が開いていた。

 あれだけ大きな音をさせたのだから当然だ。

 声を出す気力は無いのだろう。目で問われて、朔夜は肩を竦めた。

「ちょっと脱出口を作ってた」

 は?と口の形だけで問い返される。

「裏の壁に穴を開けた。これで行き来は自由だ。いざとなればお前を担いで出せる」

「…意味無いだろ」

「何もしないよりはと思ってね。起こして悪かった」

 祥朗の事はまだ伏せておいた方が良いだろう。そう考えて肝心な事は言わなかった。

 龍晶はすぐに瞼を下ろさず、ぼんやりと闇に包まれた虚空を眺めていた。

 現を見る目ではなかった。

「…死にたくないな…」

 闇に溶けるような呼気の、諦め混じりの本音。

 朔夜は唇を噛んで涙を堪えた。

 堪えた所で揶揄(からか)ってはくれぬし、こうも暗ければ見えもしない、それも分かってはいたが。

 泣いたら負けだと、何故だかそう思った。



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