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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第七話 陰謀
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2

 この屋敷に来て三日目。日ももうすぐ傾こうという頃。

 朔夜は風呂を沸かすべく灰を掻いていた。

 家事一切、誰もやらないから自分でやるしかない。

 龍晶は流石王子様と言うべきか、何もしてくれない…と言うより何も出来ない。

 昨日、好奇心混じりに竈の火を炊いてやると言ってきたからやらせてみたら、待っているうちに日が暮れた。お陰で朔夜は晩飯を食いっぱぐれて押入れの中である。尤も龍晶も生の野菜しか食えなかったようだ。

 今朝は米を研がせてみたが、磨ぎ汁と共に米を大量に流したので即没収した。

 結論、朔夜が一人で一切合切をやった方が早い。

 お陰で幽閉生活にも関わらず、城に居る時より忙しい。

 そもそも、皆が皆悪魔を恐れるあまりこの事態なのだ。龍晶だけなら誰かが世話を焼いていただろう。

 そう思えば多少なりとも仕方ないかと思うが、我関せずとばかりに座敷でゆるりと読書に没頭する様を見ると蹴ってやりたくもなる。

 朔夜は薪を取るべく立ち上がった。

 生活に必要な物は土間から扉続きの納屋に用意してあった。これで屋敷から一歩も出る事無く生活出来る。食糧もひと月分はある。準備の良い事だ。

 暗い納屋から薪を両手一杯に持ち、さて出ようとした時。

 物の積まれた片隅に、きらりと光るものを見つけた。

 気になって近寄る。雑多な家事道具の奥に、隠れるように落ちている。

 手を伸ばせば届くが、生憎今は薪で塞がっている。

 少し考え、横着は止めておく事にした。一旦風呂竈の前まで戻って薪を手放し、また戻ってくる。

 薪を落とす時派手な音をさせたので、龍晶も書物から視線を上げた。

 土間へ降り、朔夜が駆け戻っていった納屋を覗く。

「…何やってる?」

 笊や桶の隙間に這いつくばって手を伸ばしている様は珍妙である。当然の問いだが必死の相手には届かない。

 やっと目当ての物に指先が触れた朔夜は、手前の桶やらをずるずると体で押しながら更に手を伸ばす。その手前の物を少し退ければ良い話なのだが人間の横着心とは変な所で発揮される。

 それを横から来た龍晶にされたのだから、体重をその辺の物に預けていた朔夜はたちまち均衡を崩した。

 埃と土の中に顔面を打ち付けて、しかし片手はしかと伸ばしたまま、目的の物を掴んでいた。

「何やってんだ」

 同じ問いを落とされたが今度は答えられる状況ではない。

 ずるずると上体を足の上へ戻し、顔にまみれる埃と泥を手で脱ぐって、漸く目を開けて執念の結晶を目に入れた。

 片手で収まるくらいの大きさの、金の小箱。

 よく見る前に、上からひったくられた。

「あっ…何するんだよ!?」

 取った龍晶は自分の衣で小箱の埃を拭った。

 その顔色が只ならぬ様子で、思わず朔夜も抗議の言葉を呑んだ。

 埃を拭われ、輝きを幾ばくか取り戻した小箱。

 魅入られたように凝視する龍晶。

 横から朔夜も覗く。

 金地に細かな装飾が施してある。蓋には名も知らぬ花が彫られてあった。花弁は珊瑚が埋め込んであり、赤い。

「…朱の花だ」

「え?」

「母の名だよ。…これは、父が生前、母に贈った物…」

 譫言のように呟きながら、龍晶は箱の側面を向けた。

 蓋の花を囲むように、龍の彫刻。手には真珠の珠。

「蓋が母上なら、この彫刻はお前か?」

 龍晶は頷いて、明るい場所で見る為に納屋から出た。

 幾年かぶりに日の光を浴び、輝く金細工。

「どうしてこんな所に…」

 朔夜の問いなど耳に入らず、小箱から視線を上げ、何かを探すかのように、屋敷の中を見回す。

 聞こえぬ声を、どうにか捉えようと。

「…母はここに居た」

 朔夜を振り返り、告げた。

 言うべき相手は誰でも良かった。ただ言葉にして確かな物にしたかった。

「ここは矢張り母の為に…いや、母を監禁する為に建てられた場所だ。だからこれが…」

 少し考え、また早口に推理を言葉にする。

「母はここに居た事を誰かに伝える為にわざとここに置いて行ったんだ…。もしかしたら俺もいつかここに閉じ込められると予測したのかも知れない。これは俺に伝える為に…」

 また、じっと小箱に目を落とす。

 そして、そっと、まるで時を戻す魔法でもかけるかのような心持ちで、小さな蓋を開けた。

 中には、一片の紙。

「…手紙?」

 朔夜の問いに、はっと視線をくれ、隠すように蓋を閉めた。

「風呂、焚いてろよ」

 言い置いて、さっさと座敷に戻ってゆく。

 朔夜は追えずに立ち尽くして、仕事に戻った。

 早くせねば日が暮れてしまうのもあるが、龍晶を一人にしてやりたかった。

 何年も、何年も探し求めていた声を、思わぬ形で聴いてしまったのだ。

 座敷の奥で膝を抱えて突っ伏している。そこには何の肩書きも無い、一人の少年が居る。

 朔夜には紙に何が書かれていたのか、龍晶がどんな声を聴いたのか、想像する術も無い。

 それでも、薪を焚べ火を起こしながら、心臓を掴まれるような、たまらない気持ちだった。


 四日目。

 昨日あれから会話らしい会話はしなかった。

 この日も朝から同じ調子で、朔夜が作った朝食を龍晶が黙って食べた、それだけだった。

 家事に動き回りながら、時々窺い見ると、心ここにあらずな風体で考えに耽っているのか、窓から空を眺めているか。

 手元には書物があるが、開きさえしない。その傍らに、あの小箱が置かれている。

 声を掛けようかとは思ったが、何を言うか思い付かないし、忙しさにかまけて放っておいた。

 そのうちに憲兵達が見張りに来、それに前後して祥朗が顔を出す。

 差し入れの野菜や着替えを憲兵越しに受け取っている間、祥朗は窓を覗いて龍晶に手を振った。

 窓から離れた座敷で相変わらずぼんやりとしていた龍晶は、弟の訪問すら気付いていない。

「龍晶!祥朗が来てるぞ」

 憲兵の対応を終え、朔夜が大声で呼び掛けて初めて、視線を定めた。

「今日は一人か?」

 朔夜が祥朗に問う。

 祥朗は頷いて、自らの乗ってきた馬を指差し、毛繕いの手真似をした。佐亥は本業で忙しいという事だろう。

 龍晶がなかなか来ないので後ろに目をやると、壁に手をついて目元を押さえている。

「どうした?」

 軽く問うと、手を離してこちらに歩き出しながら答えた。

「ちょっと立ち眩みがして。別に、大事無い」

「ふうん」

 朔夜はそれだけで済ませたが、流石に祥朗は心配そうに見ている。

 それに気付いて龍晶は笑って見せた。

「こいつの作る飯が不味くてさ、あんまり食が進まないせいだ。そのうち慣れるかもだけど」

「はぁ!?」

「悔しかったらお前も祥朗並の飯を作れよ。な?祥朗、お前の作る飯が一番旨いよな?」

「いやいや何もしないお前が言うなって話だろ!」

 祥朗が笑う。

 龍晶もいくらか安堵した表情を混じらせた。

 昨日の一件から塞いでいた気分が、少し和らいだのだろう。

 朔夜もまた元通り軽口を叩く龍晶の姿に安心したのは確かだった。

 あの手紙に何が書かれていたのか知らないが、小箱を見つけて龍晶の目に晒した事に、多少の後悔を感じていた。

 弟の前では動揺を隠そうとしているだけだろう。それでも良いと朔夜は思う。

 嘘でも笑えるなら、それで。

 一頻り笑って、祥朗が格子戸に丸めた紙を入れた。

 それを受け取りながら、龍晶は問う。

「佐亥からか?」

 頷くが早いか、紙を開いた。

 『例の街に行く者有り。大臣の手下の者三人。一刻程で帰る』

 書かれた文字を横目に見て、朔夜は龍晶の横顔を窺い見る。

 己の望んだ事の筈だ。だが、表情は険しい。

 朔夜とてその三人が治療の為に街に赴いたとは考えられない。一刻で済むような事態ではないのだ。ただ様子見に行ったか、龍晶の言い付けをこれで守ったと言い張るか。

「…分かった。佐亥に礼を言っておいてくれ」

 祥朗にはそう言って、朔夜の方を向き小声で告げた。

「あとは藩庸に直接訊くしかない」

 朔夜は頷く。藩庸は何かしら答えるだろう。嘘か真かはともかく。

 その真偽は、ここを出た時、己の目で見て確かめるより無いのだ。

 祥朗がはっと来た道の方向へ目を向けた。

 二人も目をやる。人影がいくつか近付いてくる。

「…噂をすれば、か」

 人影の中心は藩庸だ。

 祥朗が身を竦める。先日の怖い記憶のせいだろうか。二人ともそう思ったが、違った。

「言い付けを守らん悪餓鬼め、ここで捕まえてやる」

 藩庸が祥朗に向けて怒鳴る。やっと二人は祥朗の道中に何があったのかを察した。

 ここに来る事を藩庸に止められながら、それでも来たのだ。佐亥が動きの目立たぬ祥朗に伝言を託し、一人で来たのだろう。

 たちまち祥朗は取り囲まれ、身動き出来なくなった。

「待て藩庸!この子はすぐに帰らせる!手荒な真似はするな!」

 龍晶が格子戸にしがみついて叫ぶ。

 藩庸は嫌な薄ら笑いを見せた。

「ではその口で、二度とここへ来ぬよう言い聞かせて頂けますか?」

 祥朗が哀願するように龍晶に視線を送る。

 兄はその意味を誰よりも解っている。願う所は同じだ。互いが心配で仕方がない。

 それでも、それ故に、龍晶は応えた。

「…祥朗、もう来なくても良い。城で帰りを待っていてくれるか?」

 朔夜には、祥朗の小さな体が、また一回り小さくなったように見えた。

 言う側にも言われる側にも酷な言い付けだった。城に帰れる保証など何一つ無い、つまり再会すら出来なくなるかも知れない。これまで苦難を手を取り合って乗り越えて来た二人に、それは耐え難いだろう。

 だが藩庸に目を付けられた以上、どんな仕打ちが祥朗を待っているか分からない。自分のせいで祥朗を危険に晒す事は、龍晶には耐えられなかった。

「済まない」

 悲しげに見上げる目に、龍晶は囁くように謝った。

 そして、きっと視線を上げて藩庸を見据える。

「こっちは大人しく閉じこもってやってるんだ。そっちはやる事はやったのか?報告くらいして貰おうか」

「ああ…そうですね。今日は本来それを申し上げに来たのです」

 白々しい態度に朔夜の方が舌打ちしてしまう。

 龍晶は藩庸をきつく見据えたまま、顔一つ動かさない。

「先日、私の部下の者が調査に赴きまして。結果はご安心ください、病はあの一区画のみに収まっております」

「何を言っている…!?」

「ですから、都に病が流行る事は無いと申し上げております。これは何よりではございませんか」

(とぼ)けるな!俺は病の治療法を探す事と、病人への手当てを条件とした!都へ流行するか否かなどどうでも良いわ!」

「これは心外ですな。殿下ともあろうお方が、都の、ひいては国の無事はどうでも良いと?」

「貴様…!」

 龍晶の握る格子がぎしりと音を発てる。

 このままでは貧民街の人々は都全体の犠牲にされ、そしてそれを省みる人すら居ないのだ。

 そして、龍晶自身は。

「この発言は只事ではありませんな、陛下にご報告致しましょう。龍晶殿下に、逆心有り、と」

 藩庸の薄ら笑いに向けて、龍晶は格子戸を叩いて叫んだ。

「馬鹿を言うな!貴様らの怠慢の付けを俺に押し付ける気か!?俺はあの街の人々を救ってくれと言っただけだ!逆心など話が違う!」

「兄上への告げ口がお嫌なら、どうぞ大人しくなさってくださいませ」

「藩庸…許さぬ…!」

 すっ、と。

 格子戸を握る手がずり落ちた。

 崩れ落ちる体を、咄嗟に朔夜が支える。

「龍晶!」

 抱える手に伝わる温度が、気味の悪いほど冷たい。

 それに気付いて、朔夜も己の血の気が引いた。これはまずい、と。

 嘘だ、と叫ぶ。声になっていたのか、心の内だけだったのか分からない。

 ただ手元で歯の根が合わぬ程震える音だけが耳についた。

「これは…どの道陛下にご報告せねば」

 弾かれたように頭を上げる。

 窓の外にあったのは、藩庸の変わらぬ薄ら笑い。

 何故、何故笑っているのか。その笑みの恐ろしさに声が詰まる。

 本気でこいつを殺す気なのか。

「さぁ、皆、感染する前に引き上げましょうぞ」

 窓の下で言葉にならぬ、絞ったような叫び声が上がった。

 憲兵に無理矢理その場を引き剥がされる祥朗の、必死の叫びだ。

 その声に反応して、龍晶の瞼が薄く開く。

 口許で大切な弟の名を呼んだ。

 朔夜は咄嗟に窓の外へ叫んだ。

「祥朗!お前の兄貴は大丈夫だ!必ず生きて戻してやるから、兄貴の言う通りお前は城で待て!」

 金切り声のような叫びが止まる。

 朔夜は尚も叫んだ。

「こいつの世話は俺に任せろ!悪魔は人を殺す事だけが能じゃないからな、必ず生かしてお前の許に戻すから…!」

 逃げるように帰って行く藩庸と憲兵達、そして憲兵に抱えられた祥朗が見えなくなって、やっと朔夜は口を閉じた。

 祥朗にだけは、病を伝染したくなかった。それは龍晶の願う所だろう。

 騒乱が去って、改めて情況を見て。

 愕然とする。

「…嘘だ」

 己へ向けて呟いて、しかしそこには顔色を失って震え続けている龍晶が居る。

 とにかく布団の中へ引きずるように運んで、それでも震えは収まらず、佐亥が先日寝藁と共に持って来てくれた己の毛布を掛けた。

「…まだ寒いか?」

 問うと、微かに頷く。

 炉に火を入れて、屋敷全体を暖める事にして。

 寒いという時季ではない。朔夜の額には汗が浮かんだ。それでも龍晶の震えは止まらない。

 どれほど時が発ったか、日の暮れようとする頃には気を失うように眠りについていた。

 蒼白い顔から、炉で燻る火に視線を移して見つめながら、朔夜も気が遠くなる思いだった。

 これが本当に、あの病が感染したのなら。

 あの街で多くの感染者を見てきた。そして屍を焼く、あの煙、臭い。

「嘘だ…こんなの…」

 何度呟いても、現実は変わらない。

 その日は朔夜も炉端で夜を迎えた。苛酷な現実を怨みながら。


挿絵(By みてみん)


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