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月の蘇る-2-  作者: 蜻蛉
第六話 取引
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「っあー!ひっさびさに普通の空気吸った気がする!」

 大袈裟に深呼吸をして朔夜は言った。

 後宮を突っ切って、裏門を出た所だ。

 抹香なのか化粧品なのか、とにかく甘い匂いの充満した未知の空間は、市井のただの空気をかくも美味い物にするらしい。

 今は王城の裏手の壕に沿って進んでいる。

 後宮から使いを出して貰い、城の北西の角で馬を牽いた祥朗と落ち合う事になっている。

 また城の中に戻って追いかけっこをしたい気分ではない。

「なんか分かったぞ龍晶。後宮って女官の溜まり場なんだな」

「…まぁ、そうだ」

 見ただけではそういう表現になってしまうのか…あながち間違いでもないし訂正も面倒なので放っておいた。

「それにしてもあの皇太后って人、腹は立つけどおっかないな。お前なんか恨みでも買ってるのか?」

「…ほんっと何も分かってないな…」

 呆れつつも説明してやる。

「あの人は兄の母上だよ。要するに俺達母子に権力を奪われかけた張本人だ。今の俺への陰湿ないじめの黒幕はあの人って訳」

「ああ!そういう事か!」

 溜飲が下がったとばかりに手を打つが、そう嬉々として言える話ではない。

「あの人をどうにかすれば良いんだろ?」

「どうにかって何だよ。どうにもならないからこんな事になってるんだ」

「でもおばば様はお前の味方なんだろ?何か手を打ってくれたら…」

「おばば様が居るからこの程度で済んでるんだ。その押さえが無くなったら…」

 思わず本気で考えてしまう。

 近い将来、必ず訪れる話なのだ。

「無くなったら?」

 遠く、二頭の馬を連れた祥朗が見えた。

「…どうなるか、分からない」

 その時には、兄弟二人で生きてゆく方法を探さねばならないだろう。

 城に居られるとは思えない。今もかなり微妙だが。

 祥朗がこちらに気付き、手を振る。

 手を振り返して、龍晶は呟いた。

「俺だけの話で済むなら、別に良いんだけどな」

 祥朗に余計な苦労をさせたくない、そういう意味で朔夜は聞いた。

「ありがとな、祥朗」

 弟と合流して龍晶は、自分の愛馬が元気に歩いている姿に目を細めた。

 朔夜にはもう一頭の鹿毛の馬に乗るよう促し、自身も愛馬の足を気にしながら騎乗する。

 問題は無さそうだ。祥朗も大丈夫と言いたげに頷いた。

「これからどこへ行くんだ?」

 例の木箱を祥朗が鞍に括り付けるのを待ちながら、朔夜は訊いた。

「都の外れで悪い病が流行っている。それを治す為のこれとお前だよ」

 龍晶が取り付け終わった木箱を指して答えた。

「病…」

 病は治せない。否、治せるかどうか分からない。

 少なくとも華耶の母親からはそうやって逃げた。

「祥朗、夕方には間に合わないかも知れないが、夜には戻る。佐亥(サイ)にもそう伝えてくれ」

 弟が頷くのを見て、龍晶は馬を駆けさせた。

「どうしてお前が医者の真似事しなきゃならないんだ?流行り病なら城の中でもっとちゃんとした対策が取られるだろ」

 馬を並走させながら、朔夜は至極尤もな事を訊いた。

「それが無いから俺なんかが走り回ってんだよ。城の中で病の事を知る奴は少ない。知っても見て見ぬ振りだ」

「どうして?都で流行り病なんて死活問題だろ?」

「今のところ流行ってるのが貧民街だけだからだ。あの街の事になると、誰もが目を閉ざす。人の出入りも無いから病が外に出る事も無い。だけどその中で人が大勢死んでるんだ…今も」

「お前しか居ないのか…そこに向き合えるのは」

「そういう事だ。何の力にもなれないけど、何もしないよりマシだろ」

「うん…俺もそう思う」

 龍晶は人通りの無い道を選んでいるのだろう。都にも関わらず馬を飛ばせる道が続く。

「治って早々に酷使しちまうな…お前には悪いとは思うが…」

 馬の首筋を撫でながら龍晶は愛馬に詫びた。

「さっき佐亥さんに聞いた。その馬が産まれた時、お前が取り上げたんだってな」

 佐亥とは兄弟が世話になっている厩番の名だ。

 先刻、祥朗と共に馬の世話をしていたところ、挨拶にやって来たので朔夜もその事情を知った。

 兄弟にとっては親代わりのような人物だ。

「ああ。初めて馬の産まれる所を見たからな。俺の馬にする約束で手伝った」

「だから玄龍なんて仰々しい名前なのか」

「良いだろ別に。俺の大事な字を分けたんだから」

「まぁ…それだけ思い入れがあるのも分かるけど」

 龍――皇帝を意味する文字。

「やっぱり…王様になりたい?」

 訊くと、心外とばかりの顔をされた。

「そういう意味で言ったんじゃない。ただ、父が次男の俺にこういう名を付けてくれた事は誇りに思う、そんな意味で」

「うん。それは分かるけど、それはそれで王様になりたいかって訊いてる」

 龍晶は顔を顰めて答えた。

「なりたいなんて言ったら最後、命は無い。なりたくもないけど」

「なんだ」

「他人事だと気楽だよな。こっちは命懸けなのに」

 恨みがましく言って、少し考え、ふと本音を漏らした。

「ただ、こうして人を助けられるだけの力は欲しい」

 朔夜は顔にこそ出さなかったが、内心で驚いていた。

 どうしてそんな事を言えるのだろう。自分はそこまで考えた事があるだろうか。

 皓照が彼を推す意味がやっと分かった。

「やっぱり…お前、王様向いてると思う」

「王様は適性でなれるものじゃない。資格が無いんだよ」

「そうかな?俺はなれると思う。お前は味方も多いしな」

「そうかぁ?敵だらけだぞ」

「だって、ほら、おばば様や佐亥さんや…祥朗も、今から助ける街の人達も」

「その何倍も敵の方が多いけどな」

 そうじゃないと言いたかったが、朔夜にはそれ以上反論できる材料も無かった。

 ただ、彼を王に望む人は必ず居ると思う。きっと今から増えてゆく。

 龍晶は善い人間だと、朔夜は素直にそう感じる。

 だから、今の状況をじれったく思う皓照の気も理解出来る。

「俺はお前に王様になって欲しいな」

 ぽんと投げた朔夜の本音を、龍晶は無言で持て余した。

 そんな期待は、苦しいだけだ。

 風の中に異臭が混じる。

 それが遺体を焼く匂いだと、朔夜はすぐに気付いた。

 梁巴で戦中、嫌と言うほど嗅いだ。記憶が渦を巻き、表情が強張る。

 前方にもうもうと上がる煙が見える。

「気分悪いなら帰るか?」

 怒ったように龍晶が言った。

 このくらいの事で音を上げるのか、と。それではこの街を見捨てる城の連中と変わらない。

 朔夜は首を横に振った。

「そんなんじゃない。ちょっと昔の事思い出して。…大丈夫、俺は行く」

 疑わしげな視線を送るが、龍晶は深く追及しなかった。

 街に入ってゆく。

 人は居る。が、生きている気配は無い。

 野晒しの家とも言えない家で、ぐったりと横たわっている者、力無く座り込んでいる者、赤子さえ泣く力も無い。

 皆、絶望に目を曇らせて。

 朔夜は初めて見る光景に愕然としていた。龍晶もまた、驚きを隠せないようだった。

 先日訪れた時は、ここまで酷くは無かった。

 数日の間に、病は街の人々をほぼ蝕んでいる。

「龍晶…これは俺達がどうこう出来る問題じゃないだろ…」

 思わず朔夜は前を行く背中に向けて口を滑らせた。

 振り向いた顔を見て、あっ、と小さく声を上げる。

 言ってはならなかった。そのくらい彼も頭では分かっている。でも、どうしようも出来ないのだ。

「逃げたいなら逃げちまえ。邪魔だ」

 ただ、朔夜もそう言われると黙ってはおれない。

「お前だけで何が出来るって言うんだよ!?俺はもっと然るべき人達に対処して貰えるよう動いた方が良いと言っている!」

「そんな事…!」

 一度、叫びを途切らせて。

 悔しげに、唇を噛んだ。

 分かっているのだ。そのくらいの事は。

 なのに、肝心な人々に、この叫びが届かない。

「そんな事、無駄だ…」

 やってみたのかと責めたかったが、その哀しい眼が朔夜を押し留めた。

 責めるべきは彼ではないだろう。

「…城に帰ったら考えよ?誰かに頼めないか。俺も協力するからさ」

 龍晶は微かに頷いた。

 医院の前で馬を降りる。

 薬草が入った木箱を片手に龍晶が扉を開けた。

 薄暗く狭い空間に、人が隙間無く寝かせられている。澱んだ空気に思わず噎せた。

「殿下!」

 怒号に近い呼び声は例の医師から。

 今までにそんな声を出された事が無い。驚いて声も出ずにいると、立ち塞がるように目前に立たれた。

「なりませぬ!今ここはあなたの立ち入って良い場所ではない!」

 言葉の無い龍晶に変わって、後ろからおずおずと朔夜は言った。

「薬草、届けに来たんだ。あと、俺に病が治せないかと思って…」

 龍晶が木箱を差し出す。

 溜め息を吐き出しながら医師はそれを受け取った。

「殿下…ご厚意は有難く思います。しかし…もう、これきりになさいませ」

「…迷惑か?」

 やっと、一言、訊いた。

 医師は首を振って机に木箱を置きに行き、代わりに白巾を持って戻ってきた。

「この病は空気を吸えば感染します。これで口を覆ってください」

 二人は渡された布を医師と同じように口鼻の上から覆った。

「そのままお帰りなさい。悪い事は言いません。もうこの街にはいらっしゃらぬよう」

「だが…このままでは…」

「なりませぬ!」

 言い募ろうとした龍晶の両肩を掴んで、医師はそのまま外へ二人を押し出した。

「…お許しください」

「待て…!」

 扉は閉められ、龍晶が扉を叩く音だけが虚しく響く。

「止めろ!病人が居るんだぞ」

 朔夜が止めると、手は止めたが代わりに殴られた。

「貴様は皆を見殺しにするのか!」

 がらんどうの街に、怒鳴り声が谺する。

 朔夜は殴られた頬を押さえて、相手を睨んだ。

「…考えて叫べよ。まだ死にたくない人が大勢居るだろ」

 雷に打たれたように体を震わせて、龍晶は周囲を見回した。

 建物の影、壊れた塀の間から、もの言わぬ白い眼が向けられている。

「この街でお前に出来る事なんて無いんだよ」

 留めのような朔夜の言葉にも言い返せず、龍晶は愕然として街の中に視線を漂わせていた。

 そんな龍晶をひとまず放っておいて、朔夜は目についた病人の元へ近寄る。見える限りでも沢山居るので一人の子供を選んだ。

 龍晶も後に続こうとしたが、朔夜は釘を刺した。

「お前は近寄るな」

 何も考えてはいなかったのだろう。驚いたように足を止め、悄気た顔で朔夜を見ていた。

 朔夜はぐったりと母親に身を持たせ掛ける幼児の傍らに跪く。

 母親は不安そうに視線を投げ掛けたが、何か喋る気力も無いようだった。

「…少し試させてくれ。少なくとも悪くはならないから」

 一応朔夜は言い置いて、子供の手に触れる。

 冷たい。もう汗も出ないのだろう、砂埃にまみれ、ぱさぱさに乾いた掌。

 目を閉じ、念じる。治れ、と。

 怪我ならばすぐ手応えがある。だが、病は何をどうすれば良いのか分からない。

 何も変化が起きないまま、時間だけが過ぎてゆく。否、実際はごく短い時間なのだが、感じ方はとてつもなく長い。

 無理だろうな、と頭の隅で呟いた。

 そう思うと、それ以上は続ける気にならなかった。

「…悪い。邪魔した」

 訝しげに見詰める母親に詫びて、朔夜は龍晶の元に戻る。

 まだ虚ろな目をしていた。

「駄目だった」

 言うだけ言って、さっさと馬に乗る。

 龍晶ものろのろとそれに従った。

 帰り道は静かなもので、朔夜は常に後ろを気にしなければ付いて来ているかどうかも定かではない有様だった。

 龍晶は乗っているだけで手綱を何も操作していない。玄龍が賢いから自ら前に付いて来ているといった具合だ。

「お前、いい加減その面やめろよ」

 朔夜が喧嘩を吹っ掛けんばかりに言い放って、虚ろな眼がやっと動いた。

「お前が死んだような面してどうすんだよ。生きたくとも生きられない人が沢山居るんだろ。そんな人の前でお前がそんな顔してて、許されるか」

 余程医師の対応が堪えたのだろうとは思う。

 よかれと思って続けてきた事が、突然門前払いとなれば、笑ってはいそうですかとは出来ないだろう。

 だが医師の苦しい心情も理解出来る筈だ。

 龍晶は立場はともあれれっきとした王族なのだ。絶対に病を伝染してはならぬと思われるのも当たり前だ。

 それを果たして解っているのか。

 もう二言三言文句を言ってやろうとしたが、前方に不可解なものを見て止めた。

 道幅いっぱいに並ぶ兵。同じ光景を城の中で見たばかりだ。

「…しつこい奴らだな」

 後ろで面倒臭そうな声がした。

 同じ面子なのだろうか。朔夜は目を凝らす。

 確かに同じ面子だ。だが、その中に、大人の腕に掴まれて自由を奪われた祥朗が居る。

 二人の行先を教えるよう脅されたのだろう。

 龍晶もそれに気付いた。悔しそうに舌打ちする。

「落ち着け。俺が話をする」

 今の龍晶に冷静に話せと言う方が無理だろう。そう思って先に朔夜は馬を走らせ近付いた。

「これはどういう事か説明して貰えるか?」

 怯える祥朗の前で、勝ち誇ったようににやにやと笑う藩庸に問いかけた。

「お二方を城に入れる訳にはいきませんのでな。ここで待っておりました」

「…何?」

 龍晶も追い付いて藩庸を睨む。よく手を出さずに我慢しているな、と朔夜は妙に感心をしたが、祥朗を人質に取られているからだろう。腹わたは煮えている筈だ。

「まさか、あの街に入って何事も無くお帰りになれるとはお思いになっておられぬでしょうな?病を城にお持ちになろうなどと」

「何が言いたい!?」

 刀を抜かんばかりの剣幕で龍晶が怒鳴るが、その答えを出したのは朔夜だった。

「流行り病を城に持ち帰る訳にはいかないだろう?俺達が感染してないとは限らないんだ」

 絶句して怒りの視線を向ける龍晶を躱して、朔夜は藩庸に訊いた。

「俺達をどうするつもりだ?」

「屋敷をご用意しております。そこで病の影響が無いと認められるまで御過ごし頂きます。よろしいですか?」

「ふざけるな!藩庸、貴様…!」

「俺はそれで良いよ?鍵付きの部屋さえ有れば」

「お前…裏切るのか!?」

「今は向こうの言い分が正しいだろ。止めなかった俺も悪いけどさ、後先考えず突っ走った結果が…分かるだろ」

 言葉に詰まる龍晶をにやにやと見ながら、藩庸が言った。

「流石、神の子は出来損ないの龍の子より話が解るようですな」

 朔夜はその厭な男を牽制の意で見据えた。

 途端に顔色を青く変える藩庸に、朔夜は言ってやった。

「馬鹿な事言ってないで屋敷とやらに案内しろ」

 龍晶はまだ不満そうではあるが、もう話す言葉も失っているらしく、渋々ついてきた。



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