【九十三点】男、憧憬と会う
何が起きるか、何が訪れるのか。
人は予測を重ねてこれまである程度の予防に成功していた。災害に、犯罪に、病気にと、これまで彼等が防いだ出来事は非常に多い。
一歩間違えれば大きな被害となったであろう出来事も多く、人類の存続とは細い一本の紐を切れないよう守り通すことでもあった。
だが人は怪獣の脅威を受けてしまったのである。人類ではどうしようもない、生物の圧倒的な暴威を直接。
如何に予測に予測を重ねたとて、許容を超える災害の前には無力だ。彼等は大きな津波に飲み込まれ、火山噴火の火砕流に潰され、地割れの中に落ちてしまった。
幾度人が死んだだろう。幾度誰かの大切な人間が死んだことだろう。抗いつつも、人類は彼等に対しては祈ることしか出来なかった。
「――私は、幻覚でも見ているのか」
総隊長は呟く。
感嘆を込めて、畏怖を込めて、目前の光を放ち出した球体を抱えるルリを見ている。
普通の存在ではないのだろうとは推測していた。彼女等が現れてから周囲が騒がしくなり、片付けに奔走する者が非常に増えている。
戦ってばかりの者達の中にもとある家を護衛しろと意味の解らぬ命令が下され、酒の席で訳を聞きたいもんだぜと愚痴を聞かされた。
上層部はある時期から意味不明な命令を下すことが増えている。それが二十年も勤務している総隊長の率直な意見だ。
何かが起きて、何かが始まり、そこに下々の人間が巻き込まれようとしている。
人が暗闇の中で化け物の口の中に向かっていることを解っていないようなものだ。
「総隊長、私にも同じ物が見えます」
「自分もです……」
総隊長の零した言葉を部下が否定した。
明るく照らされた空間はやはり損傷が激しい。道が封鎖されていないことが珍しい程に、あちらこちらに限界を表す罅が走っている。
嘗て蛍光灯があっただろう天井には風化した接続部だけが残され、それとて破片となって床に落ち切ってしまっていた。
通れることが奇跡的だ。ヴァーテックス側は眼差しをルリに向けるが、当の本人はまったく気にすることもなく進まない?と問い掛けた。
「これである程度察しても、君達はまだ信じ切ることは出来ないでしょ? 此処から先に進めば、嫌でも信じることになるよ。 上が知った現実を、僕等が教えた真実を」
「……進もうか」
怜が歩みを進める。弾かれたように総隊長も足早に歩くも、胸を叩く鼓動の速さは中々に収まってくれない。
これが披露によって齎されたものであればどんなに良かっただろうか。脳裏を巡るもしもを何度も否定するも、やはり先程の光景がもしかしてを予測させられる。
彼等であればそれが出来るかもしれないと考える。今でも再現出来ない技術達の情報が、万が一の幻想を見せるのだ。
彼等が死んだと報道された時、その姿を捉えた映像は極僅かだった。死人が最後に残す遺言が収められた映像は、超能力者を信仰する者にとって最も崇拝すべき代物だ。
勿論、政治的にもこの映像は重要な意味を持つ。彼等の発言の一つ一つが世論を容易に傾けさせることが出来る以上、平和を維持する為には隠すしかない。
総隊長が見ることが出来た映像は、当時最高峰の存在である大英雄の遺言だった。
白髪を短く纏め、頬に一本の大きな傷跡を残した彼は人類の平和だけを願ってそのまま死んでいった。
それが嘘であるとは誰も疑っていない。彼を筆頭に成した実績が、映像を本物であると証明している。
その祈り、熱意――――一人物が抱えるにはあまりにも重いモノを背負って最後まで走り切った男を、総隊長は真に尊敬していた。
次は己がとも思い、けれど現実の前に妥協をせざるを得なくなった。己の無力に何度も唾を吐き、だがそれでもと彼は今も平和の為に働いている。
「この先にあるのは思い出の結晶だ」
廊下を通りつつ、怜は語る。恐ろしい程の冷たさが表に出現し始めていた。
「我々が最も輝いた時代で使われた存在。 あの人が手放しに、子供のように褒め讃えた存在がこの先に在る。 奪われてしまっても仕方ないかと思ってはいたが、存外私の施した妨害は有効だったらしい」
彼女の説明に総隊長を含め、誰も答えない。同じルリは等間隔に光球を投げながら、思い出に浸るように目を閉じていた。
やがて集団は格納庫に到達する。総隊長の胸に付けられた無線機からは決められた時間毎に報告が入り、問題が無いことを知らせていた。
格納庫内も多くの物が回収されたのだろう。残っているのは巨大な空間に、ロボットを修理する目的で組まれた三階建て程のドッグ。
錆びた金属の塊は嘗ては動いていたのだろう。切断された配線の名残のようなものが辺りに散乱し、ドッグの下には輸送用かレールが敷かれている。
目的地はその端。レールのゴールであり、ロボット達を戦地に送り出す出撃用の発射ゲート。
「――見えたな」
「……でかいな」
ゲートのサイズに俊樹は思わずと感想を零した。
ロボットを射出する目的で作られたゲートは正四角形の金属壁に閉ざされ、海水の侵入を防いでいる。勿論開いただけでいきなり海水が流れ込むような構造をしていないだろうが、今の壊れ切った状態でどうなるかは流石に予測出来ない。
誰もが見守る中、ルリが先ず最初に金属扉に触れた。手には赤錆の朽ちた感触しか伝わらず、年月の積み重ねが如何に残酷であるかを証明している。
栄枯必衰。どんな栄光も最後には衰え消える。
彼等の活動の結果は現在も継続されているとはいえ、血筋は確かに腐ってしまっていた。最早超能力者が居た時代の平和は訪れないだろうし、人類の善性の限界など当の昔から解り切っている。
人を信じる。それを発したのが人であれば馬鹿な言葉だと嘲笑される。
超能力者という人外だったからこそ、五百年前の活動は確かな結果になったのだ。故に――この時代もまた劣化への道を辿ることになる。
自浄作用など人は簡単に捨てることが出来るのだ。悪童こそが人の常であり、人外が管理してこそ平和が成り立つ。
だから彼女達は此処に居るのだ。全ては、あの人が求めている平和の維持を目指す為に。
人こそ化け物の権化である。羊ごっこに興じて無害そうな振りをしたところで、牙を剥く時は必ずやってくる。
「損傷率九十八%。 芯にまで錆は到達していないけど、やっぱり一度全部取り替えないと再稼働は無理だね」
「出来るか?」
「出来る。 けど時間は欲しい」
「解った」
ルリの発言はあまりにも無茶な内容だ。
それでも彼女は可能と宣言し、怜もまた信じた。彼女の性能をよく知っているからこそ、怜はルリの発言を肯定するのだ。
それに時間が掛かることも想定済みである。早速彼女が両手を扉に付けて作業を始め、怜が代わりに現状の説明を行う役になる。
「よし、これよりルリが現状回復の作業を始める。 我々は彼女が稼働に耐え得る最低限まで、此処への侵入を絶対に阻止しなければならない」
「……やはり彼女は、超能力者なのか」
「そうだ、そして私もまた――嘗ては女帝などと呼ばれていた」
真なる人外。怜の足元から広がる氷が、彼女が過去の英雄であることを証明する。
動揺が走った。隊の目が見開かれ、総隊長も胸に抱えたマシンガンを地面に落とす。
硬質な物が激突する音が周囲に広がり、張本人は膝を付いた。
そのまま始めたのは、日本人としては最大級の謝罪である土下座だ。頭を何度も何度も打ち付け、総隊長は眦から涙を零す。
「――おお、まさかこうして相見えることになるとは。 これまでの数々の無礼を、どうかお許しください」
「構わん。 どだい、貴様程度の妨害に私が屈すると思うか?」
「いえ、いえいえいえ。 そんなことは断じて有り得ませぬ」
総隊長は巨漢だった。
大の男が喜びを露に、それこそ踊り出しそうな雰囲気すら辺りに垂れ流しにしている。
その姿は子供のようで、彼にとっては夢を見ている気分なのだろう。
だが今は仕事中だ。公私の分別は付けるべしであり、そもそも何時敵が現れるかも定かではない。
怜が高らかに手を叩く。何処か緩み出した雰囲気を締め、氷の女帝としての威厳を纏って彼女は命令する。
「各人、この場を中心に第二の防御陣地を構築する。 敵が現れずとも警戒を緩めるな」




