【八十二点】燃え尽きてなるものか
炎の檻の中で二人は拳と刃を交えた。
俊樹は距離を取るつもりがない。男は距離を取ることが出来ない。
各々の理由で距離が制限された環境内で小刀と右腕は正面から激突。刃は直撃を避けるかの如く腕を側面へと逸らし、通り過ぎ様に身体を跳ねさせ足で俊樹の右腕を掴む。
驚異の身体操作。軟体動物を彷彿とさせる動作で身体を逸らし、その場で俊樹の身体を回す。
百八十度の回転で俊樹を地面に叩き付け、肺から全ての酸素を吐き出す彼を見ながら全力で腹へと刃を突き立てようとする。
だがそれは、僅か数ミリの段階で刃を掴まれることで阻止された。血筋を出しながら左腕で掴み、馬鹿みたいな力で強引で刃を握り潰す。
炎による熱もあっただろうが、刀身は驚く程簡単に拉げてしまった。更に悪いことに、俊樹は刀身を九十度に圧し折る。
「こなくそォ!」
折れた刀身は炎の壁へと飛んで行った。直ぐに莫大な熱の中で柔らかくなってしまっているだろう。
折った彼は頭を一気に持ち上げる。目前の男は急速に迫る顔に頭突きを予期し、腕を離して僅かな距離を作った。
刀身を見れば半ばまでが無くなっている。切っ先の無いナイフのような有様ではもう刺突は出来ない。同時に斬撃でも彼を仕留められないのも解っていた。
であればと男は刃を捨てる。今も遠くで銃の引き金を押す音が耳に届いているが、僅かも炎の檻を突破した様子は無い。
汗が流れる。全力で身体を動かした所為で痛みが増して脳に電気が爆ぜる。
『はぁ……』
身体から急速に力が抜けていく感覚を抱く。
最初に怪我をした段階であればまだ治療を受けて生きていられたのだろうが、もう手遅れに近い惨状となっているだろう。
生き残ることは不可能だ。本家が隠している極秘の薬があれば死にかけでも再起可能ではあるも、才の無い彼に本家が薬を与えてくれる筈もない。
この勝負、勝とうが負けようが男は死ぬ。死にたくないと思っても、それでも人である以上は限りがある。
自分は誰かに足跡を残せなかった。その事実に未練はあるが、だからこそこの結果を最良のものとしたい。
走る。今出せる全霊で身体を左右に動かしながら進み、眼球の揺れを観察しながら――これまでと異なり正面から拳を振るう。
相手は死角を取ると思ったのか、動作が一瞬硬直する。技巧者にとってその一瞬は確かな隙で、頬に一撃が突き刺さる。
刀では皮膚を裂けなかった。つまり外側は既存の武器が通らぬ程に堅牢だ。
ならば衝撃による内部攻撃はどうか。殴られた俊樹は一歩下がりながらも同様に殴ろうとして、途中でそれを止めてしまう。
「……っち」
『振動は効くか。 弱点見たりだな』
殴られた事実は大したことではなかった。
重要なのは男が脳震盪を引き起こし易い殴り方をしたことだ。外側を破壊するのではなく、内側に全ての衝撃を流し込むやり方で相手の平衡感覚を喪失させた。
ぐらつく視界は真っ直ぐと立つことを許さない。瞳は上下左右にブレ、意志力だけでは元に戻ることはなかった。
崩れた身体は大きな隙だ。男は瞬時に懐に潜り込み、腹に二発を叩き込む。
瞬間、俊樹は口から血を吐き出す。激痛が全身を巡り、尋常ではないダメージを受けたことを脳味噌が訴える。
危険、危険、即座に殲滅せよ。間に合わない場合――――■■■■。
「――解ってる」
殴られた身体は満足にバランスを保つことも出来ずに倒れた。
本能が伝える。このまま負けるだけであれば、今度は此方がお前を動かすと。
理性によって枷が嵌められた本能が翼を広げようと力を込める。火の鳥は俊樹の全てを呑み込まんと虎視眈々と睨みを効かせ、そうなってなるものかと無理を選ぶ。
頑張れ、負けるな、俺はまだやれる。
子供のような自己応援。進化などある筈もなく、ただ鼓舞するだけで現実が変わることなど有りはしない。
それでも良いんだ。だってそれが――今を生きる己の最大限なのだから。
神経に熱いものが流れる。痛みに悲鳴を上げる身体を駆動させ、欠けたパーツのまま火花を散らすロボットのように立つ。
男はマスクの内側で息を呑む。内臓を破壊されても立つ人間は四家にも居るが、だからといって平気な筈がない。
破壊した箇所は胃と右肺。呼吸をするのも難しい身体を立て直すには、須らく狂気的な精神力が求められる。
彼にはそれがあるのだと、遅れてやってきた戦慄と共に確信させられた。
諦観に最も似合わぬ姿を見よ。彼は今この瞬間も、自分が死ぬことを考えてなどいない。
自然、男の身に熱が流れ込んだ。
炎による物理的な熱ではない。枯れ切った心の泉より湧き出たのは、馬鹿馬鹿しいまでに愚かな生への渇望。
誰かに明日を託すのではない。己の力で明日も生きる。
燃やせ、燃やせ、何処までも。目前に立つ誇るべき男と同じく、自身を更なる高みへと昇華せよ。
隠された瞳が光る。その色は、深い海を思わせるディープブルーだ。
沈み切った場所にも人は居る。絶望の底で火を灯せる人間こそ、真っ直ぐに生きれる人間だ。
「ぐ、ぅ……は、は、は、は」
『ごほッ、ごほッ!』
言語など無かった。
向かい合った二人の目に悪意などもうない。互いにまともな会話らしい会話をしていないし、相手の考えなどまったくと解っていないままだ。
ただ相手を倒す。それだけを胸に、二人は最初と変わらぬ速度で矛を交える。
二本の腕が交差した。互いの拳は顔面に直撃し、揃って身体を仰け反らせる。
崩れる身体に無理を強き、頭突きの勢いで身体を戻す。相手も同様の真似をしていて、直ぐに俊樹は蹴りを放つ。
怪我をした右脇とは逆の脇に蹴りは直撃し、やはり装甲を壊しながら骨を折る。
両方の脇から甚大な被害を男は受けて、口から血が流れ出た。マスクと顔の隙間から滝の如く血は地面に落ち、その様子を見ることもなく男は致命傷を与えていることも考えずに心臓を殴り付けた。
衝撃と共に心臓が停止する。
呼吸すら止められ、知ったことかと俊樹も胸を殴った。技術の欠片も無い純粋な暴力で男の皮膚は裂け、血で服を濡らしながら胸骨を砕く。
殴った、蹴った。俊樹は次第に腕や足に炎を纏わせ、男は死の間際で技術の精度を極限まで高め、二人だけの世界で数少ない命を擦り減らす。
待っているのは破滅だ。男は死に、俊樹も死ぬ。違いが出るとすれば、どちらが先に旅立つのか。
意識は相手を倒すことだけに集中していた。生と死の境に身を置くことで俊樹自身の精神力も強固になっていき、理性の枷も増えていく。
火の鳥は翼を広げることはない。
ただただ削り合う両者を見て、不意に足下に誰かが居ることに気付いた。
『よう。 暇しているみたいだな』
赤いパーカーを纏う男。
マスクを付けたままの大英雄は、無言を貫く鳥に独り言を呟く。
『綺麗なもんだ。 互いに譲れぬものを賭け、生きてやると奮起している。 星の炎を使って、無意識にも俺みたいな戦い方を選び始めた。 ――あいつが後継者って呼ぶのも納得だな』
大英雄は苦笑する。
歴史の本に載るような人生になるとは思っていた。あれだけ人類を前に向かせるようにしたのだから、それなりに大きな存在として残ると大英雄は解っていた。
それでも、まさかここまで大きな存在になるとも思っていなかったのである。何百年も前の人間を今も神聖視するなど当時はまともに想定していなかった。
人の記憶は何れ無くなる。記録として残されはしても、大英雄の存在など一種の創作に使われる定番キャラくらいにしかならない。
そうならなかったのは、やはり怜の尽力があったからだ。彼女が今でも彼を大事にしていたから、こうして残った。
そして、次代の者が生まれた。
俊樹の炎が更に噴き出る。炎の壁は密度を増し、パーカーを形成する炎も余剰分がバーナーのように出ては止まる様子が無い。
その内の一部。俊樹も男も認識していない中に、確かに青いものが含まれていた。




