【八十一点】自己愛は否定されるべきなのか?
滑る。走る。死角を取る。
男の移動方法は不明であれど、超常的な力を男は持っていない。刀身は現実的な限界値まで鋭さを持ってはいるが、それでも俊樹の肌一枚も切り裂けなかった。
何たる耐久性。無数の斬撃を放つも、彼はその攻撃を防ぐだけ防いでは男の下へと駆ける。
途中で援護によって足を止められなければ何れ追い付かれていたかもしれない。
男は感情を露にしないが、内側は戦々恐々としていた。
炎が荒ぶる。近くに居るだけでも肌が赤熱していく温度は、直接触れては火傷程度では済まされない。
正しく全てを灰燼に帰す原初の炎。嘗ての大英雄を彷彿とさせる力は、正に過去の偉人に認められているが故に使うことが許されているのだろう。
『……厄介な』
男の技術は正しく神懸かり的だった。
己の持ちうる才を正しく認識し、使える手札を最大限に活用している。通常時の移動は態とゆっくりと動き、一瞬の移動に全霊を傾けた。
的確に相手の意識の隙間を抜け、俊樹の急所を敢えて狙う。回避されても傷を付けることを目的としているが、俊樹の身体と激突すると金属に刃を立てたような衝撃が襲い掛かった。
他の創炎使用者の中にも硬い人物は居たものの、これはその比ではない。最大最高の硬度を持った巨大な鉱物を真っ二つに切るには、どうしたって人類技術では不可能なのだ。
それに、と男はマスクの内側で目を細める。
「……ッ、そこと、此処!」
援護の銃弾は既に回避され始めていた。
場所を変え、タイミングを変え、けれど俊樹はそれら全てを危な気な状態で避け切る。バランスが僅かに崩れた瞬間に男は勝負に挑むも、間近に迫った瞬間に初めて俊樹と目が合う。
男の動きに遂に目が慣れたのか、それとも偶然目が合ったのか。
マスク越しではあるが、目が合ったと同時に俊樹はパーカーを一部解除して炎を放射。
咄嗟に回避するも、予定調和ではない行動では一瞬の遅れが生じる。
その瞬間に弾丸が飛ぶも、高出力の炎の壁を展開して強制的に弾を融解。来ると解るタイミングは不明であれど、来る前と来た後の違いを瞬時に比較して対処したのだ。
経験値が薄い筈の青年にそんな芸当は出来ない。
確かに彼は当主と激突して生き残ったが、男はそれを過去の偉人が倒したと思っていた。それは実際に正しいものの、彼が少なくないダメージを与えていたのも事実だ。
急速的な進化。崩壊一歩手前の身体が強くなることを望み、その通りに彼の肉体は強くなった。
驚異的な反射神経は舐められるものではない。何十年と研鑽を重ねた努力を踏み躙り、俊樹は勝利へと確実に駒を進められるのだ。
進化した肉体はこれまでも恐ろしい結果を見せた。勝てないと誰しもが思えるような状況で、諦めないという心だけで覆してみせたのだ。
「――ラァ!!」
『っぐ、!?』
弾丸を飛び跳ねて回避し、そのまま脇腹へと蹴りを叩き込む。
胸に装着した金属ベストがある程度の衝撃を防いだが、金属部を強引に割り砕いて骨を折る勢いで吹き飛ばす。
屋上で転がる男を視界に収め、援護として周辺に散らばっている者達を牽制する目的で男と俊樹の周りを囲う形で炎を展開する。
頭上も含めて炎で囲っているので、逃げるには炎の壁を突破するしかない。脇腹に甚大な負傷を抱えた男は、呻き声を発しながら弱弱しく起き上がる。
服の所為で具体的な怪我は見えないが、彼の肌は青白く染め上がって止まらない。内出血も放置出来ない範囲にまで広がっている。どう見たとしても急いで病院に運ばねばならない状態だった。
『……み、ごと。 僅かな時間で慣れるとは』
「――――こっちも長くは居たくないんだよ」
フードに隠れた俊樹の目から激しい燐光が流れ出る。
赤い目は異常な程に爛々と輝き、危険な雰囲気を男に容赦無く感じさせた。あれはもう、同じ創炎の範囲にはいないと。
一転して有利となった俊樹は一歩を進み、次の瞬間に身体をふらつかせる。倒れる程ではないものの、左手で彼は顔半分を覆っていた。
炎の勢いが増す。壁は厚く、出力はより高く。一人を殺すには過剰とも言える量は、しかし制御出来ているとは言い難い。
炎の操作に迷いは無かった。男は実際、彼の目に慈悲の欠片を見受けられなかったことを覚えている。
恐らくは炎自体が危険なのだろう。
ある一定のラインを超えた時、まともな制御が難しくなる。ああして何とか抑え込んでいるのは俊樹の精神力が成せる技だ。
強靭な精神が何とか暴走を抑え込んでいる。されど、このまま進めば抑えきれずに炎は男を含めた多くの存在に禍を与えるだろう。
『……』
「ッ、ッ畜生。 やっぱ加減が難しいな」
悪態を吐く。
覆っていた左手を外して、爛々と光る目が嚇怒と憎悪に染まっている。
彼がそういった眼差しを向けることを男は否定しない。元が無関係だったからこそ、突然放り込まれた理不尽に怒りを抱くのは当然だ。
出来れば普通に生きたかった。有り触れた社会の中で、四家と何の関係も無しに暮らしていきたい。
感情の源泉はそこだ。そこから湧き出るものが、与えられた熱こそが彼の真骨頂。
操作しようとするのは本来間違っている。自壊しかねない程の嚇怒を抱き、壊れながらも進むのが本当の彼なのだろう。
小刀を握る。激痛の所為で握力は弱くなり、それでも意志力だけで握り締める。
追い詰められた時、最後に立ち上がる起爆剤は感情だ。この戦いで勝利を収め、自分の地位を高めてみせると男は胸の炎を燃え上がらせる。
この戦いは本来予定されていたものではなかったが、同時に機会でもあった。
男の立場は創炎を使える者達の中で決して優遇される位置には無い。最底辺の如き扱いを受ける程ではなかったが、突出したものの無い並として扱われていた。
中途半端な強さは地獄だ。下手に実力を有しているから上が見えて、彼等との間に横たわる実力差に絶望してしまう。
そして同時に、上位の者達の下位の者達に対する扱いに憤りも覚えた。
下位は地獄を見る。玩具が如く弄ばれ、最後には壊す。壊れた者はもう二度と元には戻らず、男も含めた中間層の者達が処理をするのだ。
彼等の苦しみを見た。彼等の嘆きを知った。弱いことは罪であり、強くないことはいっそ愚かとまでされる世界を体験した。
良識など男にはない。殺した相手の事を一々気にするような殊勝な性格を男は持っていない。
その上で――理不尽に死んでいく者達の姿と自分が重なった。
中間層は創炎を使える中で、最も戦場を経験しやすい。下層の者達を率いる立場として戦場に出向き、そして危険な中を戦い抜くのだ。
己が死ねばこうなるのか。
そうなった時、本能が恐怖を覚えた。このまま現在の地位に居るべきではないと危機感が最大級の警鐘を鳴らした。
強くならねば。負けないようにならなければ。そして、自分と重なる死体を男はこれ以上見たくなかった。
自己愛だ。これはただの自己中心的な考えであり、胸の内に沈めて彼は下層の人間と交友を重ねながら上を目指した。
自分が権力を持てば彼等が死ぬ危険性は減る。大きな権威は政府すらも尻込みさせ、彼等の生活を豊かなものにしてくれるだろう。
『随分と余裕が無いようだなッ。 ……悪いが、お前はこのまま連れて行く』
「ざっけんな……。 お前に負けてたまるかよ」
両者共に決して平気な状態ではない。だが、彼等は一切引くつもりはなかった。
燃え盛る炎の中で二人は身構える。俊樹は腕を、男は小刀を突き出し、肉体的にも精神的にも襲い掛かる痛みを無視して飛び出した。




