【八十点】奮戦猛火
空は夜になろうとしていた。
帰国した直後から電車を交えたとはいえ、夕方から歩いていた所為で周囲の視界確保は難しくなっている。人の目では俊樹の炎は鮮烈に映り、熱波に炙られた者は総じて身を揺らがさない。
銃弾は間近の炎に触れたことで全て融解した。溶けた金属でも触れれば火傷は必至であるが、彼には微塵もダメージを与えられない。
創炎使用者特有の強靭な肉体、加えて熱に対する異常な耐久性。
人という基準を逸脱した者だからこそ、既存の兵器を子供の玩具に格下げする。これを見れば、人類の英知の結晶が如何に下らないかが解るだろう。
それでも、創炎を使えない者には頼れる相方だ。人は銃で死ぬからこそ、死を体現する者の力に縋る。
「……出てきたな」
夜になりかけた世界で、身体の各所を黒の金属で覆った黒の集団の一人が手を挙げる。
人の目では見えない合図は、しかし事前に配られていた暗視装置で見えた。その人物の指示に皆が従い、武器を構えながら前に出る人物に意識を向ける。
件の人物の顔は解らない。灰色の能面に隠された顔からは声が漏れたことはなく、全てを手や端末のメールで指示されていた。
怪しい人物なのは間違いない。それでも四家が用意した味方であるのは確かで、当主からの命令を部下でしかない者達はただただ聞くしかなかった。
『――若いな』
古の忍者衣装と言うべきか。
俊樹の目前に現れた人物は、昔ながらの和の服に黒の装甲を身に付けている。速度を重視して足甲と手甲、恐らく服の内側にも装甲を身に纏っていた。
相手は俊樹を若いと言ったが、声の持ち主に年齢を重ねた者の重みを感じない。かといって子供のような声の高さも無く、青年を過ぎたばかりのような声は俊樹とそう離れていない年齢を感じさせた。
片手には鍔の無い小刀が一本。桐の柄に鋼色の刀身が炎の明りを反射し、油断無く水平に構えている。
「あんたもそう歳が離れているようには感じられないが。 ……で、何の用だ」
『解っていることだろう。 ――お前を連れて来いとの命だ』
ああ、と俊樹は嫌な顔を浮かべて返す。
予想通り、当然の帰結。あるいは自明の理。相手の仕出かす事など、予想するには簡単に過ぎた。
「ここら辺に潜伏していたのは当てずっぽうって訳じゃないんだろ。 もう大方、家の位置は把握している」
『是と言わせてもらおう。 そもそもそちらは隠す素振りも見せなかった。 何時でも仕掛けて来いとばかりに自然体だったぞ』
「実際、此方はそのつもりだったよ。 ――俺も含め、この時代の誰であってもアレに勝てる人間は居ない」
父もルリも何時も通りの生活をしていた。
俊樹達は一度も彼等に連絡をした覚えはないが、それでもあの二人なら雰囲気で危ない気配を察することは出来る筈だ。
実際に父は間に合わなかったとはいえ、準備自体はしていた。武器の類は法律の関係で不可能に近かったものの、隙間があれば何かしら用意はしていただろう。
ルリに至っては嘗ての英雄の仲間だ。空気を読めぬことは有り得ず、全て解っている上で家で何時も通りをしている可能性は高い。いや、これは絶対だと俊樹は思っている。
負けることはない。
それは一種慢心として受け取られるものだ。けれど、ルリにとってこの状況は然程大きな危機になっていない。
やはり怪獣と比較すれば人は脆弱なのだ。底上げをしても、どうしたとて怪獣達には手が届かない。
何時も通りに過ごして、突如襲撃を受けても二人は慌てないのだろう。やっぱりこうなるかと溜息を零し、そのまま襲撃者達を纏めて打倒する。
『舐められているのは解っている。 実際、現状はそちらの勝ちばかりだ。 我々は追い込まれる一方になっている』
「だから此処で引っ繰り返したいと?」
『然り。 お前の存在は世界の勢力図すら書き換える。 既に追い込まれた以上、覆すには世界を獲ることも視野に入れねばなるまい』
「……良いのか、そんなにほいほい情報を口にして」
『構わん――』
言って、黒の男は俊樹の目の前で突如として姿を消した。
黒装束と合わさって忍者が如き忽然とした消失。走る前の準備体勢も無く、俊樹の視界から外れ――不意に刃が空気を切る音を鳴らす。
咄嗟に俊樹は首に腕を当てる。瞬間、服越しに刃と腕は衝突した。
金属音が悲鳴のように周囲に響く。腕ごと首を両断せんとばかりに刃は容赦無く迫り、俊樹はくぐもった声を漏らしつつ力任せに防いだ右腕で払う。
同時に炎の波も放つが、払った先には男は居ない。一体何処にと目を見張った瞬間、一瞬に混じった殺意に顔を左に向ける。
そこにはもう刃を振るっている男が居て、やはり狙いは彼の首だった。
半ば反射的に左腕で今度は刃を防ぐ。危機察知は全開にまで稼働し、この男に対して油断するなと俊樹に警鐘を鳴らす。
再度払い、その力を利用して男は宙返りをしながら後方に下がる。
小刀を構えた様に油断は無い。能面のマスクによって表情は解らず、今彼がどんな顔をしているのかも俊樹には解らない。
だが、と彼は思考する。確かに相手は怜にとって手を抜ける相手ではあるが、俊樹には手を抜けない相手だ。
さては先程までの露骨な殺気はブラフかと思うも、それは周囲に散らばる他の人間の敵意で否と結論付ける。
この男だけが別格なのだ。創炎状態の俊樹の認識能力を凌駕し、更に力でも負けかねないものを持った目前の男こそが。
これと比べれば周囲の人間なぞ雑兵でしかない。気を引き締めねばならぬと戒めを胸に、彼は炎のパーカーを展開した。
『本気でやるのか。 目立つぞ?』
「そうしたくないが、そうしなきゃならないみたいなんでね。 そっちも目立ちたくないなら家に帰ってくれても構わないが?」
『っはっはっは、意外に豪胆』
姿が消える。
目を凝らしても俊樹の目には相手の移動した瞬間が捉えられない。聴覚が捉えた刃の滑る音で攻撃を防ぐも、今度はパーカーの熱を無視した蹴りが襲い来る。
頭部に飛来する刃を紙一重で躱し、続く空中蹴りを左腕を固めて殴り飛ばす。
互いに一切の手心の無い攻撃に――それでも俊樹は軽さを感じた。これはそう、相手が態と拳を足場に飛んで威力を殺したのだ。
飛んだ男を視界に収め、俊樹も追うかと足に力を込める。
空中移動は羽根か特殊な機械が無ければ出来ない。目前の男にそのような機械も羽根も見受けられず、ならばと跳ねようとした。
刹那、男が手を上げる。次の拍子に激音が鳴り、跳ねようとする足に弾が命中した。
狙撃銃を使ったのか、足に掛かる激痛は先程までの比ではない。
殴られるような衝撃にバランスを崩し、元に戻す一瞬の間に男は地面に着地する。
体勢を整え、俊樹は命中した太腿を見た。一発や二発程度であれば耐え切れる足の傍には十数発の潰れた弾丸が転がっている。
一発で人体を撃ち抜ける威力の武器を十数発も受けたのだ。それでも痣が出来た程度の被害しか出ないは異常極まるも、そもそも痛みを受けた時点で称賛されるべきである。
『意外に使えるだろう? 束ねれば何とでもなるものだ』
「……周りは全員援護か」
『っふ、あまり創炎使用者を出したくないとのことよ。 まったく、迷惑な話だ』
男以外に近接戦を仕掛ける者は居ない。
全員が距離を取り、男の合図以外で攻撃を仕掛けることは無かった。その事実に、俊樹は舌を打つ。
男は奇妙な技を使う。見破るのに苦労するし、その上で妨害も多い。無数の銃器に囲まれた状況では意識も多く他所に割かねばならない。
屋上こそが彼等の勝負場なのだと、その時になって俊樹は気付いた。




