【七十九点】死を招く者達
空港で飛行機に乗り込んだ二人は、そのままハイジャックのような犯罪に会わずに日本へと帰国することが出来た。
荷物の無い状態で手早く空港を抜け、その途中の適当な路地裏で俊樹が炎を生み出してカードを燃やし尽くす。暴力的な熱量で溶けたカードは既に原型を留めず、廃品回収用のボックスに投げ込めば誰も解らないだろう。
空港を抜けて歩いてから、俊樹達は周りに意識を向けていた。碌な会話も挟まず、兎に角二人は家への道をひたすらに進んでいる。
余計な思考を挟みたくない。特に俊樹は、父の無事な顔を見たかった。
人通りは普段と変わらず、平穏無事だ。恐ろしい何かが我が物顔で歩いておらず、表立って誘拐が発生してもいない。
「……妙だね」
「なんか、此処は日本か?」
普通だ。普通であるが、二人は間に流れる空気に違和を覚えた。
日本は言ってしまえば、良い意味でも悪い意味でも平和的だ。なるべく大事になることを望まず、穏便に終わるならそれで良い人間は非常に多い。
そこには時間の喪失を病的に嫌う人間も居て、故に穏便を求めるあまりに逆に大事になることがままある。
何処か和やかな雰囲気があるのが日本人だ。苛烈さのある外国人と比べると、その性質は臆病な羊を連想させる。
されど、今は違う。和やかな雰囲気の中に奇妙な怪しさが紛れ込んでいる。
露骨とまでは言わないまでも、解る人間には解ってしまうだろう。
「行方不明者は増えてる?」
「徐々にな。 最近になってニュースが流れたけど、随分浅い内容だった」
「おかしいね。 一人二人の話じゃないのに」
怪しさの原因として考えられるのは、一種の警戒。
SNSで未だ少ししか話題になっていないとはいえ、飛行機を降りる前に最後に確認した限りでは更に行方不明者が増えていた。
ヴァーテックスが捜索していると報道しているものの、結局テレビや配信では具体的な行方不明者数は判明していない。
絶対にSNSで呼び掛けられている行方不明者よりも数は多い筈だ。それをヴァーテックスが公表すれば、民衆の警戒心はこんなものでは済まされない。
圧力が掛かっている。それもヴァーテックスに影響を及ぼす程に。
家に向かう。歩き、電車に乗り、態と適当な建物に入っては冷やかして抜ける。
東京に近付けば近付く程、和やかな中に紛れる怪しさは増していった。集団で動く人間も目立ち、何処か歩く速度も速い。
一人二人が消えたのであれば、身内だけが気にする。だが無秩序に無数の人間が消えれば、次は自分が狙われるかもしれないと不安になってしまう。
彼等の行動は決して悪いことではない。防犯として考えるのであれば、寧ろ良いと言うべきだ。
その上で一人で行動するような者は、自分は絶対に大丈夫だと慢心しているか共に帰る人間が居ないのだろう。
「――視線」
「一……二、三か?」
「もっと居るよ。 家があるだろう道を監視しているのかな」
そしていよいよ家の近くまで到達した時、彼等に向かって多くの視線が向けられた。
大多数の人間のものではない、姿の見えない何者かの害意の視線が。
敵だ。覚るには易く、隠れるにしては気配が露骨な者達は襲い掛かることはない。ただ俊樹達の家を探すことを目的とするには不自然に過ぎる。
これではまるで案内しろと言っているようなものだ。明らかに過剰な自信を持ったまま、敵は二人を見つめている。
住宅街である所為で人通りは決して多くはない。襲撃を仕掛けるには人の目があるも、一度裏路地に引き込むことが出来れば襲っても気付かれないだろう。
ならばどうするか――――こういった時、怜は非常に簡単な手法を取る。
「こういった敵は然程強くはない。 脅しを仕掛け、自分達が強いと意気揚々に掲げながら兎が逃げるのを待つのさ」
「向こうの被害は結構酷いと思うんだが、それでも弱いと思ってるのか?」
「数っていうのは惑い易い。 圧倒的な物量がある時、奇妙な自信が背中を押してくれるものさ」
「そういうもんか。 で、潰すのか」
「しちゃえるならそうしたいね。 一掃した方が憂いも無くなりそうだし」
相手は確かに俊樹達を警戒しているだろう。
有力者が死に、今の四家と政府のパワーバランスは見事に崩れている。そうなった原因に対して油断などしていないつもりだろうが、無意識では揃った数で押し切れると考えてもいる。
これまでの実績、これまでの努力。積み重ねた事実が彼等の自信となり、負けることはないと根拠の無い確信を抱く。
故に、彼女は馬鹿を一掃することを決めた。放置をしても何をするのか解らないという懸念も実は含まれている。
「殆どの奴は屋上に陣取っているね。 裏路地に潜んでいる数は五人だ」
「じゃあ、俺は屋上の方を潰す。 派手にしても少しは視線を向けられないだろ」
「僕の氷だって決して地味ではないんだけどね?」
現在地が家に近いのは事実だ。
居所を知られるのは二人にとっても良いとは言えない。それに戦力を削れるだけ削っておけば、相手側が取れる策も少なくなる。
二人は揃って家から離れる形で歩みを進めた。早足で、如何にも急いで家に向かっていると言わんばかりに。
監視は追跡を開始する。気配はそのままに、無数の集団が背後で蠢く様は虫の集団を想起させられた。
なるべく人の目が無い場所へ。出来れば死体を早々に回収することが可能な場所が望ましい。
「廃墟を目指そう。 此処から十五分は歩く必要があるけど、今はもう使われていない廃ビルがある」
「解った。 このまま引き剥がさない程度に進むぞ」
東京は魔窟だ。
様々な人が集まり、人生の山や谷が露になる。有力者になった者や、逆に落ちぶれてしまった者。廃墟一つを取っても、そこには寂寥が存在していた。
怜が目指したのはその内の一つ。嘗ては大きな会社だったであろう高層ビルだ。
周辺は錆や雑草が茂り、ガラスも割れて壁は汚れている。無駄な資源となったのは言うまでもなく、今も解体されていないのはこれが過去の遺物だからだ。
東京だけではないものの、世界中に過去の遺物は残されている。嘗ての技術の塊を教える為、敢えてそのままの形としているのだ。
風化しているのは予算的問題ではある。誰も住んでいない建物に維持費など掛けたいものではなく、しかし一度重要文化財として登録されては中々に壊すことは出来ない。
裕福になったとはいえ、それは過去と比較してだ。
どんな社会でも予算を求める声は大きい。その全てに手を差し伸ばすのは難しく、切り捨てねばならぬ部分は切り捨てなければならない。
俊樹と怜は早足を止め、前にあった建物の中に一気に飛び込む。割れたガラスに服を引っ掛けないようにしながら、一時的に全員の目から自身を隠した。
相手は突然の行動に驚いたのか気配を揺らがせる。大慌てで距離を詰め始めた者達に、怜は静かに空気を冷やしていった。
「じゃ、後で」
「うん。 またね」
俊樹達の傍には階段がある。
彼は一人態と音を立てて登り、周囲の人間の意識を引っ張った。建物の屋上に居た人間であれば、俊樹よりも早く屋上に到着しているだろう。
走り、走り、走り。目を赤に変えて息も切らせず、屋上に続く階段に設置された最後の扉を強引に火炎放射で吹き飛ばす。
吹き飛んだ先に飛び出すと、やはり人影らしい人影は見受けられない。
一人も居ないように思える空間の中、彼は全員を釣る為に息を吸う。
「――来いよ無能。 全員位置は解ってんぞ」
あまりにも解り易い挑発。誰も引っ掛からないような短い言葉が、逆に監視している者達の神経を逆撫でする。
俺達を子供と同じと思うか。この餓鬼が。
差し向けられた殺気。憎悪も宿った監視者は、遂に襲撃者として彼に襲い掛かる。
それは銃声だった。全方位を囲う、回避不可能な銃弾の雨が何時の間にか俊樹の周囲に発生して牙を剥く。
当たれば肌を撃ち抜くだろう攻撃。それらを回りながら視認して、俊樹もまた魂から炎を引き摺り出す。
薬のお蔭で痛みは無い。燃える温かみを仄かに感じつつ、炎は熱波となって円形に爆発した。




