【七十七点】全てを終わらせるには
「……毎回起きると知らない場所を見ることになるんだが」
俊樹の意識はやはり突然に覚醒を始めた。
大英雄本人は暫く考え続け、結局俊樹が覚醒するまでは言葉が纏まる様子は無かった。出来れば全てを聞いておきたかったが、目覚めに意識が引っ張られ始めた肉体はそんなことは知らぬとばかりに現実に引き戻す。
彼としても最優先は現実への覚醒だ。思考する大英雄を放置して、彼は微睡みも無しに帰還した。
目が覚めた視界にはまたも知らぬ天井が映る。顔を横に傾ければ、自身がベッドに寝ていることが一目で理解出来た。
どうやらホテルで寝ていたようで、身体を起き上がらせると全身に走る鈍痛に襲われる。眉を顰めてその痛みに耐えていると、扉の開く音がした。
「お、起きたかい? 気分はどうかな」
「取り敢えず全身痛い……」
「はっはっはっは、まぁそうだろうね。 無理矢理彼が君の身体で炎の出力を引き上げたから、全身ガタガタの筈さ。 ほら、これを飲んでおきな」
入って来たのは怜だ。
彼女は内向きの顔で彼に語りかけ、次いでジャケットの内側から試験管を一本取り出して彼に渡す。
コルクで栓をされた試験管にラベルは無い。黄緑の液体は今時珍しくもないが、容器が違うだけで不気味さが漂っている。
コルク栓がされている試験管なんて今時まったく見ない。創作物の中でなら見る機会はあるものの、そういった品は大概厄介な効能を持っていた。
「これ、どんな薬だ……?」
「肉体の損傷を回復する薬だよ。 飲み物の方が浸透が早いし、味も整えやすい。 不味い薬なんて御免でしょ?」
「そりゃそうだが……」
「安心しなって。 こんな見た目だけど、味はオレンジだよ」
受け取って栓を抜いて匂いを嗅いでみると、怜が語るようにオレンジの匂いが鼻孔を通り過ぎた。
決して不快なものではない。人工物特有の安い飲料水の匂いだが、慣れ親しんでいる物の方が俊樹としても飲み易い。
身体は今も悲鳴を発している。走る激痛は一日二日で治る気はせず、致し方無しと意を決して一息で全て飲み込む。
口当たりは見事なまでに普通の飲み物だった。炭酸の無いオレンジはすっきりとした味をしていて――しかし次の瞬間に全身に熱が走る。
熱に対する耐性を有していても感じる熱さは、熱病を患った感覚に非常に近い。燃やされた経験が無ければ決して平静ではいられず、何をしたのかと怜に攻撃を放っていただろう。
「これ熱いのは何か理由があるのか?」
「回復速度を高めている所為だね。 体力の消耗も激しいから、お腹が何時もより空くと思うよ」
「……てことは此処に暫く滞在するのか?」
「僕とオームの判断だとね。 他所から言われたら解らないけど、君が暫く動けないと知れば皆待機になるんじゃないかな」
熱さを気にせずに雑談を交わす。
現状、中国支部から何か頼まれてはいない。日本本部からも通信は来ておらず、俊樹達は完全なフリー状態でホテルに宿泊している。
皆、此度の事件に集中しているのは明らかだ。日本本部は四家の動きに注視し、中国支部は事の収拾を付けようと必死になっている。
双方が落ち着くまでは今暫くの時間が掛かるだろう。全責任を中国政府と早乙女家に押し付け、件の家も牽制しておかねばならない。
その牽制も長くは続かないと怜も俊樹も考えている。咲を切り捨てた連中がこの程度の問題を気にするようには思えない。
同時並行で襲撃の機会を狙っていると考えるべきだ。――今度は容赦をしないと大英雄が語るように。
「君の怪我は一日もあれば完治する。 治ったら、通信でチャン支部長に連絡を入れて日本に戻ろう」
「その意見には賛成だ。 ……内側で大英雄に言われたんだが、今度はもっと容赦の無い戦いになるんじゃないかと推測している」
「僕も同じ結論だ。 君を縛る材料を探して今頃は東奔西走しているんじゃないかな。 ――取り敢えずは、なんとかして君の父親を捕まえようと企てていると僕は考えているよ」
「俺も同じ結論だ。 手っ取り早く言う事を聞かせたいなら、身内の情は有効だからな」
相手が容赦をしないと考えた時、先ず最初にしてくるだろうことは何なのか。
俊樹達が最初に浮かんだのは父親を使った人質作戦だ。俊樹にとって父親とは決して無視出来るものではなく、間違いなく手が緩む。
炎が老若男女問わずに燃やし尽くす性質を有している以上、その炎を封じることが出来るのだ。
彼等からすれば絶対に手放せない札として機能する。故に、父親の所在が判明すれば電光石火で行動に移すのは目に見えていた。
「向こうはヴァーテックスも敵だと思っている筈だ。 可能な限りそちらも削りにいくのは解っている。 これからは謎の行方不明者が続出するだろうね」
「なるだけ反四家の人間を殺して、トップの首を挿げ替えようとするのも考えるべきだな」
「政治家との繋がりを彼等は持っているだろうし、資金面でも少々困難になるかもね」
四家の手は広い。可能な札を全て切って来るのであれば、ヴァーテックスを一時的に機能不全に追い込むことも出来るだろう。
軍の戦力は殆どが常人だ。鍛えたところで四家の人間に勝てる道理は無い。
彼等は所謂上級国民とも太い繋がりを有している。そちらの力も使われた場合、最悪ヴァーテックスが完全に頼れなくなる。
さて、そうなった時。俊樹が頼れるのは怜達五百年前の面子になる。
現在は怜とルリ、加えてオームの三名だ。中に居る大英雄を含めれば四名となるが、彼は俊樹の危機に関してのみ出現する。
父親は戦えるとは言い難い。元はメカニックだったことを鑑みるに、純粋な戦力は父親と大英雄を除いた四名と見るべきだ。
「ヴァーテックスが使えなくなった場合、最大戦力はたったの四人か。 ……人数的不利は覆せないな」
「質なら此方が上だけどね。 ま、でも僕達の問題は解決出来ないものじゃない」
「それはどういう――いや、そもそもオームは何処行った?」
ここまで話をして、漸く俊樹は一人分の気配がこの部屋から感じないのを覚った。
オームの存在感は非常に大きい。ただそこに居るだけでも威圧感を有しているのだから、ちょっとでも活動すれば嫌でも気付く。
なのに、今はそのオームの気配が無い。何処に行ったのかと彼は尋ね、怜は口角を釣り上げてよくぞ聞いたと言わんばかりに笑みを形作る。
「味方は多い方が良い。 質は有利でも、使える手札が多ければ多い程大規模な作戦が行えるってものだろ? だから、彼女には早速仲間を呼んでもらうことにした」
「仲間?」
「そ。 五百年前の仲間達は、皆総じて生産装置内に記憶を留めている。 彼等は既に覚醒し、けれど今の所は動き出す様子が無い。 それは何故か」
生産装置が警告を発した時、システムは駆動を始めた。
裏側に潜ませていた記憶がホログラムに流れ込み、彼等は実体の無い情報体として今現在は過ごしている。
肉体を構築しなかったのは、やはり生産装置内にまで情報が行き渡っていないから。
防犯上の目的で外部と遮断された装置では、どうしたって訪れた人間が齎す情報でしか判断を下すことが出来ない。
だから彼等は停滞した。停滞し、事が起きる時を待っている。彼女ならば絶対に何等かの方法で接触を図ってくるだろうと確信して、今か今かと準備だけをしていた。
そして、ついにトリガーが動き出した。
オームは他の生産装置に接触し、彼等を動き出させて目的を遂行するだろう。
それは多くの地域にまで影響を齎す。あちらこちらで騒ぎが勃発した後、関係者は口を揃えて同じ事を語る。――死人が蘇った、と。
連鎖だ。ウイルスが爆発的に増殖するように、彼等の数も爆発的に増加する。
「昔の仲間が集まるよ。 今度は僕を頂点にした組織になるけど」
「……あまり表で暴れないでくれよな」
「一般人達からはなるべく見られないようにするよ。 やっても都市伝説レベルかな」
「また化石みたいな認識レベル……」




