【六十五点】予定された襲撃者
「……俊樹。 桜・俊樹。 それが俺の名前だ」
名を名乗り、AIはしげしげと彼の全身を見つめる。
上から下まで眺め、その目は真剣そのもの。大枠の内容を知っているとはいえ、目覚めてからの時間は然程長くはない。
感覚がズレることはないが、それでも実際に見なければ怜の語る子孫が納得出来る存在かどうかを判定することは出来なかった。
騎士が如き人物の目に邪な感情は無い。俊樹が見てきた人間達と比べ、彼女の赤い瞳は波の無い湖のように澄んでいる。
彼女は悪人ではない。それは解るが、俊樹としてはやはり偏見のフィルター越しに彼女を見てしまう。
嘗ては怜の仲間だったという人物。彼女達が人類の今を築いた英傑であるのは最早言うまでもないが、俊樹からすれば迷惑な存在だった。
『あまり身体が鍛え上げられていないな。 元は一般人だったのか?』
「ああ。 巻き込まれて、この様だ」
『……流石に説明くらいはするべきだったのではないでしょうか?』
正論といえば正論の言葉だが、怜は首を左右に振る。
彼の出生は少々特殊だ。四家から離れることを選んだ女と、その女の乗るARを整備していた男との間に生まれた男。
当然、肉体を鍛える必要性も創炎を教えることもなかった。彼の母がもっと成長した後に教えていた可能性は否めないが、それを知る術は今は無い。
生産装置に接触する機会すら無かったのだ。目覚める可能性が無い状況で怜が接触することは当時は不可能だった。
唐突になるのは避けられないことだ。怜が言葉短く説明すると、それはそれはとAIは彼に同情した。
『事情は把握した。 その状況であれば肉体的不備は致し方ない。 だが、覚醒はもう果たしたのだろ?』
「覚醒、てのが何なのか解らないぞ。 創炎で炎を生み出すことは出来るけど」
『あの方の炎を使えるのなら十分だ。 出来れば御本人と御話がしたかったが、それがもう叶わぬことであるとは理解している』
覚醒の基準はAIにとっては低い。
大英雄だからこそ出来た炎を他人が使いこなせるとは考えていなかった。故に、求められるのは少しでも彼に近しい性質を有しているかどうか。
炎を使えるのであれば御の字だ。肉体の強化は鍛えていけば自然と上がっていくし、技量に関しては経験値を積めばある程度形にはなる。
戦いをさせるつもりはAIには無かった。それは彼が現状弱いことが原因であるが、同時に優しさでもある。
大英雄が存命であったのならば。こんなことを考える必要は無かった。
不必要に他人を巻き込むことも、ましてや子孫に後を任せようとしなくとも済んだ。
彼が純粋な人間であったからこそ、怜も他のメンバーも生産装置に目を光らせなければならなかったのだ。
それは人類を守る為であるし、同時に彼が良しと定めた人間の未来を悪意で汚したくはなかったから。
星には寿命が設定されている。残り時間は未だ膨大に残り、終わりのその時まで彼女達は人類を守る守護者として頂点に君臨するだろう。
選んだ事に後悔は無い。仰ぎ見るべき主からの最後の命令を無視するつもりも勿論ない。
だけれど、疲れはするのだ。肉体的な疲労は無くとも、精神的な疲労が。
美しき顔が悲しみと疲れに彩られた。小さく息が吐かれ、何処か憂鬱な雰囲気も漂っている。
「あー、その件なんだが……」
だからこそ、ちょっと俊樹は気まずげなものを覚えた。
この中で大英雄が俊樹の内部に居ることを知らないのは件のAIだけだ。彼女だけが悲しみを抱え、他は全員気まずく感じている。
誰かが言わねばならない。故に悲しみに暮れる彼女に対し、俊樹は言葉を喉から無理矢理引き出した。
これで余計な騒ぎになることは確定だが、それでもやらねば事態は安定しない。
幸い、AIは悲しみを抱えながらも平静だった。なんだと尋ね、俊樹は何度か呼吸を繰り返して隠された真実を口にする。
「実は、居るんだよね」
『居る?』
「大英雄。 俺の中に」
端的に、短く。
真実を告げると、AIは暫く瞬きを繰り返してから怜に視線を向ける。
怜はやはり首を縦に振った。言葉よりも動作こそが雄弁に真実を語り、ハジュンもまた真摯な目でAIを見やる。
再度、AIは俊樹を見た。正確に言えば、俊樹の胸を。
ゆっくりと歩を進める。巨大な女性が近付く様はどうしても圧を感じるが、今度は俊樹は退くことをしなかった。
目の前まで近付いた時、AIは両手を伸ばして俊樹の顔を包み込むように触れる。
優しく、優しく、壊れ物を扱うように。慈しみや愛しさすらも織り交ぜて、彼女は俊樹に触れていく。
『事実、なのか?』
「会話はした。 何なら絶賛扱かれ中だ。 内側でだけど」
一瞬、AIが震えた。
会えないと思っていた人物が実は傍に居る。会話は出来ないし、直接顔を見ることは出来ないが、俊樹は彼の存在を肯定した。
初めて顔を合わせた俊樹だけなら信じるには値しなかった。ハジュンが言ったとて強く疑っただろう。怜が居て、肯定して初めてAIの中でそれは真実になった。
おお、そこに居るのか。遥かに偉大な御方よ。
胸で放つ礼賛の言葉。無機物な身体から冷却用の水が瞳から零れ落ちる。出来る限り人らしさを追求したからこそ、感情を表に出すことも出来ていた。
『あの方は、どうだった』
「……会話は普通だったけど、あの炎は凄かった」
『そうか……そうか!』
未だ健在。炎は尽きぬことなく。
それが解った瞬間、目に見えてAIは喜色を露にした。口角を最大限にまで釣り上げ、満面と表現すべき笑みで彼を見下ろす。
元々幼い顔立ちをしていることも合わせ、実年齢よりも一回りも下に見えた。
両手が離れる。自由になった俊樹は、あの笑みの所為かAIを悪人のようにはまったく思えなくなってしまった。
もう会えないと思っていた人物と再会して、ともすれば小躍りでもしそうな程にAI
は喜んでいるのである。
これを見て、果たして悪人と思える人間が居るだろうか。――――答えは否だ。
『出来れば顔を合わせたいところだが、表に出てこないということは何か考えがあってのことなのだな。 では、私はそれに従うとしよう!』
「気を持ち直したのならなにより。 今後は共に行動したいのだが、お前の返答は如何に?」
『勿論、是で御座います! 元よりそのつもりでしたので!!』
急速に柔らかくなる雰囲気。
ハジュンも明るい彼女の様子に安堵の息を零し、俊樹は場違いだと感じつつも緩い顔を見せた。
彼等は五百年前、仲間を家族のように扱っていたとされている。それは後の歴史家による推測の域を出なかったが、今日この日にそれが真実だと証明された。
正しく、あの時代のメンバー全員が家族だったのだろう。そして、家族が大事だからこそ大英雄の想いを必ず繋げることを選んだ。
そう思ってしまうと、俊樹は酷く自分が小さく感じてしまった。
全ての生産装置の権限を手にして、頂点に座す。それは俊樹の求める生活とは限りなく遠いものである。
嫌で嫌で仕方なく、御免被りたいのが本音だ。それは今も薄れてはいないものの、この件で怜を責めるのは器の小ささを実感するだけ。
男であるならばと古臭い文言を気にする質ではない。だがそれでも、怜を責めることだけは止めようと内で決めた。
そうして喜びを露にするAIに近付いて――――彼の耳に痛い程の警報が室内を満たす。
全員がその顔を引き締め、上を見上げた。
『Emergency! 生産装置施設周辺に複数の襲撃者有り! 内数名が既に室内に侵入中! 至急全部隊は内部及び外部の敵を掃討せよ!!』




