【六十一点】上に立つなら狸を見よ
突然の質問、突然の疑問提示。
ハジュンが矛先を向けるのは怜ではなく、その傍で沈黙を貫く俊樹。他が大なり小なり気落ちしている中、唯一そのままでいる彼にハジュンは疑問を覚えた。
現状、この状態で一番焦るべきは彼だ。直接指示を出す立場であると同時に、最も責められ易い立場でもある。
彼が出来なければ他も当然出来ない。怜達が直接人類に手を出す真似は滅多にしないとする以上、どうしたって俊樹に全ての決定権が集まる。
失敗は許されない。すれば、待っているのは過去への逆行だ。再度資源不足が起こり、経済不況からの大規模な騒乱が始まってしまう。
これは大きな話だ。そして、俊樹には本来縁の無かった話である。彼が関わる筈の無かった問題の主役になれば、感情的にならない方がおかしい。
「君は状況を理解している筈だ。 していなければ、嫌だとごねたりして出発が遅れた。 違うかい?」
「……否定は出来ませんね」
そうだ、否定は出来ない。
今とて俊樹は関わり合いになりたくないと思っているし、周囲もそれを知っている。
それでも気落ちしていないのは、内側に居る人間を知っているからだろう。彼が決して非情な人間ではなく、頼めばある程度の願いを叶えてくれるだろうと思っているから慌てていない。
周囲との差異。危機的状況であればある程、それは異常として目に映る。
今の俊樹は異常の塊だ。本人が自覚していないだけで、何処か異質にも見える。
それを見逃すつもりはハジュンには無かった。何か解決手段があるのであれば、藁でも掴む思いで引き出させる。
「君はこの状況を解決出来る手段を知っているね。 それを何故だと聞くのは、君にとって問題となる?」
「問題といえば問題でしょう。 出来れば、何も知らないままでいた方が良いとは思います」
怜というだけで爆弾なのだ。この上大英雄本人も意識だけとはいえ生存していると知れば、更なる爆弾をヴァーテックスは抱えることになる。
出来れば何も聞かず、何も知らず、そのまま生産装置にまで到達したい。彼の人物を表に出すべきは、その時だ。
「いた方が良いということは、それは少なからず爆弾であるということだ。 知ることそのものが危険であるなら、一個人としては知りたくはないね」
「では」
「でもヴァーテックスの支部長として知らない訳にはいかないんだよ。 本当、嫌な話でね。 社会の闇とか国ごとに勝手に保有している武力とか、裏側の情報を多く知ることになってしまう」
ヴァーテックスの一拠点の長ともなれば、知れる情報は多岐に渡る。
その中には外部に漏らすことそのものが死へと通じる情報も多い。見たくも無い人の醜さを知り、いっそ全員殺した方が平和になるのではないかと考えることも支部長になれば当たり前だった。
何時の世にも、後ろ暗い真似をする人間は一定数現れる。四家は日本の闇の中でも大きいが、世界で見ればもっと酷い真似をする集団も居た。
軍として、警察として、平等を謳うからこそ時には目を瞑ることもある。その時、瞑った出来事で被害を受けた者達に恨まれるのだ。
知りたくないことばかりを知ってしまう。故にこの職は、ある種精神との戦いであるとも言えるだろう。
「知りたくはない。 君は聞かせたくない。 でも教えてくれ。 それが物事を効率良く進める方法だ」
互いに意見そのものは一致している。けれど職種がそれを許さない。
咲も実に興味を強く抱いていた。彼が言いたくないことなど数少なく、それらは総じて特殊なものばかり。世界の裏側に居なければ知れない情報を知って、その上でなお隠す情報とは何なのか。
俊樹としてもハジュンの言いたいことは解る。納得も出来るもので、けれどおいそれと出せるものではない。支部長である彼にだけは言っても良いのかもしれないが、少なくとも四家の人間に聞かせてはならないだろう。
「……解りました。 ですが、四家の人間には話せません。 退出をお願いしても構いませんか」
「私は管理責任者です。 聞く資格は十分にあると思いますが、支部長」
「――いや、君は退出してくれ」
俊樹の出した条件は、四家に属する人間であれば納得出来ないものだった。
これから先、直接の管理は出来ないとはいえ俊樹よりも周辺と折り合いを付けることは出来る。
管理とは何も施設を十全な状態にしておくことだけではないのだ。為政者達と会談に会談を重ね、国内の生産資源の調整もしなければならない。
今此処には他に居ないが、彼女の下にも多くの部下が居る。彼等の仕事は時に危機的で、下手なブラック企業よりも黒かった。
何時いきなり会談の申し込みがあるかも解らないのだ。襲撃者も零とは言えないし、特に人様に聞かせられないような話題は慎重になる。
世の中、ただ真っ直ぐに仕事をすれば良い訳ではない。
時に邪道を進み、外道になることも必要だ。そうでなければ、とてもではないが国家の重鎮の枠に収まることは不可能である。
咲から見て、俊樹にはその資格は無い。醜いこと、汚いことを嫌悪している雰囲気を感じる彼は、管理者としては三流以下だ。
清濁併せ吞む。それが出来てこその一流なのに、彼は権利は持っていても覚悟までは持っていなかった。
故に、彼女は一管理者として聞かねばならないのだ。本家に報告するだとか、自分が優位になれるよう立ち回るとかの前に、彼女は今を続ける努力を忘れていない。
それでも、ハジュンは隠し事そのものを優先した。
一時的に管理者である咲の優先順位を落とし、俊樹を最優先に定義し直したのだ。
彼の僅かな逡巡の無い言葉に、その日初めて咲は驚きを見せた。
「我々は一刻も早く事を収めなければならない。 このまま長引けば長引く程、彼女が突然生産装置を止めないとも限らない」
「ですが、安易に全てを任せるのは違います。 如何に特別と言われようとも、それが成功に辿り着けるとは限りません」
双方共に、言っていることには理解出来る。
咲の常識的な部分も、ハジュンの緊急措置的な部分も、事情を加味しなければどちらも必要なことだ。
膠着状態となるのは避けられない。立場としてはどちらも引けを取れず、下手な意見は即座に足下を掬われることになってしまう。
急げ急げと言ってはいても、そこは組織人。通すべき筋を通してからでなければ、物事は動き出してくれない。
それで誰が激怒するのかなど、全員が理解しているだろうに。
「――お前達、意味の無い喧嘩をしたいなら他所でしろ。 我々は目的を達することが第一であって、貴様等の喧騒を聞くつもりはない」
「ですが、此方にも立場がありまして……」
「今は急ぐことが第一だ。 そこの女の道理など知ったことではない」
「怜様!?」
「事実だろう。 どうせお前の懸念など、外向きの仕事が殆どだ。 内向きの部分については然程想定していないだろうに、そんな奴が此方の件に口を挟むな」
断じる。
常と変わらぬ我を通すやり方は、多くの人間の反感を買いやすい。咲も怜に対して激怒の宿る眼差しを向けるも、受けている側にはまったくとダメージは無い。
逆に彼女が睨むことで、必然的に咲は極寒の世界を間接的に知ることになる。背筋を震わせる寒さは、生に繋がる行動の全てを否定していた。
「話は目的地に着くまでの道中で話そう。 私も早い内にせめて顔を出すくらいはしておきたい。 構わないな?」
「は、ははは、はい。 至急、準備をさせます」
「結構、これで話は終わりだ」
短いながらも、彼女の激怒は状況を変えるのに便利だ。
邪魔者がこれで居なくなるとは思えないが、支部長が否定しなかったことで発言する資格を大いに損傷した。
歯噛みするしかない。この場において、少なくとも四家は邪魔でしかないのだと定められた瞬間だった。




