【六十点】鷹は爪を見せない
「ようこそ! ようこそお越しになられました!!」
中国支部の長は、俊樹と怜に対して酷く平身低頭だった。
痩せた身体に、短めに切られ所々が跳ねた紺の髪。小振りな丸眼鏡を掛けた男は黒い制服を身に纏うが、些か似合っているとは言えない。
研究者のような、学徒のような、老いがまだ訪れていない顔立ちは若さもある。
目の下に隈も作った男は、端的に言ってブラック企業で働く平社員を彷彿とさせた。
何度も何度も頭を下げる姿も非常に様になっている。俊樹も、珍しく怜も困惑しながら相手を見るしか出来なかった。
「支部長。 困惑しておられますよ」
「ああ! いや本当にすみません! ささ、此方にどうぞ!!」
男の横には女が居た。
秘書と言うには彼女の恰好は私服で、何処か支部長との距離が近い。
頭を上げた男は手で歓談用の革製ソファを勧め、場の流れに合わせるように二人は静かに席についた。
支部長も女も対面側のソファに座り、いやに事務的な笑みを二人に向ける。
特に支部長は手を重ねて商売人のように何度も握り、小物感を見事なまでに表現していた。
「二度目になりますが、ヴァーテックス中国支部にようこそお越しくださいました。 私はこの支部の長なんて大それた席に座る、チャン・ハジュンと言います。 そして隣に居るのは――」
「現・生産装置の管理を任せられております、渡辺・咲と言います」
「――渡辺?」
自己紹介が始まり、その瞬間。
彼女の名前が出た途端に俊樹は殺意を全開にした。叩き付けるような暴威を彼女一人に向け、瞳は自然と赤へと染まり始める。
四家の一人。生産装置を管理するのだから居て当然だが、早速顔を合わせることになるとは。
これは油断ならないなと俊樹は敵意を前面に押し出し、ロングの茶髪を持った同じく栗色の瞳の咲は困ったような笑みを浮かべる。
「四家がそちらに行ったことは此方も把握していますが、我々としても生産装置の問題は解決しなければなりません。 今はどうか矛を収めていただけますか?」
「すると?」
「せめて隠してくださればと。 そうでなければ、支部長の胃が壊れてしまいますので」
「え?」
言って、俊樹は顔を女の横に向ける。
そこには顔色を青くして胃の辺りを抑えるハジュンの姿。如何にも精神的に追い詰められていますといった態度に、流石の俊樹も殺意を引っ込ませた。
四家の人間相手に敵意を叩き付けることは避けられないが、それで周りの人間に迷惑を与えては逆に彼が責められる。
何より、話をするのは支部長なのだ。彼がダウンするような状況は双方にとってよろしくはない。
自然と無くなる圧に、受けてもいないハジュンは安堵の息を吐いた。心なしか顔色も戻り、今は若干青い程度に留まっている。
「ああ、ありがとうございます。 これで二人が殺し合いに発展すれば、責任追及やら被害総額やらで頭を抱えなければなりませんでした。 巻き添えで死のうものなら、実家の家族にどう顔向けすべきかと……」
顔から流れる滝の如き汗を腰ポケットから取り出した青いハンカチで拭いつつ、はぁと短く安堵を表に出す。
そこに嘘は見受けられなかった。真実、この男の心身は柔いのだろう。
吹けば飛ぶ枯木。そういった印象を覚える彼は、故にこそ現在の地位に相応しいようには見受けられない。
俊樹がもう少し若ければ、あるいはそのまま口にしていただろう。貴方は本当に支部長なのかと、何も考えもせずに。
ヴァーテックスは実力主義だ。力にせよ、頭脳にせよ、能力の高い者に相応の席が与えられる。
ならば、チャン・ハジュンを名乗る支部長も能力が不足していると考えるべきではない。自身の欠点を勝利の材料にするくらいは平気ですると思うべきだ。
「一先ず俊樹、お前は矛を収めろ。 話が進まない」
「……解ったよ、俺も早く日本に戻りたいしな」
「私共としても問題は早期に解決したいのです。 その為に俊樹さんの支配下に置かれることも、我々は容認しております。 政府はまだ若干ごねていますが」
「良いのか? 政府が力の無い組織だと私は思っていないが」
「――構いませんとも」
漸く始まった話で、ハジュンは真顔で眼鏡を一度弄った。
断言する言葉は強く、そこには絶対が宿っている。如何に相手が無茶を吐こうが、此方の言い分を必ず通す意思の強さを感じ取れた。
一瞬で切り替わった支部長の気配に、皆も真面目な顔で向かい合わせる。
中には敵対した者達も居るが、この瞬間においては敵味方は関係無い。生産装置の完全停止を阻止する為、四人は段取りを決める。
「政府の抱える戦力と言えば、ARの無い過去の遺物達です。 それも金や脅迫で固めたような烏合の衆。 粗悪品を流通させて集めた金で作った力は、鍍金に包まれた鉛と変わりありません」
「では、そちらはヴァーテックスに任せよう。 我々が真に注力すべきは、あの堅物の説得だ」
「はい。 彼女の協力を得ることが出来なければ、まず生産装置の権限は離してくれないでしょう。 仮に女帝殿が相手であっても彼女は止まらないのではないかと愚考しますね」
「同意だ。 なんだかんだ、あれが最後に忠を尽くすのは私の旦那だ。 その旦那に会わせない限り、最悪内部で自壊させるやもしれない」
大英雄ですねと咲が確認の言葉を送り、怜は首肯を返す。
管理AIに五百年前の偉人の情報が入れられていることは、ルリという存在で既に知れ渡っている。最初はまさかと思った政府やヴァーテックスの支部長達も、実際に覚醒した者達とは何等かの方法でコミュニケーションを成立させて確認が出来ていた。
その中で、中国のAIが覚醒したのは最近の話である。期間としては短く、マニュアルと呼ぶべきものが無い状況では友好的であることが第一とされた。
支配者としての資格は既に大英雄から離れた。今は俊樹に与えられ、生産装置は彼の為に起動し続ける。
中国のAIもそれは解っている筈だ。
ルリが出来たように、件の人物もそれは可能だろう。最初に沈黙を貫いた行為は情報を収集していたからで、自分が居なくなった期間から大英雄が死んでいることも容易に解る筈。
それでも彼を求めるのは、出来ると思える何かがあるからだ。その何かを考えるのであれば、自然と俊樹は怜に視線を向ける。
彼女もまた、俊樹が言いたいことを理解していた。きっとそれは、今となっては他の面々も同様だろう。
「……あの人は貴方様と話がしたいのかもしれません」
「そして、会わせてほしいと願うのだろうな。 私なら出来ると信じて」
「出来るのですか?」
偉人の中でも一等の特別。最強に寄り添うことが許された、同域の実力者。
三強であればあるいは不可能も可能にするかもしれない。その希望に縋って、彼女の名前を出さないようにしている。
彼女が最終的に求めているのは大英雄だが、そこに繋げる為に彼女と話をしたいのだ。
問題行為が多くなれば、自然と話は広がる。
生産装置の利用を潰せば、必然的に同類が接触する可能性も高まるのだ。これ自体は最初から想定されていた訳ではないが、彼女が動けば必ず生産装置内に潜むAI達も自動で活動を開始する。
神が何かをすれば、神の下僕は必ず反応を示す。それは神話が如くに。
けれど、それでもだ。怜には多くのことが出来るが、出来ないことも当然ある。
特に彼の死は、彼が望んだことだ。そこに触れることは彼が許さないだろう。
「死ぬ前であれば出来ただろう。 だが、彼はもう死んだ。 この事実は覆らない」
「……そうですか」
咲は察した。如何に偉大な彼女であっても、元は同様に死者に近い存在であっても、死んだ誰かと話をすることは出来ないのだと。
落胆は無い。失望も無い。そもそも、そういったことは本来出来ないことだ。これで彼女を無能と言えば、紛れも無く言った側の方に問題がある。
諦めるしかない。表情には出ないが、咲は心からそう思った。――けれど、そうは思わない人物も居た。
眼鏡を弄る音が再度鳴る。先程までの気弱な雰囲気が消えたハジュンが、酷く静かな声で問いかけた。
「一つ質問をよろしいですか?」
「なんだ」
「いえ、貴方様ではなく俊樹様にです。 何故、そこまで焦っていないのでしょうかと」




