【五十五点】差し向ける者
「――今回も情報を手に出来なかったか」
「……はい。 申し訳ございません」
早乙女家・本邸。
低い声ながらの女の鋭い言葉が、目前で正座をしている美鈴を貫く。
言われた側である美鈴は顔を俯かせず、されど表情を曇らせて小さく答えた。
障子の開け放たれた広々とした和室。畳は年代を重ねて少々色褪せ、外には竹藪が陽の光をある程度遮っている。
外界と隔絶された家は、無論のこと一般の目に触れられることはない。そもそも公表すらされておらず、報道局達が知っているのは別邸だけだ。
美鈴は改めて今代の当主である――早乙女・美香を見る。
白髪の後ろを一房縛った、やや垂れ目を持った老婆に近いその姿。もうじき還暦を迎える姿は骨と皮だけで、されど彼女に弱さを感じることはない。
それは絶頂を過ぎてなお美しい顔や、放たれる圧が原因だ。
四家の当主は皆が人間か疑うような覇気を持ち、頂点に君臨するに相応しい力量を有している。美香という人物は若い時分には乱暴者として四家内で名を轟かせ、創炎を持った男達も真っ青な暴力で候補者を薙ぎ倒した。
当主になって以降は管理に苦心する姿が多かったそうだが、今となっては乱暴者の姿は鳴りを潜めて為政者のように振舞っている。
彼女は礼儀作法についても雑であった。人前では最低限の振舞いが出来るが、こと身内だけとなれば途端に雑な恰好になりやすい。
正座をしている美鈴と異なり、美香は片膝を立てて胡座を掻いているような体勢になっている。
女らしさが欠片も無い黒一色の着物を身に付け、紫の上着を肩に引っ掛けていた。
時代錯誤も甚だしい。昭和や大正の時代に住む人間と言われれば、誰でも肯定してくれるだろう。
「まぁ、報告を聞く限りじゃ難しいのは最初から解ってはいた。 それに一度は敵対していたようなもんだ。 まともな方法で話を聞いてもらうってのは、結構な無謀ってもんだよ」
「ですが、それでは何も解決しません」
少し前までは俊樹を利用することを誰しもが止めなかった。
所詮、彼は四家と繋がりはあっても外様の人間。四家の人間として厳しい鍛錬を積んだ訳でもなく、理不尽な目に合った訳でもない。
母親が死ぬような事態は起きたが、それとて四家内では日常的なものだ。身内が死んだことは美鈴にとっても然程悲観する話ではない。
だから、俊樹が人間として扱われなくなるとしても大きく止めようとは誰も思わなかった。
その考えが吹き飛ばされるとは、四家の内の誰もが思わなかっただろう。今や内部紛争が発生しかけ、四つの家の纏まりが無くなるなど、過去の自分に言っても信じてはもらえまい。
「私達と彼との間には大きな溝が出来たままです。 何を言っても、もうあの人は此方の言葉に耳を傾けはしないでしょう」
「かといって、このままでは私達は全員あの世行きだ。 それは解っているな?」
美鈴の確認するような言葉。どうしようもない現実を突き付けられ、されど美香はまるで揺らがない。
当主という大黒柱であるからこそ、彼女には揺らぐことは許されない。ここで彼女が慌ててしまえば、ただでさえ歪んでいる家が修復不可能になりかねなかった。
厳しい状況であるからこそ、己は毅然としていなければ。
少なくとも早乙女家が敵対するつもりがないことは美鈴の口から伝わっている。後はどれだけ俊樹からの信頼を得ることが出来るか。
既にマイナスに突入している値を零にまで戻し、その上で+に引き上げる努力が必要だ。
味方をすると言った以上、利益は度外視。生き残るこそそのものが益となるのだから、金だの利権だのは二の次三の次だ。
「あの面子の力の根源は生産装置だ。 あれの権限が向こうにある限り、此方が上手になることは無い。 ……だからこそ、現状を鑑みて戦力の増強を第一とする筈」
常識的に考え、俊樹達の味方は強力とは言えない。
世界最大の軍隊であるヴァーテックスが背後に居るとはいえ、彼等の大部分は普通の人間だ。ARを乗りこなす熟練の兵も居るが、それが極少数でしかないことを美香は解り切っている。
仮に挑んだとして、支配権の有無で四家側の勝利は揺るがない。対人戦に移行したとしても、やはり肉体性能の差で彼女達が圧勝するだろう。
ヴァーテックスだけで全ての勝ちを手中に収めることは難しい。美鈴の話から五百年前の人物が蘇生を果たして味方に付いたとの話もあるが、それを信じるには材料が不足し過ぎている。
とはいえ、何もないと考えるのは早計だ。西条の当主の死因が氷であることは現場の情報から判明しているので、似たような力を持っていると仮定することは出来る。
「これからの連中の動きは仲間集めと生産装置の支配。 世界中に建設された装置が全て連中の物になった時、もう世界は向こうの物となる」
美香の推測は美鈴も出していたものだ。
いや、普通に考えれば誰しもが到達する推測でもある。質が量を凌駕することはあるが、やはりそれには限度があるものだ。
仲間が欲しい。力が欲しい。権力基盤を構築し、誰にも邪魔されぬ状態で戦いに赴きたい。
大きな敵と戦う時、土台が柔いままでは容易く崩れ去る。ただ生産装置の権力を握っているだけでは、背後を任せられる味方は手に入らない。
「では、各地に早乙女の手の者を送り込みますか?」
「馬鹿を言うな。 それでは此処の守りはどうする。 私がやるにせよ、我々の土地は広い。 幾分か手放したとはいえ、それでも十人二十人で守り切れるものではない」
「そうなりますと、絞るしかありませんが……」
「渡辺の所からも出させるが――先ずは大国だろうな」
先ずは、彼等が向かうべき国に当たりを付けなければならない。
小国と大国を含め、装置の数は百を超えている。その一つ一つに人員を派遣したとして、全ての国に行き渡る前に本邸から人が居なくなる。
渡辺の人間を使っても結果は一緒だ。故に、即戦力にならない小国を切り捨てる。
小国は小国で問題を抱えているが、大国の方がより問題は深い。移民によって生じる摩擦や、差別意識による激突。
生活は裕福になっているとはいえ、人間は総じて上下をつけたがる生き物だ。その意識がある限り、差別は無くならないし搾取をしようと画策する人間は出る。
生産装置が一度に作る枠は多いが、決定権は大抵政府の官僚か金持ち集団だ。
上流階級にまで登り詰めた人間は、時に庶民の考えが解らない時がある。嘗て自分が同じ階層に居たとしても、欲の力で目が曇るのだ。
金の成る木が常時目の前にあるような状況で理性を保てというのも難しい話であるが、そうでなければ正常な判断は下せない。
過去に比べれば幾分か温くなったが、人の根底にある問題は未だ払拭されないままだった。
四家が平等を可能な限り貫いているからこそ、国が割れる大戦争は起きてはいない。
暴動とデモは起きるものの、逆に言えばそれだけ彼等は潜在的にパワーを持っている。その力を自陣営の戦力に変えることが出来れば、爆発力は如何程になるか。
一人一人は弱いとしても、数千万まで膨れ上がれば流石に四家でも対応は難しくなってくる。
故に、彼等は先ず大国の人間を味方に付けようとする。その中でも手っ取り早く味方を増やすとなれば――――最も人権侵害が起きている隣国だろうか。
「美鈴、準備をしておきな。 これから渡辺の息子と他に一名付けて、空の旅に向かってもらう」
「畏まりました。 場所は何処でしょう」
「隣国の中国だ。 現場では戦闘が起きると思っておけよ」
美香は美鈴に命令を飛ばし、遥かに高い天井へと視線を移す。
この戦いは絶対に負けることは許されない。例え内紛に突入しても、此方は彼等の味方でいなければならない。
それがどれだけ難しいかを、信用の言葉をまったく信頼していない人物は解っていた。




