【四十四点】暴走の原因と解決法
彼女が俊樹に腕を掴まれてから、早十分は経過しただろうか。
皆が息を呑んで沈黙している中、俊樹の赤熱した顔は徐々に元の色へと戻っていく。彼から発される熱も収まっていき、彼の荒い呼吸も次第に落ち着いたものへと変わった。
俊樹が腕を離すと同時、怜も自身の座っていた位置に戻る。
その顔には驚愕と――歓喜。彼女のそのような表情を浮かべる意味を、ルリは正確に理解している。
彼が居たのだ。俊樹という人間の内に、確かな意識が残されているのだ。
それは偶然である。彼女の喜びようから本人も意図的に行っていなかったのは確かであり、彼に関する部分で彼女が嘘を吐くことはしない。
もしもするのであれば、それは彼を守る時だけだ。守る必要が無いこの状況で態々嘘を吐く真似はしない。
「……戻って来てるんだね、あの人が」
「ああ、この子の魂にアクセスして確かめた」
この現代社会で怜の語る内容はオカルト過ぎる。
他の人間が言えば眉唾も過ぎるぞと笑われて御終いだが、彼女が語ったのであれば嘘であるとは思えない。
そも創炎を与えたのは彼女だ。あの特異な能力を人間に付与した彼女であれば、未だ技術的に解明されていない魂の概念を理解している可能性もある。
実際、彼女は理解していた。俊樹の全てを覗き、奥底に在るだろう創炎にまで自身を繋げたのだ。
故に彼女は再会した。怜が最も大切だった人物に。
その喜びは語るまでもない。冷ややかな顔に喜色が浮かび、頬には赤味が差していた。
「きっつ……。 はぁ、なんだこれ」
「君が異常に拘ってた原因だよ」
熱が収まることで自然と俊樹自身も元に戻った。
いきなり全身が発熱したことが不思議で仕様がないとその顔は語り、怜が端的に説明しても首を傾けるばかりだ。
外部の他の人間もそれは変わらない。解っているのは二人だけで、訳知り顔で首を縦に何度も振るルリの姿が印象的だ。
この二人だけが知っているとなると、やはり原因は五百年前絡み。俊樹自身に関与している部分があるとすれば、濃厚なのは創炎か血縁。
東雲でなくとも事情を知っていれば容易く辿り着く推測だ。怜自身も隠すつもりはないのか、詳細な話を始める。
「急な発熱、妙に自由に拘るところ。 勿論君が自由を求める性質であるのは知っているが、先程までの君は誰の言葉でも揺るがない固さがあった。 ……今はどうだい?」
「んー、そうだなぁ……」
再度、俊樹は天井を見上げて東雲の提案を思い出す。
嫌な部分はあった。反りが合わないだろう者達との生活で、どうして自分は縛られながらこの人生を歩まねばならないのかとも彼は思う。
しかし、それが致し方ないことであるとも冷静に認識していた。
そこに過度に拘る俊樹は居ない。今居るのは、本来の俊樹だ。
「まぁ、仕方ない話だとは思ってるよ。 出来れば大学には通わせてもらいたいし、家で過ごしたい。 でもそれで命が脅かされるなら、落ち着くまではそうするさ」
「……先程とはまるっきり違うな」
東雲の声には驚きが含まれている。
僅かな時間に人間がここまで意見を翻すだろうか。共に本心であるのは彼の姿を見ていれば確かで、だからこそ不可思議極まる。
二重人格と呼ぶのとは違う。かといって錯乱していたこともない。
言ってしまえば、思想の先鋭化。こうあるべきだと無意識に人は自身の生き方を定め、強く影響される。
俊樹の場合はそれがより鋭くなった。多大な影響を与える人物や現象、風景を見ることで生き方を変える人間は数多く、俊樹の場合はそれと一緒だ。
では何に影響を受けたのか。
「この子は本来、創炎を使える素質を持っていた。 誰よりも優れたものをな。 加え、私の目的も果たしてもらいたかったから彼に力を与えた。 大英雄の炎の一端は、今彼の内に存在している」
「やはりあの炎は普通ではなかったか」
他の創炎で使える人間は居ない。納得し、東雲は首を振って先を促す。
「それが不味かった。 私が子孫と定める人物は、一重にあの人と似た考え方を持つ人物だった。 ――自由に生き、己の道を駆け抜ける力強い人間にこそ資格があったのだ」
元々、大英雄が有していた炎はほぼ無尽蔵な量だった。
死した後にも焔は残り、彼女はそれを使って創炎を作ったのである。これは星の管理人になったからこそ出来たのであり、そうでなければとある地方は永遠に焼け野原となっていただろう。
尽きぬ炎を一人の人間が背負うことは出来ない。如何に創炎の資質が高くとも、人類の守護者である彼には遠く及ばないのだ。
故に、余った分は彼女が管理している。今もなお、その炎は別空間にて常に燃え盛っていた。
彼はそれを少しずつ引き出して行使していたに過ぎない。けれど、その時点で気付くべきだったのだ。
「忘れてはいけなかった。 あの人はなんだかんだ、私の予想していないことをする人物だったことを」
東雲は見ていないが、他の三人は見ていた。
最初の拙い動きは何だったのかと思わせる能力の向上。常人では絶対に真似出来ない、限界の破壊。
常に、常に、俺は前を行く。誰にも邪魔などさせはしない。――俺が勝者だ。
絶対勝利の法則の下、俊樹は非常識なまでに進化を果たした。その強さは、現時点でも世界に散らばる強者と並ぶだろう。
どうしてそれが出来るのか。彼自身にそこまでの精神力は無かった筈なのに、創炎にはそのような力は搭載していないのに。
答えは単純明快。別の誰かが俊樹の内に潜んでいた。
いや、正しくは違う。死んでいた人物の魂は炎と共にそこに存在していた。
「あの人は身体を喪失した。 必然、その魂も様々な不純物を取り払って新しい命として自動的に生まれ変わる。 これを阻止することは出来たが、あの人の遺言でそれはしなかった。 ……しかし、あの人もまた私と同様に魂だけの状態で別の器に宿っていたのだ」
炎を入れ物と表現するのは難しいが、正しくこれまで俊樹が行使していた炎の中に大英雄の魂は存在していた。
それが俊樹の中に入り、当人も知り得ぬ内に強大な影響を彼に与えてしまったのだ。
大英雄本人の思想が本質の傍にあれば、それは影響を強く受ける。
俊樹の思想が先鋭化するのも自然という話だ。それでもまだ、俊樹のあの状態はまったくもって全力とは言い難い。
「何て話だ……」
東雲は重い息を零す。
父は俊樹を心配気に見つめ、当の本人はあの夢の場所を漸く理解した。
あの黒から白に変わった空間こそが大英雄が占有してしまった空間だ。本人はまったく支配しているつもりがなくとも、精神力の強さだけで勝手に他者に影響を及ぼしてしまった。
そも、大英雄本人も自分が未だ意識を持っていることを予想外に思っていたくらいだ。陳腐な物言いとなるが、全ては奇跡によって構築されていた。
「となると、これは再発するのか?」
「間違いなくするだろうな。 私でなければ止められないし、傍に居なければ暴走は加速する」
「他に止める方法は?」
「本人の精神力を鍛えるか、分離させるしかない。 既に本人とは会話して分離には賛成している。 引き離すには時間は掛かるが、不可能ではない」
「良かった……」
父が安堵の顔で呟く。
親からすれば子に不治の病が掛かったように思えただろう。それが解決出来るとなれば、喜ばない方がおかしい。
しかし、東雲は難しい顔をする。確かにそれが一番ではあるが、それはそれで問題があるのだ。
「引き離すのは俺も賛成だが、今だと不味いかもしれないな。 いざという場面で彼が四家と対抗する術を失うことになってしまう」
組織人としての顔が表に出た言葉だったし、私人として彼を心配しての言葉だった。
だがそれは、彼に不信感を与える切っ掛けにもなる。父が眉を寄せて東雲を睨んだ。




