【四十三点】いざ、時を超えて
話し合いとは、互いが互いの意見を激突させることだけを指すのではない。
双方が意見を出し合い、落し所を見つけて妥協することが話し合いだ。どちらかが話し合いの体を捨てた時、もうそれは意見の押し付けにしかならない。
俊樹の言葉は正しく話し合いの体を捨てたものだ。己の我欲を優先し、それ以外を受け入れないと全身が放っている。
東雲は両目に迸る赤眼の炎に本気を見た。
あれは嘘を吐いている訳でも、誰かによって操作されている訳でもない。徹頭徹尾最後まで彼の意見なのだ。
人の中には生理的嫌悪と呼ぶ感覚がある。内容は種々様々であるが、時に極端な反応を見せることがあった。
俊樹の場合が今回該当し、これを治す術は無い。自身の中で折り合いを付けれねば、どうしたって外側からは治しようがないのだ。
「……言っていることが解ってるのか?」
「ええ、十分に理解しています。 その上で、どうしても受け付けられないという話です」
「――我々は君に金を求めることも、人権を侵害することもしない。 寧ろ逆に、君が望むのであれば大抵の物は用意させよう」
東雲の口にした内容には嘘は無い。
破格の待遇であるが、そもそも世界で唯一の人材だ。貴重を通り越して、存在そのものが人間国宝と言われても納得出来る。
大切にしなければならないのだから、彼からの無茶に東雲達は応える必要があった。
この程度は当たり前だ。国が望めば、それこそ対外的に良しとされないハーレムを築くことだって出来る。
「贅沢な話ですね。 ですがこれは、実の所止められない類のものでして」
苦笑する。
望外の提案に胸が高鳴らないとは言わない。欲しいと思う心も確かにあって、しかして焔が全てを焼却させる。
止められないのだ、この感覚は。無限に噴き出る火山のマグマを見て、どうして人は止められると思うのだろうか。
海水を見て、それを全て干上がらせることが出来ると誰が思う。
これはそういった話で、根幹にある俊樹自身の本質でもある。歪められたとはいえ、やはり彼には自由を追い求める気質が宿っていた。
故に贅沢など要らない。物など最低限で構わない。ただ自由に過ごすことが出来たのなら、もうそれで十分だ。
「君のそれは、もしや創炎が関係しているのかい?」
「酷くなったのは創炎が関係していると思う。 でも、これは俺自身の本質でもある。 縛られない人生こそ、最良だと心底に感じるんだよ」
怜は端的に質問した。
幾らなんでも今の彼をまともとは呼べない。創炎自体は彼にも搭載され、焔の部分は怜が接続して与えた力だ。
だが、彼女は今俊樹を止める為に焔を切断した。
バイパスが無くなれば燃え盛る炎が彼に流れ込むことはない。残り火として多少は燃えるだろうが、それも直ぐに鎮火する。
けれど、これはどういうことか。今の彼からは変わらぬ焔が感じ取れる。いや、その焔は時間の経過と共に規模を拡大させていた。
有り得ないことだ。そんなことが出来るのは――――彼女と同格の者のみ。
『ミスってんじゃねぇぞアホ』
人工物の脳に、その言葉がリフレインする。
彼女を真正面から罵倒出来るのはただ一人。身内判定の人形ですら彼女に対して罵倒は出来ず、遠回しに皮肉を口にするばかりだった。
忘れるものか。忘れてはいけない。忘れてしまうなんて嘘だろう。
彼女は知っているのだ。もう居なくなってしまった人の姿を。あの人の考え方を。
「君は、彼を感じているのか?」
「彼っていうのは……」
「大英雄。 現代でそう言われている人物が、君の内側に居るのか?」
俊樹を前に進めさせている根源。
歪めている原因。根幹に同様の本質が混ざっていたから、奇跡的な確率で彼は現世に引き摺り込まれた。
それは怜が予想していなかったことだ。そも、居なくなったと思っていた人物がまだ彼女のように生きていたと誰が思えることか。
俊樹を除いた全員が顔を強張らせ、瞬きもせずに彼を見る。それは本当なのかと視線が問い掛け、俊樹は否定しようと口を開ける。
「いや、そんな訳な――」
言葉は最後まで続かなかった。
俊樹は全てを言い切ろうとして、しかし見えない何かに無理矢理口を止められる。
周りに立ち上がった人間は居ない。突如として静止する顔に、俊樹の思考に驚愕のノイズが紛れ込む。
何が起きたのか。煮え滾る自由への羨望がますますに膨れ上がり、彼の胸を突き破らんと喉元まで熱くなっていく。
一瞬の内に身体は灼熱の温度に支配される。怜の焔を受け取った時から感じることのなかった熱に、全身から夥しい数の汗が噴き出た。
突然の異常事態に皆が立ち上がる。
その内の怜が半ば反射的に彼の頬を触ろうとし、その腕を俊樹に掴まれた。
彼女の氷結とは正反対の温度。人体が耐え切れる筈の無い極限の熱は、普通の人間が触っては即座に火傷を発生させるだろう。
「全員、この子に触れるな!」
鋭い声に皆の近寄ろうとしていた足が止まる。
東雲が怜に顔を向けると、その顔のあまりの真剣さに息を呑んだ。
今の彼女に余裕の二字は無い。酷く余裕の無い状態で、怜は俊樹の創炎にアクセスを試みる。
再度バイパスを繋げることになってしまうが、この際それは仕方がない。
彼女の肉体は仮初だ。現世で活動する上での仮初の器で、そこから中身を取り出すことなど造作もない。
魂と呼ばれる情報群を用いて、彼女は俊樹の魂に繋がる。
目を閉じて視界情報まで遮断し、彼女は創炎の情報が刻まれた深層領域にまで入り込む。
そこにあるのは本能と呼ばれるデータ群と俊樹の記憶情報。
彼女の目によって一と零のデジタル信号のように見える情報の海を泳ぎ、彼女は真に本人も知らないだろう世界に突入する。
そこには本来、個々人の本質が存在していた。
己が無意識に描く夢。封じ込めた過去。考えないようにしている何某か。
人の根幹を成す場所で嘘は吐けない。正真正銘の丸裸となって、彼女は相手の本質を見ることになる。
白い空間だった。眩しいくらいに明るい、白色のみの世界だ。
誰も居ない筈の空間に、しかし彼女以外で土足で踏み込んでいる者が居る。
人の形なんて此処では存在しえない。怜同様の侵入者でもない限り、意識に肉体など有りはしないのだ。
「…………ぁ」
相手は背中を向けていた。
真っ赤な色のメタリックなパーカーは、嘗ての彼女の記憶と重なる。
一秒たりとて喪失しなかった。幾度も保存に保存を重ねて消失を防ぐ努力をした。
甘やかな日々、幸福な日常。時に戦場の真っ只中で軽口を叩き合って、互いに楽しい楽しいと心の底から喜び合っていた。
自分達が望んだ世界を作ろう。巻き込まれる世界側にはすまないが、どうか運が悪かったと思って諦めてくれ。
まるで悪役のように語った彼女に、相手もまた悪戯気な笑みを作った。
『まったく……。 来るのが遅いぞ、普段のお前ならいの一番に来るだろうに』
背中を向けたまま、気安く男は此処に現れた彼女に語り掛ける。
その声もまた彼女の記憶にある通りで。それがどうしようもなく怜の頭に無数のエラーを走らせた。
「君、なのか? ……そんな、なんで」
『やっぱミスかよ。 起きたらいきなりこんな場所に入れられてたから、流石に吃驚したぜ』
伝言を聞いた時、もしやもしやと何度も思考した。
何度も自身の不備を探し、それでもやはりシステム上は完璧であったと今も確信を抱いている。
俊樹が出会ったのは創炎に組み込む際に手違いで混ざった、大英雄の記憶の欠片だと思っていたのだ。
けれど、現実は容易く彼女の思考を凌駕した。今目の前に居る人物を、怜はただの記憶の欠片だと断じることは出来ない。
そして、男はゆっくりと振り返る。
――そこに仮面は無く、あるのは男の顔。よく知る男の風貌に、彼女の顔は次第に本当の笑みへと変わっていくのだった。




