【四十一点】取捨選択
彼女は笑みを浮かべていた。
極寒を瞳に宿し、口を弧の字に変え、表面だけを取り繕った顔で言葉を語る。
周辺温度が落ちた気が東雲はしていた。それは錯覚かもしれないし、無意識に彼女が発した凍結能力が関係しているのかもしれない。
迂闊な擁護は即座に敵対に繋がる。
彼女が四家に対して並々ならぬ怒りを抱えているのは自明の理。寧ろこれで憤怒していないと言う者が居れば、その者の正気を疑うことになる。
東雲は詳しい事情を聞かねばならなかった。彼としては選別されても別に構わないと思っているが、客観的に成した事実は無視出来ない。
彼女達が居なくなって五百年。その間に秩序を維持したのは、ヴァーテックスと四家だ。政府がやっていなかったとは誰も言わないが、しかし功績で言えばこの二つの集団が最も貢献している。
「選別の具体的な理由を聞いても? 俺自身としても彼等の精神性は異常極まるが、成した結果だけを見れば潰す理由が無い」
「生産装置の権限が未だ生きていれば、組織人として否定していたか?」
「個人は兎も角、公人としてはな。 大多数の人間が幸福に生きれる方が我々にとっても楽になるのは当然だ」
「素直でよろしい。 まぁ、今はその権限も無い訳だが」
彼等が最も生かされる理由は、やはり権限を四家だけが保有しているから。
その最大の権利を喪失した現在において、今の彼等は力とノウハウを持つだけの集団である。
勿論、彼等の伸ばした縁は強く深い。婚姻や契約によって成り立つ関係はさながら共同体のようで、一方が潰れれば間違いなくもう片方が困る事態となる。
故に、相手が相手を守るのは必然。このまま強引に排除を開始するとして、大規模な内紛に発展するのは確定だ。
全員が使える訳ではないが、創炎は現代人には厄介極まりない。まともに激突すれば敗北するのはヴァーテックス側になる。
「権限は既にこの子に移した。 今の彼等が操作することは出来んよ」
「それを聞くと安心するな。 これで少ないとはいえ無茶振りに応える必要も無くなる。 公的機関でなければならない組織が私的な者からの命令を受けて動くなど、やはり問題だからな」
東雲は表情を僅かに和らげた。
ヴァーテックスの前身組織の頂点に居たのは四家の渡辺家。そこからの繋がりは絶対に切れず、無闇に関係悪化を招けば最悪ヴァーテックスを奪われていた。
だが、今はもうそれを気にすることはない。過去の栄光は所詮は過去の物であり、今現在の彼等が築いた栄光は一つとして有りはしないのだ。
四家がしているのは、権力を使った私的使用。それは公的機関であれば許されざる行為であり、露見した際は民衆から責められるだろう。
この事実は隠されたままだ。上層の関係者のみに真実は伝えられ、彼等からの生産装置の圧力で沈黙を続けさせられていた。
その圧力が消えたとなれば、積極的にヴァーテックスが四家を攻撃することも可能になる。
今の四家を東雲は良いものとは思っていなかった。
表では生産装置の管理を徹底することで不平等を回避していたが、その裏では様々な悪事を働いている。
特に西条。あの当主は目的の為であれば殺しを当たり前のようにする。加え、西条の家で育った子供はその全てが見事に人格的に破綻していた。
あれを何と例えるべきかと考えれば――――東雲は餓狼と答える。
血に、肉に、勝利に飢える犬歯を剥き出しにした狼。一匹だけなら潰せるだろうそれも、複数存在しては難しい。
「――あれらは私の旦那の意思とは明確に反する。 時間の流れと共に残した言葉を軽く受け止め、成すべき事をしていれば後は何をしても構わないと考えるようになった」
「大英雄殿か。 御本人は存命なのか?」
「いいや、あの人は此方に来ていない。 私としてはわざわざ戻してあげる理由も無いし、本人も満足して逝ったからな」
「それは……残念だ」
一瞬、彼女の目が俊樹に向いた。
それを俊樹は受け流したが、意味は理解している。あの伝言が彼女の中に強く刻まれているのは今の反応で明白だ。
「あの人が死ぬ間際に願ったのは、人の幸福だ。 怪獣との戦いが終わったばかりの頃は人間は皆疲弊していて、無数の国が復興に向けて必死になっていた」
怜が天井を見やる。
白いパネルを彼女は見ず、その瞳は過去を思い返して遠くなっていた。
東雲もデータ群で理解はしている。怪獣との戦いが終わった直後、無事だった国は殆どなかった。
多くの人間が死んだ。多くの物が無くなった。人が人として生活していく経済も瀕死に追い込まれ、怜達が全力で支援しなければ今頃経済は完全な破綻を迎えていた。
苦しい時代だったろう。壊されきった場所を元の形に戻すというのは、想像以上に苦労するものだ。
国によっては首都を捨てて別の場所を首都にしたこともある。生活基盤を一から再構築しなければならなかった彼等は、現代よりも裕福であるとは決して言えなかった。
「日本を支えたのが四家であるのは間違いない。 当時はまだ力を持ち始めたばかりだったが、縋られるだけの能力を皆が持ち得ていた。 特に鳴滝と早乙女は、当時私とあの人の弟子だった影響で尽力していたよ。 一時は過労死寸前だったくらいだ」
「それは……凄まじいな」
四家が今の日本を復活させたと言っても過言ではない。
彼等が何もかもを削って奔走し、それに釣られる形で人々も協力を結んだ。利益だけを追求する企業とて、その時には彼等に全面的に協力していたのである。
苦労していただろう。死ぬかもしれない日々を送っていた筈だ。彼等が人類を助けるのはある種の使命だと公的文書に残されているが、だからといって死にかけるまで働く義理など本来無いのだ。
初代の時代は、人が人であろうと輝く時代だった。
先頭である大英雄が日輪となって前を進み、彼等はその輝きに勇気と情熱を持ちながら悪意などものともせずに生きた。
今の時代で同じことは出来ない。
良くも悪くも今は裕福な時代だ。消費資源を無尽蔵に生み出す地盤が出来上がり、人々は安定した経済社会の中で安穏としたまま暮らすことが出来る。
必死である必要は、正直に言えば薄い。普通に生活して少々の自由がある程度には余裕のある社会は、ある意味生存本能を退化させたと言える。
人よ幸福であれ。
初代の想いは社会の中で無事に形となった。このままを継続させることも、怜が黙っていればきっと出来ていたのだろう。
――だからこれは、夢が終わった後の話なのだ。物語が終了した後に追加される蛇足でしかない。
「私は彼等の輝きを素晴らしいと心底から感じていた。 腐ってばかりの人類の中にも、あの人のように輝かんとする者が居るのだと。 ……故に、余計に思ってしまうのだろうさ。 あの輝きを永劫続けさせてくれよと」
人は憧れを覚えた時、同じようになりたいと思う。
その背を見て、自分もと炎を胸に灯して挑戦する。前を向いて望みの為に進める、勇気ある人間でいたいから。
怜は初代の四家を知っていた。知っていたからこそ、それが穢れてしまうことに悲しみを抱いている。
止めてくれよと願って、そんな考えは彼等の願いとは異なると憤慨して。
我儘だ。怜が持つ、どうしようもない我儘がこの事態を起こした。けれどそれは、腐敗を止める一つの切っ掛けとなる。
「私は彼等を選別する。 この子のように、初代の想いを遺伝した者達だけを残す」
「あ、勿論僕も参加するからね? 関係者だし!」
「急に挟むな」
彼女達が戻って来たのはそれが理由だ。
そして、俊樹が騒動に巻き込まれたのも彼女が原因である。全てを知り、俊樹は重々しい雰囲気の中で静かに息を吐き出した。
壮大な話に疲れた。そこに、彼女に対する怒りは混ざっていない。原因を理解しても、どうにも憤慨出来ないのだ。
ただ、自分のスタンスは忘れてはいない。――彼は、彼女のしたがる事に参加するつもりは到底無かった。




