【二十八点】才能全振りマン
俊樹の目に黒い影が入り込む。
咄嗟に防御の構えを取るも、相手は交差した腕を掴んで容易く投げ飛ばした。
勢いよく元の位置にまで戻される身体は浮遊感に包まれ、必然的に速度も落ちる。加速に必要な足場も無く、いきなり変わった視界を下に向ければ駆け出す黒い影が着地場所で既に待ち構えていた。
着物姿の女。実次の隣に居た純玲は、微笑を讃えながら佇むのみ。そこから動くであろう所作は、あまりにも予測出来ない。
常人の域にない武力。今の時分ではまず縁が無いであろう強さは、それだけ家の使命の強さを感じさせる。
彼女の見た目は非常に若い。俊樹と殆ど変わらない年齢のようにも見受けられ、如何に彼女が厳しい鍛錬を積んできたのかを伺わせた。
「ああ、くそッ。 最近の女運が最悪だな!」
「まぁ。 これでも学校では人気者なんですよ?」
ぼやき、俊樹は炎を吹かして吹き飛び身体を静止させる。
自由落下で本来の着地地点より少し前に着地し、彼女を正面から睨みつけた。
純玲は口元に手を当てて小さく笑う。此方を小馬鹿にするような、あるいは愚かしい子供を暖かく見守るような母親の如き笑いに彼は内心苛立つ。
あれは勝てる筈がないと確信している笑みだ。
頭を乱暴に掻くことで苛立ちをリセットして、幾分か冷めた頭で一挙一動に目を向ける。
彼女は自然体だ。特別な構えを見せず、故に挙動を推測出来ない。
恐らくは、彼女のスタイルは自由形。零から百の速度で繰り出される、一瞬の攻撃こそが彼女の真骨頂。
「どうせ表面だけ見て勝手に惚れてるだけだろ。 腐った内側にメッキをかければ見てくれは悪くないからな」
「……挑発のおつもりで?」
「いいや、事実を口にしてるだけだ」
言って、俊樹は前に踏み込む。
背中からは依然として殺気が飛ばされていた。最初の地点から実次は動く気配は無く、暫くは純玲に任せる形にしたのだろう。
意識を集中させる。強く強く赤眼で相手を見て――不意に彼女の腕が動いた。
残像を発生させながら伸びる二本の腕。炎が発生している彼を掴もうとしていて、火傷には一切注意を払っていない。
狙いは襟元と胴。投げ飛ばすのは明白で、彼女がそれを成す前に襟元を掴み掛けた腕を俊樹は掴む。
そして背負い投げの要領で片腕一本の投げ技を行った。今度は純玲の方が飛んでいき、空中に漂うことになった彼女を追うように床を蹴る。
空中戦を強制させた彼女に焦りは無い。
着物の袖がはためく中、彼女は俊樹を冷静な眼で見つめている。その瞳の色は、やはり他の四家同様に琥珀色と異なっていた。
創炎の気配。その手の使用頻度は俊樹が一番少なく、理解度も彼が一番下だ。使える手札は解っていても、その力の出力値に個人差がある所為で一体どれだけのモノを発揮出来るのか解らない。
故に、俊樹がするのは相手を観察すること。それに合わせ、リアルタイムで全てを対応する。無茶苦茶ではあるものの、それでもやらねば未来は無い。
「――ッ」
間近にまで接近し、俊樹は拳を固めて前に突き出す。
単純なストレート。道筋も解り易く、されど純玲は目に意識を向けて捌く。
高速の攻撃はストレートであれど恐ろしいものだ。純粋な身体能力だけで戦うからこそ、単純故の強さがある。
テクニカルを得意とするなら穴を発見すれば良い。機械のような外部の力に頼るのであれば、創炎で使用不可能にする。
右、左、蹴り。三種の攻撃方法に技は無く、あるのは喧嘩殺法めいた素人の戦術ばかり。
炎を纏うことで徐々に肌や服を焼くことに成功しているが、その被害は微々たるものだ。彼女が気にする程ではなく、もっと大きな直撃を受けねば眉を跳ねさせることも出来ないだろう。
「右、左、左……次は蹴りですね?」
「は、良い目をしてるな畜生」
純玲の余裕な声に、俊樹は無理に明るく応えてみせる。
どだい直撃を与えられないのは解っていた。技量の点で彼は最底辺で、物心がついた段階から鍛えた人間とは実力に大きな開きがある。
このまま仮にぶつかり合ったとして、やはり結果は純玲の勝利だろう。地力の足りない俊樹にはどうしたって足りない部分が多過ぎる。
それを補える方法があるとするなら、未だ左右で輝く赤眼のみ。源泉の解らぬ力は未知と呼んで差し支えなく、そこにこそ逆転の芽があると言えるだろう。
攻撃と回避が幾度も繰り返される。攻撃側の必死な行動は確かに純玲を釘付けにして、その場からの停滞を余儀なくさせた。
純玲の表情は変わらない。拙いながらのフェイントを混ぜても、それを見透かして結局は本命を躱された。
動きの多さは俊樹だ。ここまでまともに張り合えないストレスは大きく、涼し気な彼女とは反対に彼の息は乱れ始めている。
このままの調子を維持したとして、遠くない段階で体力は底を尽く。そして一度体力が零になれば、後は彼女達の独壇場だ。やりたいことを全てやられ、何もかもが水泡に帰すだろう。
床に着地しても彼は止まらない。炎を振り撒きながら攻撃を続け、余波だけで護衛役の人間が揃って灰に変えられた。
今生きているのは四家が二人に俊樹と父だけ。父は邪魔にならない位置で隠れ、周囲に広がる炎の波を生産装置を盾にして回避している。
生産装置もまた熱を直に受けているが、表面が赤熱化することもなかった。熱程度は持っているだろうが、壊れる様子はまるで無い。
特別製の装甲は俊樹が放つ炎すら通さなかった。であればと、今度は壁や天井を駆けながら熱の刃を飛ばす。
切断は出来ないが、融解にまではいかせられる。無数の刃が彼女に迫り、それらを本人は流れるように避けてみせた。
都合五十発。放出された炎に対して純玲は恐怖を持たず、天井に張り付いた俊樹を見た。
「その炎。 出力は高いですが調整が出来ていませんね。 掬ったばかりの泥をそのまま投げ付けるのでは威力に欠けますよ」
「アドバイス有難うよ――!」
天井を蹴り、加速して一気に肉薄する。
これまで以上に接近して目と鼻の先に居る女を屠らんと腕を振るう。純玲も同様に腕を動かし、互いに胸や腰を狙って凶手を伸ばす。
俊樹の攻撃は掠る程度。女の攻撃は五発に一発は直撃を貰い、その上で被害を彼は無視している。
ダメージを受けるのは前提。傷付くことを当然として進む様子は、自爆特攻に近い。
攻撃を受けた時、俊樹は歯を食い縛った。
歯噛みする不快な音を純玲は捉え、更に追加で連打を胴に打ち込む。太鼓を叩くように衝撃を内部にまで浸透させ、内臓のダメージに彼は血反吐を出す。
それでも止まることはない。一歩を刻み、予想外な反応に初めて純玲は目を丸くさせた。
元一般人であれば、極度のダメージを酷く恐れる。
仮に痛みを忘れているのだとしても、本能的に危険な域に達した段階で攻撃の手を僅かでも緩めて防御に移す。
だが目の前の男にその様子は無い。ただただ攻撃だけにリソースを集中させ、次第に掠り続けた拳は直撃に近付く。
着実に、確実に、才能の無い人間が努力だけで頂点を目指すように。
愚かなまでの直進。諦めることなき前進に、彼女は俊樹と自身の父を重ねた。今は遥か遠くに居る筈なのに、何故かダブって見えるのだ。
だからだろう。その言葉を聞いた時、純玲はこの戦いの中で背筋に悪寒を覚えた。
「――……だ」
「…………」
「――……だだ」
「ッ、貴方」
「――まだだッ」
不撓不屈。
諦めを辞書から消して、出来ぬことを出来るようにと自身を書き換える。
才能と呼ばれるものを可視化するとして、俊樹には戦いの才覚が確かに存在していた。それも飛びぬけた、いっそ笑ってしまいたくなる程の大きなものが。
子孫と認められた男の全てを侮ってはならない。嚇怒を滾らせ、自由を掴もうとする時、焔は更なる熱量を自身から噴き上がらせる。
舐めるな、嘗めるな、俺がこれで終わるような人間だと思っているのか?
「まだだ!」
急速に差が縮まっていく。ゲームのバグが如く、実力の溝が消失していった。




