【二十一点】過去からの手助け
休み続け、彼等が行動を開始したのは夜になりかけた夕方だった。
朝とは別の帰宅ラッシュが始まる時間。多くの人間が家へと帰って行く瞬間は、混雑の影響で一番顔を判別し辛い。
ましてや二人は顔を隠している。購入したコンビニから監視を始めない限り、彼等を発見するのは難しいだろう。
二人は揃って無言を貫く。傍に居た女も俊樹に話しかける真似をせず、彼等が口を開けたのは目的の駅前に到着した頃であった。
「こっからは別行動だ」
「終電がリミットだよな。 その時点でどちらかが帰ってこなかった場合は、捜索をせずにホテルに戻る」
「実質見捨てたような形だが、一日で全員捕まる訳にはいかねぇ。 悪いが、それは理解してくれよ」
俊樹は首肯し、歩き出す。
この決まりは折角の逃げ出せた事実を無駄にするものであるが、安全に配慮出来ない状況では現実的に妥協して進むしかない。
二人は左右に別れる形で進んだ。帰宅ラッシュの続く道は人間でごった返し、私服やスーツで溢れ返っている。
何百年と時代が過ぎても人間は一定の基準に達すると停滞するのか、服装や文化といった面はまったくと成長していない。精々特殊作業用の服が進化するくらいで、一般の人間にとってはその辺は縁の無い話だ。
『建物は変わったけど、他はあんまり変わらないねぇ』
「お前何歳だよ」
周囲に父が居なくなったことで女は後ろから喋り始めた。
俊樹も小さく言葉を返すが、彼女はもう覚えていないよとだけ答える。
『結構長生きしたよ。 あの人が居なくなってからも、それはそれは長く生きたもんだ』
「またあの人かよ……」
溜息を零す。
女は最初に会った時、別の誰かを語っていた。女曰く旦那とのことだが、彼女はその詳細を口にするようなことは無い。
ただ、言葉の端には寂寥が漂っている。忘れられない嘗ての幸福を思い返すような彼女の感情は、俊樹とて理解出来ないことでもない。
薄れてしまっているとしても、幼少の頃の母は俊樹に優しかった。ARと関わらない状況では俊樹の頭を撫でて、共に走り回ったものだ。
顔も声も無い思い出。柔らかな感触だけが残る記憶は、どうしたって俊樹に暖かいものを胸に抱かせる。
彼女はきっと幸せだったろう。死ぬ前までは、父との生活を良いものとして考えていた筈だ。
「あんたの旦那ってのはもう死んでるのか?」
『もう居ないよ。 少なくともこの世からは去った』
歩きながら彼女と言葉を交わす。
女は必要以上に己を語らない。時折何かを思い出すように言葉を漏らすだけで、それ以外では基本的に今についてしか話はしなかった。
それは今話す必要が無いのか、話したくないのか。どちらであるかまでは解らず、けれどどちらでも良いと俊樹は思っている。
歩き進み、次第に人気が少なくなっていく。目的の地はやはり近くに世界の秩序を守る存在が居る所為か、妙な規則正しさを感じさせた。
道や建物の清潔さ、人自身の身嗜み、素行の良し悪し。
犯罪とは無縁の空間は、成程生活するには良い場所だ。近くで職場が見つかれば尚更安全性は高いだろう。
だからこそ、俊樹は自身が場違いであると解ってしまう。
「なんつーか、居心地悪いな」
ぽつりと独り言を漏らす。
路地裏の影に隠れながら彼は遠目に見えるソレを見て、素直にデカイと感想を抱く。
巨大な正方形の二つの建物。白亜と漆黒の目立つ建物は、どうしたって全員の目を引く威容を誇っている。
世界を支える柱。人が理性的であらんとする象徴。
この二つがあるからこそ世界は未だ平和を保たれ、一般人は不自由の無い生活を送れている。
片方だけではこうはいかなかっただろう。生産装置のみではそれを求める権力者で世は乱され、ヴァーテックスのみではそもそもの物資不足で世は乱れていた。
秩序を守る存在と、生きる上で必要な材料を用意する魔法の機械。
片方が停止するなど考えたくもない話だった。
そしてその話に、自身が深く絡むなど。普通の一般人である筈の自分の背景にあんな重い資格が存在していたなど、一体どうして予想出来るだろう。
酷く気分の悪かった。質の悪い悪夢だと言ってくれた方がまだ信じられた。
けれどこれが夢ではないことは当の昔に理解している。何が基準かは解らずとも、結局自分は選ばれた側の人間なのだ。
『見張りは多いね。 此処から見える範囲で十人。 皆が小銃を抱えているみたいだけど、殺傷性は無い武器だろうね』
「治安維持用の電撃銃だったかな、確か。 いや、あの施設を守る為だったら殺人も許容するかもだけど」
女と俊樹が見える範囲で、建物の周囲には人間が十人巡回している。
紺色の隊服に防弾ジャケットやヘルメットを被る様は実に厳重で、小銃を抱えて歩く様に一部の隙も抱かせない。
そのまま進んだとして、彼等は間違いなく何の用かと近付いてくるだろう。
俊樹のような一般人が相手であれば威圧的に接されるのは想像に難くなく、中に入るなど以ての外。無理矢理にでも突撃すればもれなく銃撃の弾幕がプレゼントされるだろう。
入口の兵士を無力化するのは恐らく出来なくはなくとも、その後が問題だ。
素直に正面からの戦いは避けるべきだと俊樹も女も決め、散歩をするように周囲を巡る。
巡れば巡る程に解ってくるのは、やはり潜入口の狭さだ。
黒い正方形の建物が生産装置の置かれている場所であるのだが、窓が無い。白い正方形の施設には多くの窓が設置されているので、比較すれば違いは歴然だ。
通気口も見る限りでは発見出来ず、そもそも周囲を金属製の壁に囲まれている所為で下側はまるで見えない。
鈍色の壁は定期的に清掃をしているお蔭か非常に綺麗だ。あるいは劣化した箇所から交換しているのかもしれない。
兎も角、ただ見るだけでは潜入が可能なようには思えなかった。警備の数も厳重となれば、発見されずに済むことはないだろう。
「いや、無理じゃない? どうやってあの中に入るんだよ」
『昔に比べればこれでもマシになった方なんだけどね。 当時の頃はそれはもう……』
「何時と比較してるんだよ。 急に訳知り感出さないでくれ。 いや実際、訳を知ってるんだろうけどよ」
『まぁね。 長生きしてると色々知るもんだ、良くも悪くもね』
「長生き……?」
自分以外に声が聞こえない辺り、女はもう幽霊みたいなものではないだろうか。
ツッコみたくなる気持ちを抑え、どうしたもんかと頭を抱える。恐らくは父も似たような気持ちだろう。
世界唯一の軍に、日本には優秀なAR乗りが居る。彼等は時折犯罪者の逮捕に協力することがあるので、状況次第では彼等が出てこないとも限らない。
生産装置を守る為であれば、彼等は切れる手札は全て投入する。そんなのは当たり前で、しかし全力になってほしくはなかった。
『ま、中に入るのは普通じゃ無理だよ。 そう出来ないように作られているんだから』
「じゃあどうやって入るんだよ。 このままだと接触出来ずに装置が停止しちまう」
『残り時間もそう長くはないだろうね。 とくれば、やっぱりここはまともじゃない方法を使おうか』
「はい?」
言って、女は俊樹の背後で指を弾く音を立てた。
その直後は何も異常が発生せず、何だか空振ったような雰囲気が辺りに流れる。
しかしそれも、五分も経過した頃には一気に慌ただしくなった。警備の人間が何処かへと連絡を取り始め、中で待機していたであろう部隊が一斉に外に出る。
周囲を一部の隙無く警戒する様は先程よりも厳しく、何かが起きたであろうことは一目瞭然だった。
空にはARの姿もある。ブースターを吹かして目を光らせる様子に、俊樹は慌てて身体を路地裏の奥へと引っ込ませた。
『アクセスルートは前よりも使えなくなっているけど、まぁ問題は無いね。 あの子達が確り管理していたようだ』
「なに、が?」
『もう直ぐもっと大きな騒ぎが起こるよ。 僕はこれをするタイミングを見計らってたんだ』




