【話】元一般人と一般人の会話
「大丈夫なのか、本当に……」
郷田は一人、アラヤシキの中で観光をしていた。
仕事の時間は終わりを告げ、彼等は二日間の滞在時間をイブより正式に許可されている。
その間に仕事の種に使えそうな情報を漁るもよし、ただ遊んでもよし、そのまま帰ってもよしとされた。
事前に各々の端末にアラヤシキ内のマップが送られ、滞在用の宿泊施設等は既に把握済みだ。マップを貰って解散となってからは全員がそこかしこに散り、郷田は先程までの流れを思い出しながら不安な表情で道を歩いている。
面接とも言うべき初接触は、その全てが事務的に進んだ。誰が何を言おうと、どんな態度をしようともイブは表情を変えることはなかった。
無言ではない。予め用意されていたテンプレ通りの質問を繰り返し、一人あたりの時間は約五分とされた。
郷田自身、自分が最高の仕事人だとは思っていない。
勤め先も有名な大企業ではなく、雑誌にも載らないような中小企業だ。そんな身だからこそ、自身よりも明らかに位の高い人物と同等に扱われた事実に少々の安堵もあった。
けれども、同等に扱われることと次に進めるかは別の話だ。イブの表情を僅かでも動かせれば可能性はまだあると郷田は前向きになれたが、結果としては他の人間と同じく何の変化も齎すことは出来なかった。
最終的に選ばれるのが誰かはアラヤシキ次第。彼等の決定に意を唱える真似は誰にも出来はしない。
女に胃袋を握られてしまった男のように、資源を握られている現在は文句を付けてはならないのだ。
「……おや」
その文句を脅迫に変える為に街に繰り出して情報を漁っている輩も確実に居る。
そう思いつつ、人工の川の傍にまで歩いていた郷田は縁で焚火をしている男を見つけた。
近くには濃緑色の一人用テントが張られ、焚火の上には飯盒が吊るされている。
どう見たとしても古き良きキャンプの光景であるが、郷田は学生時代を含めてもキャンプの光景を見たのは一度だけだ。
それも大学時代の歴史大好きな先輩が行ったもので、資料が多くない状態で始まったキャンプは不足しているものばかりだった。
何となく、郷田はその光景を眺めてしまう。過去の自分はキャンプを行うことを無駄だとしかめっ面だったが、そこには未来に対する純粋にも等しい期待があった。
自分が就職する先はきっと大きい。自分なら高い役職に就くことが出来る。
漠然とした全能感が無かったとは言えず、そんな過去の自分を彼は馬鹿にした。結局、お前の能力では社会で大した力にはならないのだと。
こうなるのであれば、もっと学生時代を楽しく過ごしたかった。苦心する生活ばかりだと言う気は無いものの、学友と馬鹿をしていた頃の方が遥かに楽しかったのだから。
そうして眺めていると、ふと視線に気付いた男が振り返って郷田を見た。
郷田もそれに気付き、苦笑するに留めて川の縁へと歩を進める。近付いて来る郷田に眉を顰めた金髪の男は、明らかに警戒を滲ませていた。
「いや、すまない。 どうにも懐かしい光景が見えたものでついね」
「はぁ……」
郷田の言葉に男は困ったような返事を送る。
それも当然だ。いきなり知らない奴が話し掛ければ、普通の人間は困惑や警戒を最初に抱く。
「君一人かい?」
「ええ、まぁ。 仕事の息抜きですよ」
「息抜きか。 私も色々な国に行った際に観光として息抜きをしていたが、キャンプをしたのは大学時代が最後だよ」
「……もしかして外から来ましたか?」
男の質問に、郷田はああと短く返す。
それを聞き、逆に郷田は彼が中の人間だということを確信した。二人は共に異なる国で過ごす人間であるが、しかし見た目上に然程の違いは見受けられない。
髪色の違いはあれど、顔の造形そのものは日本人と一緒だ。共に流暢に日本語を言えることからも、先ず同郷の人間と思って良い。
「仕事の関係でね。 私にしか出来ないからと此処に来ていた。 今後も此処に来るかどうかは……まぁ、結果次第だ」
郷田の言葉に男はそうですかと同様に短く返し、飯盒の蓋から泡が出てくるまで二人は焚火を何とはなしに眺めていた。
飯盒は一人分だ。傍には片付けられた釣り竿が置かれていたが、開いているクーラーボックスには魚の一匹も入っていない。
しかし男にとっては関係が無いのだろう。釣れようと釣れなかろうと、恐らく男はただのんびりとこの時間を過ごしたいだけなのだ。
穏やかな空気の流れは、都会で過ごす郷田には酷く気分が落ち着いた。
心に溜まる負の感情が徐々に抜け始め、このまま此処に居たい気持ちが強まってくる。
「君、何歳だ?」
「二十代ですよ。 そちらは?」
「三十半ばって感じだ。 ……此処には学校とかってあるのか?」
「ありますよ。 普通の学校と比較すると少々特殊ですが」
「特殊?」
「専門学校しかないと言うべきですかね。 此処は意地でも将来の就職に役立つ技術を教える学校ばかりで、所謂普通科と呼ばれる学校は無いんですよ」
それはまた、と郷田は自身の感想を最後まで口に出さなかった。
アラヤシキ自体がまだ復活したばかりである。国として活動する以上は必ず学び舎も求められ、その水準は国が求めるレベルとなるのは必然。
普通科を卒業した生徒では碌な未来が無いと考え、就職に非常に有利になる学校ばかりを設立するのも納得だ。ただし、その学校の授業を受けれるのはアラヤシキ内の者ばかりとなる。
「あんまり遊びって感じはないですね。 娯楽施設はありますが、学校内で仲良しこよしとなるのは難しいんじゃないでしょうか」
「そうなのか。 ……ああ、ちなみになんだがこれは」
「解ってますよ。 取材ではないんですよね?」
男は苦笑する。見ず知らずの人間がいきなり質問を投げ掛けてくるなど、明らかに情報を漁りに来た人間しか有り得ない。
しかし、男は郷田がただ疲れていることを看破していた。僅かな時間しか見ていなかったのにだ。
若い青年のようにも見える人物でそれが出来るのは一握り。そして大体において、そういった人物は苦労している。
青年もきっと苦労しているのだろう。そう思うと、何処か奇妙な親密感を覚えた。
「どうやら、君も随分苦労したみたいだね」
「苦労……そうですね、苦労ばかりです」
遠い目をする男に、自身も今も続く苦労を思い返す。
観光という部分を除けば、彼は会社を然程好いてはいない。上司との相性は良いとは言えないし、社内に友好関係を築く暇は無かった。中よりも外部の人間の方がまだ繋がりがあるくらいで、飲みに行くような仲間は居ない。
誰だって苦労を背負うものだ。大なり小なり、社会で生きる以上は嫌なものにも目を向けなければならない。
そこに年齢は関係無い。男女の違いも無い。能力の差も一切無い。
全てにおいて、人は苦労を背負う。逃げることは不可能だ。
男は遠くを見ていた。人工の空を暫く眺め、郷田もまた同様に強力なライトで照らされた青空を見る。
青い空を背景にして二人は各々の過去を思い返した。長く長く、二時間も三時間もかけて。
そして過去が現在に追い付いた時、郷田はふいに仕舞っていた釣り竿を掴んだ。
手早く用意を済ませて、適当な餌を付けて一気に腕を振るって川に糸を落す。僅かな水音が鳴るだけで後は静かなもので、本当に魚が居るのかどうかも郷田には解らない。
「……あ、勝手に使っちゃったな」
「っふ、大丈夫ですよ。 適当に持ってきちゃっただけですから」
目の前の突然の行為は意識してした訳ではない。思考が追い付いた段階で郷田は何をやっているんだと謝罪するも、男は小さく笑って大丈夫と返す。
男もテントの中へと入り、ペットボトルに入ったお茶を二本取り出して一本を郷田に投げ渡した。
受け取った郷田は軽やかにキャップを開け、そのまま一気に半分まで飲む。
何処にでも売っているような市販品のお茶だ。味など差異は無いだろうに、不思議と郷田には美味く感じた。
「――今日は何時まで居るんです?」
「二日間の滞在時間を貰っている。 私はそのまま帰るつもりなんだが……」
「なら、明日はちゃんとした釣りをしますか? 今度は竿を二本持ってきて」
「良いのかい?」
不意の誘いは、郷田にとっては何処か過去を思い出すようなものだった。
その誘惑は何とも魅力的で、断るという言葉は彼の脳裏には既に無い。久し振りに童心に返れるのならばと、そのまま男の言葉に乗った。
二人は初対面だ。だが、互いに相手を他人のようには思えなくなり始めていた。
これが馬が合うということなのか。
不思議な感覚に支配されながら、一時の平穏に郷田は浸る。
男も郷田も別れる瞬間まで楽し気な顔を隠すことはしなかった。どこまでもどこまでも、自身の責務を気にすることなく年不相応に遊び続ける。
釣り竿の糸が揺れ始めていた。
これにて最終話になります。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。