【終】社会格差に意味は無い
レンジと名乗る青年の後ろを付いて行くこと約十分。
鋼鉄の部屋を抜け、彼等は初めてアラヤシキの内部をその目に映した。
天井に投影された疑似的な空。太陽としての役割を有する強力なライト。都会付近の街中と言われても納得出来る道路や無数の建物に、和気藹々と過ごす国民の姿。
道路があるものの、車は主に特殊車両ばかりだ。普段の移動は徒歩で十分なのか、少なくとも子供から老人に至るまで機械的な移動手段はあまり使われてはいない。
一瞬、郷田は自分が何処に居るのか解らなかった。
確かにアラヤシキは国であるが、それが事実として存在していたのは遥か以前の話。
復旧するにしても風化が始まっている船体を維持するのは不可能に近いであろうし、先ずはアラヤシキを基にした新しい船を作るところから始めてもおかしくはない筈だ。
にも関わらず、これは恐らく過去そのままの船を用いている。
郷田は技術的な目を持っている訳ではないが、製品の質を見抜く目で街のあちらこちらにある痕跡から新しいものではないと結論付けていた。
それは例えば建築様式であったり、道路や建物に付いた傷であったり、更に言えば通り過ぎ様に見た飲食店のサンプル品だ。明らかに古いやり方を用いて、それをずっと続けている印象を彼は覚えた。
故に驚嘆を覚えずにはいられない。風化されても不思議ではない物体が、今もなお宙に浮いて確かに稼働しているのだ。
勿論修理はしているだろう。如何に元の形を保てているとはいえ、機能不全に陥る程度には劣化していた筈だ。
まだこの船が現世に現れて然程時間は経っていない。そんな修理箇所が多いだろう船が最初から飛べている事実に、偉人の技術力の高さを感じずにはいられなかった。
そんな感嘆を抱いている間にもレンジ達は歩き進み、高層ビルの前に到着する。
首が痛くなりそうな程に高いビルに入ると、オフィスには私服姿の人間があちらこちらへと行き交いを続けていた。
昼時であればそれも不思議ではないし、繁忙期ともなれば誰だって忙しくはなる。しかし、現時点では昼でもなければ繁忙期でもない。今は朝の七時程度だ。
「凄い人の数ですが何か起きているのですか?」
郷田は疑問に思ったが、それより先に他の人間が先導者のレンジに尋ねる。
それに対してレンジは顔だけ振り返り、ああと短く答えた。
「この建物は資源管理部の物なんですよ。 世界中の資源の分配についてを調整したり、生産装置の改良についても日夜行われています。 何処の国々も資源は多いに越したことはありませんから、時間が許す限り生産装置の枠を増やそうとしているのです。 ですので、多くの方が対応に時間を使っているので休める時間がバラバラなんですよ」
「……成程、理解致しました」
要するに、世界中の有力者達が毎日ひっきりなしに相談してくる所為で彼等の休憩時間や帰宅時間もバラバラになってしまっている。
このビルの中にも何人もの残業戦士が存在し、日夜礼を欠いてはならない相手に対して懇切丁寧に説明をしているのだろう。
他会社同士の交渉ですら肝が冷える出来事が度々起こるのだ。これが国となれば、担当者の心労は察してあまりある。
全員の表情から感情が消えた。選ばれた者であっても国家規模となれば緊張の方が強くなるし、余計な繋がりが増えてしまう。
これから話をする相手は、最低でも国家を相手に出来る存在であるということ。必然的に、油断すれば交渉権すら無くなる可能性がある。
「そのように身構えなくても構いませんよ。 私達は別に搾取したい訳ではありませんし、大元の材料は皆様の国が出すのですから」
最後にレンジがそう語るも、安心など出来る余地は無い。
一階の受付で予約した部屋と担当者の確認を行い、横の巨大なエレベーターに乗り込んで十五階を目指す。
一階部分は少々の騒がしさがあった空間も、仕事として活動することになる十五階にまで到達すれば静かなものだ。
白い壁に、両開きの扉が一つ。それが幾つも続き、抜ければ部屋があるだろうことは間違いない。
外から様子を見ることが出来ないのは少々残念ではあるものの、郷田のように外部の人間が此処にはよく訪れる。少しでも情報を取られたくないのであれば、自然と彼等から目を隠すような構造となるのだろう。
案内された扉の前には金縁に黒の表札が付いている。
第七会議室と彫られた表札の扉をレンジがノックし、即座にどうぞと中から女の声が聞こえた。
礼儀正しく中へと入れば、そこは一般的な会議室の形を成している。
効率重視の見栄えを無視した机と椅子。敷き詰められたリノリウムの床は蛍光灯の光を反射し、ただでさえ光量が強いだろう室内を更に照らしている。
全員分が座れるだけの椅子と資料が置かれた机の対面には、パーカー姿の中性的な人物が居た。
金の髪を腰まで伸ばし、金の瞳は宝石が如き煌めきを有して彼等を見つめている。悪性の類は無く、冷静沈着な様はこの状況に慣れていると言わんばかりだ。
「――初めまして」
立ち上がり、青年とも少女とも取れる人物が口を開ける。
その声もどちらとも取れる不思議なもので、しかし恐ろしい程に聞き心地が良い。
一瞬ではあるが、郷田を含めた全員が目前の人物に意識の全てを引っ張られた。あまりにも次元違いの容姿とセイレーンの声に、抵抗の意思すらも浮かび上がらなかったのだ。
「私は資材管理部の副長をしているイブと申します。 本日は遠方までご足労いただき、誠にありがとうございます」
静かに頭を下げ、そこで未だ呆けていた者達も現実に引き戻される。
はっとして慌てて各々が挨拶を行い、自由に席に座った。同時にイブも席に座り、細い指が彼女の机に置かれた端末の上を滑る。
一瞬の後に両者の空間に一枚の画面が表示された。それが空中投影モニターであると皆は直ぐに察し、映し出された情報に目を向ける。
内容は、国ごとの調達係の数だ。一番に多いのは中国で、二番目にアメリカの名前が載っている。
「先ず最初にですが、現在に至るまでこれほどの数の調達係が来ていることを皆様には自覚していただきたい」
「中国だけで十万、ですか」
「政府がある程度はふるいにかけてくださいましたが、中国だけでもこれだけの数の人々が来ています。 アメリカやロシアの方々も含めれば、私達が話した相手は星の数程に居ると言えましょう」
今回は申請であり、挨拶であり、あまり詳しい話をする予定はない。
時間にしても精々三十分かそこら。しかしそれが一万にも十万にも膨れ上がれば、掛かる時間も膨大なものとなるのは間違いない。
それをイブは最初に提示した。つまりこの情報は今後において重要であることを示し、長年交渉を続けた者にとってその理由を察するのは造作もない。
郷田も会社の中では最も優秀である。多くの人間と顔を合わせ、時には暴力的な話し合いまでした身としてイブの言いたいことは理解出来てしまった。
此処に居る面々は未だ石。宝石であるかどうかの判別はついていない。
だから、自身と自身の会社が宝石であることを示せ。ただ資源を食い潰すことを目的とするのであれば、彼等は資源を提供することはない。
「……どうやら、皆々様は御理解が早いようですね。 では、私に対して挨拶をお願い致します」
会社の面接なんてものでは済まされない。
資格の試験ですらぬるま湯だ。偉人を前にして、己が素晴らしさを存分に語って納得を引き出してみせろ。
更に言えば、他のライバル達よりも良いと断じなければならない。
これもまた戦いだ。解っていたことをより強く理解させられ、郷田もまた意識を集中させる。
求められるのは内容だけではない。担当官としての資質もまたここで問われる。
彼等が求めるのは優秀な人物だけ。その眼鏡に叶うように、イブの前で次々と自己紹介が始まった。