【最】とある社会人
半年。
それを長いと見るか、短いと見るか。人それぞれの感性次第であるものの、少なくともアラヤシキに住まう者には短く感じている。
平和な世界で発生した特異点。騒動の原因になるのも当然な背景を持つ船は常に注目の的だ。
殆どの一般人には関わり合いにならない限り無縁の存在であるが、そこから少しでも外れると途端に彼等の気配を強く感じることになる。
軍人として、他国との交渉を司る外交官として、国の行く末を決める政治家として、外の世界に目を向ける程にアラヤシキが視界に入るのだ。
その日もまた、とある外交官は鋼鉄の床の上で自身の身嗜みをチェックしていた。
ネクタイを自分なりに調整して、鏡が無いなりにスーツを見下ろして汚れがないかを確認する。
オールバックとも言うべき髪は黒というには少々紺が入り、眼差しは疲れた一般サラリーマンを彷彿とさせた。
郷田・毅。職業、仕入れ調達係。
正式名称はもっと長いものの、彼の役職は製造業における資材調達役だ。世界中を飛び回りながら現地の人間とコミュニケーションを重ね、交渉の末に安くて高品質な材料を会社の有する工場に納品する。
とはいえ、今時の交渉は交渉ではない。どちらかといえば会社間の仲を深める作業であり、自身の会社より格上か格下かで対応を変える必要があるくらいだ。
一定の礼節は必要であるが、この役職は非常に人気である。何せ現地で仕事をしているよりも観光している時間の方が長い。
その後に膨大な書類作業や納品される資源の管理をしなければならないが、リフレッシュ出来る時間が長い分だけ旅行好きには魅力的に映った。
郷田はこの役職に就いてから既に五年が経過している。まだまだ社内でも若い部類に入る彼は、実のところこの仕事をあまり楽しんでいない。
生産装置は資源を生産するが、当然資源だけでは人は生活出来ない。それを製品に加工する工場が必要で、工場を動かす上で人手は多く求められる。
自動化が当たり前とされる時代、工場の管理にも多くのロボットが導入されていた。彼等が清掃も製品の加工もするからこそ、近年の物価上昇は抑えられている。
それでも管理人は必要であるし、資源調達係である郷田は管理人と打ち合わせや飲み会をしていた。
管理人の性格は実に単純だ。楽観的で、自身が優秀であると信じて疑わない。
他者に対して何処か下に見るような姿勢は、管理人と一度でも話したことのある人間には不快感や嫌悪感を与えた。
郷田もその一人だ。会社としての規模は決して小さくはないが、大企業と呼ぶ程には大きくもない。
世間の役に立つ製品を量産している以上は胸を張れるも、だからといってそれを武器に自身が優秀であると豪語する程酔うことは出来ない。
彼がこの仕事を続けているのは、ただ単純に収入が良いからだ。観光する時間が長いとはいえ、彼等が材料を会社に運び込む手筈を整えなければ金を生み出すことは出来ないのだから。
「……ふぅ、まさかこんなことになるとは」
溜息を吐く。
今日の仕事は常よりも気を張る必要がある。上司や、それこそ社長に最も成績が優秀な者であると推された彼には自社の存亡という重過ぎる責任が肩に乗っている。
彼が今居る場所は大部屋だった。
床も壁も天井もコンクリートで覆われ、明りを照らすのは蛍光灯のみ。他に郷田と同様にスーツに身を包んだ人間が存在し、彼等は総じて高級な身形をしていた。
彼等もまた自社の未来を肩に乗せられている。郷田は一瞬でそれを看破し、どうして自分が彼等のように重い責任を背負わされているのだろうと胃に走った痛みに眉を顰める。
此処はヴァーテックスが所有する待機部屋だ。
北海道に建設されたこの建物は会社のランクや当人の家格を無視し、全てを一塊にして運ばれるその瞬間を待っている。
彼等がこれから向かう先はアラヤシキ。偉人が管理する小国である。
生産装置の全ての権限は今やそこに集約され、新規の会社が通常より多くの資源を消費したい旨を伝える際にはそこに向かうことが国によって決定されていた。
ただしやむを得ない場合にはテレビ電話や書類による申請も許され、厳しく精査された後に許可が出た会社の担当者が再度集まって会議を開く。
つまり、今回はただ申請に出すだけだ。適当な理由を付けて書類申請という形にすることは出来るが、殆どの企業は心象が悪くなることのマイナスを恐れて必ず担当者を向かわせることにしている。
それがジンクスの類か許可に関わる類かは一切の不明だ。郷田としては出来れば書類申請の方が楽でいいと思うが、現地に赴くことの意味が大きいことも理解している。
会社とて必要でないのなら態々向かわせる真似はしないのだ。如何にそうした方が良いとされているとはいえ、アラヤシキが発表していない以上は憶測を超えることはない。
今こうして待機していることすらも判断基準にされている説は存在するも、それとて誰が言い出したかも不明な噂の範疇を逸脱していなかった。
やがて隊服を着込んだ者に呼ばれ、郷田を含めた十人弱の人間が一斉に輸送用のヘリに乗り込んでいく。
郷田としては初めての経験だ。飛行機に乗ることはあれど、軍用のヘリに乗る機会など早々訪れるものでもない。
そのまま彼等は数時間の空の旅をし、見えて来た巨大戦艦に全員が視線を釘付けにされる。
古代の動画にあったとされる鋼鉄の船。戦争に使われていた船をモチーフとした姿故に、放たれる圧には独特の重さを何処か感じさせる。
接近すればする程に大きさを強く意識させられ、改めて空中を移動する巨大な鉄の塊が国であると郷田は背筋に緊張を走らせた。
他の者達も同様で、彼等もまた初めてあの船に来たのだろうと察するに十分。内部には重苦しい沈黙と背筋に冷や汗が流れるような緊張感が漂い、それはアラヤシキ内部に無事に到着するまで続いた。
「到着です。 皆様、荷物を忘れずに時間厳守で行動をお願いします」
ヘリのパイロットから短い注意が飛ぶ。
その内容に調達係は一切返事をしない。パイロット自身も返ってくることは予想せず、外で待っている者達の為に早々にヘリの扉をスイッチ一つで解放した。
自動で階段も降りて、それを合図に全員がヘリから出ていく。郷田は一番最後に降りて、ヘリは扉を閉じてパイロットも彼等と同様に外に出た。
ヘリが着陸した先は格納庫を彷彿とさせる巨大な空間だった。周囲は沈黙に支配され、出入口と思われる場所から三人の人間が歩いて来る。
パイロットは三人を視界に入れた瞬間、背筋を正した。調達係の殆どはパイロットの様子に訝しんだが、少数は同様に背筋を直立にさせる。
郷田は少数の側だ。紺色のパーカーを羽織った美男美女を見た刹那、瞬間的に彼はだらけている性根ごと仕事モードに切り替えた。
「本日の面会希望者を連れて参りました!」
「――お疲れ様です」
パイロットは敬礼をしてパーカーの男女に報告を発する。
その男女は穏やかな表情をしていた。年は学生かと思う程に若く、しかし男一人に女二人の彼等は大人のような落ち着きを有している。
三人の内、男が一歩前に出た。
「本日は此方にお越しいただきありがとうございます。 アラヤシキ所属・情報管理部のレンジです。 皆々様のご予定は御聞きしておりますので、このまま直ぐに資材管理部の担当者にお繋ぎ致します」
緩やかに、そして自然に。
学生のような姿でありながらも社会人のようにスムーズに言葉を述べる様子に、皆は真顔の裏で感心している。
これは躾けが施されているのではない。自分の意思で此処で働くことを選択し、そして働くことに不満を覚えていないが故に穏やかさを保っている。
他をまだ見ていないので何とも言えないが、少なくとも彼等の周りは非常に働き易い環境になっているのだろう。
それを郷田は、僅かであれど羨ましく感じていた。