【百四十一点】新天地の初仕事
未来ある若人とは、言ってしまえば経験の浅い若者である。
夢を持ち、情熱を胸に、勢い任せで行けるところまで突き進む。多少の躓きでは止まることもなく、気付けば大きな落とし穴が待ち受ける道を超特急で駆けていく。
青いとも言えるだろう。故に重職には経験を積んだ人物が推され、自然と社会の富裕層は中年から老年になる。
彼等は苦労をした者と、していない者の二つに大別されていた。
自身の力で上を掴み取った者。他者を蹴り落として席に座った者。彼等は時に対立し、時に協力する関係を築き上げている。
社会とは常に流動的で、実に複雑だ。昨日の友が明日の敵であるなど当たり前の世界で、自身の金の成る木を必死に育てている。
金持ちになるのは簡単なものではない。苦労を重ねに重ね、犯罪すらも犯し、無数の人間を利用し合って漸く不安定な形で玉座を手にすることが出来る。
故に、安々とその世界に入ってきた者に対しては彼等は敵対的だ。特に大きな苦労もせずに、加えて若者であれば過敏に反応する。
例えば――俊樹の重職就任。
表立っては皆の雰囲気は歓迎ムードだった。他に任せられる人間が居なかったというのもあるが、彼は偉人のAIによって後継者であると正式に認められている。
これに否を言える人間は居ない。ただの政治家や金持ちであれば話は違うが、世界を文字通り救った者達の言葉だ。
それがAIであっても重大な意味を持つのは間違いなく、如何なる情報収集の手段もヴァーテックスや政府が封じていた。
面白くないのは富裕層だ。
これは一部だけの考えであるが、ヴァーテックスが俊樹という切り札を手にしたことで富の分配を公平にすることが出来るようになってしまった。
これまでは裏で出来ていた取引も不可能となり、必然的に何処かへと優先的に資源を提供する際には正式書類を用意しなければならなくなる。
その書類は長い期間残り続けるものだ。故に、不正など許される筈もない。
四家を介した大企業への優先提供。これまでは出来ていたことが出来なくなり、彼等は実に多くの不満を抱えている。
事業の見直し、もしくは撤退は間違いなく出てしまう。その分だけ他の中小企業に資源が流れ、これまで少ない量しか提供されなかった企業が大きくなる可能性が出た。
「……来てからの最初の仕事がこれって、なんだかなぁ」
溜息が室内に流れる。
アラヤシキの居住スペース。その空間に建てられた基本的な一戸建ての家の一部屋には、複数のモニターが付いたパソコンが置かれている。
モニターに映っているのは生産装置が作っていた資源の行先だ。中身そのものは酷く普通の物ばかりだが、割合が明らかに大企業や政府に偏っている。
これは日本だけではない。全世界の国々で同様の状態が伺え、モニターを眺めていた男――俊樹は呆れるしかなかった。
彼の引っ越しは実に密やかに行われた。
報道陣に察知される前の深夜の時刻に荷物を外に運び出し、車ではなくルリによる空中移動で直接アラヤシキに向かったのである。
終わったのは数日前。既に戸籍は変わり、まだ認めていない国がありながらもアラヤシキは限定的に国家として認識されつつある。
必然、彼がそちらに移ったことは既に報道局を通じて世間にも流れている。これで企業どころか政府の人間が直接彼と交渉する機会は喪失され、今後の全てを正確な書類や会議によって決めることになった。
しかし、彼は会議の場には出ない。別の担当が彼の代わりに会議に参加し、百戦錬磨の交渉対決に乗り出すのだ。
その最初の会議は一ヶ月後となり、それまでの間に最低限の知識を俊樹は頭に叩き込まねばならない。
彼は責任者だ。身の危険を鑑みて会議の場に出席しないし、具体的な実務は書類上の部下に任せきりになってしまうが、それでも重職に座った人間である。
学ばなくて良いなどと有り得ない。今はまだまだ座らされた子供であっても、絶対に意見を言えるくらいにはなろうとしていた。
そんな彼に舞い込んだ初仕事が、不満を零す者達の対処だ。
投資家が、社長が、政治家が、ありとあらゆる大きな組織に属する重職者達がこの現状に文句を吐き出している。
零し先はSNSであったり、ニュースであったりとどれも世間の目に容易に晒される場所だ。彼等は大々的に俊樹を攻撃することはないが、僅かな言葉の中に毒を含ませて徐々に徐々にと不満の毒を世間に流し込もうとしている。
その毒一つ一つは大した量ではない。けれども、多くの社会的責任が重い者達が似たような意見を口にすればその意見に人々も流されてしまう。
誰も彼もが自身の意見を持っている訳ではないのだ。流される方が楽であるならば、弱い人間程簡単に流されてしまう。
「ご丁寧に奴等を血祭りにする証拠品は確りあると。 用意したのはきっとあいつらだろうな」
俊樹が想像するのはアラヤシキ内で彼の部下筆頭とされた黒い外套姿の集団だ。
四家で生き残り、完全な味方として認識されていた隠密。悟と名乗る男はアラヤシキに入って以降も彼の手足となって動くことを決めていた。
それが却下される可能性はあったが、決定権を有する怜は反対を口にせずにそのまま維持することを良しとしている。その代わりに情報収集を常に命じられる立場になったが、彼としては俊樹の役に立てるのであればと了承していた。
純粋な意味で部下と言えるのは悟だけだ。そして悟は、多くの俊樹に対する誹謗中傷を目にする機会を得た。
欲に目が眩む人間を彼は知っていたが、自身の主が過度にこき下ろされている様に不満を覚えない筈もない。
徹底的に情報を漁り、潰すに足る材料を俊樹に渡した。
その後どうするかは俊樹次第となるが、悟は確信している。自分の主が馬鹿にされ続けている状況を許す筈がないことを。
一定のラインを既に富裕層に居る人間は超えてしまっている。未だ直接的な被害が無いのは、単に俊樹が命じていないだけ。
偉人に対しても一定の命令権を有する俊樹が怜に相談するだけで、各会社の長や政治家達は路傍の石にまで自身の地位を落すことになるだろう。
「こりゃ舐められるのを避ける為にやるしかないかね」
『――それが一番だな』
俊樹の内側から声が聞こえた。
馴染のある低く落ち着く声の持ち主は大英雄のものだ。本格的な覚醒を果たした今、彼等は意識を底に沈めずとも会話を交わすことが出来る。
『彼はお前の為に行動した。 ならば、それを返す必要がある。 例えお前が望んでいなくともな』
「道理だって? ……まぁ、それは当然だけどさ」
『アラヤシキの為でもある。 管理者という立場は低いものではないのに、敵は容易にその座を破壊することが出来ると考えるだろう。 国として動かしている以上は多少なりとて他国の頼みに応える必要があり、そこにお前以外の決定権の介入が含まれる可能性がある』
「俺が相応しいと思わせなければ何れ面倒な事態に発展する。 そうなる前に、使える手札でさっさと地盤を固めてしまえと?」
『今のお前は何の実績も無い。 精々が四家の粛清だが、矢面に立っていたのはヴァーテックスであってお前自身ではない。 つまりお前は、短時間で管理者らしい成果を世間に見せなければならない』
至極当然であるが、人が信用するには理由が必要だ。
それは過程や結果であり、世の中は実績によって上下が明確になる。不正行為によってその差を変えられたとしても、当人の姿を見ればどちらが上か下かは半ば自然と解ってくるようになるものだ。
今の俊樹は七光に極めて近い。縁故採用で入ってきた身内のようなもので、故に早い段階で実績を作らねば企業達が攻勢になる。
企業の勢いを、政治家の攻撃を止めたいのであれば早急に動いた方が良い。
その現在、止められるだけの手札は十分にある。俊樹が命じた訳ではないが、彼が問題行為の目立つ企業に怜の許可を得て情報を探った。
なら、それを使うとしよう。彼の為にもそれが無駄となるのは些か勿体無くも感じてしまった。
「一度に全公開か、じわじわと公開。 どっちの方がダメージがあるかな?」
『一度では何処かの企業が隠れて目立たなくなるだろうな。 一ヶ月毎に公開していけば中々のダメージになると思うぞ?』
各企業の不正に関する証拠は実に多い。その全てを一度に公開しては社会が大混乱に陥るのは間違いない。
それでは罰されるべき人間が罰されなくなる可能性がある。よって、一ヶ月に数社の企業を攻めることとした。
やることが決まれば打つべき手も自然と定まっていく。交渉担当の偉人との話し合いや、権力者である怜やガトーへの連絡。
後は繋げ役となるヴァーテックスにも事前に予定を伝えておき、事態を大きくするように誘導。
テレビ局とは繋がりは無いものの、彼等は良いネタがあれば自然と集まる肉食動物のようなものだ。勝手にこの事態を大々的に報道するだろう。
「生産装置の管理者の初仕事が人間の闇を暴くことって、どうなんだ?」
『良いんじゃないか? 自分は公平を愛する人間だと世間に証明する機会だ』
一つの闇が消えても、新しい闇は何処からか必ず発生する。
潰して潰して、何度も叩いてそれでも悪性は誰かを襲うのだ。人間の生活がどれだけ豊かになったとて、悪を行使する者と正義を行使する者は発生し続ける。
人間とは愚かな生き物だ。それを理解した上で、人は誰かと繋がりを持たなければ生きてはいけない。
けれど、悪の蔓延る世界から足抜けすることは出来る。
裁き、正義を完遂し、一人でも狂った者を駆逐する。誰しもが悲しい結果に終わらないよう、凛と前を向いて悪を殺し尽くす。
忘れるなかれ、人は誰だって悪の道を進むことがある。自分はそうはならないと語っても、気付かぬ内に犯罪者になっていた可能性はあるのだ。
余計な波風は要らない。面倒極まる生活など御免被りたい。
望んだ未来へ逃避する為に、その一ヶ月後に俊樹は複数の会社の不正情報を世間に公表した。
隠せようがない映像や書類画像と共に。逃げることなど許さないと軍も向かわせて。
日本の何処かで悲鳴が上がった。その悲鳴が悪人の断末魔となり、皆が俊樹を見る目が自然と変わっていく。
正義の管理人。処刑人。無情の鬼。
不穏な二つ名と共に、彼には多くの自由が与えられることになる。あらゆる権力者達が彼を恐れ、怯え、丸まったのだ。
一年後も二年後もそれは続く。日本の法で裁けなくとも問答無用で悪の様を公開し、偉人とは異なる方向で彼自身も伝説になっていくのだった。