【百三十三点】土に万歳!
「全力は出せないとお前は語った。 であれば、ここは俺に任せてもらおう」
『文句は無い。 怜は管理者として前任を始末してくれ』
「了解だ。 では、一時的に肉体を放棄するぞ。 くれぐれも壊すような真似は止めてくれると助かる」
「確約は出来んな。 では――」
猿は藻掻き、大地の槍が折れる。
転げ落ち、自身の手で抉るように槍を引き抜いて肉体を回復させた。
炎の勢いは明確に落ちている。最初と比べれば遥かに弱まり、その様を見ていたガトーは心底に残念そうにしていた。
まるで全力のお前と戦ってみたかったと言わんばかりに。
「先ずは檻だ」
パーカーが風が無いのに揺らめく。
地響きが突如として辺りに広がり、局所地震が猿を中心に発生を始めた。
此処にある人工物は少ない。殆どが自然的な物に溢れ、それは即ちこの男にとって最適なフィールドと言っても過言ではない。
猿は一刻も早くその場を離れようと四肢に力を入れて立ち上がる。しかしそれを事前に予測していたか、ガトーは手と足を地面に沈めた。
沼のようにゆっくりとはならず、敵にとっては突如落とし穴に嵌まった感覚に陥った筈だ。
落ちた瞬間は僅かであるが、沈んだ手首と足首を引き抜こうとしてもまったく抜ける様子が無い。
茶色の土が盛り上がっていく。何の道具も無しに大量の土砂が粘土のように蠢き、猿を覆い尽くさんと被さる。
猿も自身の炎を爆発させたり、あるいは口から収束させた炎を放射させて土砂を吹き飛ばすが、土の量がそもそも段違いだ。
炎はこの周辺に自然的に発生してはくれない。土とは大地であり、人が生きる上で欠かせない土地を構成する第一要素だ。
水の方が地球では量が多いものの、猿の勢いを止める程度ならば周辺の土で十分に成すことが出来る。
馬鹿みたいな出力を有してはいても、やはり自然が相手では現在の猿の保有量では覆すのは不可能だ。
そのまま猿は飲み込まれ、土は形を変え、猛獣を閉じ込める鉄格子付きの檻と化す。四肢を完全に拘束された猿は一歩も動けず、故にこそ反撃手段は精々が口からの攻撃くらいなものだ。
炎を完全に操作すればその限りではないが、やはり本能的な怪物には人間の緻密な操作は難しい。
手首や足首に炎を集中させての一点爆破であれば脱出も可能であるが、それをする気配は一切見受けられなかった。
「拘束はこれで完了した。 時間稼ぎをする分には然程困ることもあるまい」
「すっげぇ……」
ガトーは事も無げにそう言うが、俊樹は素直に感嘆している。
炎も氷も、それこそオームの怪力とて凄まじいものだ。超能力とはやはり人知を超えた領域に存在し、その才を極めた者には莫大な恩恵を与える。
土もまた、その力は偉大の一言。あらゆる土が味方となるこの力の前では、先ず発生しない場所を用意することが難しい。
出来るとすれば宇宙空間か深海くらいなもの。範囲は定かではないが、広ければ深海の底にある土を運ぶことも可能かもしれない。
超能力とは厄介事を呼ぶ種ではある。しかし、俊樹が今見ている土の能力は非常に有用だと言わざるを得ない。
足止め、形状変化による攻撃、そして同じく形状変化による防御。
対応性の高い力というのは、つまり隠れることにも適している。土の中に逃げ込めば、流石に多くの人間は見つけることは難しい。
逃げるという点で俊樹は素晴らしいと考えていた。神出鬼没で世界中を移動出来れば、相手は此方を捉えることも難しい。
どうせ使うことになるのなら此方だなと俊樹は確信を深め、それが使えない事実を酷く残念にも思ってしまった。
その間も猿は全力で四肢を引き千切る勢いで腕や足を抜こうとするが、やはりどうしても脱出が出来ていない。残念ながら、猿にとってはこれが限界なのだ。
「炎を奪うか? あれの再生力はお前の炎が起点となっているからな」
『……そうしておくか。 俊樹、接近を』
「了解」
地面を駆け、猿に近付く。
一挙手一投足を警戒しながら近寄り、相手の大きさを再度理解させられる。
ビルを見上げるように首を上に向けつつ、猿の目前で片手を前に突き出した。俊樹に細かい部分は解らないが、後は大英雄がやってくれるだろうとそもそもの思考を放棄。
大英雄は炎の一部を紐のように伸ばし、猿の体表に出現している黒炎と接触した。
瞬間、体表の黒が徐々に徐々にと蒼へと染め上げられていく。星が炎を奪ったことと同じことをしているのだ。
逆浸食。星も何とか奪った分を取られまいと抵抗するが、やはり元々の持ち主である事実は強い。
炎は奪ったばかり。完全に持ち主の情報が書き換わっていない以上、一度接触して教えてやれば勝手に炎が思い出して戻ろうとする。
彼の炎は普通の炎ではない。
大英雄としての心の一部を有し、長く人々の歴史を見て来た原初の概念である。
そこに人の意思が宿らないとどうして言えるだろう。ましてや、一番間近で大きな人の魂に接し続けていれば言葉を発することは出来なくとも何等かの意思は誕生を果たす。
思い出した炎達が俊樹の肉体を通じ、大英雄へと戻る。
更にそこから保管している場所へと流れ込み、元の状態へと帰還。それを許さんと猿は黒炎の牙を俊樹に放つが、蒼の焔が壁として防ぎ切る。
そして、触れた炎が全てを思い出して戻っていくのだ。猿が物理的な攻撃手段に出ない限り、俊樹達が負けることはない。
僅か数分。体表の全てが蒼に染まり、一斉にそれらは猿から離れて俊樹に集まる。
体表の無くなった身体は毛の無い動物だ。肌色と呼ぶには黒々とした細い体躯を晒し、本当はあまり太くはないのだと皆が理解する。
元は女性であることと、やはり人間の身体では限界があったのだろう。本当の怪獣であれば更に何かしらの武器を体内に備えているものだが、件の猿にその気配は一切確認されなかった。
怪獣は怪獣でも、この生物は所詮は急造。完成された個体と比べれば、お粗末に過ぎる肉体に成り果てている。
『哀れなものだ。 炎の無くなったお前に、最早勝てる芽は一つも無い。 これが他に怪獣が居た時代であれば、怪獣同士の食い合いに負けて食料にされていたな』
「今なら俺でも余裕で勝てそうだ。 なんというか、見掛け倒しだな」
元より足りない部分を他所の力で補っていたのだ。それが無くなれば、後に残るのは情けない残滓のみである。
炎が消えたことで猿の力も目に見えて落ちた。他はまだ解っていないが、土を操作するガトーは相手の抵抗力の低下を土経由で感じている。
これが猿本来の能力なのだろう。これを過去に相手をしていた怪獣と比較するのなら、最低ランクのものだ。
勝ったとはまだ言えない。けれど、勝ちには一気に近付いた。
まだ殺すことはしないが、怜の結果次第で即座に殺す。これについては誰の許可も求めない。
そして件の怜は、既に自身の肉体を抜け出して魂だけの状態で管理者の座を目指す。
離れてから一年も経過していないし、もっと言えば最初にそこを通った時と周りの景色は何一つとして変化していない。
宇宙空間のような、星々が散らばっているような円柱形の道。地球から一直線に伸びているその道を駆け抜け、彼女が改造した室内へと飛び込む。
内部はアラヤシキ同様、機械的な壁や床で構築されている。元は何も無い空間が広がるだけで不便極まりない状態だった。
何も無い世界が広がっている空間で作業をしていると感覚が狂うのは人の常だが、怜にもそれは当て嵌まる。
正確に言えば僅かに感覚に歪みが生じる程度であるものの、それで何か間違えて失態となりたくはない。
よって、彼女は管理者権限で内装を変えた。そして、それは星にとって随分と過し辛いものであると言える。
直接管理者用の部屋に向かい、そこが汚染されていないことを確認してシステムの全てをオンラインに変える。
履歴を漁れば何処がどう狂ったのかは一目瞭然。炎が収められている部屋が汚染されているのは解っていたが、それ以外にも管理部屋を目指して汚染の範囲を伸ばしているのが見て解った。
「骨が折れるね。 んじゃあ――さっさと廃棄処分しますか」




