【百三十二点】絶望の黒
青空の中で殴打の鈍い音が鳴り続ける。
腕、足、胴、顔と猿は槌に殴られ、殴られた側は常に地面に這い蹲っていた。
オームはこれまで見てきた中でも特に速く対象の殲滅に動いている。相手の回復力を大きく上回る勢いで肉を叩き、骨を折り、肉体の形そのものを変形させていた。
『まだ動けるだろう? ……立て、塵が』
幾度となく殴られ、まともな反撃も許さない。
己の身に炎が移っても勢いの止まらぬ彼女を、見ていた者達は鬼のようだと戦々恐々とする。
だが、やはり彼女に移った炎をそのままにするのは不味い。まだまだ彼女の防護服が中身を燃やさないようにしているが、このまま万が一が起きて肉体が損壊するのは戦力の決定的な低下だ。
急いで傍まで向かい、大英雄が炎の主導権を奪って消す。
傍に彼が居ることで怒りは薄らぎ、彼女は少々羞恥を感じさせるような声で申し訳ございませんと口にした。
『お前の怒りは理解している。 謝る必要は無い。 だが自身の身体は慮っておくべきだな。 その身体は以前程の高いスペックを持っていないのだから』
『っは。 衝動に任せてしまったこと、誠に……』
『二度も言わせるな。 謝罪は不要だ』
遮り、それよりもと大英雄は顔を傷だらけの猿に向けた。
無数の槌による殴打を受けた猿は極端に身体が変形している。曲がらない方法に腕は曲がり、足は何度も粉々に砕かれた所為で力無く垂れ下がり、胴体には大小様々なクレーターのような凹凸があった。
毛のように生えている炎の量も少ない。存在の維持に全力を傾けているのか、先程までと比較すると熱量は約半分にまで落ち込んでいる。
明らかな弱体化。オームの怒りに任せた乱打によって、相手は既に幾度死んでもおかしくない損傷を負った。
それを強引に回復させようとすれば、必然的に力の過半がそちらに集中する。
炎の主導権は何時だって大英雄だ。あちらがこちらの炎を奪取しているのであれば、大英雄自身の手で遮断するのは容易い。
奪われた量は全体で比較すれば大したものではなかった。雀の涙に等しく、それでも人間を化け物に変えた上で存在を維持することを可能としている。
生命の火。
遍く命を照らすからこそ、僅かな力でも人類には絶大な影響を与えることが可能となる。
砕けた骨が傍の骨と繋がり合い、歪な形に修復された。
曲がった腕は背筋の凍る異音と共に元の方向に曲がり、凹んだ箇所は元の膨らみを取り戻す。
あれだけ殴ったにも関わらず、少しでも放置すれば猿は四つん這いで動ける程度にまで回復を果たした。
やはり倒すのであれば純粋な暴力だけでは足りない。星の意思と怪獣の双方を打倒しなければ致命傷とはなりえず、大英雄は現在星へアクセスする手段を持ってはいなかった。
出来るのは閲覧程度。そこは他の偉人と変わらず――――故に彼は敢えてオームの足を止めさせた。
猿が咆哮を上げる。
か細い呻き声ではなく、より野性味のある心底からの叫びが全員の鼓膜を揺さぶった。
怒りを抱き、恨みを抱き、殺してやると殺意を滾らせ、俊樹に狙いを定める。
猿が、そして星が最初に望むの最優先での大敵の撃破。大英雄が肉体を有する前に俊樹を殺し、その意識ごと闇に葬り去る。
大英雄さえ死ねば、無限の炎が自身の手に渡るのだ。それを使って怪獣を量産し、二度と立ち上がらせない為に徹底的に今の社会を破壊する。
怪獣による天下。破壊の先に創造があるように、星はそれを成して自身を再度王者に戻そうと企んでいた。
猿の体躯が跳ねる。供給出来る炎には限界が存在するのだからと、今この瞬間における全力を傾けて俊樹の身体を粉砕せんと迫った。
「……ッ、まだ!」
『動くな』
「は!? なんでだよ!!」
『もう間に合ったからだ。 そうだろう、なぁ』
澪。
呟かれた大英雄の言葉。眼前にまで迫る猿は俊樹が自身から視線を外していることを本能的に好機であると判断して――次の瞬間には大地から生える土色の槍が猿の腹を食い破った。
『――うぉぉぉぉぉぉぉぉ!?!?!?!?!?!?!?』
中空で体躯が強制的に停止する。
大地から生える大小様々な槍は、共に土から作られたとは思えぬ硬度で対象を串刺し状態へと変えていった。
激痛が猿の全身を巡る。星も一体どういうことかと猿の顔を乱暴に振らせ、遥か空の上に座す二人を見た。
それは女。それは男。白と黒の色違いのパーカーを着た二名は、上空で静かに猿を含めた戦場を見下ろしている。
その二人は猿が藻掻いている間に悠々と自身の身体を地面に降ろし、俊樹達と対面した。
片方は怜。涼やかな眼差しは更に鋭く尖り、白のパーカーから白い冷気が絶えず噴出している。
そしてもう一人は、黒いパーカーを羽織った肉食獣のような狂相の男だ。
「これはこれは、実に懐かしい……。 五百年振りだったか?」
「ああ。 星がなるだけ最高の素材で作った怪獣だ。 元は人間だが、まぁベースにはレッドと私のDNA情報が使われている」
「嘗ての敵を有効利用しようということか。 実にらしいじゃないか、天晴だよ」
黒髪に黒目。
頬が裂ける程に口角を歪めた男に、およそ安心感と呼べるものはない。油断をすれば此方が殺されてしまうのではないか。
俊樹の本能的な部分が警報を鳴らし、黒い男は怪獣から彼に視線を移した。
「おお、彼が後継者殿かね? 実に似ているが、名前を聞いてもよろしいかな?」
「……あんたも偉人なのか」
「偉人というと気恥ずかしいが、世間一般ではそう言われているな。 俺としては偉人という括りではなく、ガトーと呼んでくれると幸いだ。 本名は何故か口に出せないが、まぁ気にするな」
「気にするなって……はぁ。 俊樹だ。 桜・俊樹」
男ことガトーは、実に呑気だった。
恐ろしい顔をしていながらも口調は穏やかで、しかし尊大な部分も見える。
名前を聞かれて溜息混じりに答えれば、ガトーはそうかとだけ返して再度目を怪獣へと戻した。
「さてレッドよ。 お前は何故、これを放置している?」
ざわりと、俊樹は全身の肌が立つ感覚を抱く。
別に彼本人に圧を掛けている訳ではない。その隣で無言で立つ大英雄に圧を掛け、ただ純粋な疑問をぶつけているだけだ。
それだけにも関わらず、この男は抑えるべきものを抑える努力をしていなかった。だからこそ、感知などにまったく長けていない俊樹でもこの男は恐ろしいと速攻で理解したのだ。
その圧をより強めたものをぶつけられた大英雄は、まったく怯えた様子も見せなかった。
『全力でやればあの猿程度に遅れを取ることはない。 しかし、今の俺には肉体が無い。 加え、無理にこいつから離れようとすれば何が起きるかも解らない程に共鳴している状態にある。 こいつの自壊をなるべく抑えた形で戦う。 その結果が現在の状態だ』
「蒼炎を出しておいてか? まぁ、出力事態は丁度だが……取り敢えずは理解した。 それで?」
『面倒なのは星の介入が現在も続いていることだ。 それをさっさと潰しておきたい』
「……となると、私の出番だな」
会話にあまり参加しなかった怜が前に出る。
この中で星の管理者権限を有しているのは彼女だけ。必然的に彼女にしか出来ない仕事であり、大英雄もそうだと首肯を示す。
怪獣を撃破するだけでこの戦いは終わらない。再度終わらせる為にも、怜と大英雄は別々の場所で戦うことになる。
「ガトーのボディは新造したばかりだそうだ。 此処に来たのもつい数十分前だったし、全力で戦うことは余裕だろう。 基軸はガトーとし、後はお前達のアレンジで戦闘不能に追い込め」
「承知した」
『解った』
三人が横に並んだ。
威風堂々とした様に、勝利の確信に満ちた表情。役割分担を迅速に済ませ、他の偉人達は一切の口を挟まない。
その様に、俊樹は過去の学校で見た映像を思い出す。
授業の一環として巨大モニターに映し出された映像には、当時のトップについての詳細なインタビューが記録されていた。
そこには大英雄と怜、そしてガトーの姿も居たのである。
つまり、とここで俊樹は事実に行き着いた。三強と呼ばれていた最後の人物が、ついに現世に再誕を果たしたのだと。
最早、この勝負に負けはない。




