【十三点】介入者
「勢いで抜けたけどそういや此処って何処だよ!」
全速力で駆けながら俊樹は背後で抱えている父に大声で問いかける。
足は家を囲う分厚い石の塀を飛び越え、自然豊かな森を易々と走破。寧ろ太い枝から枝へと飛び跳ねることも実現し、普段の俊樹であれば先ず出来ないであろう勢いで逃走を一時的に成功させていた。
「本邸については一般公開されていない。 けどま、俺は怜の旦那だからな。 あっちの方向に直進すれば東京にまで行き着く」
指を差す先は道無き森林だ。獣道は僅かに見えるものの、その先を普段着の状態で進むのは危険が過ぎる。最悪は野宿の可能性も加味せねばならないが、それでも今逃げておかねばどんどんと戦力が増やされていく。
二人の背後では無数の声が聞こえていた。未だ距離はあるので直ぐに捕まることはないが、それでもゆっくりする理由は無い。
身体能力の向上に俊樹は改めて驚く。手垢のついた表現ではあるも、自身の重量が羽根になったかのようだ。
体力切れも訪れる様子は無い。普段であればそもそも木に登った段階で息が荒くなる筈だが、創炎はそんな常識も無視している。
「そういやなんてことないようにあの場で寝っ転がってたけど、親父って普通の家の出身なんだよな?」
「そうだぜ? 名家の血を引いている訳でもなければ、親戚に著名人が居る訳でもない。 正真正銘、普通のお父さんさ」
「それでどうやって母さんに会ったんだよ」
走りながら、ふと俊樹は胸に湧いた疑問を父に尋ねる。
父の生まれが平々凡々とした家からであることは何度も言われてきたが、今日この時間を経た後だと信憑性が薄くなった。
当主の前でも座る真似をせずに寝っ転がったまま。礼儀なんて欠片も無く、口調とて普段通りでまるで敬っていない。
怪我人であることを加味しても、父の態度はあまりにも悪かった。だからこそ不思議だったのだ。
そこまでの事が出来る人物と自身の母がどのように出会ったのかと。
父は彼からの質問に暫く空を眺め、次いで息を吐く。意を決したような様子の父の反応に、何かあるのだと彼も集中する。
「長ったらしいから簡単に纏めてやる。 先ず俺は、若い頃に修理屋を営んでいた。 ARのな」
「営んでた? でも確か……」
「今はもう無いぞ? あいつが死んでからは店を畳んで、なるべく関係無い生活をするようにしていたんだ」
父は嘗て、一人で修理屋を開いていた。
溜め込んでいた金を全部使って、夢であるAR専門の大型修理店を始めたのだ。
今の時代、地方の学校には練習用のARが設置されている。ARを用いた大会は世界全土まで広がり、参加者の枠も広く用意されていた。
一般の人間でも時の人になることが出来る。腕や頭が正常に稼働していれば障害者でも関係が無いことで、実際に地方大会も含めて全国で小規模な戦いが繰り広げられていた。
世は正にアサルト・ロボッツ。この時代が変わるのは二百年も後だろうと評論家が語ったことで、関連商品が様々な企業から出されている。
当然、それだけ需要があれば多くのARが求められてしまう。
多数のARが製造され、そうなれば必然的に修理業者も多く求められた。父は元より機械弄りを好いていて、そこからよりロマンのあるARに直に触れる仕事をしたいと考えたのだ。
結果的に父が都会ではなく地方に店を開いたことで周辺の学校は彼を頼った。
料金も低めに設定したお蔭でお得意様も増え、消えてしまった資金も三年が経過する頃には元通りになったのである。
「んで、俺が少し有名になった時に一人の客が来た。 そいつはARを練習中にぶっ壊したみたいで、普段使っている修理業者が丁度忙しくて頼めなかったんだよ。 間が悪いことにその機体で近々大会にも参加する予定だったみたいでな、なるべく早く元通りにしなきゃならんかった」
「その人が?」
「そ。 最初に顔を合わせた時はびっくりしたもんだ。 超綺麗な女が左右に黒服の男を立たせてたんだから。 しかも修理の話をしている過程で期待なんてしていないって言われたんだ」
その当時の父は妻である怜を生意気な女とだけ思っていた。
同時に、これで失敗などしたくないと。
運ばれて来たARは量産品ではなく、彼女用のカスタム機。完全調整が成された機体を修理するにはより専門的な腕が必要であったが、見返すことだけを目的に父はそれを完璧に仕上げた。――いや、完璧以上に仕上げた。
「修理した奴を持って行かせて、そんで暫くしたらいきなり専属の話が来た。 あいつが自分の意思だけで専属になってくれと頼みに来たんだ。 盛大に家からは反対されただろうによ」
彼女は名家の中の名家出身。
一般の修理屋に頼むのではなく、確りとAR専門の製造会社に修理を頼むべきだ。それが自然な流れで、怜もまたそれは理解していただろう。
その上で周囲の反対を押し切って父に修理を頼んだ。彼女の専用機を完璧に仕上げることが出来る者は、きっと彼しかいないと思ったが故に。
「そこから色々な大会にメカニックとして参加した。 四家の連中とは激突ばかりだったが、それでもあいつとの日々は輝いていたぜ」
本当にそう思っているのだろう。深く幸福気に語る親の声に、俊樹の口も緩む。
ああ、これこそが夫婦のあるべき姿だ。己にとっての最良を目指したが為に到達した、幸せな世界。
母親との日々は父に幸福を与えた。そして、父との日々は母親に幸福を与えた。
双方の自由意志によって決定された結末を一体誰が悪く言えるだろう。少なくとも、俊樹は自身の親がこの二人であったことに感謝している。
言葉にするのは気恥ずかしくて言えないが、有難うと。
『――――どの口がそれを言うか』
穏やかな空気。敵地でありながらも二人は笑い合い、されどそんな時間は長くは続かない。
声が聞こえた。耳元で囁くような、森全体に響くような声が。
和やかな雰囲気が消える。俊樹も口を結び、木の枝から降りて大地をひた走る。
周囲に強化された耳と目を向け、何処から襲い掛かってきたとしても構わぬよう備えた。
『尊敬すべき我が姉はARによって死んだ。 死ぬ筈の無い理由で死んだのだ。 お前が失敗したが故に、姉は死んで此処に居ない』
瞬間、俊樹は父を投げた。
突然の投擲に父は驚くも、投げられた体勢で見えたものに険しい顔を浮かべる。
俊樹の真横。丁度首に向かって刃が迫っていた。それも人が持つサイズではなく、ARが持つサイズの代物だ。
突如として出現した刀身を俊樹は姿勢を落して滑るように回避した。
通り過ぎた剣は巨木を次々に切り倒し、やがてそれは途中で止まる。
剣の持ち主は切り倒した木々の向こうから悠々と姿を現した。全身は細く、棒人間に鎧を纏わせたような姿はいやに西洋的だ。
先程の剣も日本的な物ではなく、西洋のロングソード。柄に装飾が施されてはいるものの、刃には確りと殺傷性が残されている。
体調は二m半。ARとしては小さい部類に入るも、背の翼型ブースターによって大きい印象を与えた。
白い機体の頭部も鎧のヘルムに覆われ、スリットのような部分に目の発光が確認出来る。それは正確に二人を見つめていて、彼は確かに殺気を感じた。
『お前が姉の息子か。 そこの男の容姿を一部引き継ぐとは何たることだ。 姉を馬鹿にでもしているのか?』
「……あんたは」
俊樹の目前で相手は剣を地面に突き刺し、柄を両手で持って騎士のような構えを取る。
『四家筆頭・西条家の次男。 西条・晶斗。 お前にとっては叔父にあたるな』
口にした名に、二人は揃って凍った。




