【百二十二点】不正アクセス
喪服のような、という印象をカエはその女に抱いた。
腰まで伸びた黒髪に、瑞々しさのある肌。手には黒の扇子が握られ、唇は毒々しい赤に染まっている。
年齢にして三十前半だろうか。気が強そうな鋭い目に焦燥は無く、口元は余裕のある笑みに彩られている。
彼女が登場したことで使用人達は別種の怖れを抱いているようだった。カエに対する武力としての怖さではなく、純粋な恐怖が彼女に対して向けられている。
それを向けられた当人はまるで気にしていなかった。寧ろ、その視線を心地良いものとして感じているようだ。
カエは即座にああ、と納得を示した。この場を一瞬で支配した彼女が、今の西条家を取り仕切っている者なのだろう。
「初めまして。 貴方が現在の当主で?」
「忌々しいが、まだ仮だ。 親族連中は随分と野心家ばかりなのでな」
尊大で傲慢。
女の口から放たれる力に溢れた言葉は、この厳しい環境を生きる上では必須となる要素だ。
追い詰められた者達を纏めるには強いリーダーが求められる。彼女が元々そうであったかは定かではないが、ここまでの状況の変化によって多少なりとて影響を齎したのは確かだろう。
とはいえ、それ自体はまったくと意味が無い。彼女は強い口調を放つが、それが許されるのはよっぽど有利な時だけだ。
自分が悪い事をしているにも関わらず、まるで自分は間違っていない素振りをしている目前の女は実に狂っている。
西条の女であるならば、何も知らないということはないだろう。
当主がしていたこと、他の家の人間がしていたこと、そして自身がやったこと。全ては全て、本来は露見した段階で逮捕されるものだ。
凶悪犯罪者として処断されるところを、彼等は家の影響力だけで手を出されなかった。
権力者特有の、特別であるからこその優遇処置。
悪を悪として裁くには彼等の仕事は重要に過ぎて、これまでは放置という形で無視されてきた。
しかしそれも、最早過去の話。今の四家には無視をするだけの理由が無いし、対抗可能な戦力も揃った。
「随分な余裕ですが、此方を倒せるだけの策は思い付いたので?」
「策? ……それは弱い者が口にする言葉だ。 真に強い者に策などというものは必要無い」
両手を広げ、空を仰ぎ見る。
大層なポーズをする彼女に恐怖も不安も無く、あるのは自信の一言のみ。
負けるなど有り得ない。負ける未来は自身には訪れない。徹頭徹尾、勝つのは西条家だと信じて疑ってもいない。
勝利の確信。それを常に彼女は感じているのだ。
それが錯覚であると断じず、全ては創炎という運命が運んで来る。如何なる危機的状況であろうとも、勝者にはあらゆる幸運が訪れると胸に刻んで無くならない。
西条家の元当主にも似た特徴は、大英雄の勝利への執念が歪んだものだ。当初の理想を忘れ、彼女は勝つことそのものに執着している。
勝った先の未来が見えていない。勝てば何でも解決するのだと、無垢な子供のように信じているのだ。
異常極まりない。カエをして、精神異常者の極致と言わざるを得ない程に彼女は深みに嵌まってしまっている。
これが腐敗の原因。弱い人間だったからこそ、大英雄の炎に魅せられた。
あの炎があれば負けることはないと無根拠で信じ、己の運命をも乗せて暴走を始めている。
「見よ、この炎を! あの方が残した大火は正に私の周りに集まり、私を守護する盾にも矛にもなっている。 この雄々しき力を見て、一体どうやって不安を抱けば良いというのか」
ひらりと袖を翻しながら彼女は回る。――その拍子に、確かにカエは見た。
赤い炎でも、青い炎でもない、漆黒に染まった炎を。大英雄の正義が消失した、腐り果てた燃料を吸収した炎を。
錯覚などではない。カエの肉体に錯覚を与えることは不可能だ。内部の計測機器が彼女の炎を正確に観測し、その源泉を探っている。
そして到達するのは、未だ赤々と燃え上がる極大の太陽。怜が保管している創炎の大元から、彼女の黒い炎は発生している。
その意味を、カエは間違えることはない。目前の女は今、己が大事にしている宝を汚染しているのだ。
大英雄の炎の中に小さな黒点が見える。
それはまだ大した量ではないが、このまま彼女が生きているだけで黒点は大きくなっていくだろう。人々を照らす太陽が闇に落ち、その身を狂乱の炎へと変えるのだ。
一体何故だと、カエは疑問に思う。
元々大英雄の炎を使えるようにするには、怜の許可が必要となる。彼女は基本的にその許可を全てロックし、創炎を辿る形での侵入もブロックしていた筈だ。
なのに何故、この女はその炎を引き出すことが出来ている。――それではまるで、彼女もまた大英雄のように選ばれた者のようではないか。
「今日この日、偉人は地に沈む。 新たな時代を作るのは我々西条である!!」
「――戯言を。 貴様如きが成せる筈もないでしょう」
女の宣言を聞き、カエは最速で足を蹴る。
肉体の発揮出来る最大出力でもって女の目前に近付き、その頭蓋を破壊すべく神速の拳を放つ。
下手な小細工はしない。創炎使用者でも認識不可能な速度で、全力で彼女の顔面を確実に破壊する。
そう思っての一撃を、女は間に扇子を割り込ませて防いでみせた。
扇子は最低限の強度はあったのだろう。一撃を防いだ後に粉々になり、彼女の手から離れて地面に落ちる。
その瞬間をスローモーションのように眺めつつ、カエは退くことをしない。
どうしてか防がれた事実を理解しつつ、放つは五連撃。
正面、後方、左右に頂点。加速任せの蹴りを殆どラグが無く、相手は同じタイミングで別々の箇所にダメージを負ったと考えるだろう。
間違いなく回避は難しい。動いて逃げるか、全方位を防ぐ術が無ければ無傷では済まされなくなる。
――それを女は、事も無げに五つの方向全てに拳をぶつけて相殺した。
足に走る衝撃はカエをして並ではない。
人間のように痺れが発生することはないものの、疑似脳が足にダメージが刻まれたことを報告している。ダメージ自体は大したものではないが、そもそも彼女のボディにダメージが及んだことが問題だ。
偉人として相応しく作られた肉体は創炎使用者よりも硬い。無茶苦茶な戦いをする可能性を加味して、どうしても強靭なボディで生成しなければならなかった。
その肉体に傷が入るのであれば、相手は創炎による肉体強化も尋常の域に収まっていないことになる。
「……その力、誰に貰いました?」
「誰? 誰だと!? 決まっているだろう、我等が父よ!! あの方は私を頂点として君臨することを許したのだ。 その為の力だろう!」
カエの言葉に当然のように大英雄であると彼女は返した。
瞳は目まぐるしく色を変え、不気味な光を放っている。瞳孔が完全に開かれ、まともではないことをその目が雄弁に伝えていた。
使用人達も主の異常に困惑している。武器を手に持ちつつも、一体どうしてしまったのかと互いに顔を見合わせている者も居た。
そういった者達に対し、女は首を急加速で曲げて見やる。
「貴様等、何をしている……。 西条の使用人であるのならば、さっさと眼前の敵を排除せよ!!」
怒号を上げ、一番近い位置に居た使用人二名が突如黒い炎に襲われる。
燃やされた当人は突然の熱と痛みに悲鳴と絶叫を上げ、その場で転がりながら何とか炎を消そうと藻掻く。
だが、その努力は虚しく炎は燃え盛り続けた。全身を包み込まれ、高温が焼かれ続けた肉体は直ぐに炭化が始まり内臓をも焼き尽くす。
時間にして数分程度だろう。彼等にとっては地獄のような時間を過ごし、そのまま焼死体となってその場で転がった。
「貴様等が無能であり続ければ、そこの豚のようになるぞ。 ――さぁ、やれ」
狂った笑みで女が命令を発する。
殺されたくない使用人達は我先にと銃を前に向け、碌な狙いも付けずに引き金を押した。




