【百二十一点】砦の陥落まで後――
女が死んだ。
槌で潰された身体は四散し、威力が強過ぎる所為で肉片しかない。辛うじてそれが人間だと解るのは骨と、千切れた着物だった布ばかりだ。
その姿を皆は見ていた。見ていて、表情を変えない。俊樹も人の死を間近で見ていたことで、今更女が死んだ程度で動揺することもなかった。
所詮、彼女は死んで当然の人間だった。如何に殺すのは止めるべきだと世間が訴えても、悪人の最終的な処分先などあの世しかない。
居なくても良い人間など居ないとはよく聞く言葉だ。だがそれは、綺麗事に含まれた無垢な戯言でしかない。
不必要な人間は必ず世の中に一定数存在する。
例えば殺しを快楽とする人間、例えば汚職を繰り返す公務員、例えば人様の迷惑をまるで考慮しない人畜生。
そういった諸々は全て屠殺されるべきで、この女もそうなっただけの話。
誰も四家に好感など無いのだ。死体はそのまま放置され、残った肉片達は森に住まう動物達の栄養になるだろう。
視線を外し、皆は前に意識を向けた。俊樹が最初に歩き出したことで、特務部隊の面々も警戒を保ちながらゆっくりと前に進む。
道中の道程は非常に険しかった。元々整備のされていない道を選択した所為で、油断すれば足を掬われかねない道を進んでいる。
経験豊富な特務部隊や偉人達なら兎も角、俊樹では普段通りに歩くことは難しい。
警戒してゆっくりと動いているのは俊樹の為でもある。
慣れぬ道に確かに体力を削られながら、全員が目的の土地である西条家の正門を目指した。
「正門を開けたと同時に攻撃が来ると思われます。 特務部隊の方々にはくれぐれも防御のみに意識を向けてください。 生半な攻撃では恐らくまともに通じはしないでしょう」
「解りました。 あくまでも此方の武器はそちらであるということでよろしいですか?」
「それで構いません。 ですが、処断の際にはそちらの武器でお願いします」
「了解しました。 ……人目が無いことが今回は良かったですね」
「本来は彼等の消息を察知されない為のものでしたが、こうなっては逆に自身の首を絞めるようなものです。 此処で何が起きたとしても、一般の人が真実を知ることはないでしょう」
カエの言葉はヴァーテックスの対応を実に正しく見抜いていた。
配信では逮捕を口にしていたが、別に彼等は捕縛などするつもりがない。
発見次第、即座に殲滅。生かす道理を捨てた殲滅思想はどうしても世間受けが悪い。
これも印象操作と言われればその通り。ヴァーテックスとて自身の組織を守りたいのだから、嘘を吐くことも当然ある。
今は人間の組織なのだ。嘘も犯罪も、当たり前の如く存在している。
それを悪意を伴って行うのか、善意を持って行うのか。四家との違いは正にそこで、ヴァーテックスは善意でもって四家の人間を滅ぼすことを決めた。
生き残りもまた、俊樹の助けが無ければまともな末路を辿れない。今は協力中の美鈴や群達とて、彼が殺せと命じれば即日に殺されるだろう。
静かな進軍に、静かな森。
戦いが始まるにしては静か過ぎる空間は、さながら嵐の前の静けさが如く。
静かであればある程にこの後の苛烈さが際立ち、少なくない人死にが現れる。それは特務部隊の人間も変わらず、最後まで立っているのが何人になるかも定かではない。
やがて正門にまで到達し、その正面にカエが立つ。
正門は木製の重厚な両開きの物だった。金具に黒鉄が使われ、年代の経過によって染まった茶色の門は歴史を感じさせずにはいられない。
思わず破壊を躊躇われる姿は、国の重要文化財に指定されても否は無い。それを今から破壊するというのだから、中々に勿体無い真似だと言えよう。
門から続く壁は全て白かった。上には瓦が敷かれ、雨が壁を過剰に腐食させないように作られている。
今時では難しい、古代の建築技法には歴史に浅い俊樹でも興味がある。それは時間の流れによって生じるノスタルジーが刺激された結果なのだろうか。
自分は、過去にこんな家に住んだことがある。
そんなありもしないデジャブすら感じつつ、同時にそこに水を差す大小様々な殺意を門の向こう側から察知した。
「無粋と言えば、間違いなく無粋ですね。 このような門を作ったのであれば、内部の建物もきっと見事なものでしょう」
カエもまたそれを察知し、落胆の溜息を零す。
彼等は殺意をまったく隠そうともしていない。それは一見すると隠れることを考えず、自分達ならば勝てると驕っているように思える
けれど、よくよく気配を探れば解るのだ。垂れ流される殺意に紛れた、別の気配を。
冷静を保ち、相手が罠が掛かる瞬間を待っている。
狩人が如くに隠れてその時を待ち、訪れた瞬間に猟銃の引き金を押すつもりだ。
古典的で常套手段であるが、この方法を成功させるには相手に覚られないことが前提となる。
相手がカエだったのが運の尽きであるも、そもそも殺意を全開にさせる必要など無い。
隠れて気配を断てるのならば他の人間もそれを行い、自身の位置を気取られないように動いた方が生存率が高くなる。それをしていないのは、気配を断つ訓練を施していないか西条の人間に命令されたかのどちらか。
そして気配を潜めている者が居る以上、確率が高いのは後者となる。
つまり、彼等は周りの協力が無ければ完全に気配を断つことが出来ないと言外に宣言しているのだ。
「情けない……。 これで一番質が高いと言うのですから、早期に滅ぼすことを決めたのは不幸中の幸いでしたね」
技量は察した。中に居る西条家の人間の気質も理解した。
当主は太陽を求めるイカロスのような人間だったと移動中に情報を漁って理解していたが、それ以外は家の力を自身の都合の良いように使うことを至上の目的としている屑ばかり。
生かす価値が無いのであれば、手を抜く必要は無い。
完成したばかりの自身のボディに彼女は意識を巡らせ、機械的要素のある肉体を駆動させる。
右足を一歩踏み込む。
力の流れを正確に操作し、足裏から腕へと伝達させていく。
呼気を強め、意識は一点に門の中心へ。――――刹那、爆発を足から発生させて彼女は正門まで一直線に進んだ。
そのまま拳を流れる動作で後ろに引き、狙い通りに中心を穿つ。
閂で栓をした門はその見た目に相応しい強度を持っていた筈だが、彼女の一撃の前では濡れ紙を破くかのようにあっさりと金具が折れて門が吹き飛んだ。
その先に居るのは待ち構えていた集団。四家に所属するあらゆる武闘派の使用人達が突如襲い来る門に逃げ、場は沈黙に支配された。
ゆっくりとカエが内部に進む。
それに合わせて他の面々も前へ前へと歩き、誰にも襲われることなく内部への侵入を果たす。
カエはパーカーをはためかせながら、腕を組みつつ胸を張る。
全身から漲る闘気は濃密そのもの。心得の無い者にも圧として認識出来る莫大な気は、それだけで場を抑える一助になった。
「このような訪問を行い、誠に申し訳ございません。 我々としては穏便に全てを終わらせたかったのですが、そちらが垂れ流しにしている殺気を加味してこのような方法を取ることを選びました」
朗々と語る彼女に、使用人は酷く怯えた顔を向けた。
使用人達は武芸の心得がある。だからこそ、彼女が放った攻撃が人間技ではないことにも即座に気付いた。
彼女は武器を用いていない。彼女はその足で、腕で、歴史に幕を降ろしに来た。
西条家が実力として最も高いのは界隈を少しでも齧れば知れること。なればこそ、最高の戦力を用意するのも自然な話。
カエの瞳は創炎独自の不自然な色に染まっていない。――であれば、あの技を出せる彼女は古の人物その人となる。
「――ほう、中々過激なお嬢さんが来たもんだ」
負けるだろう。死ぬだろう。
怯える中で、しかし場違いな別の声が混ざる。怯える彼等の中から緩慢な動作で出て来たのは、黒の着物を纏った美貌の女だった。




