【百八点】銀の妖精は問いを投げる
ロック解除は一枚のゲートだった。
長方形の横に開く扉の中央には液晶が一枚取り付けられ、そこには短い文章が表示されている。
「この道、乗船者の許可を得よ」
乗船者とは即ち、五百年前の偉人だ。
此処が彼等の為の船である以上、当然ながら彼等の手助けが無くば中に入ることも出来はしない。
そしてこれは引っ掛けであるが、誰であろうとそこを開けられる訳ではない。
怜が扉の前に立ち、指をモニターに触れる。その指から船内のシステムは彼女へとアクセスを果たし、本人かどうかを確認するのだ。
人工物の身体では本人確認など出来ない。それ故に最初から人造の存在は誰しも承認など得られず、強制的に二の足を踏まされる。
怜は以前に必要な人材を口にしたが、その実本当に必要なのはたった二人だ。
『本人確認を終えました。 ご帰還を心よりお喜び申し上げます』
綺麗な少女の声がモニターから響き、ゲートが左右に開く。
その先にあるのは短い廊下に、同じゲートが一枚。奥にある扉が第二ロックであるのは言うまでもなく、全員が静かに歩を進めた。
総隊長が、隊員が、父が視線を彷徨わせる。
無機質でありながら暖色系の道に監視カメラの類は無い。しかしながら、全員はこの廊下に入った瞬間に誰かに見られているような感覚を抱いた。
見ている者が居るのか、それともこれはただの錯覚か。
システムは一人の偉人が操作していると怜は語っている。ならばその人物が全員を監視しているのだろうか。
ゲートの前に立つと、二つ目のモニターから文章が表示された。
――――我等は彼の為に船を漕ぐ。
何故か謎解きのような文章であるが、その答えは誰しも簡単に解る。それがどれだけ無茶な問題であるかも。
この船を手中に収めるには、大英雄本人が必要となる。怜が必要であるように、彼の存在なくして船が動くことはないのだ。
ゆっくりと大英雄が前に出る。モニターの前に立ち、彼が今度は指を当てた。
システムが肉の身体にアクセスを試みる。如何なる技術か、内側の奥の奥まで侵入を果たすシステムは魂の座に居る男二人と相対した。
『お久し振りでございます、レッド様』
空白の地帯にて、システムは青白い火の玉の形で語り掛けた。
俊樹は目を細めてそれに視線を集中する。まったく人の形をしていないにも関わらず、システムの声は随分と人間味を有していた。
「ああ、お前も変わらないようでなにより」
『私も目覚めたばかりですので、大きくは変わりません』
「……そうだな。 取り敢えず、此処をもう一度使えるようにしたい。 構わないか?」
『――一つ質問をさせてください』
親し気に語らう二人は、システム側が突然の質問をしても変わらない。
構わんともと実に気さくに話す大英雄に、システムはではと言葉を続ける。
『この船を手に入れて、貴方様は何をしますか?』
「使うのは俺ではない。 使うのは、そこに居る俺の後継者だよ」
びくりと俊樹の身体が一瞬震えた。
不意に火の玉と目が合ったような気がして、彼は先程と同様に視線を集中させたままにする。
相手は何かを推し量っているのか、暫く無言だ。万が一にもシステムが俊樹を拒否すれば、大英雄が居てもロックが解除されないのではないかと少々の不安を抱く。
「不安か?」
『貴方様のご意思であれば何の不安も御座いません。 ですが、やはり私としましては貴方様に再度舵を取っていただきたい』
システムの言葉は尤もだ。
後継者とは後を引き継ぐ者であって、当代とは別人である。当代が間もなく死ぬのであれば致し方無いが、少なくとも今の彼は魂だけの存在だ。
怜同様に肉体を与えれば、今度は人間の寿命に縛られずに同じ活動を継続することが可能となる。
であれば、態々後継者に後を任せる必要は無い。早々にその肉体を奪えば、ボディを作る時間もゆっくり取ることが出来る。
システムの言葉は解っていた。そも彼等は彼を先頭にして今まで行動していたのだから、これからも彼に率いてもらいたい。
大英雄はゆっくり首を横に振った。それはもうしてはいけないのだと、優しき父が如くに火の玉に現実を告げる。
「俺はもう終わった人間だ。 終わった奴が何時までもあれやこれやと言っては、老害そのものだよ。 新時代には新時代の者が立つべきで、俺達はもう旧時代の存在に過ぎない」
『しかし、収集した情報によれば我々の技術力に現在の人類は追い付いていません。 今一度栄華を誇ったところで、彼等が困惑することはあっても否定はしない筈です』
「それは傲慢だ。 もう五百年も経過して、俺達の存在はそれこそ教科書に載っているレベルで過去になっている。 それに、今は昔と比べれば平和だよ」
怪獣は居ない。彼等を排斥しようとする政府もまた居ない。
資源不足は解決され、困窮とは無縁となった。怪獣が暴れに暴れて経済が滅茶苦茶になる世の中は終わり、世は正に恒久の平和へと至ったのだ。
その背後にある闇とは戦う必要はある。どうしたとて人の闇はあるのだから、武力は何時まで経っても消えはしない。
しかしそれは、過去と比較すれば小さなものだ。決して収められない破滅ではなく、寧ろ逆に収め易い部類に入るだろう。
だから、もう彼等の時代は終わりを迎えたのだ。これを用いるのも、言ってしまえば自身が齎した悪を潰す為。
この幻想とは無縁の時代で、唯一幻想を有しているのは彼等の子孫に他ならない。
「俺は俺が作った負の存在を過去にしなければならない。 ――そしてそれは、新しい時代の者に任せた方が未来に繋がる」
大英雄が暴れて解決しては人は幻想に寄る。
そうではないのだ。我々は皆、幻想などに頼らずに生活出来る存在だ。馬鹿な真似をせずに温和に過ごせる術を、既に皆心得ている。
豊かな心に他者への愛。酷く綺麗事めいた概念こそが、真なる平和だ。
そこに幻想が挟まる余地は無い。故に次の時代を築くのは、俊樹のように現在を生きる者でなければならない。
『……御身の御判断に私は従います。 未来を指し示す日輪の主は、何百年経とうとも褪せぬ希望で御座います』
「よせ、そんな褒められ方をしても嬉しくもなんともない」
「――――あー、話は終わったか?」
二人だけの世界を展開する両者に、俊樹は気まずげに割って入る。
大英雄の考えやシステム側の嘆願を直接聞くことになったが、今は彼本人として結論を口に出すことはしない。
その前に先に船を手にしなければならないし、四家を滅ぼす必要がある。
許可を出すのか出さないのか。それが決まらねば未来など見えよう筈もない。
『はい。 私は貴方様を真の後継者として認めましょう。 願わくば、貴方様が今後も我々の期待に添う生き方をしてくれることを願います』
「それは……応えられないな。 俺は平穏無事を求めるだけで、別にあんたらのような目的を持っている訳じゃない」
『構いません。 私が貴方様に求めることはただ一つ。 貴方様がただ、己にとって最も自由な生き方をしてくだされば良いのです』
システムは確認の全てを終え、その身を彼等から切り離していく。
現実に戻った大英雄は俯いていた顔を前に戻す。一体どれだけの時間が経過したのか定かではないが、ゲートはゆっくりと左右に開けていった。
『解除は完了した。 戻るぞ』
「ああ、お疲れ」
『疲れるのはお前の方だろ。 まぁ、話せる機会があればまた話そう』
「ん、解った」
最後に夫婦は短くも愛のある言葉を交わし、元の俊樹が帰還する。
炎の全てが露散し、瞳が灰色になり、放たれる圧も散った。その頃にはゲートが完全に開き、更なる廊下と――銀の乙女が迎えた。
まだ少女にも見える二つ結びの銀の髪を持った乙女は、俊樹を見据えて柔和に笑みを形作る。
黄金の瞳は何処までも純粋に、そして真摯に輝いていた。




