決闘者たちはカードを食べて生きています~食堂編~(後)
後半はバトルパートがメイン、とばしていきます。
◆◇◆◇◆◇◆◇
決闘者エブが初めて獣と遭遇したのは、彼女の友人が追い剥ぎ狩りをしていた夜中のことだった。
エブの元友人は反吐が出そうなほどに甘い男だった。実際、酒場で良い仲なんじゃないかと囃し立てられた時はうっかり反吐が出たこともあった。すぐに囃し立てた奴も同じように戻させてやったが、それを横で見ていた男は困ったように苦笑いをするだけだった。
エブは男のそういうところが、ずっと一緒にいる上で性に合わないと感じていた。
ただ、優しい男だった。それこそどうして塔へとやってきたのか分からないほどに。
夜な夜な追い剥ぎ狩りなどという怪しい行動に勤しんでいたのも、その優しさゆえのことだった。
男は強かった。エブの目からは、十分に中層でやっていけるほどの決闘の実力を有しているように見えた。しかし、下層の治安は中層のそれと比べて明らかに悪い。塔を管理する企業の治安維持組織の活動範囲に下層は含まれていない。
男は平安の世の門の老婆にも似た追剥ぎを、自分の力を頼みに狩っていた。
優しさ故とはいえ、自ら辻斬りじみた行いに出るあたりが、やはり男ものこのこ塔へとやってきた決闘者。まったくもって、らしい解決法だった。
その夜の追い剥ぎ狩りにも何か特別なきっかけや意味は無かった。男はいつものように下層の決闘者を襲うものに決闘を挑み、エブはそれに同行していた。
しかし、その日、十字路で決闘を行った相手は普通の人間ではなく、獰猛な牙を持つ餓えた獣だった。
ただそれだけのことであった。
エブがその場から逃げおおせたのも、ただの偶然に過ぎなかった。もし、偶々その場を通りすがった誰かが身代わりにならなければ、男の次に襲われていたのは間違いなくエブだっただろう。
翌日、件の十字路へとやってきたエブが見たのは、十字路の隅に残った、男のお気に入りだった臙脂色のコートと、そのコートの上に残る黒く変色した血痕だった。
それからエブは、独自に獣について調べ始めた。
十字路の隅で拾った臙脂のコートを身につけて。
そして、今、エブの目の前には獣が居る。
この獣はあの夜男を襲った個体とは違う。あの時の獣の獲物は短剣ではなかった。
だが、獣だ。
エブにとって、闘う理由はそれで十分だった。
「私の盾に――決闘を誓う!」
『――Guooooo!!』
誓いの声に獣が咆哮で応えると、虚空からエブの両手に片手剣とバックラーが現れ、手のひらがその重みをしっかりと伝えてくる。一方、腰に仕舞っていたカードの束はほどけるように虚空に消えると、AR上に展開された仮想決闘領域にセットされて、本来のエブの視界と重なる。
決闘ではそれぞれの武器を振るって戦うことになる。実体のカードは邪魔になってしまうため、こうして一時的に仮想の情報体へと変わり、思考で制御することになる。
半透明の青に染まった視界は決闘開始の証。否応なく決闘者たちの気持ちも切り替わる。
決闘が始まった。
『Ururrr』
「そんなに欲しいのなら先手はお譲りするわ。後手番の方が得意なの」
カードゲーム3D6による決闘では、それぞれの武器を用いた技を出し合うことになる。
その技を出すために必要なものが、カードだ。
予め、これから使う技のカードをセットしておくことで、戦闘の時に準備していた技を使うことができる。
ここでエブがセットしたカードは二枚。
(まずは様子見と下準備から。さぁ、どう出てくるのかしら)
エブがカードをセットすると、すぐに戦闘が始まった。
獣とエブは火蓋が切って落とされると同時に、正面から接近する相手へと攻撃を仕掛けていた。
先に片手剣を振るったのはエブ、彼女が初手に選択した攻撃技≪スラッシュ≫は、必ず相手に先んじる効果を持っている。しかし、剣先は体側を掠めただけで、ダメージを与えるには至らない。
逆に、獣が握る短剣はエブの脚を捉えていた。痛手ではないが、ダメージが入ってしまった。
さらに追撃を獣は繰り出す。
連続して妖しく繰り出される閃きを、エブはバックラーを巧みに使って防御する。
≪影縫い≫、≪痺れ刃≫、≪酔病み≫の三連撃を、エブは最小限の被弾で抑えて見せた。
行動権を消費する攻撃技は1ターンに三回までが限度。
獣の連撃が止んだ頃合いを見計らい、準備していたもう一つの技を行使する。
「≪錬炭≫、回収対象は≪スラスト≫」
≪錬炭≫は特殊スキルと呼ばれる技で、相手に攻撃を行う代わりに、様々な効果を持っている。そしてその多くは、攻撃や防御の判定に必要となるダイスを消費しない。
そのため、攻撃一回に防御二回と1ターンの行動権を使い切ってしまった現在でも、問題なく使用できる。
≪錬炭≫は自分のデッキから攻撃技を手札に加えることができるカード。エブは次以降のターンのために体勢を整えておくことを優先したのだ。
1度の攻防、1ターンが終わり、息を吐くエブの額には汗が伝っていた。
(まさか、最初からダイス全てを攻撃に使ってくるなんて)
実際、エブは獣に1ダメージも与えられていないが、獣はこのターン最初の打ち合い――1拍目からダメージを負わせてきた。
決闘の勝敗条件はただ一つ。相手のデッキを0枚にすることだ。
デッキは決闘者の持つ技が詰まった秘奥の箱。それを全て破壊されるということは、決闘者の技全てが打ち破られたということなのだ。
そして、決闘におけるダメージは身体への傷ではなく、デッキの破壊という形で現れる。怪我をしないのは助かるが、攻撃を受ければ敗北へと近づくのは同じ。
獣の攻撃は致命傷という訳ではないが、確実にエブの命を削っていた。
決闘の要点は三つ。
①自らの武器とデッキに詰め込んだ30枚の技を使うこと。
②1ターンに三つまでの行動権と手札の技カードを組み合わせ戦うこと。
③最終的に相手のデッキを0枚にすると勝利できること。
この三点を踏まえて、戦い抜かなければならない。
(それに、このターンに奴から受けたのはダメージだけじゃないわ。奴の獲物は短剣、こっちに「毒」が回り始めている)
決闘者が持つ武器にはそれぞれ特徴がある。
獣の得物、短剣の持つ特徴は「毒」。
短剣の技には、相手に毒を与える効果が付いている。そして、毒が対戦相手に回り切ると、さらに有利になる。
様子見から入ったエブとは対照的に、獣はいきなりの猛ラッシュを仕掛け、早くもエブには毒が付与されてしまっている。
そして、先にダメージと毒を与えて勝利へと近づいたのは獣の方。エブは機先を制されてしまった形だ。
「……強い」
エブの口から呟きが漏れる。
あの夜から獣について調べてきたエブには分かっていたはずだった。
獣は強い。
程度の差こそあれ、本来エブがまともにやりあって勝てるような相手ではない。
しかし、エブは舞台を整え、獣に挑んだ。
それは勝たなければいけないからだ。そして勝算があったからだ。
「すぅ」
深呼吸をして、デッキからカードを引く。
(落ち着け。そうすればきっと勝てる)
エブは、そう自分に言い聞かせた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
それから2ターンが経過し、現在は4ターン目。
ここ2ターンの間は、互いに散発的な攻撃を繰り返すのみで大きな進展はなく、両者の残りデッキもほぼ互角。
(毒は順調に回ってきてるわね……けど、このターンに動く!)
エブは4ターン目にして初めて、二枚の攻撃カードをセットした。
決闘では、カードをセットする準備の時間「セットフェイズ」と実際に戦闘を行う「コンバットフェイズ」共に、二人の決闘者で同時に進行している。そのため、先に準備を終えた決闘者は相手の準備を待つことになるのだが、ここまで獣の行動選択には一切の迷いが見られず、必ずエブよりも先にカードのセットを終えていた。
(余裕というわけね。でも、そこがあなたの隙でもある)
「≪シールドクラッシュ≫!」
エブが1拍目にセットしていた攻撃カード≪シールドクラッシュ≫は、彼女のデッキの中で最もダメージ期待値が高い強力な技だ。
片手に握ったバックラーで相手を叩き割らんとぶん殴るエブに対し、獣が選択していたのは防御。交差させた短剣で受け止めようとするものの、強烈なインパクトを殺し切ることはできず、ダメージを受けてしまう。
有効打を与えたエブだったが、バックラーを握っていた手は反動で痺れて動かなくなってしまう。
これが≪シールドクラッシュ≫のデメリット。
≪シールドクラッシュ≫には強大な威力の代償として、このターン中防御行動を行えなくなるというデメリットが存在していた。
(でも、それはこちらで補えばいい話よッ)
2拍目、攻撃を終えたエブは、一度下がって距離を取るのではなく、あえて獣に向かって突っ込んで行った。
バックラーとは逆の手に握った片手剣を、獣に向かって突き出す。
彼女が出した技は≪スラスト≫。第1ターンの最後にデッキから回収していた攻撃カードだ。この技は出が早く、同じ拍で相手から攻撃を受けた時もすぐに回避姿勢へと入ることで隙を消すことができる攻防一体の攻撃技だ。
ここでも獣は防御の構えを取り、今度はダメージを与えられない。
防御が出来なくなったのなら、攻撃技で隙を消せばいい。
エブが選択した武器は「バックラー」。小さめの円盾と両刃の片手剣がセットになった武器だ。
どうして、この武器の名前は「片手剣」ではなく「バックラー」なのか。
それは、盾を用いた高い防御性能と、隙の少ない攻撃技を持ち味とする耐久型の武器だからだ。
このターン獣は攻撃をしてこなかったが、エブはもし攻撃をされていた場合のリスク回避にも心を配っている。
「さぁ、我慢比べといこうじゃない。どっちが意地汚く負けない戦いをするか、勝負よ」
エブの挑戦に対し、獣は獲物の短剣を構えることで応えた。
そして5ターン目、エブはあえて1拍目を空け、2拍目にカードをセットした。
(さっきのターンで、ダメージレースで優位は取れた。ここでの奴の行動は)
戦闘が始まった瞬間、獣はまっすぐにエブに向かって距離を詰めてくる。
エブが1拍目に選択したのは防御。獣が攻撃から入ってくることは十分に予想の範囲内だ。
しかし、彼女にも読めていなかったこともあった。
(速い!)
それは技の内容。相手がどの技で仕掛けてくるのかということ。
短剣という武器は1拍目に使用可能な攻撃技を多く有している。攻撃が来ることは予想できても、どの攻撃技選んでいるかを決め打ちするのは難しい。
それに、たとえ予想ができていたとしても、その攻撃を受け切れるかどうかは全く別の問題だ。
迫りくる白刃を目の前にして、エブの体はほんの一瞬すくんだように硬直する。それは彼女の身体を侵していた毒の作用。獣じみた速度で振るわれた短剣は、人体の急所、首へと吸い込まれていく。
「っあァァッ」
≪首狩り≫。
獣が使った技は短剣が有する切り札の一つ、十分に毒が回っている相手にしか使えない代わりに、一撃で甚大なダメージを与える大技だ。不完全な防御でしのぎ切れるような攻撃ではない。
決闘ではどんなに激しい攻撃を受けても、傷は残らず、血も流れない。しかし、代わりに決闘者の魂でもあるデッキが削られる。
6ダメージ、たった一撃でエブのデッキは6枚も破壊されてしまった。
元々「バックラー」は耐久型の武器、防御力と引き換えに攻撃性能は決して高くない。
毎ターンのドローや細々とした被ダメージを考えると、6点のダメージはもはや致命傷と言っても良かった。
「……おわった。」
負ける。とどめ色の確信でエブの心が塗りつぶされていく。
2拍目にセットしていた攻撃カードに無理やり体を動かされ、繰り出した突きが浅く獣を傷つけるが、ダメージは軽微。絶望的な差は依然としてそこにある。
6ターン目、エブは手札2枚をセット。
先に攻撃を仕掛けたのもエブだった。しかし、攻撃は当たらない。気迫の無い惰性の攻撃。
そして、同じ1拍目半手遅れで獣が繰り出した攻撃、その狙いは、首。
「ッッ!!」
二度目の≪首狩り≫。しかし、今回は浅かった。ヒットはしたものの、先のターンの半分ほどしかダメージは入らない。
ただし、それでも3ダメージ。
儚い桜の花びらのように、デッキから舞い落ちる3枚のカードがエブの視界を横切る。そのうちの一枚のカードにエブの視線は吸い寄せられる。
カードの名前は≪スラッシュ≫。
≪スラッシュ≫はバックラーの最も基本的な攻撃カードの一つ。
それはただのありふれたカード。
それは、ただの、決闘前に女将がお守りとしてプレゼントしてくれたカード。
『本当にあの獣がまた現れるのかもわからないし、何事もないのが一番ですけど、もし、獣と決闘をすることになったら、その時は、勝ってくださいね』
出発前にもらったそのカードを、エブは確かに、元々デッキに入っていた同じ名前のカードと入れ替えた。
『私、信じてますから』
エブは思い出していた。
渇望を、復讐を、希望を、勝利を。
『ああ、勝つよ。あたしは』
そして、誓いを思い出していた。
「あたしは勝つ。あたしは勝つんだ」
誰かが自分を信じているのに、自分で自分を信じられなくてどうする。
エブは拳を握り、そして、デッキから宙を舞い落ちていくカードを手に取った。
≪スラッシュ≫、女将から渡されたお守りのカードは、エブの指が触れた瞬間に実体化する。
それは決闘の仕組みの一つ。ダメージによってデッキから落ちるカードは、このタイミングでのみ、仮想の電子データから元の実体を持つリアルカードに戻る。
なぜか。
それは、食べるためだ。
エブは≪スラッシュ≫を掴むと、食べた。
彼女が歯と歯を合わせ噛み切る瞬間、元≪スラッシュ≫だったカードは赤い炎を宿し燃え上がる。
『燃焼』。それがこの現象と技法の名前だ。
手札かダメージとしてデッキから落ちたカードを食べて燃やすことで、次の攻撃の威力を少しだけ上昇させるテクニック。
ただしその代償として、燃焼コストとなったカードは決闘が終わっても返ってこない。3d6のカードは火の鳥ではないから、灰から蘇ったりはしない。
「≪スラスト≫ッ!」
女将のお守りを灰にして威力を上げた≪スラスト≫。
今度はカス当たりでは済まない。
指から腕へと伝う確かな手応え。
まだ勝ち筋は残っている。見えなくなっていただけで、ずっとそこにあった。
最も太く、しかしたった一つしかない勝ち筋。それは耐えること。それしかないことなんて、決闘が始まる前からわかっていたはずだ。
獣は、連続攻撃で減らした手札を特殊スキルで補充し、また攻撃。
しかし、攻め手を補充するためにドローするということは、自分のデッキを削ることでもある。
逆に一切攻撃をしなければ、むやみに手札を削られることはない。
次のターンも、その次のターンも、攻撃は最小限に、エブはひたすら防御して耐える。
この展開こそが、エブが狙っていたもの。
初めての襲撃の時、エブは獣と護衛の決闘をギリギリまで観察していた。それは、獣の武器とデッキを見極め、対策するため。対戦相手のデッキを予想し、メタを張ることは、カードゲームの基本の一つ。
特に獣は基本的に使用デッキを変えることはないため、効果的な対策になる。以前から獣について独自に調査を行ってきたエブはそれをよく知っていた。
バックラーは元々エブが所持していたデッキの一つで、ディフェンシブな戦い、特に1、2拍目の攻撃を凌ぐことに長けている。短剣の持つ技のダメージを封じることができる、対短剣に強い武器の一つなのだ。
その上、エブはこの決闘に向けてさらなる調整を施している。
元々、十分に勝算があると確信した上での勝負だった。
ただ、獣の強さはエブの予想を越えるものだった。
ゆえに、現在エブは劣勢で、あと一発攻撃をもらえば負けてしまう。それほどまでに追い詰められている。
それでも前々から描いていた絵に変更はない。一撃受ければ負けというなら、一発も通さなければいいだけの話なのだから。
続くと7ターン目と8ターン目、獣は補充した手札を使い、計6回の連続攻撃を仕掛けてきた。
エブは防御と牽制。防御特化の特殊技も使い、耐えて、耐えて、躱して、また耐えた。
そして、ついにその時はやってきた。
第9ターン。獣の手札は2枚、残デッキは0枚。対するエブの手札も実質2枚で、デッキは2枚。このターンを0ダメージで凌げば勝てる。
(もう迷わない)
エブは二回の防御。対する獣の攻撃は一つのみ。
『Ghaaaaaaa!!』
吼え猛る獣。最後の一撃は重く鋭い。
防御を貫こうとする獣の一撃に対し、エブは残った手札を燃焼させ、防御力を上げる。
その燃焼が決め手となり、エブは攻撃を凌ぎ切った。
盾を構えるエブの目の前で、獣は崩れ落ちるように地に伏せる。それが決闘終了の合図だった。
地面で身じろぎもしなくなった獣を前に、エブは立ちすくんでいた。
(本当に、勝ったのか……?)
獣の懐からデッキを奪い、安全を確保してもなお、現実感が沸かなかった。
準備もしてきたし、勝てると信じていもいた。
それでも、負けの目は常にあったし、実際、どこかで歯車が狂っていたら負けていた。頭の中で冷静に判断を下す決闘者の目が、エブから現実感を奪っていた。
「え……さん、かち……し……か!?」
決闘領域は解除され、外部との隔離も解けた。
遠くから女将の声が聞こえる気がする。
その声を聞いた時、彼女の中で張りつめていた緊張の糸がプツンと切れた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
エブが目覚めると、そこは見知らぬベッドの上だった。
「ここは……? たしか奴を倒して、いえ、本当に倒せたのかしら」
窓の外は暗く、月明かりが毛布の上に十字の影を落としている。
恐らく、ここはどこかの建物の二階だろう。外に見える地面が遠い。
耳を澄ませば、階下から楽しげな喧騒が聞こえてくる。
エブは部屋を出ると、すぐそばにあった階段を降りて行った。
「エブさん、目が覚めたんですね」
階段の下にあった扉を開けると、そこは女将の食堂の廊下に繋がっていた。
女将はすぐに開いた扉に気付いて駆け寄ってきた。
「先にパーティを始めちゃったので、体調が大丈夫そうならフロアの方で待っていてください。すぐに飲み物をお持ちしますから」
女将はそう言い残すと調理場へと戻っていく。
食堂のフロアにはたくさんの客が入っていて、既に酒宴が始まっていた。
エブがフロアに顔を見せると、それに気づいた数人の顔見知りが声を掛けてくる。いつもならしつこく絡んでこない奴らにまで袖を引かれ、半ば強引にフロアの中央まで連れてこられてしまう。
「ネエちゃん、強盗を叩きのめしたんだってな。そんなに強エェ奴だとは知らなかった。是非おっちゃんと手合せしてくんねぇか」
「やめてくださいよ、エブさんは病み上がりなんですから。つまみ出しますよ」
飲み物を運んできた女将が、面倒くさい絡み方をしてきた男の手の甲をピシリと打った。
どうやら、エブが略奪の犯人を倒したことを、集まった面々は既に知っているらしい。
「そうね、あたしが倒したのよね……」
「そうですよ。エブさんは食堂の救世主です」
独り言を耳聡く拾った女将が、箸と皿を並べながら言葉を継いだ。
「そういえばコートはいいんですか? エブさん、いつも着てるのに。部屋に掛けてあったと思いますけど」
「あ、ああ、今すぐ取りに………………いいや、今日はいいわ。あれで結構重たいから」
「そうですか」
「ええ、今日は身軽になりたい気分なのよ」
「そのほうがいいかもしれません。匂いが移ると大変ですから。では、そろそろこちらも今日のメインをお持ちしますね。以前、エブさんから頼まれていたジンギスカンを再現してみましたから、楽しみにしておいてくださいね」
女将はエブに笑いかけると、調理場へと戻っていく。
陽気に騒ぐ客たちと、悩みが晴れにこやかな笑みを浮かべる女将を見ていると、少しだけ、あの決闘で獣に勝ったことも本当にあったことなのだと、信じられるような気がした。
『お待ちかね! 本日のメインディッシュ、ジンギスカンですよ』
『待ってました!』
『おっ、噂の新メニューか』
『主役の分まで食べないでくださいね』
気が付くと、食欲をそそる刺激的な匂いが厨房から漂ってきていた。
エブは手元のグラスを一口煽る。
いつもの合成ウィスキー。きっと、パンチの利いたジンギスカンとも合うに違いない。
けれど、いつもエブの肩に掛かっていた重いコートは、今日はない。
(ああ、こっちもなんとかやってるわ。
羽目を外すのも今夜だけ。
あんたがやり残した仕事はあたしがきっちり引き継いでやるわ。
だからあんたも今晩くらいは羽目を外して、そっちに送った獣とよろしくやってくれればいいのよ)
エブはもう一口合成ウィスキーを口に含み、横目で窓の外を見る。
グラスに浮かぶ合成酒特有の濁りが、窓から差し込む月の光に照らされて、ほんの一瞬だけ星のように瞬いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
今日も、塔の中で決闘者たちは生きている。
戦いの中で生きている。
決闘者があらゆる戦いから逃れて生きることはとても難しいことだった。
その戦いが、決闘という形に限られたものではないにしても。
今日も月光に照らされた鋼の大門が音を立てて軋む。
塔の咢がゆっくりと鋼鉄の牙を剥き、その口の中へと新たなる決闘者を呑み込んでいく。
入るは易しく、出るは難しい、弱肉強食の世界に生きる獣たちの住処へ。
「お父さん……」
新たなる決闘者はこれから始まる戦いの果てに何を見るのだろうか。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
おまけということで、作中に登場したカード2種のテキストを残しておきます。
◆◇◆
cc101≪スラッシュ≫/バックラー(盾)/攻撃/1^2/a1/Welfarum
【ステップ】
D=d-3
固有能力【ステップ】この攻撃は必ず相手の攻撃よりも先に処理される。このカードと同一拍内で、あなたがこの攻撃の効果値以下のダメージを受けるとき、そのダメージを0にまで軽減する。
ac102≪首狩り≫/短剣(剣)/攻撃/1/a1/Mitsurugi
【累毒0/9】このターンに相手が受けたダメージの2倍のダメージを与える(防御不可)。
D=d-3
固有能力【累毒○/□】使用後/相手に「毒」を○個付与し、その時の毒のカウントが□以上ならば以下の追加効果を処理する。
◆◇◆
(テキストは開発中のものですので、謎の用語が多数含まれていますがご了承ください)
面白いと思っていただけた方は下部の評価を、質問・感想などありましたら感想欄にコメントをお願いいたします。できる限りお返事いたします。