8.リリシアの魔力と、あの日の真実
「とにかく一度、どのくらいの力なのか、試してみましょう。結界付きの魔力測定器でも無理なら、鑑定眼に頼るか、実測しないと」
うれしそうに告げたノキアを筆頭に、室内の全員で模擬空間へと移動した。
「魔力操作はわかる?」
ノキアが尋ね、テイラーが軽くノキアを後ろから小突く。
「え? …あぁ、魔力操作は、わかりますか?」
不思議そうに振り返ったノキアは、テイラーのジト目に、意図を察して問い直した。楽しみなあまり、素が出てしまう。
「あの…ノキア様、言葉遣いなどは、お気遣いなく、お好きにどうぞ。テイラー様も、お気遣いありがとうございます。…魔力操作は…魔導書で読んだことはございますが、できるのかわかりませんわ」
リリシアの答えに、おや、という顔をしたコロナ。
「魔導書は読んだことがあるのですね」
「ええ。魔力なしとは言われていましたが、憧れがありまして。読み物として、知識として、一通りの基礎本には目を通しましたわ」
「ということは、魔導書の通りに“練習”をしていたの?」
コロナに答えたリリシアに、ノキアが首を傾げる。
「ええ、何となく…ですけれど。魔力を感じる…というのは、わたくしにはできないと思っていたので、あいまいですが。そのほかは、兄や姉から聞いた話や、二人の使う魔術をイメージして練習しておりましたわ」
初歩の魔導書は、魔力を感じてそれを体内で動かすことから始まる。
「なるほどねぇ…」
「とにかく、とにかく! 実践してみないことには!」
ふむふむと頷くノキアに、じれたようにマグナイトが意気込んだ。
「まあ、そうだな。リリシア嬢、ちょっと、いつもの“練習”の感じで、上に向かって打ってくれるかい?」
「わかりましたわ」
ノキアの言葉に、リリシアは頷き、ふうっと息を整える。
(まずは、体内の魔力を動かし、手のひらに集める…)
いつもと違う環境で、少し緊張するものの、実は何度も何度も繰り返した行為。
しっかりと手順を思い出しながら、体の中の熱のようなものを、手のひらに集める。もやっと、何となく手のひらが温かくなった気がする。
(目標へと向けて、しっかりと、軌道や威力、範囲をイメージ)
スッとリリシアは右手を天に掲げた。
(体内の熱を、目標に向けて、解き放つ)
リリシアがまっすぐに天を見上げた次の瞬間、ぱり、ぱり、ぱりん…と、ガラスの割れるような音が鳴った。
とたん、ブッと討伐部のザンが吹き出し、爆笑し始める。
「こんなん毎回結界にあてられたら、そりゃ、すぐに結界が壊れるわ!」
思わず、といった調子で言って、大爆笑しながら、バシバシとダグラスとリンドバーグの肩を叩いている。
「どおりで警護部は忙しいわけだ」
バラスもけたけたと笑っている。
「うん、そうだね。これで練習かぁ…」
ノキアも笑いをこらえるように言った。マグナイトとコロナも、それはいい笑顔で頷く。
ダグラスとリンドバーグは、ひきつった笑み。
「………えっと…ダグラス様、リンドバーグ様…知らぬこととはいえ、何だか申し訳ありません」
今ひとつ、自分の魔力というものが信じられないながら、どうやら迷惑を掛けたらしいので、リリシアは二人に謝罪する。
「あー…いえ…」
「本当に、この威力の魔力で! なんで! 『至高の魔力なし令嬢』などと、呼ばれていたんでしょうかねぇ…」
苦々しげな表情のダグラスと、乾いた笑いを漏らすリンドバーグ。
「面白いよねぇ。とにかく、正確にどの程度の魔力か知るためにも、どんどんやってみよう」
それはいい笑顔で告げるノキアがひょいっと手を振ると、
「隠蔽陣、魔力結界、物理結界、半透過結界、聖結界、外界遮断結界、ついでに電磁結界…」
言いながら、ぽんぽんと、テンポよくノキアが手を振るたびに、淡く輝く球体が宙に現れる。
大きさは、リリシアが腕を伸ばして丸を作ったくらい。
「あとは、あれだね、要石を使った本格的な複合結界も用意しよう。面倒だから、全部の効果もたせるか」
軽いノリでノキアは宙に魔石を放ると、その魔石が地面の4か所に刺さり、それを中心に半球状の結界ができた。
大きさは、先ほどまでとそんなに変わらない。
ちなみに、ノキアは何事もなく軽い調子でやっているが、半透過結界以降の結界は、そもそも作れる人が限られている。
結界師という、結界を専門にした魔術師でも、展開までにもっと時間がかかる結界だ。
それをこんなに気軽に生み出せるのは、ノキアくらいだろう。
「まぁ、こんなものか。目で見てわかりやすいように、ちょっと光らせているよ。というわけで、リリシア嬢。これ、全部触ってみようか」
「…カレントス卿」
軽く告げたノキアに、控えていたエヴァンが懸念するようにノキアの名を呼ぶ。
「大丈夫だよ、安心して。この模擬空間の設定、一番難易度が低いやつにしているから。誰か一人でも、うずくまるくらい痛い…と、体が感知した時点で、模擬空間が解けるようになっているし、もちろん現実に戻れば痛みも感じない」
ノキアが説明すれば、エヴァンも一礼と共に引き下がった。
結界に直接触れると、はじかれるものもあるからこそ、エヴァンは懸念の声を上げたのだ。心配がないとわかれば、問題はない。
「では…」
リリシアは、ふうっと息をついて、そっと一番左の隠蔽陣に触れる。パリッと、小さな音を立てて、結界が消えた。
「やっぱりか。じゃあ、その調子で、どんどん触って」
「わかりましたわ」
ノキアに頷き、リリシアは次々と光っている結界たちに触れていく。
どれもが薄いガラスのような音を立てて、簡単に消えた。
ひとつ消えるたびに、テイラーと警護部の二人がひきつった笑みをだんだん苦々しげなものに変え、討伐部の二人がにまにまとして、研究部の二人の瞳がキラキラと輝く。
そして、最後の複合結界。
そっとリリシアが触れるが、初めてリリシアの手が、押し返された。
「あぁ、やっぱり、全部の効果のっけた複合結界だと、さすがに簡単にはいかないか。じゃあ、リリシア嬢、さっきの魔術練習みたいに、手のひらに魔力集めるイメージをしながら触ってみて」
うんうん、と頷きながら、ノキアが告げる。
「はい」
リリシアはひとつ深呼吸をして自分を落ち着かせると、先ほどのイメージ通り、あたたかなものが右の手のひらに集まるようにして、集まりきったところで、先ほどの複合結界に触れた。
―――パリン…ッ
先ほどよりは大きな、澄んだ音を立てて、キラキラと破片をまき散らすように複合結界は消えた。
「ひゃっほーぅ!」
「これはすごい!」
マグナイトとコロナがこぶしを突き上げ、奇声を上げる。
「本当に! 魔術師長になってから初めてだよ、私の複合結界が破られたの!」
それはそれは楽しそうに、ノキアも声を上げる。
「やっぱり、私の結界をスルーして入ってきて、私の結界もワイバーンのブレスも、一気に消し去るだけのことはあるね!」
「え?」
続くノキアのセリフに、きょとりとリリシアは首を傾げた。
あの日、同じ場にいたガイスやエヴァン、ハンナも顔を見合わせあっている。
「あれ? やっぱり気づいてなかったんだね」
はははっと楽しそうに笑うノキアが、あの日、初めてリリシアがノキアと会った日のことを、説明してくれた。
街道沿いに、ひとつ足のワイバーンが出たという連絡が、魔術省に入ったとき、
「これはちょうどいい!」
と、ノキアは魔術省の討伐部、騎士省の討伐隊の面々を引き連れ、現場へと向かった。
特殊個体のひとつ足のワイバーンは、魔力耐性が高く、ブレスも得意。
魔力耐性の高い個体と戦う訓練には、ちょうどよかった。
報告通りにいた、ひとつ足のワイバーン。
すぐに周辺の人を逃がし、けがをしているものは動ける程度に回復をしてから、一帯に結界をはった。
ノキアや上の魔術師が手を出せば、すぐに討伐できてしまい、訓練にならない。
戦い方を知る者があえて手を出さないため、周辺の安全を確保してから討伐にかからないと、普段より時間がかかる。
だからこそ、いつもより強めの結界をかけていたはずだった。
だから、結界をするりと抜けて入ってきた存在に、ノキアは驚き、あとをベテラン魔術師たちにまかせ、現場へと向かった。
そこで見たのが、ササラナイト家の馬車だったのだ。
結界に入ってしまった理由がわからないので、すぐに馬車ごと結界で覆ったが、同時に気づいたワイバーンがブレスを吐いた。
そこでノキアが見たものは、想像もしないものだった。
宮廷魔術師長のノキアが想像もしないもの。
それはつまり、それほど異常だった。
本当ならば、ノキアの結界に阻まれて、それでおしまいのはずのブレス。
しかし、実際は、何らかの魔術が、ノキアは自分の結界が破り、さらにワイバーンのブレスも消し去った。
ノキアは驚き、興奮した。
どう見ても、馬車から放たれた…あれは、無効化の魔術だろう。
これほどの無効化の魔術の使い手なのに、ノキアが知らない。その異常さに、ワクワクが止まらなくなった。
ノキアは念のため再び馬車に結界をはりつつ、その無効化の魔術を放った人物に会いに行くことにした。
そうしてノキアは見つけたのだ。膨大な魔力を持ち、その身に無効化の魔術をまとったリリシアを。
その後、リリシアと話すのに、少々ワイバーンがうるさかったので、羽を落とした。そうすれば、討伐も早く済む。
そしてノキアは、面白い魔力を持つリリシアと、後日会う約束を取り付けたのだった。
「いやぁ、まさか、ブレスも私の結界ごと消されるなんて、さすがにびっくりしたよ」
ノキアは楽しそうに言った。
リリシアは固まる。
あの日、ノキアが何かをしてくれたから、ワイバーンのブレスから無事生還できたのだと思っていた。
それがまさか、リリシアが無意識に無効化の魔術を使っていたから、ブレスがなくなったとは…。
そこで、ふと思い出す。
そういえばあの時、礼を言ったガイスにノキアは言っていた。『私の力ではない』と。それは、こういうことだったのか…と、改めて思う。
「と、いうことは!」
「攻撃魔法も、無効化するんだよね!?」
ノキアの話を聞いていたマグナイトとコロナが、キラキラとした瞳で、リリシアを見ている。
「え…」
その言葉に、さすがのリリシアも、ひくりとわずかに笑みがひきつった。
「あぁ、そうだね! やってみよう!」
能天気に、楽しそうに言ったノキアに、
「「いやいやいやいや…」」
思わず、といった調子でガイスとエヴァンがリリシアの前に立ちふさがり、ハンナがリリシアの隣に来て、腕をしっかりと絡めとる。
「大丈夫、大丈夫。あのブレスで大丈夫だったんだから!」
それでもあっけらかんと告げたノキアに、
「鬼畜ですわーーーーッッ!!!」
ハンナが絶叫して、リリシアがガイスの背後でふるりと震えた。
興味のあることしか見えていない研究者って、怖い…笑