4. リリシアの家族と記憶
お待たせしました!
リリシアは、今でも、3歳の時の魔力測定を忘れない。
ずっとずっと、両親や侍女たちに、3歳になれば魔力がわかると言い聞かされていた。
その日を楽しみに待っていて、前日はなかなか寝付けなかった。
3歳の誕生日パーティは、盛大なものだった。春に乱れ咲く花々のように、きらびやかなドレスを着た淑女たち。一見、色の違いはあるものの、みな同じように見えるのに、実はそれぞれ粋を凝らした刺繍や飾り、縁取りのされたパリッとした服をまとう紳士たち。
リリシアの誕生日会という名目ながら、伯爵家主催のパーティは、立派な社交場のひとつ。
3歳の子どもに合わせ、昼から始まるパーティは、いつもと違う雰囲気を参加者が味わえるので、意外と楽しみにしている貴族たちも多い。
その締めで、余興扱いなのが、魔力測定の時間だ。
ついでに有望な魔力の持ち主を、幼いうちからチェックするという意味合いもある。
3歳のリリシアにとって、初めて長い時間パーティ会場にいることを許された特別な日。
着飾ったたくさんの大人に、いろんな言葉をかけてもらえた初めての日。
きらびやかな空間にいて、綺麗なドレスをたくさん見て、夢見心地な時間を過ごし…いよいよ、楽しみにしていた時間。
どきどきと高鳴る胸を押さえながら、そばには両親。その少し向こうには、兄と姉と、姉の母。家族に囲まれ、パーティに参加していた貴族たち皆に見守られながら、ゆっくりと魔力測定器を握って、教わっていた通りに、スイッチを入れた。
スッとその瞬間、体が一瞬冷えた気がした。
不思議な感触だが、どこか憶えのある感触に戸惑っていると、次の瞬間には、パキリと音を立てて魔力測定器の魔石が色を失っていた。
会場の時が止まった。
リリシアも人生で初めて、血の気が引いた。
なんで、こうなることを予想していなかったのだろうと、子ども心に思った。
それまでにも、いくつか魔導具を壊してしまい、家の魔導具が次々と自分のために入れ替えられているのも知っていたのに。
恐る恐る、顔をあげると、父のレイドは、何やらそばに控えていた家令を呼んで、何か伝えている。視線を反対にずらせば、母の顔。
その顔を見た瞬間、サーッと体中の血の気が引いた。
つい先ほどまで、優しい笑顔で頭をなでてくれていたはずの母。その母が、恐ろしいほどの冷たい瞳で、能面のような顔をしていた。
母の表情に固まっていると、侍従たちがあわただしく動いて、家令のロベルトが父・レイドのそばにスッと寄った。
ロベルトから受け取った新たな魔力測定器を手に、レイドはリリシアの隣にしゃがみこんだ。
ギギギッと音がしそうなほど、ぎこちなく顔を父に向ける。父の顔が視界に入るまで、またこの父も母と同じ顔になっていたら、どうしようと思いながら。ゆっくりと顔を向ける。
「壊れてしまったねぇ。かわりに、ちょっと、こっちでやってみようか」
場違いなほど穏やかな声と、ふわりと頭を撫でられる感触に、恐る恐る父を見れば、いつもと変わらぬ優しい表情で、レイドに新たな魔力測定器を渡された。
「大丈夫だから」
そう、レイドに言われて、泣きそうになりながらも、リリシアは頷き、手の中の魔力測定器を見る。はめ込まれた魔石が、先ほどより大きい。
震える指先で、スイッチを押した。
そして――再び魔石は色を失ってしまった。
痛いほどに沈黙が会場に落ちていた。
それとも、血の気の引いていた自分がそう思っただけで、違ったのかもしれないが、とにかくその時のリリシアは、ただ立ち尽くしていた。
人波に押されるようにしながら、参加していた宮廷魔術師たちがリリシアのそばまで来ていた。
「……観察眼では、診えません」
ひとりの宮廷魔術師がぼそりと控えめに告げ、隣でも別の宮廷魔術師がうなずいていた。
さざなみのように『魔力なし』という言葉が、会場内にひそひそと広がっていくのを感じた。
それが、リリシア最初の、魔力に関する記憶。
気が付けば、なぜだか自室のベッドで寝ていた。
むくりと起き上がり、ベッドの上に座りボーッとしていると、父・レイドがやってきたのを覚えている。
そして、レイドはリリシアに言ったのだ。
「どうやら、リリシアには、魔力がないらしいんだ」
まるで、何でもないことのように、父はそう言った。いつもの表情で、いつものように柔らかい瞳で。その父の言葉に、リリシアはただ、頷いた。
どんな魔術が使えるんだろうと、わくわくしていた気持ちなんて、とうになくなっていた。冷たくて、重たいものが、胸の中にたくさん詰まっていて、呼吸するのも、苦痛だった。
そんなリリシアの頭を、ゆっくりとレイドが撫でる。
「でもね、私のリリシアはこんなにも可愛いだろう? それに、頭もいい。だから、絶対に『至高の魔力なし』になるって、私にはわかるぞ。リリシアは素晴らしいからな」
はっはっはっと、明るく笑った父に抱き上げられた。
その、変わらぬ笑顔と、ぬくもりに、ぶわっと凍っていた心臓の一部が溶け出した気がして、リリシアは初めてポロリと涙をこぼした。
さすがに、二度目の魔力測定器の件で、もしかしたら、父も母と同じ表情になったかもしれないと、心の片隅でずっと思っていた。
でも、父は変わらない。
それが、何よりもリリシアにとっての救いだった。
数日間、リリシアは部屋から出ることなく、ぼんやりと過ごした。
体調が悪いというほどでもないのに、食欲もなかった。
そして、あのパーティ以来、母に会っていない。
どこかで、やっぱり…と、思っていた。あの氷のような、能面のような母の表情を見てしまったのだ。そんな気はしていた。
逆に父や、兄と姉は、態度を変えることなくリリシアのもとにやってくる。
そんな父と兄、姉に触れるたび、少しずつ、心の中の重くて冷たいものがとけだし、リリシアは呼吸がしやすくなる。
父と兄弟が帰った後は、静けさの中で母のことを思い出し、心の氷から溶け出した水が、だんだんと、ふつふつと音を立てて熱せられる気がした。
――何だか、無性に腹が立って仕方なくなった。
美辞麗句でリリシアを誉めたてていた、着飾った大人たち。いつもよりきれいなドレスと、美しく結い上げた髪で優しくリリシアに接していたくせに、魔力測定以来、会いに来なくなった母。
本当に、腹が立った。
リリシアのたった3年の人生の中で、一番腹がたった。
それも、ドレスが気に入らない…食べ物が気に入らない…そんな風に、周りにわめき散らして癇癪を起こすような腹の立ち方とはちょっと違った。
ドレスや食べ物の好き嫌いなんて、もう些細なことに思えるようになっていた。
あの時の母の能面のような顔のように、表情や仕草には一切腹が立っていることを見せないのに、心の中はぐつぐつと煮え立ち、嵐が吹き荒れているような感覚。
いてもたってもいられず、自室の姿見をのぞき込む。
少し、顔色は悪いものの、我ながら可愛い姿が鏡に映る。
あの日以来、侍女はリリシアをそっとしておいてくれることが多く、今室内は誰もいない。
顔色の悪い自分にも、何だかだんだん腹が立ってきた。
だから、力を込めて、背筋を伸ばし、まっすぐに鏡の中の自分を見つめる。
「わたくしは、おとなになったの」
リリシアは幼い舌足らずな言葉をつむぐ。その瞳は燃え盛るような意思の光を宿し、鏡の中の自分をまっすぐに見すえている。
絵本の中の、戦士になった気分だ。
今なら無敵になれる気がする。
絶対に、屈しない。
何が『魔力なし』だ。今に見ていろ、と、リリシアは鏡の中の自分と、深く頷きあった。
リリシアにとって幸いだったのが、リリシアの父・レイドが、貴族としていろいろと間違っていたことだ。
そもそも、魔力なしの子を可愛がる伯爵家当主など、そうそういない。
実際、生粋の貴族、レイドと同じく伯爵家の令嬢として育ってきたリリシアの母・アマリアは、リリシアが3歳の魔力測定以来、『至高の魔力なし』と認められるまでの間、徹底的にリリシアに無関心だった。
むしろ、同じ家にいるのも嫌なのか、リリシアが王都やティグナの別邸にいれば、領地の本邸から動かず、レイドが本邸にリリシアを連れて帰ると聞けば、逆に別邸に赴いて極力会わないようにしていた。
それでも、父や兄弟の誕生パーティなど、どうしても直接顔を合わせる席では、できる限りかかわらず、たまたま目でも合えば、あからさまに不快な顔をしたくらいだ。
美貌も魔力もずば抜け、完璧な令嬢だったアマリアにとって、『魔力なしの娘』は汚点でしかなかった。
それは何もアマリアが特別だったわけでなく、このマルフェデート帝国では『魔力なし』を生むということは、貴族の女性にとって、ひどく不名誉なことなのだ。『魔力なし』は、さまざまな援助と引き換えに、爵位が下の貴族に養子に出すのが当たり前。
極まれに、夫婦愛が育まれ、家族を大切にする家に生まれた『魔力なし』ならば、夫婦の愛の結晶として、家族として、大切にされ、養子に出されないこともある。
しかし、政略結婚が当たり前のこの国で、そんな家は本当に一握りで、伯爵家以上ともなれば、リリシアの知る限り自分と、イルファン伯爵家のセラスティナしかいない。
魔力を繋ぐ血を大切にしてきたため、爵位が上の貴族ほど、『魔力なし』が生まれる可能性は低くなる。その分血が濃くなって、短命になりやすく、障害のある子が生まれる確率も上がってきているのが現状なのだが。
子爵家の場合は上の爵位の貴族より『魔力なし』が生まれる確率は上がるうえ、『魔力なし』を引き取り、金銭援助や発言権の向上など、さまざまなバックアップを受ける側なので、男爵家に『魔力なし』を養子に出す家はほとんどない。ほんの一握りの、商売がうまくいって有り余るほどのお金がある家くらいだ。
だから、マルフェデート帝国で現在の『魔力なし』は、リリシアとセラスティナを除けば、すべて子爵家以下の家柄だし、さらに言えばその中の3分の1は、伯爵家以上の家から養子として引き取られた『魔力なし』だった。
『魔力なし』という背景もあり、貴族社会を必要に迫られ学んだリリシアは、別に母であるアマリアを恨みはしなかった。ただ、本気で、本当に腹は立ったが、そういうものだと納得した。
しかし、リリシアが『至高の魔力なし』とささやかれ始めたころ、あからさまにアマリアは手のひらを返した。
『母と子のお茶会』などと称して、最初に母のいる場所に招待されたときは、『さすがはお貴族様』とその図太さに感心したものだ。
今でもひと月に1度ほど、つながりを保つためだけに母親からお茶会の誘いがある。
そういった事情を考えれば、レイドの『貴族として間違っている点』は、リリシアにとっては幸運だった。おかげで家の中では肩身の狭い思いをすることもなく、伯爵家として十分な金銭的な余裕もあり、教育も満足に受けることができた。
だからこそ、『至高の魔力なし』と呼ばれるまでに至ったと、リリシアも自覚している。社交の場でも、下級貴族としてではなく、伯爵家であることでいろいろと有利だ。また、その家柄も含めてリリシアの評価にもつながっている。
だが、しかし。
そもそもが、『魔力なし』だというリリシアの前提が崩れてしまうならば、話は変わる。
今までされてきた侮辱も、あざ笑うような視線や、失礼な言葉も、遊ぶ時間もすべて犠牲にして磨き上げてきた『リリシア』という完璧な自分も…。その全てが、本来ならば、もっと楽で、もっと華やかで、無邪気なままで子ども時代を楽しめた可能性があったと知ってしまったのなら…。
魔術省の長、宮廷魔術師長・ノキアがササラナイト家の別邸を訪れたあの日は、ひとまずの挨拶だったので、また改めてじっくりと時間を取ることをお互いに決めた。
ノキアはリリシアの魔術教育の遅れについて少し話し、これから学院に通うにしても、宮廷魔術師を目指してもらうにしても、一度魔術省に見学に来てほしいとリリシアに告げ、それをレイドとリリシアも了承した。
その見学の際に、ほかの確かな鑑定眼を持つ魔術師たちとも引き合わせてもらい、もっと正確にリリシアの魔力について測定するという話にもなったので、断る余地はない。
そして、その前に、リリシアは父と兄、姉にほとんど強引に都合をつけてもらい、お茶会に招待した。
「ご足労いただき、光栄ですわ、お兄様、お姉様。…あら、二人ともお顔が青くてよ。どうぞソファにお座りになって。お父様も、どうして立っていらっしゃるのかしら」
ふふふっと鈴を転がすような愛らしい笑い声を漏らしながら、にっこりと、満面の笑みでリリシアは三人に告げた。
―――その瞳は、父・兄・姉が今まで見た、どの瞳よりも冷え切って、悪寒が止まらなくなるほどだったが。
どうも書きながら投稿というか形だと、私の能力では2日に1回の更新が限界のようです…
気長にお待ちくださいm(_ _)m