2. 突然の危機と転機
「レイド様に、この件、ご報告しておきます」
エヴァンが口元に薄い笑みをたたえ、かみしめるように告げる。
その笑みに、ヒッと小さくハンナが肩をすくめた。
「ええ。ぜひ詳細に。参加者がわからなければ、私が全て覚えているわ。家の財政状況も知らない次男なんて、取るに足らないもの」
にっこりと満面の笑みでリリシアはこたえた。
『至高の魔力なし』と呼ばれるリリシアを、目玉商品のように『魔力なし』令嬢たちと並べるのは、愚かしい行為。
リリシア自身は同じ境遇の他の魔力なし令嬢たちを見下すことはない。同列に並べられたことを、怒っているのではない。
“あえて『魔力なし』令嬢たちのみを招待したお茶会”に、非常に憤りを感じているのだ。
貴族の令嬢の結婚なんて、政略結婚がほとんど。そんなことはわかっている。だが、“商品のように並べられる”ことを、許容できるはずはない。
『魔力なし』令嬢たちの扱われ方を考えると、余計に。
さらに言えば、今回主催のギルヴァシア侯爵家は、“表向き”エスティアーゼ侯爵家に借金がある。
そう。リリシアの姉の嫁ぎ先のエスティアーゼ侯爵家だ。
その実、大元の貸し主はササラナイト家。格下の伯爵家からの借金というのは体裁が悪いので、エスティアーゼ侯爵家に手数料を払って、そちらに借りていることになっている。
ギルヴァシア侯爵家だけでなく、参加している子息たちの家は、何かしらササラナイト家との関わりがある。
何せ、このご時世、帝国一の勢いを持つ上、手広く手を伸ばしているのがササラナイト家なのだから。
それも知らず、舐めた真似をしてくれたものだ、と。
微笑み、頷きあうエヴァンとリリシアが暴風雪をまとっているように見え、一瞬視線を宙にさまよわせたガイスは、無表情のその胸の内で、当然のこととは思いつつも、男性参加者たちの冥福を祈った。
――だが、次の瞬間、ガイスの表情が険しくなる。
今まで一定の速度で走っていた馬車が、遅くなった。
「馬車を止めろ」
立ち上がると御者との間にある連絡用の小窓を開け、ガイスが短く告げる。
雰囲気を一掃したガイスの様子に、ほかの三人も表情を引き締める。
馬車が緩やかに止まった。
「ヴァアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
突然のすさまじい咆哮が馬車を震わす。
びくりと身をすくめ、寄り添うハンナとリリシア。
「ここを動かないでください」
次の瞬間、そう告げてガイスは馬車を飛び出していた。
「ハロルド!」
エヴァンの呼びかけに、御者のハロルドが振り返る。小窓からも、その青ざめた顔色がはっきりとわかる。
「…急に…っ、騎士様方が消えたと思えば…」
ハロルドは、エヴァンに告げ、そして、まだ距離はあるものの、街道沿いの森から見える、大きな翼に視線を移す。
バサバサと翼をはためかせるたびに上下に動く魔物の頭部が、森を挟んでこちらからも見える。
「ワイバーン…」
エヴァンはよりその表情を険しくしながら、素早く上着を脱いで馬車の入り口に陣取る。
リリシアがちらりとみれば、確かにハロルドの言葉通り、馬車を護衛しながら先導していた前方の騎士たちがいなくなっている。
ハンナがエイッと座席後方のカーテンをめくり、窓を開ける。
後方の騎士たちもいない。
前方へ走っていたガイスは、剣を携えたまま、今度は魔物とは反対の後方へ走る。
馬車の中からその様子を見守る三人。
すぐにガイスが引き返してきた。
「結界の中に入ってしまったようです。後方へは戻れません。見たところすでに宮廷魔術師たちが派遣され、ワイバーンの討伐にあたっていました」
外からガイスが告げ、あたりを見回す。
「大事ないとは思いますが、大型の個体ですので、遠距離攻撃の可能性もあり得ます」
ガイスは素早く告げると、ハロルドの隣に飛び乗って、手綱を引き受ける。
宮廷魔術師が出てきているということは、討伐は時間の問題。恐らく結界も、周囲に害が及ばぬよう、宮廷魔術師たちが張ったのだろう。しかし、結界内に巻き込まれてしまったということは、流れ弾の可能性もある。
その時、ひときわ大きく飛び上がったワイバーンが、首を伸ばすと同時に「ゴウッ」と、真下にブレスを吐いた。
余波の熱風が襲い掛かり、馬車が揺れ、エヴァンがリリシアとハンナに覆いかぶさるように、かばった。
「まさか…」
ガイスが飛び上がったワイバーンをよく見る。
ワイバーンにしては、ブレスの威力が強すぎる気がした。
「ひとつ足…」
先ほどより表情を険しくしたガイスが、急いで馬を移動させようとする。
ひとつ足のワイバーン。
ワイバーンの変異種で、一見足が欠けている分、弱く見える。しかし、ひとつ足のワイバーンは、通常の個体と違って、魔法攻撃に耐性があり、ブレスが得意。
中々に厄介な変異種なのだ。
馬たちがおびえ、動かない。
急いで馬車を飛び降りたハロルドが馬を落ち着かせ、轡を引いて先頭の二頭を動かし始めた。
いったん動き出すと、馬たちも素直に動く。
ハロルドが御者台に飛び乗り、ガイスが森から視覚になる位置に、馬車を向けた。
かばってくれていたエヴァンが退き、リリシアの視界にワイバーンが再び映る。
「………ッ…!」
ぎろり、と、森の向こうのワイバーンと目が合った気がして、リリシアがギュッと手を握り締めた。そういえばワイバーンは、とても目が良かったな…と、今更ながらリリシアは思い出す。思い出したところで、どうにもできないけれど。
再び大きく飛び上がったワイバーンがこちらを向いて息を吸う。目を見開いたガイスとエヴァンが、とっさに結界を発動する。
ゴウッと、光の塊が迫ってきて、視力を奪う。
ハンナと思わず抱き合いながら、リリシアは、体の中から何かがはじけ、パンッと音が鳴った気がした。
「………え…?」
それから数秒。
覚悟していた衝撃もなく、思わず閉じていた目を、そっとリリシアは開ける。
「??」
そして、きょとりと首を傾げた。
何ともないのだ。
まるで、ワイバーンのブレスなんてなかったように、熱風が襲うでもなく、衝撃があるでもなく、
「ん?」
同じくワイバーンを見て、馬車の中の三人を確認したガイスも、首を傾げている。
そして、再びワイバーンに視線を戻すが、ワイバーンも心なしかあっけにとられた様子で、ブレスを吐いた後の態勢のままで、翼を動かし、上下に揺れていた。
そのワイバーンが、下から迫ってきた光の弾に思いっきりぶち当たり、態勢を崩す。
しかし、すぐに持ち直すと、真下に向かって尻尾をふるった。
「おやおや…」
次の瞬間、聞きなれない声がして、ガイスはとっさにそちらに剣を向ける。
「おっと、失礼。宮廷魔術師です」
ガイスの剣の範囲から、ひょいっと宙に浮いたまま離れ、そのままローブを羽織ったぼさぼさの髪の男が、意外ときれいな動作で一礼する。
その言葉通り、彼の羽織っているローブは宮廷魔術師に支給されているもの。
しかも、裏がワインレッド色ということは、彼は宮廷魔術師のトップに立つ者。
「失礼いたしました。こちらが無事だったのは、魔術師長様のお力でしたか」
ガイスはスッと剣先を下ろし、一礼する。今この瞬間も、馬車の周囲にはいつの間にか結界がはられている。
しかもそれは、ガイスやエヴァンとは比べ物にならない質の高い結界だ。
「いえ、私の力ではないのですが」
ふふっと面白そうにノキアは笑う。
その言葉にガイスとエヴァンは内心首をひねるが、ほかの魔術師の力なのかと納得した。
「あぁ、初めまして。宮廷魔術師の…一応、長をしているノキア・カレントスです」
ほのぼのと宙に浮かんだまま胸に手をあて一礼し、リリシアに自己紹介するノキア。一瞬状況を忘れそうになるが、その背後では、
「ヴァアアアアアアアアアアッッッ!!」
という咆哮や、ドーンと魔法攻撃が当たる音、バサバサとワイバーンの翼が立てる音が響いている。
リリシアとハンナは思わず顔を見合わせ、ノキアとその後ろのワイバーンを見比べる。
「あぁ、もう…うるさいですね」
ぽりぽりと頭をかいたノキアは、ワイバーンの方を振り返るって右手を突き出し、
「【風】」
と、ぼそりとつぶやく。
ノキアの手を離れ、ゴゴゴゴッと渦巻いた風が、すさまじい速さで駆け抜け、バシュッと音を立ててワイバーンに当たった。
次の瞬間、ワイバーンの翼が二つともぽろりと根元からとれ、揚力を失ったワイバーンは、どさりと地に落ちた。
ズドーンと、地響きがこちらまで伝わってくる。
「これで、ちょっとは討伐が早く済むでしょう」
ひとつ頷いたノキアは再びリリシアに向き直る。
そう、その瞳は常に、興味深そうにリリシアだけを見るのだ。
こほん、と空咳をしたエヴァンが、その視線の間に割って入る。いつの間にか再び上着を羽織っているのがさすがだ。
「カレントス卿、ご助力誠に感謝いたします。ササラナイト伯爵家の執事、エヴァンと申します」
バシーンとワイバーンの尻尾が地面を叩いたであろう音だとか、地響きだとかは綺麗にスルーして、エヴァンはノキアに告げる。
「この度、ササラナイト伯爵家のリリシアお嬢様をお守りいただいたことは、主に報告いたしまして、後日改めてお礼をさせていただきたいと考えております」
エヴァンは優雅な一礼。
「あぁ…いえいえ。そんなことはどうでもいいんですが…」
ぽりぽりと再び頭をかいたノキアの瞳が、リリシアに戻る。
「…実に、興味深い」
それからぼそりとリリシアを見たままもらす。
「……リリシア・フォン・ササラナイトで御座います。このような場所からのご挨拶で申し訳ございません。お陰様で、こうして無事ですわ。このお礼は、後日、また…」
一旦座席から立ち上がったリリシアは、狭い空間ながら優雅なカーテシーで挨拶をする。
その隣でハンナは、表情を消していた。
“興味深い”というのが、リリシアが『至高の魔力なし』であることに対してならば、非常に腹がたつ。しかし、助けてもらっている現状で、それを表すわけにはいかない。
恐らく同じことを感じたであろうエヴァンとガイスが、表情をピクリとも動かさなかったのは流石だ。
「いえいえ、むしろ、私の結界がお嬢様の魔力に対応できなかったのが、問題なので」
興味津々といった様子で、ノキアは笑う。
「いやぁ、是非ともお嬢様を宮廷魔術師にお誘いしたい」
若干興奮した様子のノキアに、リリシアは戸惑う。
「あの…わたくしは、魔術は…」
リリシアが、遠慮がちに告げれば、
「あぁ、制御がお得意ではないのですか? まぁ、それほど膨大な魔力なら、制御は大変でしょう。それについてもお手伝いできますよ」
ノキアはドヤ顔で告げた。
「え?」
リリシアはきょとりと首を傾げる。
「ん?」
ガイスも不思議そうに眉根を寄せる。
「……?」
ハロルドは首をひねりながら、ノキアとリリシアを見比べる。
「…………」
事態を把握しようと、エヴァンが眉根をもみほぐす。
「んん?」
その様子に、不思議そうにノキアが首をかしげる。
「えええええええ!!!???」
ノキアの言葉の意味がようやく脳内に達し、たまらずハンナが声をあげた。
ここからリリシアの運命が動き出します。