18. かけひきの裏側
昨日に続いて、珍しく連続投稿です!
「昨日だったんだろう? 例の茶会。どうだった?」
ゆったりとソファに腰掛け、香りを堪能したあと、一口褐色の液体を一口飲むグリード。
「…うん、苦いけど、この香りが癖になりそうだね」
「それは、南の島から輸入した豆を焙煎して入れた、コーヒーという飲み物ですわ。お好みでミルクやクリーム、砂糖を加えて下さいまし」
ミルクをたっぷりと加えたコーヒーを飲むリリシア。
ここは、魔術省の応接室のひとつだ。
「昨日の茶会は…とても楽しめましたわ。そのご様子では、すでにご存知では?」
リリシアがふふっと笑うと、グリードが肩をすくめた。
「詳しくは知らないさ。ただ、私の面倒がひとつ減りそうだ…とだけ」
「それで、十分でしょう」
「いやいや、是非とも聞きたいね」
「それでしたら…」
肩をすくめたリリシアは、グリードに茶会の様子を語った。
みなに紹介され、さっそくとばかりに“せめて侯爵家の方でないと”と言われた嫌み。
「…ですけど、あの場にいらしたみなさまのうち、お二人の家を除いて、ササラナイトに借金がございますのよ。家の財政状況も知らずに、よくもまぁ言えたものですわ」
リリシアのあけすけな言葉に、ニヤリとグリードは笑う。
「それは、笑いをこらえるのが大変そうだな」
「ええ。それだけではありませんの…」
続いて、第二皇子の婚約者を全面に出しながら、グリードを諦めきれない様子や、それに対してわざとリリシアが、グリードからの誘いを“荷が重い”と表現したこと。
案の定、断る術も知らないのか馬鹿にされたので、“断っても説得された”と言えば、引きつっていたこと。
あえてグリードはリリシアの魔力に興味があるように思わせておいて、よくお茶してること。
出された紅茶が、ササラナイトで輸入している高級茶葉だったので、褒めておいたことなどをリリシアは語った。
「随分、上げて、下げて、また上げて…楽しんだんだな」
「だって…一言公爵家のどちらかが口を開けば、合いの手を入れるように『そうよ、そうよ』と声を上げるご令嬢ばかりですもの。その反応が面白くて…」
リリシアは、ふふっと笑う。
「しかも、落ちをつけてみたら、揃って扇で顔を隠しながらひきつって。みなさまで、そういう訓練でもなさってるのかしら。そもそも茶会でほとんどの時間、扇で顔を覆っていらっしゃるものだから、そういう流儀なのかと思って、わたくしも侍女に扇を持って来させるところでしたわ」
あえて扇を広げて、「こうかしら?」 と、言いながらその影でコーヒーを飲んでみせるリリシア。
腹を抱えるように笑うグリードに、彼の従者たちが目を丸くしている。
「しかし、その後に一服盛られたんだろう?」
笑いをおさめ、コーヒーを飲んで落ち着いたグリードが片眉を上げる。
「ええ。侍女に取り分けさせたケーキに盛って、侍従に持たせてわたくしに。わたくしがよほどのお馬鹿さんで、万が一、成功していたにしても、みなさまの面前で侍従を通して渡したんですもの。犯人はすぐに判明しますわ。ラナ様って、そんなに短絡的でしたのね」
呆れたように告げるリリシア。
「過去にそれで成功しているからだろうな。“第二”の婚約者が内定する前に、侯爵家の令嬢が1人、別の侯爵家の令嬢主催の茶会で倒れて…命は取り止めたものの、満足に動けない体になっている。公爵家の立場でもみ消した跡がある」
グリードが茶菓子に手をつけながら、そう告げた。
「そちらは、極東の島から輸入した、“抹茶”というお茶を使って作ったケーキですの。きっと、殿下のお口に合うと思いますわ」
「…あぁ、初めての味だ。リリシア嬢が持ってきたものだから試してみたが…程よく控えた甘さと、この独特のほろ苦さと香りがいいな」
グリードが満足げに頷く。
「…成功した手口にこだわるから、失敗するのですわ。しかも、今回はドリューズ公爵家の茶会ですもの。もみ消せるわけがありませんのに」
馬鹿げている…と、ばかりにリリシアが首を振る。
格下の家の茶会ならいざ知らず、同格の家の茶会にケチをつけたのだ。
もみ消せるわけがない。
侍従もすぐに証拠を確保していたし、当主に迅速な連絡が行っただろう。
「わたくしがラナ様なら、もっと上手くやれますわ」
「おぉ、怖い。…だが、私でももっとマシにやれるな」
リリシアの言葉に大げさにリアクションしつつも、すぐにグリードは苦笑する。
「それにしても、自家の内情も知らず、よくササラナイトに楯つくことができましたわ。家計は火の車ですのに…」
「やはり、ゼニス家も、ササラナイト家に?」
「ええ。体裁がございますから、姉が嫁いでからは、エスティアーゼ侯爵家から…という形をとっておりますが。ササラナイトからの借金だというのは、公然の事実ですわ」
リリシアが苦笑する。
「殿下ですからお教え致しますが…公国を除いたこの国の公爵家は全て、ササラナイトに借金がございますのよ。金額の大小はありますが」
「呆れたことだ。“血”のみならず、財政破綻で没落する家も多いわけだ。婦人や令嬢のドレスやアクセサリーを売り払えば、多少なりともマシになるだろうに」
グリードも、彼らしい発言とともに苦笑する。
「売れるものを売ってしまえば、“体裁”がつくろえませんもの」
「“見栄”もね」
ニヤリとグリードは口元をゆがめた。
「だが…」
グリードは一度まぶたを伏せたあと、複雑な瞳でリリシアを見つめる。
「…恐らく、だが。ラナ嬢の情緒は、10歳頃から発達していない」
「…また、“血”ですか」
リリシアがわずかに眉根を寄せる。
「あぁ…また、“血”だ。…まぁ、それだけとも言えぬが…」
子どもなら通用した手口でも、証言能力がある年齢で、同じ手口を使うこと自体が馬鹿げている。
だが、精神年齢が子どものままなら、話は別だ。
「ラナ嬢が、最初の“毒殺未遂”をしたと思われるのが、10歳だ。5.6歳から始まった婚約者レースの大詰めの時期。相手はラナ嬢とともに、最有力候補として、最終選考に残っていた、侯爵令嬢。ただし…母親は新興…というにはいささか古いが、とにかく根本家臣ではない、伯爵家の出身だ」
「純粋な“古き良き血”では、ないと」
「ああ。だが、それだけでは、10歳のラナ嬢が凶行に及ぶには“弱い”。…当時、茶会に出席していた令嬢たちの中に、ラナ嬢の“指輪を見た”と証言する者もいた。首からネックレスのように下げていたと。ちなみに給仕していた使用人は、聴取の前に2人が亡き者にされ、それ以降、誰も口を割らない」
リリシアが、わずかに眉をひそめる。そんな表情をしても、可憐さが損なわれないのは、整った顔立ちのおかげだろう。
「10歳で、明らかに“仕込み道具”の指輪を持っている。おかしな話だと思わないか?」
「…つまり、ラナ様は背中を押された、と…」
「恐らく。近しい大人が背中を押した。10歳のラナ嬢は、その指示に従って…目の前で、同じ年頃の少女が倒れた。もともと“血”の影響で、“素養”のあったラナ嬢が、しでかしたことへのショックで、情緒の成長が止まった可能性がある。全て、憶測に過ぎないが」
グリードの言葉を反芻し、リリシアもその仮説に頷くよりない。
「背中を押した“近しい大人”も、“血”の影響が出ているとしか思えませんわ」
そしてゆるりと首を振った。
ラナに指示を出せる近しい大人となれば、ラナの両親のどちらかにしか思えない。
娘の手を血に染めさせるなど、正気の沙汰とは思いたくない。
「まぁ、そうだろうな。…妃教育の担当教師から、情緒の点で話が上がっていたから、元々ラナ嬢は、要観察対象だった。その上、父も、例の契約書の件を聞いてから、疎んじていたからな」
つまりは、ラナを皇族の関係者から切る機会を、ウェラルもうかがっていたのだろう。
だが、今までは“切る”に足るだけの理由がなかった。
しかし、今回のリリシアに毒を盛った件は、とても言い逃れできるものではない。
「おかげで、“第二”の婚約者は、選考し直しするだろう。ドリューズ家とササラナイト家、どちらかだけでも厄介なのに、どちらも敵に回した上、他の令嬢たちにも目撃されすぎている」
一度言葉を切ったグリードは、口元に皮肉げな笑みをのせる。
「あれを回避しなくてよくなっただけでも、随分スッキリする。…“血”に侵された状態で狙われると、言葉も通じない、都合のいいような解釈ばかりと、だいぶ厄介だった。“公爵家”を振りかざすから、近衛も侍従も、止めるのに苦労していた」
ラナの幼い頃の話を聞いて、手放しに笑い飛ばせはしないが、グリードの言うこともわかる。
長年狙われてきたグリードにとっては、言い尽くせないほどの厄介さがあったのだろう。
コーヒーを飲み、ひとつ息をつくと、切り替えるようにグリードは頭を振った。
「それにしても…例の実験が、役に立ってよかった」
「ええ。実験した甲斐がありましたわ。こんなに早く役に立つとは」
リリシアが肩をすくめた。
◇◇◇◇◇◇
“例の実験”というのは、リオネットから招待状が届いた時点で、リリシアがグリードに相談したことから始まる。
“無効化の魔術”を常に発動してしまっている今、魔導具を使えないリリシア。
貴族なら当然付けている、“防毒”や“防魅了”、“防暗示”などの魔導具を使えない状態なのは、非常にまずい。
これまでは、魔術の得意な侍従や侍女をそばに置き、毒味なども徹底してきた。
しかし、格上の貴族に招かれる茶会では、自分の侍従や侍女をそばに控えさせるのが、不敬に当たる場合もある。
しかも、グリードのパートナーをつとめたことで令嬢たちのかけひきに巻き込まれるのは必至。
その対策は何かないのか、巻き込んだグリードにリリシアが責任を取らせようと思ったからこその相談だった。
アドバイザーにノキアも加わっていた。
「思ったんだけど、リリシア嬢は、回復魔法なんかも、効かないのかな?」
ノキアに問われてリリシアも、首をかしげる。
「今まで、回復魔法を使うほどの大怪我をしたことがございませんわ」
「ポーションも?」
「ええ」
今度はグリードの問いに頷く。
「やってみようじゃないか」
ウキウキとした様子のノキアは、すぐに侍従に回復用のポーションを、ランクごとに、それぞれいくつか持って来るよう指示する。
「…まさか…ノキア殿」
「指先をちょっとだよ、ちょっと。痕も残らない」
思わず眉根を寄せたグリードに、ノキアは必死に告げた。
「…まぁ、今回ばかりは仕方ありませんわね。大怪我してから試すわけにもいきませんもの」
リリシアがやれやれとばかりに告げる頃には、侍従が戻ってきた。
さすがに魔術省だけあって、一般的には高価なポーションは、ゴロゴロあちこちに置いてある。
備えはもちろんだが、実は様々な“実験”で、怪我をする者も多いからだ。
作れる人が、減ったら作っておくことになっている。
「では、早速…」
ノキアが、ナイフを取り出し、テーブルに置いた。
リリシアもグローブを外し、ナイフを手に取ると、左手の人差し指に当てた。
「……っ!」
リリシアが手に力をこめようとする寸前、グリードの手がリリシアのナイフを持つ手を取る。
ナイフを持った手を掴まれたまま、リリシアはグリードを見て、首をかしげた。
「…リリシア嬢、その持ち方と力の込め方では、下手したら指を切り落とす」
珍しく、間に合ってよかった…とばかりに、グリードがホッと息を吐いた。
リリシアは目を丸くして、自分の左手を見る。
よく見れば、すでに指先から血が出ている。
確かにこれ以上はやりすぎだ。
「…うん、ごめん。さすがにナイフを扱ったことがなくて当然か。魔術省にいる令嬢たちが特殊なのを忘れていた」
ノキアもさすがに謝罪する。
そもそも貴族の令嬢は、傷ひとつで大騒ぎになる。
下級貴族ならいざ知らず、きちんとした伯爵家以上の令嬢ならば、手紙の開封に使うペーパーナイフすら、侍女が使ってから、手紙だけを令嬢に渡すだろう。
例外は、食事に使うカトラリーくらいだろう。
「いや、思い切りの良すぎるリリシア嬢もリリシア嬢だが」
思わず苦笑して、リリシアの手から回収したナイフを、ノキアに戻すグリード。
「…あの、ありがとうございました、グリード殿下」
ようやく我に返って礼を言うリリシアに、グリードも頷いた。そっと手が解放される。
「さて、気を取り直して、早速。あ、念のため回復魔法も試そう。手をここに置いて」
ノキアに示されるままにテーブルに手を乗せたリリシア。
その傷口にノキアの手がかざされ、ポワっとした光が。だが、すぐにかき消える。
「無理だこれ。弾かれる。というか、魔法的な接触でも、“接触している”って認識されるのかな。魔力自体が封じられる」
すぐに手を引っ込め、自分の手を見るノキア。
その言葉通り、リリシアの傷はそのまま。
「んじゃ、本命のポーション行こうか。とりあえず、かすり傷だから、本来は低級のポーションで充分なんだけど」
そう言いながら、侍従から受け取ったポーションの1つを取り出し、ポンっと瓶の蓋をあけた。
「これを一滴、傷口にかけてみて」
「はい」
リリシアがポーションを受け取る。
侍女が、リリシアの左手の下に、手拭きを敷いた。
それに礼を言ってから、ポーションの瓶から、ゆっくりとリリシアが雫を垂らす。
ポトンと傷口に落ちた雫に、ビクッと思わず体を震わせ、リリシアは改めて傷口を見た。
「…あぁ、うん。無効化しちゃったね」
血は雫で流れたものの、傷口はそのまま。
「じゃあ、一口飲んでみて」
ノキアに言われるまま、そろりと瓶に口をつけ、コクリと一口。
思わず手にしたポーションの瓶を見るリリシア。
「あぁ、初めて飲むと、そうなるな。薬草の味だからな。紅茶で流すといい」
苦笑したグリードに勧めに従って、リリシアは紅茶を飲む。
「しかし、塞がらないな」
その指先の傷が、相変わらずなのを見て、グリードが呟く。
「ん? 待って。そのポーション、すでに無効化されてる。リリシア嬢、右手はグローブはめて」
ふと気づいたようにノキアに言われて、リリシアは思わず自分の手を見た。
「…まさか、ここまでとは」
グリードも思わず呟く。確かにグリードも、先ほど直接リリシアの手に触れ、本来仄かにまとっている自分の魔力が遮断されるのを感じたが。
ダンスの時はグローブ越しだったから、気付かなかった。
「困ったものですわ」
リリシアも苦笑して、右手にグローブをはめた。
「…ん? うん、あとでやってみよう」
1人何かを考えて頷くノキアを、グリードとリリシアが、じとっとした目で見る。
「やだなぁ。何、その目。リリシア嬢の魔力の影響範囲を知る実験をしようと思っただけだよ。ほら、直接液体に触れた訳でもない瓶越しなのに、無効化されてるから」
2人の視線に気づいたノキアが告げ、2人は先ほどのポーションに目を移す。
「飲むときに、口に直接触れたのかもしれませんわ」
「あぁ、そうか! じゃあ、どの時点で無効化されたのかも観察しないと」
じと目をやめたリリシアに、ポンっとノキアが手を打つ。
「だが…ポーションですら、そうして瓶の段階か、口に触れた段階で無効化されるのなら、毒の類はまず効かないんじゃないか?」
グリードの言葉に、確かに…と、リリシアが思う。
「いや、ポーションを作る段階で、魔力を使う。それに、使う薬草も少しばかり魔素を持っている。リリシア嬢のその“無効化”が、魔力に対するものだけならば、毒が効く可能性もある」
ノキアが言えば、それもそうか…と、グリードとリリシアも納得した。
「じゃあ、とりあえず、もうひとつ低級を」
ポンっと蓋を開けたノキアが、リリシアに瓶を差し出す。
リリシアがグローブをした右手で受け取った。
「左手で瓶に触れてみてくれないか?」
先ほどの範囲を確かめる為だろう。ノキアの言葉に従って、リリシアは素手の左手で瓶に触れる。
「…あ…うん。無効化された。魔素がなくなってる」
それから、ノキアとグリード、リリシアは、条件を変えて、様々に実験した。
中級、上級ポーションでも結局無効化された。
いろいろ試した結果、ポーションに関してはリリシアが、瓶を持つ手や、口に含んで飲み干すまで、“魔力を抑えようとする意識”をしっかりと持っていれば、飲んだときのみ、効果があることがわかった。
まずはこの魔力操作が、リリシアの課題になりそうだ。
魔導具に触れるときに、魔力を制御出来れば、壊すこともない。
当然ながら、魔術省には魔導具がたくさんあるので、これは喫緊の課題とも言える。
「次は魔素を持たない毒への効果だけど…。…痺れ薬でも、飲んでみる?」
淡々と告げるノキアに、リリシアとグリードは思わず半眼になる。
「……いや、そうだ。痺れ薬に似てはいるが、医務局には大怪我を負った人の為の、麻酔があった。塗るタイプのもので、経皮毒への効果がわかる。飲む種類は…」
グリードが言葉を止め、ノキアを見てか、ちらりとリリシアをみる。
「ほら、やっぱり痺れ薬が効果も自覚できるし、比較的安全でしょう」
えっへんとばかりに胸を張るノキアに、グリードとリリシアはため息をついた。
「そちらも医務局にあるでしょう。一筆書くので、いくつか持ってくるように」
「麻酔や痺れ薬も、魔素を含むものもあるよ。ないものに限定したがいい」
「では、それも書き加えておきます」
ノキアの指摘を受け、グリードがさらさらと連絡事項をしたため、侍従に持たせる。
さすがに医務局の薬は厳重に管理されているため、そうそう持ち出せるものではない。
だが、皇子の魔術署名の入った書状を持っていけば、また別だ。
少し時間はかかったものの、休憩のお茶を終える頃には、侍従が薬を持って戻ってきた。
まずは、塗るタイプの麻酔薬を少量小皿に移し、リリシアが指をひたす。
「あ、待って。私も一緒にしよう。もう一枚小皿を」
ノキアが告げると、ささっと侍女が小皿を用意して、麻酔薬を少し入れる。
「よし、これでいい」
頷いたノキアに言われるままに、リリシアが指を浸すと、ノキアは右手の指を先ほどの小皿に。
左手の指をリリシアが指を入れている小皿に入れた。
「なるほど」
ひとつ頷いたグリードは、砂時計をひっくり返す。砂が落ちきる頃が、麻酔が効き始める頃だと言われている。
5分ほどそのまま雑談し、指を引き上げる。
侍女に渡された手拭きで指を拭くと、ノキアは右手と左手の指を交互に握る。
そして、満面の笑みを浮かべた。
「リリシア嬢の方は、無効化されたんですね?」
確信を持ってグリードが問えば、ノキアは頷く。
「わたくしも…何ら変化を感じません」
リリシアは手を握ったり開いたりして、2人に告げる。
「次は、飲む方だ」
キラキラとした瞳で告げるノキアに、軽いため息の後、リリシアは言われるがまま、まずはグローブをしたまま痺れ薬を煽る。
回復ポーションの件が分かっているので、効いても魔力を意識しながら、状態異常を解除するポーションを飲めばいい。
たとえ無理でも、痺れが取れるまで待てばいいだけなので、安全な場所にいる限りリスクは少ない。
砂時計が落ち切っても、リリシアは何ら異変を感じなかった。
「じゃあ、今度はグローブを外して、ちょっとコレを持ってみて」
ノキアに言われるまま、グローブを外した手で麻痺毒の入った瓶を持つリリシア。
「ちょっとそれ、貸して」
「どうぞ」
手を差し出され、リリシアはノキアに瓶を渡す。
ためらいもなく、ノキアはそれを飲んだ。
「触れた毒への無効化、ですか…」
先ほどの経皮毒と同じで、今度は瓶越しでの実験か、と、グリードは砂時計をひっくり返す。
「…うん、何にもない。無効化されてるよ、これ」
時間が経つと、ノキアは楽しそうに笑う。
「ん? ということは…」
まだ痺れたままの指をノキアは見やる。
「ちょっと触れてみて」
リリシアは言われるままに、そろりとノキアの指に触れるが、何も起きない。
「ん〜と、じゃあ、魔力込めるように触れてみて」
ノキアの言葉にリリシアが、指先に魔力を意識すると、ニンマリとノキアの口が笑みをかたどる。
「すごいな。自分以外の毒も無効化できるのか」
思わずグリードが呟く。
「もう、コレは便利すぎでしょう。特にグリード殿下にとっては、最高じゃない?」
「ええ。これから外で食事をするときは、リリシア嬢がいたらとりあえず触れてもらおうか」
「防毒の腕輪をしていらっしゃるでしょう」
ノキアの問いにグリードがニヤリと笑い、リリシアが苦笑する。
それからリリシアの“無効化”が、どの範囲まで影響するのか、厚みのある皿やサイズを変えた皿に、低級ポーションを入れて、様々に実験を重ねた。
ポーションならば、その魔素をノキアが見ることで、すぐに結果がわかる。
結果としてリリシアは、ほんのりまとう魔力の範囲…5ミリ以内の皿や瓶は無効化して、それ以上の範囲で触れたものは、影響しないことがわかった。
「毒に対してはほぼ無敵だね!」
「だが、証拠を掴むには、口に含んだ時点で、あるいは触れた時点で、それだけを無効化したがいいな…。大元まで無効化してしまえば、証拠が消える」
嬉しそうなノキアに、グリードが思案しつつ告げる。
「では、人から渡されたものは、ギリギリまで魔力を抑えておいた方がいいのですね」
リリシアも楽しそうな笑みを口元に浮かべた。
「待てよ…ということはもしかして、リリシア嬢が魔力を込めれば、“無効化”のポーションができる? いや、その前に、暗示や魅了に対する“無効化”は…?」
ブツブツと呟き始めるノキアに、グリードとリリシアは思わず顔を見合わせる。
すでに、随分と遅い時間。
魔術省の職員たちも帰宅している者が多いだろう。
「ノキア殿、それはまた後日」
「ええ。…ひとまず、リオネット様の招待状には、参加のお返事をしておきますわ」
「それがいい。あぁ…馬車乗り場まで送ろう」
ささっと立ち上がったグリードが、リリシアに手を差し出す。
「ええ、お願いしますわ」
リリシアもサッとその手を借り、立ち上がる。
「え、待ってよ。他にもたくさん実験を…」
「もう、外は寒いですからね、侍女に羽織るものを持たせましょう」
「いえ、馬車まではほんの少しですわ。お気遣いありがとうございます」
「ちょっと、ほら、魔力を込めたポーションの性能を知るって…」
「では、ノキア殿、失礼します」
「ええ。また明日」
引き留めようとするノキアに、揃ってにっこりと笑みを見せると、グリードとリリシアはそそくさと部屋を出た。
「これだから、宮廷魔術師は…」
「…それ、わたくしも含めてます?」
「……あー…いや、まだ…」
微妙な沈黙のまま、リリシアはグリードと別れ、帰宅した。
◇◇◇◇◇◇
「結局、翌日も付き合わされたね」
「…ええ。マグナイト様とコロナ様まで加わって」
「研究部とノキア殿を一緒にすると、止まらないからな…」
「グリード殿下はまだよろしいですわ。放課後だけの参加ですもの…」
グリードとリリシアが、翌日のことを思い出し、はぁっと、無駄に疲れる。
「まぁ、でも…凄まじいポーションができたじゃないか。毒も魅了も混乱も、暗示も呪も…あらゆるデバフを“無効化”する」
「…ええ、しかも、美味しい」
思わずリリシアがクスリと笑う。散々飲まされた回復のポーションや、麻痺毒はまずかった。
「何味でもできる上、薬草すら使わない」
グリードが苦笑する。
そう。リリシアが魔力を込めさえすれば、どんな飲み物もたちまち“無効化”のポーションになった。
グリードも先ほど作ってもらった“コーヒー味”を持ち歩くことにしたし、ウェラルには“紅茶味”、シェリルには“クランベリージュース味”をグリードに持ち帰ってもらっている。
材料で絶対に必要なのは、リリシアの魔力だけ。
コストパフォーマンスが凄まじく良いポーションだ。
「さっき研究部に寄ってきたが、マグナイト殿が“次は魔石だ”などと言っていた」
「魔石は無効化してしまいますのに」
「いや、何とかする方法があるかもしれないと、実験方法を検証していた」
「……明日は、学園はお休みですわよね、殿下。喫緊の執務は、今日中に終わらせておいて下さいませ」
にっこりとリリシアが微笑む。
「いや、そうは言ってもな…」
「巻き込んだのは、どなたかしら?」
「……可能な限り」
グリードが遠い目をする。
(こんなはずじゃなかったんだが…)
(こんなはずではなかったのに…)
奇しくも同じ思いを抱いたことに気づかず、2人はコーヒーを飲んで、ため息を押し殺した。
社交では負けなしのはずの、グリード殿下とリリシアも、度を越した研究職は苦手なようです、笑