16.ポンコツとコレクション(後編)
昨日の続きです。
きゅうっと胸が締め付けられたようになり、無意識に胸元に手をやったオヴェリアの視界に、スッと大きな手が現れた。
驚いて、反射的に見上げれば、先ほどリリシアをエスコートしていた、ササラナイト家の嫡男、ルイスが、オヴェリアに手を差し出していた。
「初めまして、レディ。私はルイス・アレン・ササラナイト。ご気分がお悪いのですか?」
柔らかな、気遣わしげな瞳で問われ、思わずブンブンとオヴェリアは首を横に振った。
「だ…大丈夫、です…」
何とか声を絞り出す。
「良かった。…レディは、踊らないのですか?」
優しげなカーキーの瞳に、オヴェリアは胸を突かれ、ぐうっと息を詰める。
「ルイス様…彼女は…」
「『魔力なし』ですもの…」
「わたくしを誘ってくださらない?」
ススッといつの間にかそばに近づいている、オヴェリアより歳上の10代後半くらいの令嬢たちが、ルイスの周囲に。
「よろしければ、私と踊っていただけますか?」
そんな令嬢たちのささやきなど、全く聞こえていない様子で、ルイスが差し出す手に、オヴェリアは反射的に手を重ねていた。
大きくて温かな手に導かれるままに移動すると、いつの間にかダンスフロアに。
ダンスのポーズで構えると、音楽と共にルイスが流れるように滑り出し、つられてオヴェリアもステップを踏んでいた。
「少しは落ち着きましたか?」
優しい問いに、ハッとルイスを見上げ、何度も頷く。
「あ…あの、私、オヴェリア・ナナ・マゼンダです」
「よろしく、オヴェリア嬢」
今さらながら名乗れば、にっこりと微笑んでくれるルイス。
「……あの…わたし、『魔力なし』なのですが…よろしかったのでしょうか…?」
恐らくオヴェリアを気遣って誘ってくれたルイスだが、オヴェリアはうつむく。
「それが? ダンスに魔力は必要ありませんよ?」
不思議そうに問われ、オヴェリアは目を丸くしてルイスを見上げた。
「え……いえ、でも……」
「大丈夫です。私の妹も、魔力はありませんが、ダンスを楽しんでいますよ。何か問題でも? それとも、お体のどこかが悪く、医師にダンスを止められていたりするのですか? でしたらすぐに辞めますが…」
「え? いえ、そうではないのですが…」
オヴェリアは当たり前のように言うルイスに、逆に困惑する。
だが、ふと思い直す。
ルイスはリリシアの兄なのだ、と。
魔力がないことを、他の人と違った捉え方をしているかもしれない、と。
どちらにしろ、最低1回は義父に踊るように言われる。
毎回、結局最後の最後まで、ダンスに誘われることのないオヴェリアを、最終ダンスで仕方なく義兄が誘う。
本当に嫌そうに。
だが、こうして今回はルイスが気を遣って誘ってくれるたから、義兄に不快な顔をさせずに済む。
ルイスに連れられ踊っていると、あちらこちらで「魔力なしの…」と聞こえてくるのに気づく。
オヴェリアが表情を曇らせた。
「顔を上げてください、オヴェリア嬢。大丈夫です。リラックスして。何も気にせず音楽に身をゆだねれば、私がリードしますよ」
がちがちになるオヴェリアにルイスは優しく告げる。
何だか親戚のお兄さんような雰囲気に、オヴェリアもふうっと息をついて、ぎこちない笑みを浮かべた。
「そうです。せっかくだから、楽しみましょう」
ルイスの言葉を守って、それから踊った一曲は、オヴェリアの10年の人生の中で、一番楽しいダンスだった。
最初はぎこちなかったものの、オヴェリアをリードしながら声をかけてくれるルイス。
そのリードはさすがで、何も気にせず音楽に身をゆだねれば、勝手にステップを踏まされ、くるりとターンしていた。
曲が終わるころには、オヴェリアもくすくすと心から笑う余裕もできた。
その日の第一部が終るころ、オヴェリアは夜会会場に入った時よりも、背筋を伸ばして、柔らかな表情をしていた。
ルイスと踊った姿をみられていたのか、誘ってくれた男の子がいて、最高記録の3人とダンスをすることができた。
合間に料理を楽しむ時間もできて、満足だ。
ちなみに、一晩の夜会で、同じ人と2回以上踊るのは婚約者、3回以上踊るのは夫婦だけという暗黙の了解がある。親兄弟など、親族は別だが。
複数の部構成がある今回のような夜会では、同じ部で2回以上踊ると…となる。
ルイスは、最初にリリシアと踊り、そのあとにオヴェリアの相手をしたのが悪かったのか、別名“子どもの部”で、何度も年下の令嬢の相手をさせられていた。
もちろん令嬢から誘うのはダメなので、その親がルイスに声をかけて、誘ってもらう形だが。
ようやく全員の相手を終えたのか、ルイスがリリシアの手をひいて、ダンスフロアから離れる。
「あら」
そして、エスコートされる側のリリシアが、オヴェリアを見つけ、にっこりと微笑んだ。
「先ほどお兄様と踊っていらした方ね。わたくしは、リリシア・フォン・ササラナイトと申しますわ」
「…ぅ…っ…」
あまりのまぶしさに、オヴェリアは一瞬気おされ、目をすがめたが、背中を侍女につつかれ、慌てて自分も淑女の礼を取る。
「オヴェリア・ナナ・マゼンダでございます」
「よろしくお願いいたしますね」
男の子だけでなく、自分にもこうしてまぶしい笑顔で、屈託なく話しかけてくれるなどと思っていなかったオヴェリアは、ぎこちなく「こちらこそ」と告げるのが精いっぱい。
「……リリシア様は…その、すごいですわね」
「あら、どうしてかしら?」
「……その、堂々としていらして。私も…その、魔力がないものですから…」
「それが、どうかなさって?」
首をかしげるリリシアに、オヴェリアは絶句する。
「…ですが…その、魔力のない貴族は…」
「…この国では、とても生きづらい、かしら?」
リリシアの言葉に、オヴェリアは頷く。
「そうね…例えば、わたくしは、オヴェリア様のような、美しい金髪を持っていませんわ」
「??」
「…でも、わたくしには、ミルクティ色の髪がある」
「…………」
「あちらのお嬢さんたちには、恐らく魔力がある」
リリシアは少し離れた場所でひそひそとしている令嬢たちを見て、にっこりと笑みを浮かべる。
「でも、あの方たちには、明るさで色の変わるヘーゼルの瞳はない」
それからリリシアはオヴェリアに視線を戻した。
「それと、おんなじ。魔力の有無なんて、その人の持って生まれた個性の、ほんの一部」
ふふふっと微笑むリリシアに、オヴェリアは目を丸くする。
「魔力があったって、愚鈍な人もいる。でも、魔力がなくったって、明晰な頭脳で活躍する人もいる。魔力があっても、人をさげすむことしかできない人もいれば、魔力がなくても、素敵な人もいますわ」
息を呑むオヴェリアをリリシアは微笑みながらも、まっすぐな瞳で見つめる。
「わたくし、魔力があっても、なくても。家柄がどうであっても…素敵な方と、お友達になりたいの。オヴェリア様は、どちら…?」
1歳年下の少女の瞳とは思えない、理知を宿した、きらめくヘーゼルの瞳。
顔には可憐な笑みをかたどりながらも、その瞳だけは、まっすぐに、ただ、オヴェリアを見ていた。
あぁ、見定められている。
そう、オヴェリアは思う。
だから、ぐっとこぶしを握った。
「…私は…今は、わかりません。ですが…素敵な方に、なれたらいいなと思います」
今までの人生の中で、一番慎重に言葉を選んで、オヴェリアはゆっくりと言葉をつむいだ。
「素敵な方に…なれたら…?」
その言葉をゆっくりと受け止め、リリシアはその部分を繰り返す。
繰り返されたその言葉に、目をみはって、何とか顔に笑みをはり付ける。
「私は…私は、素敵な方に、なります」
やがて、リリシアの求める答えに至ると、じっとその瞳を見つめ返しながら、オヴェリアは、背筋を伸ばして答えた。
その瞬間、ふわりとリリシアの雰囲気がゆるむ。
「ええ、応援いたしますわ。…これから、よろしくお願いいたしますわね、オヴェリア様」
柔らかな雰囲気で、にっこりと微笑むリリシアに、
「…っ…はいっ!」
オヴェリアは力強く頷いた。
◇◇◇◇◇◇
あの、夜会でのリリシアとの出会いから、オヴェリアは変わった。
相手が無関心だろうが、そんなことはオヴェリアには関係ない。
オヴェリアは、ひとつ年下のリリシアの背中を、ずっと追いかけてきた。
リリシアが、『至高の魔力なし令嬢』になった時は、本当に誇らしかった。
同じ時代で、すぐそばで、魔力がなくても至高の存在になれるのだと、目の前で証明されたのだから。
だけど、さすがにあのリリシアに、魔力があると知らされて、心穏やかではいられなかった。
『魔力なし』の憧れ。目指すべき姿。
その本人に、魔力があったなんて。
手の中の招待状をじっと見つめる。
今までだって、ときおりこうした茶会の招待状が届き、魔力の有無にかかわらず、“素敵な方々”と集まる茶会に参加してきた。
でも、リリシアも…さすがに魔力があるのなら、交友関係も変わるだろう。
これまでのような茶会はできないと、そう宣言されるかもしれない。
だけどやっぱり、参加しないという選択肢はなくて、オヴェリアは参加の返信を書くために、ようやくペンをとった。
リリシアに魔力があるとわかったことで、いろんなことが変わってきます。