13.閑話;伯爵家レイドと“親友” (前編)
遅くなりました。長すぎたので、分けます。なので、本日は2話投稿予定です。
レイドは、ダンスを終えてグリードにエスコートをされながら、いったん控室へと向かうリリシアを、学院の先輩であった侯爵イバノン・ヴィクター・フレシアと共に見送った。
「……リリシア嬢の魔力の件、よかったな」
不意に、つぶやいたイバノンの言葉に、レイドはことさらにゆっくりと、イバノンを振り返る。
「…私が、もしレイドの立場になったのなら…果たしてレイドのようにできたか、わからないよ」
「新興伯爵家のササラナイトと、フレシア侯爵家では、重さが違います」
交錯する瞳に、レイドは苦笑する。
「いや…君の奥方…第一婦人は、あのゼオンフォーク伯爵家出身だ。根本家臣相手に、難しい立場をよく乗り切った」
イバノンの言う『根本家臣』とは、すなわち帝国の基礎となったイズファルド帝の時代に爵位を得た家のことだ。新興の貴族たちとは、格が違う。
「根本家臣という格だけで、食べてはいけませんからね。紹介してくれたのは、“先輩”ですよ」
レイドは肩をすくめ、イバノンはにやりと笑った。
格と、血にばかりこだわってきたゼオンフォーク家は、領地の経営手腕は持っていなかった。
貴族となった当初は、膨大だった領地から、潤沢な資金を得ていた。
しかし、徐々に資産を食いつぶし、その分を領民から搾り取るために重税を課し、領民が逃げ出し、田畑は荒れ、新興貴族に一部の土地を切り売りし、やがては借金まみれとなった。
どうにも立ち行かなくなったので、仕方なく先代で位上がりをして、力と勢いのある新興貴族ササラナイト家に娘を嫁がせることで、金銭的援助と経営補助を受け、何とか持ち直している。
その旧貴族であるゼオンフォーク家と、ササラナイト家を結んだのが、イバノンだった。
ちなみにレイドの第一婦人アマリアの妹も、別の新興貴族へ、援助と引き換えに嫁いでいる。
だが、プライドの高い根本家臣であるゼオンフォーク家にとって、娘が『魔力なし』を生んだという事態は、とても許しがたいものであったはず。
しかし、格はずいぶんと下の新興貴族であっても、金銭面も経営面も補助を受けているササラナイト家当主の決定に、表立ってゼオンフォーク家が異を唱えることはかなわなかった。
ちなみに、第三婦人も同じような古くからの子爵家だ。レイドの第三婦人ティアーゼは、ランドファリス子爵家出身。昔は伯爵家だったが、位が下がってしまい、次は男爵に落ちるかもしれない間際で、娘をレイドが引き取った形だ。
“格を金で買っている”
“古き良き血を金で買う”
そう、新興勢力は評される。
しかし、格や血を金で売りでもしないと、格も子孫も保てない貴族がいるのが原因だ。事実その旧貴族勢の方から、新興貴族にすり寄ってくる。
とはいえ、一度縁を繋いでしまえば、喉元を過ぎた熱にうるさく口を出し始めるのが、“古き良き血”を繋いできた者たちだ。
「面倒を承知で君がその選択をできたのは…あいつの件があったからだろう? あの時の誓いは、まだ生きているんだな」
「……“親友”への、誓いですから」
お互いにしか聞こえぬ音量に抑えられた声のイバノンに、レイドも過去を思い出していた。
◇◇◇◇
同じミドルネームの者たちが集まったサロンにレイドを招待してくれたのは、“古き良き血”を持つ伯爵家の友人、アイゼルト・ヴィクター・フェリスラントだった。
最初は、新興勢と旧貴族ということで、ライバル視されていたが、一度、魔物の討伐の際に同じ組になってから、それまでが嘘のように仲良くなり、2年次には親友と呼べるまでになった。
そのサロン――“サロン・ド・ヴィクター”は、学園のミドルネーム・サロンの中でも歴史あるサロンで、紹介制。
“ヴィクター”のミドルネームだけでなく、縦のつながりも横のつながりもしっかりしていないと、入れないサロンだった。
それだけに、旧貴族出身の者が多く、最初はレイドも居心地の悪い思いをしたが、アイゼルトを通じて仲良くなったイバノンたちのおかげで、やがてなじむことができ、卒業した今でも貴重な人脈を繋いでいる。
ミドルネーム・サロンのほとんどが、交流が目的。
茶会をしたり、ほかのミドルネーム・サロンとの交流をしたり、サロン内でパーティを開いたりと、人脈を太くするのがほとんど。
しかし、そんなサロンの中、“サロン・ド・ヴィクター”は、もちろん人脈作りも大切にしながら、歴史あるサロンの名に恥じぬよう、ほかの会には内緒で、伝統的に先輩たちが後輩の学力面や魔術のサポートをしてくれた。
“サロン・ド・ヴィクター所属“というだけでも、大きなアドバンテージになるのだが、そのサポートが、会員の地位を盤石のものとしてくれていた。
レイドもアイゼルトとの交友をさらに深め、長期の休みには、互いの領地に泊まりに行き合うこともあった。
最初は旧貴族らしく、レイドに対する反応も冷淡だったフェリスラント伯爵だったが、ササラナイトの領地でとれる珊瑚を使った宝飾品の販路を、フェリスラント家と優先契約すると、手のひらを返して歓迎してくれるようになった。
そうして交友を深めていたアイゼルトとレイドだったが、その関係が突然終わりを迎えたのが、3年次の初めのことだった。
魔術実技の時間に、アイゼルトが倒れたのだ。
医務室に運ばれたアイゼルトは、高熱を出していた。
その時、医師の診断は『魔毒症』。
自分自身の持つ魔力が、体の限界を超えて、毒のように肉体を侵していく病気。
魔力の高い、高位貴族に多い病気だった。
特に、“古き良き血”を、大切に守り続けてきた旧貴族にとって、家の死活問題でもあった。
そして困ったことに、医療魔法を使うことができないのも、魔毒症の特徴だった。
過度な魔力が体をむしばんでいる状態に、医療魔法をかけると、余計な魔力がさらに流れて、魔毒症を悪化させるのだ。
応急処置に、『吸魔の腕輪』と呼ばれる魔道具が、アイゼルトの両腕に付けられ、多すぎる魔力を吸い取っていた。
この『吸魔の腕輪』は、応急処置にしかならない。しかし、それ以上の処置もできないのが、『魔毒症』の怖いところだ。
『吸魔の腕輪』は、一定以上魔力を吸い取ると、取り付けられた魔石が限界値に達し、割れてしまう。
だから、その限界値に達する前に、新しい腕輪をつけ、割れる前の腕輪を外す必要がある。
そして、魔石以外にも、この『吸魔の腕輪』には欠点があった。
『吸魔の腕輪』をつけている間は、大規模な魔術を発動することができないのだ。
性質的に、『吸魔の腕輪』は、体内の魔力回路に直接作用するように作られている。
だから、心臓から、血管に沿って左回りで廻った魔力は、魔術を発動しようとすると、術者の手首にはめられた『吸魔の腕輪』で吸い取られ、発動個所の指先までほとんど回らない。
実例を挙げるとすれば、『吸魔の腕輪』をつけて、中級魔術のファイヤーストームを発動しようとした膨大な魔力の持ち主が、実際に発動したのは生活魔法のリトル・ファイヤなってしまったという報告がある。
攻撃魔法と、指先にともる小さな炎。
比べ物にならない威力。
その威力は、わずかに魔力を持って生まれた貴族、『魔力なし』と同レベルまで落ちてしまう。
場合によっては、学院にぎりぎり入学できない程度の『魔力なし』にも、劣る威力だ。
だから、魔力と魔術の最高峰・帝国魔術学院では、『吸魔の腕輪』を付けた生徒を、受け入れられない。
『吸魔の腕輪』を付けている限り、いくら授業に出席しようと、実技ができないからだ。
そもそも、実技棟や演習場へは、魔道具の持ち込みが制限されている。
一度『魔毒症』になった者が、『吸魔の腕輪』を外すと、外している間は体がむしばまれ続ける。
3年次までは、実技の授業の間だけ外していれば、何とかなるかもしれない。
だが、4年次からは、泊まり込みでの野外実習が始まる。魔物討伐の演習の、本格的なものだ。
そして、野外実習は、帝国魔術学院の必修科目。
その野外実習の期間中、『吸魔の腕輪』をすることは、許されない。
『吸魔の腕輪』の性質上、外して5分ほど、体内に魔力が巡る時間がかかる。
魔力が廻ったら、ようやく魔術を発動できる。
しかし、魔物はいつ現れるかわからない。
とっさの事態に対応する練習のために野外実習があるのに、『吸魔の腕輪』を付けた生徒だけ、5分間の戦えない時間が生まれる。
それは、致命的な時間。
“とっさの事態”には、初動が命を左右する。
突然、襲われたら、反射で魔力を放てなくては、命が守れない。
それなのに、『吸魔の腕輪』を付けた仲間がいるために、その仲間の命まで守る必要が出てくれば、その組だけ、圧倒的に負担が大きくなる。
最悪のケースとして、とっさに襲われたのが『吸魔の腕輪』を付けた生徒なら、対応できずにその時点で死んでしまう可能性もある。
だが、『吸魔の腕輪』を付けていないと、つけていない時間だけ、『魔毒症』の患者は、体がむしばまれ続ける。
例えば、ライトボールなどを常に浮かべ、余剰魔力を使い続けるという手もあるが、泊まり込みの実習の場合、寝ている時間がどうしようもない。
寝ている時間だけ『吸魔の腕輪』を許可してもらう、というのも無理だ。
行動をやめて交代で眠るその時間こそが、魔物たちが一番活発になり、あちらから襲ってくる可能性が高くなる時間だからだ。
一晩なら、耐えられるかもしれない。
しかし、学年が上がるにつれ、野外実習の期間は長くなる。
長くなれば、途中で『魔毒症』で動けなくなる可能性も高まる。
だから、“帝国魔術学院では、『吸魔の腕輪』を付けた生徒を、受け入れられない”という結論に戻る。
アイゼルトには、『吸魔の腕輪』を付けて帝国魔術学院を退学するか、魔毒症が進行して死に至る道しか、残されていなかった。
魔毒症で倒れてから三日目、ようやくアイゼルトは目を覚ました。
「よかった…ようやく目が覚めたか。熱も、だいぶ下がったようだな」
ベッドに横になったままのアイゼルトの顔色を見て、レイドは息をつく。
「……“よかった”わけが、ないだろう」
アイゼルトは、ちらりと視線を『吸魔の腕輪』に落とす。
「聞いたか」
「聞かずとも」
わずかに眉根を寄せたレイドに、ふんっとアイゼルトは鼻を鳴らす。
『吸魔の腕輪』は、“古き良き血”を持つ人間にとって、恐怖の象徴。見ただけでわかる。
「酒を酌み交わす前に、お前が“あちら”に渡るよりはマシさ、アイゼル」
レイドは真剣な瞳でアイゼルトを見つめる。
「……お前は俺の恋人か、レイド。…休み時間のたびに、ここに来ていたらしいな」
アイゼルトは小さく口元をゆがめた。
「こんなゴツイ恋人なんて、願い下げだ」
フンッとレイドも肩をすくめた。
そんなレイドをじっと見やり、アイゼルトはフンッと自嘲を浮かべる。普段のアイゼルトからは、考えられない表情に、レイドは眉根を寄せる。
アイゼルトは、ひょいっと枕元にあった手紙を、レイドの前に放った。
レイドはそれを拾い上げ、しかめっ面をした。
差出人は、リンゼル伯爵家。“古き良き血”を守る、旧貴族の一角。
アイゼルトの婚約者の令嬢の家からだ。
「レイドのほうが、よほど“恋人”のようだな。さっそく来ていた。”婚約破棄通知書“。それから…」
アイゼルトはもう一つの手紙もレイドに放る。
「そっちは、“養子縁組先候補一覧”」
アイゼルトが告げた手紙の差出人は、アイゼルトの実家、フェリスラント伯爵家からだった。
キンッと室内の気温が下がる。
「おい、凍らせるな」
アイゼルトの言葉に、レイドはハッとする。ふと気づけば、手にしていた手紙が、氷の塊になっていた。
「……悪い」
レイドがため息とともに氷の塊をわきの机に放った。
「リンゼル家も、フェリスラント家も、当然の処置だろう。なにせ今の俺は『魔力なし』と変わらない」
アイゼルトが苦笑する。
「馬鹿言うな。長期間『吸魔の腕輪』を外せないだけだ。討伐さえ行かなければ、ほかの道もある。魔道具師の道でも、重宝されるだろう」
長期間『吸魔の腕輪』を外さない限り、生きていくことはできる。
魔力の発動に時間をかけても構わない魔道具師の道に行けば、破格の魔力量を持っていると有利だ。大量の魔力量を必要とする付与師として重宝されるだろう。
「だが、この学院を卒業していないということは、貴族としては『魔力なし』と同じこと」
高等魔術学院などは、各地にある。魔道具師として生きる人や、冒険者となる人は、そちらの卒業生が多いだろう。
しかし、この国の貴族の基準は、あくまでも帝国魔術学院。
『魔力なし』と呼ばれる貴族の中には、高等魔術学院を出て、魔道具師の道や、各種ギルド所属の道を行く人も多い。
だが、あくまでも『魔力なし』の基準は、帝国魔術学院に入学できるレベルか否か。もちろんそれには、きちんと卒業できることも含まれている。
「……やけに冷静だな。予感でもあったか」
目を細め、眼光を強めたレイドに、アイゼルトが苦笑する。
「お見通しか。…1ヶ月ほど前から、魔力を使う時、想定以上の出力になっていた。最初は、魔力量が上がったのかとも思ったが、増え続ける量が異常だった」
「実技では、それを見越して制御していたわけか」
レイドはアイゼルトを睨む。実技では実際の出力量が変わったように見えなかった。
つまり、増えた量の分、最初から発動を抑えていたのだ。
「通りで、最近サロンは座学にしか参加していなかったわけだ」
授業では誤魔化せても、少人数で先輩から教わるサロンでは、さすがに見抜かれてしまうだろう。
「サロンも、もう除名だな。あぁ、どうせ退学だから関係ないが」
アイゼルトは苦笑する。
「どうして、もっと早く言わなかった。何度も聞いただろ。“何かあったのか”って」
レイドはアイゼルトを睨む。
何かを隠しているのはわかっていた。だが、検討がつかなかった。
尋ねても、誤魔化され続けた。
「言って解決する問題じゃ、なかったからな」
相談して、何とかなる問題なら、相談していたかもしれない。
だが、魔毒症の進行は、食い止められるものではない。
「馬鹿言うな。言ってくれたら、父と交渉する時間がもっとあった。…来いよ、ササラナイトに。どうせ養子に出されるんなら、俺の弟になれ」
レイドの言葉に、アイゼルトが目を丸くする。
「……お前こそ馬鹿だ…。…俺の方が誕生日、早いだろ、俺が、兄だ…」
アイゼルトはふいっと顔をそらした。その声が震えていることに、レイドは気づかないふりをして、とさりと椅子に腰を下ろすと、サイドテーブルに置かれた菓子をつまみ、紅茶を飲んだ。
「…おい、レイド。授業始まってる」
「たまにはサボっても良かろう。3日サボったアイゼルに言われたくない」
やがてかけられた声に、レイドは肩をすくめる。
「お前は真性の馬鹿だ。『魔力なし』と仲良くしていると見られたら、後が大変だぞ。お前以外、見舞いも来てないだろ」
アイゼルトが口元を歪めた。
「…いや、イバノン先輩は、何度か来たぞ」
レイドの言葉に、アイゼルトは呆気にとられた表情。
「…何考えてるんだ、あの人は」
「…“家”だとか、“立場”だとか関係なく、ただの友人として、先輩後輩として、お前を見てくれた人もいるってだけだろ」
「…………」
「…他にも、“立場上”来ることは出来ないが、見舞いを預かったヤツもいる。果物は、悪くなるといけないから、俺が食ったがな」
「おい」
悪びれないレイドに、アイゼルトが思わず突っ込むと、レイドはククッと笑った。
「…イバノン先輩は、侯爵家だから、何も言うヤツはいないだろ。だが、お前は違う。…気をつけろ」
その笑みを、眩しいもののように見つめながら、アイゼルトは告げた。
ちなみに、領地が隣り合っている縁で、旧知であるイバノンが、“サロン・ド・ヴィクター”へアイゼルトを紹介した。
その縁で、レイドも目をかけてもらっている。
「新興貴族の図太さをなめるなよ。これで、誰にも文句を言われることなく“親友”をササラナイトに取り込める」
レイドはニヤリと笑う。
「それに、俺の弟のアホさを知ってるだろ。教室を、はずみで爆破しかけて、クラス落ちするアホな弟に、領地は預けられん」
学院内でも有名な馬鹿話となっている、レイドの弟。
新興勢にして“サロン・ド・ヴィクター”に所属している兄と比べられ、余計に有名になってしまった。
「だが、お前の優秀さは知ってる。ササラナイトの海運業は、まだ発展途上。代替わりをしたら、近隣に所有する島の特産にも手を伸ばす予定だ。優秀な人材はいくらあっても足りない」
新興勢の中でも、頭一つ抜きん出ているササラナイト。
海に面した有利な立地を、数代かけて設備の整った港にして、今やマルフェデートの中部で1番大きな港にまでなった。
「その優秀な人材をまとめる、さらに抜きん出た逸材がいる。助けてくれよ、“兄貴”」
「……考えとく」
そう告げたアイゼルトに、レイドもそれ以上の話はやめ、2人はどうでもいい馬鹿話で盛り上がった。
学生時代のレイドのお話。