11.魔術学園の見学
今回は9500字程度です。ちょっと長めですが、お付き合いください。
その日、帝国魔術学園の来客用玄関に一番近い乗降所へ一台の四頭立ての馬車が停まると、ざわりとあたりの空気が揺れた。ちょうど、休み時間のことで、職員へ用事のある生徒が、教室へ戻ろうとしている時間だった。
思わず窓際に生徒たちが寄る。
護衛の騎士、続いて執事が降り、騎士にエスコートされ現れた少女の姿に、ざわめきが走る。
派手な色でないはずのミルクティ色の髪は、上品な光沢を放ち、まるでシルクのよう。長いまつ毛に縁どられたヘーゼルの瞳は、伏せられていた時には琥珀色に見えたのに、陽の光を受けて橄欖石の輝きを帯びる。
ほんのりと赤みのさした薄桃色の頬と、つややかな薔薇色の唇は、化粧をしているわけでもないのに、透き通るような白い肌に映え、十分に美しい。
すらりと伸びた足と、細い腰、すでに主張を始めている胸元。折れそうなほど細い首。
その白皙の美貌は、まだ幼さを残し、大人と子どもの間特有の、危うい色気を感じさせる。
ごくり、と、生唾を飲む音が聞こえる。
乗降所まで、少し距離があるはずだが、見ていた誰もがその少女にくぎ付けになっていた。
その時、パンパンッと打ち鳴らされた手に、窓際に吸い寄せられていた全員の意識が、ハッと現実に返る。
「皆様、そろいもそろって何事ですか。もう予鈴は鳴りましたよ。教室へお戻りください」
政治学のベテラン教師がバリトンの渋い声で告げれば、その場のみなが一礼して動き出す。まるで夢から覚めたように。
「あれは…ササラナイト家の至宝…」
「『至高の魔力なし令嬢』リリシア嬢だった…」
その少女を見た生徒たちは口々に友人と言葉を交わしながら、教室へと急いだ。
それをクランツが聞いたのは、午前の講義が全て終わった時だった。
「姉? なぜ卒業して時がたつのに、ルディアが…」
クランツは眉根を寄せる。
「違うよ、クランツ。ルディア様ではなく、リリシア様だ。講義の前の休憩時間に見た者がいるらしい」
友人の言葉に、クランツはがたりと音を立てて席を立つ。
「なぜ『魔力なし』が、帝国魔術学園に!」
一瞬にして気色ばむクランツに、友人たちは思わず一歩後ずさる。
「いや、誰もそれがわからないから、弟のクランツなら知っているかと…」
「…あいつは…リリシアはどこだ!?」
クランツの言葉に、周囲にいた友人たちはいっせいに首を横に振る。
「おい、リリシア様だってよ!」
「あの、『至高の魔力なし令嬢』の?」
その時、廊下から聞こえてきた声に、クランツはずかずかと歩み寄る。
「どこだ?」
廊下で話していた連中にクランツが問う。
「あ……あぁ、弟か…」
振り返ったクラスメイトがポツリと漏らした。ピクリとクランツの眉が跳ねる。
「食堂らしい」
それから端的に答えると、自らも歩き出した。
クランツはクラスメイトを追い越し、早足で食堂へ向かう。
クランツ・オーム・ササラナイトがこの世で最も嫌う存在は、リリシア・フォン・ササラナイトだった。
勢いのある伯爵家と評されるササラナイト家にとって、一番の恥。
リリシアの実母で、ササラナイト家当主の第一婦人アマリアと、クランツの実母である第三婦人ティアーゼから、そう教わって育った。
伯爵家より上の貴族に『魔力なし』が生まれると、普通は下級貴族に金銭と共に養子に出される。
しかし、ササラナイト家当主のレイドは、なぜかそれをしなかった。
それどころか、当たり前のことを告げた第一婦人アマリアではなく、貴族にふさわしくない言動の多い第二婦人ダイアナと組んで、リリシアを擁護した。
家督を継ぐ予定の兄ルイスも、今では侯爵家に嫁いだルディアも、なぜかリリシアの味方だ。
そんなササラナイト家の異常さが、クランツはとても嫌いだった。
兄や姉と、リリシアとルイスの間には年齢差があった。ササラナイト家では、年長組がルイスとルディアで、年下組がリリシアとクランツ。
当然、風の魔力に愛されているクランツが、魔力なしのリリシアより優遇されてしかるべきだ。
しかし、物心ついたころから、クランツのそばには母のティアーゼと、義母のアマリアしかいなかった。
当主のレイドは、自らの側近を領地において、ほとんどが帝都や別邸のあるティグナで過ごしていた。
ひと月に1度ほどは、領主としての仕事をするべく領地にもやってくるが、その滞在時間はほとんどの場合数日で、用事を済ませればすぐに出ていく。
生活の拠点は、領地ではなかった。
ティアーゼとアマリアと過ごす時間は当然短く、クランツにとってレイドは父親というよりは、たまにやってくる母たちの夫…という認識だ。
それが当たり前だったので、特に寂しくはなかった。
何度か、ほかの兄や姉たちの元に行くかと聞かれたが、母たちが一緒に行くわけではないと知って、断った。
ほとんど会ったことのない兄や姉たち、たまにしか会わない父親。そんな中で過ごすのは、気詰まりだろうと思ったから。
それならば、あまり父親にうるさく言われない土地にいたがいい。
母と義母はいつも話していた。
“『魔力なし』を養女に出さないなんて、信じられない”
“貴族として恥ずかしい”
“誇り高き伯爵家のササラナイトに嫁いだと思っていたのに…”
“第二婦人のダイアナばかりひいきをする"
"家格は由緒正しい伯爵家出身で、正妻の私の方が上なのに”
“私たちは捨て置かれたのだわ”
“こんなに有望な魔力を秘めたクランツに目をかけないなんて、どうかしている”
“すべてはあの『魔力なし』のリリシアのせいだわ”
“『魔力なし』のくせに、信じられない”
だんだんと言葉が理解できる年齢になり、領地周辺の貴族との社交が始まると、ようやく母たちの言っていたことが理解できて来た。
“お前の姉は、『魔力なし』なんだって?”
“お前も『魔力なし』なんじゃないのか?”
“養子に出されなくてよかったな”
大人たちの聞こえないところで、何度そういわれたのかわからない。
リリシアが『魔力なし』だとわかり、当然、義母のアマリアは養女に出そうとした。
それを当主であるレイドや第二婦人のダイアナ、兄のルイスや姉のルディアに止められ、魔力なしの娘と一緒にいるのに耐えられず、アマリアはティアーゼの元にやってきたという。
義母のアマリアは、このあたりの夜会も、『魔力なしの母』と言われるのが嫌で、出席しない。
邸内でティアーゼと茶会をしては、愚痴をこぼしていた。
それなのに、数年たったある日、クランツは聞いたのだ。
“お前の姉『至高の魔力なし令嬢』に認められたんだって?”
“魔力がないのに、本当に美しい人なんだろうな”
“皇居の夜会にも呼ばれるほどらしいな。紹介してくれ”
今までクランツを見下していた連中の態度が、突然変わった。
クランツはこのとき理解した。
クランツの立場は、貴族として恥でしかない『魔力なし』のリリシアに付随すると。
伯爵家の魔力なしということで、有名だったリリシア。
その有名税とでもいうものが、クランツにも及んでいる。
クランツのあずかり知らぬところで。
母たちの境遇も、自分の境遇も、すべてリリシアさえいなければ、ずいぶんと違っただろう。
本来なら、風に愛されたクランツが、もっとササラナイト家で力をもって当然なのに。
今まで見下していたひとつ年上の姉リリシアが、クランツにとって憎むべきものに変わった瞬間だった。
『ササラナイト家の魔力なしのリリシアの弟』。
ずっとそれが、クランツの肩書だった。
幼いころからずっと降り積もっていた鬱憤が、形を変えた。
それからは、『リリシアとの顔つなぎ』を餌に、今までクランツを馬鹿にしていた者たちを、次々に手駒に変えていった。
爵位が同じなら弱みを握り、下位の者は力で従わせる。
上の者には、うまく取り入るようにした。
今年に入って、無事帝国魔術学院に入学し、立派な貴族の一員となったクランツ。
その、クランツの前に立ちはだかる障害物が、クランツの領域である帝国魔術学園に、なぜいるのか。
『魔力なし』のくせに。
クランツが食堂に近づくと、何人かが“弟”だと、ささやき始めた。
そう。どこへ行ってもクランツは、『魔力なしの弟』扱いだ。これも、クランツを苛立たせる原因のひとつ。
ささやきが広がれば、自然と道が割れ、クランツはその姿を見つけた。
学園長の秘書から何やら話を聞きながら、何かを聞くたびに頷いているその姿。一歩うしろには、いつも引き連れている護衛と執事、侍女が控えている。
「魔力なし」
そのクランツの言葉の裏に気づいたのは、おそらくリリシアとその側近たちだけだろう。
「あら…」
軽く目をみはると、そばの学園長秘書に黙礼をしてからこちらへ向き直る。
「ごきげんよう、クランツ」
柔らかく微笑んだリリシアが、ふわりと小首をかしげるように挨拶をした。
それだけで、ざわりと周囲が色めき立つ。
いつもこうだ。
どれだけ、何をクランツが言おうと、このひとつ年上のリリシアは、まったく聞こえていなかったかのように柔らかく微笑む。
何も知らないような無垢な表情で。
穢れを知らぬ純真な幼子のように、まったく警戒心もなく。
静かに落とされた声がギリギリ届かない範囲で、遠巻きに眺めていた生徒たちの輪を、一歩飛び出し、姉リリシアに歩み寄るクランツ。
リリシアが、2.3言秘書と言葉を交わし、クランツに向き直る。
「なぜ、魔力のないリリシアが、帝国魔術学園へ?」
クランツが直球で問えば、ざわめいていた辺りは静まり返る。リリシアの言葉を、一言でも聞き逃すまいとするかのように。
「あら、お父様からお聞きではなかったの?」
首を傾げるリリシアに、ピクリとクランツの眉間にしわが寄る。
「…あ、そうだわ。ティアーゼ様を通してご連絡だから、まだこちらまで、ご連絡が来ていなかったのね」
リリシアが、思いついたように自分の問いを自分で解決する。
マイペースなその姿に、クランツのいら立ちは募るが、一応大勢の人間がいる場なので、おさえる。
「実はね、わたくし…」
秘密をささやくように、一度そこで言葉を切るリリシア。
ごくりと、誰かが生唾を飲む音が聞こえた。
ひくりとクランツのほほがひきつる。
「先日、魔力があることがわかりましたの」
にっこりと笑ったリリシアに、クランツは息をのんだ。
しーんと、一瞬、痛いほどの沈黙。
「そんな馬鹿な!」
次の瞬間、クランツは思わず声を荒げていた。
「室内でそんなに大きな声を出したら、はしたないわ」
ふふふっと楽しそうにリリシアが笑う。
とたんにざわざわと、先ほどとは比べ物にならないざわめきが辺りに広がる。
『魔力なし』の中で、『至高の魔力なし令嬢』にまで登りつめ、最も有名になったリリシア。
そんなリリシアに、魔力がある、とは…。
「なんの冗談だ!」
クランツが激昂を押さえきれない。
そんな馬鹿なはずはない。
『魔力なし』の姉がいたからこそ、今までクランツは苦労したのに。
「そうよね。わたくしも、冗談だと思ったもの。宮廷魔術師長のノキア様におうかがいしたときは」
リリシアが肩をすくめるように微笑んだ。
そのリリシアの仕草に、鼻を押さえる男子生徒たちがいたのだが、今はそういう問題ではなく。
「宮廷魔術師長…」
「ええ。先日、詳しく調べるために、魔術省へ行ってまいりましたの。宮廷魔術師長のノキア様と、七聖のみなさまに判定していただいても…それでも、何だか信じられない気持ちですわ」
思わずつぶやくクランツに、リリシアがさらなる爆弾を投下した。
「魔術省…」
「七聖…」
あちこちから、耐え切れないそんなつぶやきが聞こえる。
帝国魔術学園の生徒にとっては、聖地のような憧れの場所。
「だが! 魔力判定では…」
呆然とクランツがつぶやく。
「そうなの。3歳の魔力判定では結果がでなかったし、夜会に来ていた宮廷魔術師の方には、魔力なしと判定されたのよ」
「では! 後天性の魔力に目覚めたのですか?」
リリシアの言葉に、耐え切れなかった見物人の中から、声が上がる。
きょとりとした表情の後、声のした方向へ顔を向けるリリシア。
「いいえ。そうではございませんわ。3歳当時、わたくしにはすでに、魔力があったらしいのです」
無断で話を聞かれていたが、気にすることなくこたえたリリシアに、再びざわざわと声が広がる。
「じゃあ、なんで…?」
「魔力測定に、宮廷魔術師の判断ですわよね…?」
そんな疑問が広がっているのを見て、にこりとリリシアは微笑む。
「どうやらわたくしの魔力は特殊で、その魔力ゆえに、測定器は破損。先日測定したときもですわ。そのうえ、宮廷魔術師でも魔力量が特に大きい鑑定眼持ちのベテラン級の方々にしか、魔力が判別できませんでしたわ。宮廷魔術師長のノキア様たちが調べて、証明書をくださいましたの」
ゆっくりと周囲を見回しながら、リリシアは全体へ向けて説明する。
「じゃあ!」
ふと、期待に満ちた大きな声が上がる。
「リリシア嬢は、帝国魔術学園へ、編入されるのですか!??」
その可能性に気づいた生徒が、勢いこんで尋ねる。
わっと一気に盛り上がった。
だが、リリシアは少し困った表情。
あたりが戸惑ったように静かになっていく。
「わたくしも…ずっとこちらで学ぶことに憧れがあり、同年代の方々と切磋琢磨したいと思い、本日見学させていただくことにしたのですが…」
「何か問題が?」
「あ、今まで、魔術の勉強をしたことがないから…」
リリシアの言葉に、周囲がざわめく。
「…先ほども申し上げた通り、わたくしの魔術は、特殊なのです。ノキア様いわく、お医者様たちの特殊型のようなものだと」
リリシアの言葉に、あたりが静まり返る。
「ですから…編入すると、実技などの面において、通常の教育課程では、ほとんど対応できずに、先生方にご迷惑をおかけすることになりそうですの…」
「いえ、リリシア様。それ以前に、リリシア様の指導に対応できる教師が…」
リリシアが小首をかしげると、学園長秘書が苦笑する。
「あら、そうでしたわ。…そういうことですの」
「え…でしたら、家庭教師とか…?」
「いや、国一番の教育機関の教師が対応できないのに、家庭教師なんて…」
ふふっと苦笑するリリシアに、再びあたりが口々に意見を言い合う。
「その点は…大丈夫ですわ。あてがございますの。お気遣いいただき、感謝いたしますわ」
にっこりと微笑むリリシアに、再び静まり返る。
「…リリシア様、そろそろお時間が」
そっと背後から執事が告げ、リリシアは頷いた。
「待て!」
周囲の勢いに気おされていたクランツが、すごい形相でリリシアを見る。
「ごめんなさいね。次の予定が迫っているみたいなの。また、改めてお話ししましょう、クランツ」
申し訳なさそうに告げられたクランツは、ぶちりと耳元で何かが切れる音を聞いた気がする。
カッと頭に血が上る。
「魔力な…」
「失礼するよ」
クランツが声を上げようとしたその時、言葉をさえぎって長身の男が優雅に姿を現した。
一見すると銀色だが、光の加減で青が混ざる美しい髪。とろりと幻惑されそうになる、金色の瞳。
きゃぁ…と、小さな悲鳴が女子生徒から上がる。
「グリード殿下。先日はお招き、ありがとうございました」
リリシアが優雅なカーテシーを。
「あれは父が勝手に招いたのだ。時間がないのだろう。私が馬車の元まで案内しよう」
にやりとグリードがわずかに口元をゆがめる。
クランツも、周囲も息をのんでその光景を見守る。
「あとは私が」
学園長秘書に向かってグリードが告げれば、秘書は一礼して一歩引き下がる。
グリードは、エスコートのためにリリシアに手を差し出した。
リリシアは促されるまま、そっと繊手をその手に乗せる。
「あぁ、それから…」
グリードは食堂を出ていきかけ、目を丸くして見守っている生徒たちをちらりと振り返る。
「学園で無理なら、リリシア嬢は、おそらく魔術省に所属することになる。もともと、リリシア嬢の魔力が発覚したのも、宮廷魔術師長が一目見て引き抜こうとしたからだ」
グリードはそれだけを告げると、リリシアを連れ歩き出した。
背後で驚きの声が爆発した。
女嫌いと言われるグリードだが、さすがに皇子だけあり、リリシアの歩幅に合わせ、優雅にエスコートする。
「…人払いは済ませてある。警護も声は届かぬ」
やがて、人がいないエリアに来ると、グリードが告げた。つまり、話が聞こえるのはリリシアの従者たちのみ。
「よくやる。通うつもりもない学園の見学を」
「通うつもりもない…」
グリードの言葉に、思わずハンナは小声でつぶやき首を傾げ、エヴァンに視線でたしなめられる。
「なんのことでしょうか?」
ふふふっとリリシアが笑みを漏らした。前回同じ言葉をかけられた時とは違い、少し面白そうに。
ちなみに、次の予定がクランツをかわすためのものだとグリードも気づいているため、普通以上にゆったりとした歩調だ。
「それも、よくやる。前回といい…よくああもスラスラと…」
ふっとグリードが肩をすくめた。
「お茶会では…事実を述べたまでですわ」
「…好きに涙を流す才能でもあるのか?」
微笑むリリシアを、グリードが半眼でみやる。
「当時、表に出すことのなかったわたくしの感情が、あのタイミングでほとばしっただけですわ。お恥ずかしい限りです」
あえてしおらしく告げたリリシアの言葉に、思わずふっと笑うグリード。
「ずいぶんと器用な感情だな」
グリードの言い方に、思わずくすくすとリリシアも笑う。
「その時に出せばいい書類も、あえてあの場で、か。時機を読むのがうまいな」
「姉の指導のたまものです」
「…そうか。茶会の話でもそうだったが、リリシア嬢の姉上も、ずいぶんとタイミングがいい」
二人の皇子ともめたタイミングには、リリシアの姉ルディアがいて、書類を作るに至ったとは。
「貴族のたしなみ…と教えられましたわ」
眉根を上げるグリードに、さも真面目な表情でリリシアはこたえる。
くっとグリードも思わず笑っていた。つまりは、完全にルディアの計画通りということだ。
「それより…よろしいのですか? わたくしのエスコートなど…。お食事に食堂へいらっしゃったのでは…?」
リリシアがグリードを見上げる。
「あぁ…昼食などいつでも。次の講義はすでに単位をみたしている」
「…そこまでして、何かお考えが?」
なぜそこまでして、リリシアをエスコートし、雑談のような真似をするのか、と。何か重要な話でもあったのではないか、と、言外に問う。
「いや。面白そうだったからな。それに…リリシア嬢の話題を餌に、公爵家令嬢たちが話しかけようとしてきたからな」
「あら…さすがは『氷結の皇子』」
「やめてくれ。堂々と私にそれを言うか、普通」
ふふっと笑ったリリシアに、グリードの雰囲気がげんなりとした。思わず口調も崩れる。
グリードの髪の色合いや、ほとんど変わることのないと言われる表情、それから、女嫌いと有名で、女性に対して冷たい対応をするその様子が、逆に一種の熱狂する層を生み出し、『氷結の皇子』などという二つ名がついている。
「『氷結の皇子』様がわたくしをエスコートしては、逆効果では?」
「やめろ。その恥ずかしい名を口にするな」
微笑むリリシアを、グリードがぎろりとにらむ。にらまれたリリシアは、「あら、怖い」と、まったく怖くなさそうに肩をすくめた。
「だいたい…同じような化粧で、同じように着飾るくせに、会うと誉め言葉を期待する…宝石と服と流行にしか頭に詰まっていない者たちと、何を話せと?」
「あら、どなたが素敵な殿方で、どの殿方にはどのご令嬢がふさわしいかも、彼女たちは考えていますわ」
「余計にたちが悪い」
わかっていて言っているだろう、という気配のグリードに、リリシアはくすくすと笑う。
「グリード殿下が、こんな方だとは思いませんでしたわ。グリード殿下のお兄様と弟君を見ていると」
「それはこちらのセリフだ。リリシア嬢の弟を知っていると」
馬車の乗降所についたが、そのままグリードは立ち止まる。
「あら、ご存じで」
「悪目立ちしているからな」
「……理解しました」
肩をすくめたグリードに、リリシアが苦笑する。
「それで、いつその猫を脱ぐのだい? そろそろ十分では?」
「まだ、ですわ。それに、時と場合によっては、とても便利な猫ちゃんですの」
グリードの問いに、にっこりとリリシアは笑う。
その表情の変化の鮮やかさにも、グリードは舌を巻く。
まるで効果音がついているかのように、リリシアが表情を変えるたびに空気が変わる。
困った表情の時は薄暗く、柔らかな微笑みの時はあたたかな暖色系に、にっこりとした笑みの時はキラキラと明るく…背景の色さえ変わって見えるほどに目をひく表情の変化は、さすがとしか言いようがない。
「おや、せっかく協力したのに」
「魔術省では、脱ぐことになると思いますわ」
「…あぁ、トップがあの面々だからね」
苦笑するグリードに、リリシアも微妙な表情をする。
「まぁ、いいさ。少なくとも私がいるときは、その猫は置いてきてくれよ。見ていて背筋がもぞもぞする」
「あら、ずいぶんな言いようですわね」
「まるで、本来のリリシア嬢と、猫の、二重に見えて違和感しかないんだ。ほかの令嬢よりはずいぶんとマシだが」
「余計にひどい言いようですわ」
思わず首をすくめたグリードに、文句を言いつつもリリシアは思わず笑っていた。
「周囲にいる人によっては、猫ちゃんにお出まし願いますが、それ以外ではお留守番するように言っておきますわ」
「ぜひそうしてくれ。よく私も魔術省には顔をだす」
そう告げたグリードは、ようやく馬車の登り口へリリシアをエスコートした。
「そうなのですね。では、また。失礼いたしますわ」
「ああ」
グリードは頷き、リリシアは馬車に乗り込んだ。
深く礼をしたガイスやエヴァン、ハンナも続き、同じく深々と頭を下げたハロルドが御者台に乗り込む。
そうして、グリードと別れて馬車は出発した。
「はわー…びっくりしました。まさかの第三皇子グリード殿下…」
学園の敷地を出てしばらく行くと、ようやく詰めていた息をハンナが吐き出し、くすくすとリリシアが笑った。
「よくリリシア様は平気でしたね。それに…いろいろと驚きました」
ハンナの言う“いろいろ”には、本当にたくさんのものが詰まっている。グリードがエスコートすることになったのはもちろん、グリードやリリシアの態度、話の内容…“いろいろ”と、突っ込みどころが多すぎて、どこから話していいかわからないほどだ。
「そうだ、リリシア様。“通うつもりもない学園の見学”って…」
ハンナが口にしながら、リリシアだけでなく、エヴァンやガイスも見やる。二人も特に驚いていなかったようなので。
「どう考えても、宮廷魔術師のほうが、条件はいいですからね。お三方の性格は別として」
エヴァンが苦笑する。“お三方”とは、ノキアとマグナイト、コロナのことだ。
「では、どうして見学など…」
「時間の無駄だと思う?」
リリシアは困惑するハンナににんまりと微笑む。ハンナは頷いた。
「そうでもないわ。魔術学園に通っているのは、誰?」
「魔力の強い方…ほとんどが貴族で、ほんの少しの庶民」
「そうよ、ハンナ。次代を担う魔術師のほぼすべてが通っている。そして、私のつい最近までの“称号”は?」
「称号…? 『至高の魔力なし令嬢』ということですか?」
「ええ。この国の最高峰の魔術師養成機関に…つい最近まで、魔力がないと思われていた私が、編入の下見に行く。相当な衝撃ではなくて?」
にっこりと微笑むリリシアに、なるほど!と、ハンナは納得した。
「そして、さらに…下見をしておきながら、学園に通う者たちの憧れ『魔術省宮廷魔術師』に、一足先になるというわけですね」
「これまでの下積みがないにも関わらず」
エヴァンが微笑み、ガイスがにやりと笑う。
「そうよ。そのうえ、一度学園に見学に行ったという事実が、宮廷魔術師の見習いとなるための条件をより良いものにしてくれるはずだわ。魔術省としては、学園に行かれると困りますもの。それに、グリード殿下から“魔術省入り”をおっしゃっていただいたことで、効果は倍以上ね」
ふふふっと笑うリリシアは、心から楽しそうだった。
キレかけるも、もやもやっと終わるクランツが不憫…
そしてそのあと、ほぼ思い出されもしない、笑
爆発させる案もあったんですが。
グリード殿下にご登場いただいたがずっと面白そうだったので。