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夕ご飯2

 やがて全ての料理が並べられると、私たちは元の椅子に座り、葵ちゃんは空いていた椅子におしりを滑らせて座った。


「今日の材料費は私が出しておりますので、どうかご一緒させていただければ」


 小林さんの言葉にお父様は無言で頷く。


「いただきまーす!」


 普段より静かな食事の空気を打ち破るように、佳奈ちゃんが元気な声でいただきますを言うと、それにつられて他の人も口々にいただきますを言って食事を始めた。


「葵」


 お母様が目の前のお箸に手を付けることなく、葵ちゃんのほうを向く。


「あのお茶、来客用だから普段使っちゃダメって言ってたでしょ」


「小林先生と竹宮さんがいらっしゃるからそっちかなって」


 お母様の言葉に葵ちゃんが反論する。

 お母様はうんうんと何かに納得したように頷くと、お箸を取ってほうれん草のお浸しを口にした。

 ゆっくり味わったあと小林さんに語りかけた。


「小林先生、さっき私が飲んだお茶なんですけど」


「はい」


「お茶缶、私と葵にしか分からない場所に置いてあるんですよ」


「えっ?」


 お母様の言葉に反応する佳奈ちゃん。


「どういうこと?」


「佳奈は適当にお茶入れちゃうからだよ」


 佳奈ちゃんの質問に葵ちゃんが答える。


「えー!?」


「それにこのお浸しも、味付けは葵のものです」


 佳奈ちゃんの声を気にせず、お母様は震える声で小林先生に話しかける。


「この子は葵です」


 佳奈ちゃんの声を気にせず、お母様はそう小林先生に断言した。


「葵が無事で良かった……」


 そう言うとお母様は俯き両手で顔を覆い、肩を震わせ、声を殺して静かに泣き始めた。


「女になっちゃったけどね」


 葵ちゃんはそう言いながら椅子から飛び降り、お母様の背中を優しくさする。


 再びリビングがしんと静まり返り、食器とお箸がぶつかる音とお母様が啜り泣く声だけが空気を震わせる。


「私は」


 お父様がお母様や葵ちゃんには目もくれず、黙々と食事を進めながら


「妻がこう言うのだから疑うつもりは毛頭ありません。どうして葵がこうなったのかも誰も、先生も分からない。それは仕方がありません、私たちの常識や理解の範疇を超えている」


 お父様は過去起きたことと現在の状況について、分からないながらも受け止めていただいたようだ。


「では私たちは、葵は、これからはどうすればよいか、それが分からない、というのが正直なところです」


 お父様はお箸を置き、小林さんに向き直る。

 小林さんも手を取め、お父様に対して姿勢を正す。


「葵は男に戻れるのか。葵はこれからどうなるのか。葵は社会的に生きていけるのか。葵は通学出来るのか」


 一つ一つ、言葉をかみしめるように小林さんに質問していく。

 それに対し小林さんも答えを返していく。


「葵さんが男に戻れるのか、これからどうなるのか。こちらは私たち西園寺家の総力を挙げて取り組むつもりです」


「私たち?西園寺家?」


 急に出て来た有名な家の名前にお父様が小林さんの言葉を遮る。

 小林さんは改めて懐から名刺を取り出すとお父様の目の前にそっと差し出した。


「この非礼お詫びいたします。急に西園寺家が出てくるとあらぬ誤解を与えてしまうと思いまして。(わたくし)、西園寺家党首の息子西園寺一馬の秘書()勤めております。今回こちらに伺いましたのも一馬の指示です」


 違う立場の自己紹介をした小林さん。

 お父様はじっと目の前に差し出された名刺を手に取り目を通している。


「どういうことですか?」


 至極当然な質問がお父様より出された。


「小林先生が西園寺一馬さんの秘書であることは分かりました。西園寺家の総力を挙げて?葵に何をするつもりですか?」


 不穏な気配をお父様から感じた。

 お医者さんに不安を吐露するのと、お金持ちの権力者に不思議な変身をした息子を預けるのでは、心の持ちように天と地ほどの差がある。


「西園寺智絵里お嬢様と葵さんはクラスメートです。お嬢様のご友人にご不快な思いは決してさせません。ただ手助けさせていただきたいだけです。西園寺家の総力を挙げ、葵さんとご家族の皆さんをお守りさせて下さい」


 小林さんが深々と頭を下げる。

 お父様は少し考えたあと、小林さんに訊ねる。


「……私の先ほどの質問にお答えいただけますか?」


「葵さんには海外交換交流の一環で『海外に留学していただきます』。その交換留学生としてこちらの葵さんに今の学校に『留学していただきます』。葵さんの今の姿での立場は『西園寺家にお任せ下さい』。合法的に性別を除いて今と同じ立場をご用意いたします」


 く、黒い。私には真っ黒の手法に見える。

 ただ、通常の手段で葵ちゃんの身分を保障する術がないのも確かだ。


「その間に西園寺家の総力を挙げ、葵さんが元に戻れる方法をお探しいたします」


 そう言って小林さんは再び頭を深々と下げた。

 小林さんはぶっちゃけてしまうと西園寺家党首の息子、西園寺一馬さんの秘書にすぎない。

 その一秘書が西園寺家の名を三度出した。

 名を使う小林さん、名を使われる西園寺家双方の覚悟が読み取れた。


 お父様はしばらく頭を下げ続けていた小林さんを見つめていたが、やがて


「小林先生、頭を上げて下さい」


 そう声をかけた。そして


「どうやら私たち家族だけではこの事態に対応出来ません。どうか力を貸して下さい」


 今度はお父様が頭を下げた。

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