変わりない学校生活
「いってらっしゃい」
葵ちゃんのお見送りを受けた私は、足取り軽くエレベーターホールでエレベーターを呼ぶ。
あの葵ちゃんの姿は本当にヤバいと思う。
中身が見た目通りの女の子ならばもしかしたらまだそこまでドキドキしていなかったかもしれない。
慣れない女の子に戸惑う藤宮くんだからいいのだ。
言葉使いは丁寧だし、一人称は僕だし。多分本人は「僕」と言っているのだと思うけれど、私くらいになると「ボク」と聞こえる。ボクっ娘だ。
この破壊力は半端ない。
ポーン
いつまでも蕩けてはいられない。
エレベーターの到着音が響きドアが開く。いつも通り私は一人で乗り込む。
降下している時、目を瞑るとふわ、と不思議な感覚が私を包む。私が好きなこの感覚。日常で味わえるちょっとした非日常感。ここで意識を切り替えていく。
それほど間を置かずに一階に到着する。
ここから最寄りの駅までは自転車で五分。
前カゴに鞄を入れると私は最近涼しくなってきた朝方の道路に漕ぎ出していった。
最寄り駅。
急行が止まらない駅、と言えばどれほど小さな駅が想像できるだろう。
当然乗れる電車の本数も少ないので乗り遅れは大ダメージとなる。
通学時間は片道四十分といったところ。
大神市に向かう人々を各駅で拾っていくので、私がいつも乗る三本早い電車でも人がかなり乗り込んでいる。
幸い全部の席が埋まっているというわけではなかったので、片側が空いている二人席に失礼して腰を下ろす。
電車の中での時間の潰し方は参考書か魔導書。
魔導書といっても見た目はカバーをかけているし、中身は挿絵の一切ない摩訶不思議な文字で書かれているので、万が一誰かが覗き込んでも全く理解出来ないだろう。
唯一の欠点は痛い女子高生と生温かい目で見られることくらいだろう。大丈夫、それくらいは慣れている。
そうして今日は思うところがあり魔導書を読んでいると背の高い女の子が
「おはよ桃華!」
と声をかけてきた。
声がした方に顔を上げると、友達の静香が二人席の上を握って空いた片手で「よっ!」と笑顔で手を出していた。
「おはよ静香」
私は魔導書を閉じ、彼女に倣って笑顔で手を出す。
「桃華さー、今日の宿題写させてくれない?昨日部活終わって家帰ってシャワー浴びてちょっとだけ横になろうと思ってたらもう朝でさ!助けて桃華!」
静香はポニーテールにまとめた髪を揺らしながら、ついでに体まで揺らしながら私にさっそく助けを求める。やめて、そんな体を動かさないで!ほらぁ、隣に座っているお兄さんがこっち見てるでしょ!
「ごめん、宿題があったことすら今聞いて思い出したところだから」
「あらー」
動きがピタッと止まって静香が目を丸くして驚く。
この驚きようも無理はない、普段の私なら宿題をしないなんてことはないし、ましてや高校で出会ってからこの半年、忘れることなんて一度もなかったのだから。
「桃華もそういうことあるんだねえ。何かあった?」
驚いて残念がって急に心配な顔をしてくる静香。
とても活発な子で百面相も見てて飽きない。同じ方向でなければなかなか出会わない相手だろう。
「何かあったわけじゃないんだけどね……。ちょっと読書に夢中になりすぎて」
何かあった訳じゃない?いやいやありまくりだ。
でも魔法少女として初めて出動したら自分のミスでピンチに陥って、この地域にいるはずのない魔法少女に助けられたと思ったら見たこともない美少女で、その子が実は男の子でクラスメイトで一緒にお風呂入ったりお見送りしてくれたりとか、どれ一つとしてこの状況で言えることはない。
テレビやラジオ、インターネットで面白い番組があった、という話も何それ教えて!となってしまうので迂闊に言えない。
結局私が読書家であることは周知の事実であるので、無難に面白い本があったということにした。
「本読んで面白いとか羨ましいね」
心配して損した、といった感じで静香は肩をすくめる。
静香は体を動かすことが大好きで勉強は得意ではない子なので、じっと座って本を読む行為に耐えられないらしい。
「さてそれじゃあ宿題はどうするかなー」
宿題忘れの常習犯であるところの静香容疑者はあっけらかんとした様子でほほをぽりぽりかきながら呟く。
「私は学校でやろうかな」
「あ、ズルい」
「私には朝練ないからね」
静香は女子バレー部に入っている。一年生の中でも有望株ということで先輩方から特訓という名の愛の鞭を朝から受けている。
うちの学校はそこまで強豪校ではないが、それでもしっかりと力を入れている。
青春だな、と私は思うと、そこから大神駅に着くまで静香とのガールズトークに花を咲かせた。
駅からはバス。約十五分ほど。
学校の登校時間帯、そして終業時間から部活の最終時間までの間、ほぼ学校と駅間のバスが増便されているのでとても楽だ。
バス乗り場には大神高校の生徒がちらほら見える。まだ早い時間なのでこんなものだが、一番混む時間は大神高校専用バスの様相を呈し、容易に混雑する。
「おはよう」
「おはようございます!」
「おはよ」
そこらかしこで挨拶が聞こえてくる。
バス乗り場には学年関係なく顔馴染みの面子が蛇行した列を形成している。
バスでは静香と隣同士になってわいわいガヤガヤ楽しくおしゃべりを続ける。
学校近くのバス乗り場で降りると徒歩通学の生徒がこちらに向かってくるのが見えてきた。
校門で朝練に行く静香と別れ、私は靴箱で上靴に履き替え、三階にある教室に階段を登っていく。
「おはよう」
挨拶は返ってこない。これはいつものこと。
当然だ。
教室には誰もいない。日直ですらまだ来ていない。
私は挨拶したあとは黙々と昨日出された宿題をこなしていく。
宿題もほぼ終わったところでクラスメイトたちがぽつりぽつりと教室に入ってくる。
「おっはよう!」
「おはよう」
「相変わらず桃華早ーい!」
「おはようこざいます」
「おはよう」
宿題も終わり、朝のホームルームが始まるまであと少し、いったところで静香と一緒に私の友達、智絵里がゆるふわな空気をまとってやってきた。
「おはよ~桃華ちゃん~」
「おはよう智絵里」
「桃華、宿題は終わったか!?サンキュー二限までには返す!」
「桃華ちゃん今日はおひまかな~?駅の近くに美味しいケーキを出すお店があるらしいの~」
「ゴメン、今日も用事があって……」
「うう、桃華ちゃんが最近智絵里と遊んでくれない……」
智絵里は一人称が自分の名前でちょっと独特なキャラクターだが、クラスの女子の人気は高い。
甘いもの大好きな智絵里が持っているスイーツ情報は的確で外れがない。誰にでも笑顔で嫌みがなく、何より彼氏がいない。
男子の中にも智絵里を狙っている人が何人かいるらしいが、女子のガードが固く、さらに本人のガードも固い。
静香も人気は高く、中学時代、女子からラブレターを貰ったことがあると同じ中学の子から聞いたことがある。
私?
陰キャな私にそういう華があるわけ、ない。
女子に嫌われているわけではない。ちょっと可愛い子に視線が行くだけ。
読書をしてて通りすがりに私の魔導書を見て男女問わずそそくさと足早に立ち去るだけ。
「藤宮は本日は体調不良で欠席だ」
先生がそう言って朝のホームルームを終わる。
いつも通りの学校生活が始まっていく。
お昼前の授業の最中、魔物を感知するまでは。




