いってきます
朝。
ピピピ、ピピピ、と一定のリズムで鳴り響くヘッドボード上のスマートフォンを手探りでタップして止めると、私はゆっくりと体を起こした。
私は基本的に夜型の人間だ。そして朝はそこまで強くない。
今も頭があんまり回っていないのが自分でも分かる、のだけれどもこれはどうしようもない。
ベッドの上で体を起こして何も考えずぼーっとするのが私の日課。
窓の外からスズメの鳴き声が静かな朝に響き渡る。
締め切られたカーテンの向こうからは、朝のこの時間にしてはすでに強い日差しが差し込んでいる。
しばらくぼーっといると少しずつ頭も冴えてくる。
あー、昨日藤宮くん泊めたんだった……。
急速に頭が冴え渡る。
男を家に引きずり込んだ。
女の一人住まいに男を入れた。
いやいや、言葉にすれば直球で私も大概破廉恥だが、昨日はどうしても藤宮くんと魔法少女について説明しなければいけなかった、はずだ。
財布やスマホ、藤宮くんの家のことは彼を落ち着かせるためには必要だった。
魔法のことは佳奈ちゃんがいるところでは話せない。
佳奈ちゃんに冷やかされたのも軽くかわした、はずだ。
それに今は女の子同士だから何もない、何もしない、何もされない。つまり問題ない。
なのに……どうして今さら冷や汗が出てくるのだろうか。
一緒のお風呂!あの痴態!!
あれは何も知らない藤宮くんに女の子の髪の洗い方や体の洗い方を教えるという大前提があった……けれども、それにしたって自ら胸を押し付けたり果ては抱きついたり、私はいつの間にこんなふしだらな女になってしまったというのか。
可愛い女の子は女だって大好きだ。小さい子ならなおさらだろう。
いくら葵ちゃん……藤宮くんが今はちっちゃくて可愛い女の子の姿とはいえ、その実態は体は女になって半日も経っていない精神は男の子だというのに。
思わず両手で顔を覆ってしまう。
けれどもそんなことをしたって時間は巻き戻らない。巻き戻らないか?
魔法は万能ではないが何も出来ないとすぐに投げ出すものでもない。
いつか研究をしてみようー
それに葵ちゃんの不思議な状態についても考えないと。
記憶の途切れた葵ちゃん。ならあの時私としゃべっていた妹のような葵ちゃんは一体何者なのか。
寝汗ではない汗を朝からかきながら洗面所に向かおうとすると、ダイニングからパンの焼けた芳ばしい匂いが漂ってきた。
昨日結界を張ったことを今さら思い出し確認すると、昨晩は何もなく、藤宮くんが歩き回った形跡もなく、彼は私よりも早く起きたらしい。
なんにしてもまずは洗面台だ。
「おはよう竹宮さん」
「……お、おはよう藤宮くん」
顔を洗いしゃっきりしたはずの私がダイニングに顔を出すと、そこには踏み台に乗って朝ごはんの準備をしているちっちゃな可愛い女の子……藤宮くんの姿だった。
クリーム色の寝巻きの上に(私の)白いエプロンをつけ、包丁片手にニッコリ微笑むその姿、何これ天使……!?
こんなに可愛い女の子が男の子なはずはない。
あまりの可愛らしさに私の罪悪感なんて吹っ飛んでしまった。
「ごめん、そこら辺適当に漁っちゃった」
着けているエプロンは普段私が適当にかけていたものをたくし上げて使用している。
そしてよく見るとうちにはないはずの踏み台は空の段ボール箱で、その上に器用に立っているようだった。
「ちょっと藤宮くん、危ないよ」
不安定な足場で包丁を持っていることに気付き、そう声をかけるも、
「もう準備終わったから、これは洗うだけ」
そう言って包丁をシンクの中に入れ段ボールの上から降りた。
「さ、食べよう」
私が席に着くとそこにはトーストと目玉焼き、皿に盛り付けたサラダと湯気が立つマグカップが置かれていた。マグカップの中身はコーヒーのようだ。ドレッシングやバター、お砂糖にミルクも置かれている。
エプロンを外してきた藤宮くんも席に飛び乗る。
私たちはお互い顔を見やると
「「いただきます」」
二人手を声を合わせて朝食を食べ始めた。
「竹宮さんは朝食はパン派?」
「そういう訳じゃないんだけどね……」
サクサクとトーストを食べ進めていると藤宮くんから定番の質問が飛んでくる。
私は特にこだわりはない。
うちに食パンが常備されているのは、特に調理の必要がないからである。炊飯器もキッチンにあることはあるが立派なオブジェと化している。普段の食事は外食が基本だ。時間を有効利用できるから。そして……私は料理が出来ない。
「僕は今日はここで留守番?」
今日藤宮くんは学校を休むということで話はついている。
「そうね。私が帰ってきたら藤宮くんの家に行きましょう。それまではここで魔法の勉強をしていて欲しいの。特に結界魔法について」
結界魔法。
私たち魔法少女にとって魔物を逃さないために必須の魔法だ。
確認はしていないがまだ藤宮くんはこの魔法を使えないはず。今の状態で下手に確認して屋根が吹き飛ばされるハメになるのは勘弁してほしい。
「この本とノートで勉強出来ると思う」
私はそう言ってリビングの本棚に入っている分厚い本と数冊のノートを指差す。
去年私が使った参考書とまとめたノートだ。
「あの本棚に入っている本とかノートとかは全部魔法関連だけど、まずは結界魔法を覚えないとね」
「リビングに置いてるの……?」
藤宮くんが両手でマグカップを抱えながら不思議そうに聞いてくる。眼福。
「基本この家に人は上げないもの。問題ないわ」
言いながらまた一つ気付いてしまった。
初めて家に上げた男の人が元男の子……。いや、もうよそう。
ふぅんと頷いてコーヒーをちびちび飲む藤宮くん。彼は猫舌だったが女の子になっても猫舌なままのようだ。ふう。
そうだ、これも徹底しておかないと。
「昨日ドサクサで藤宮くんのこと葵ちゃんって呼んじゃったけど、どこで誰が聞いているか分からないから、これから葵ちゃんって呼んでもいいかな?」
案の定藤宮くんは顔をしかめたけれど、これは従ってもらうしかない。
藤宮くんもそれは分かっているのか、渋々了承してくれた。
「それじゃあ葵ちゃん、お留守番よろしくね♪」
「ぐぬぬ」
「だめだぞー?……よろしくね?」
ついつい昨日のテンションが出てきたので、慌てて押し留めて改めてお願いする。
「分かったよ……。家の両親と話し合いするときは真面目にしてよ」
「はーい」
朝食とちょっとした相談も終わると、私は自部屋で学校へ行く支度をする。
うちの高校は普通のセーラー服である。
玄関の姿見でチェックしていると葵ちゃんがトコトコと見送りに来てくれた。
「この本とノートだよね?」
私は葵ちゃんを見やって彼女が持ってきたものが間違いないことを確認する。
「合ってる。リビングに練習用に結界張っておくから、そこで練習してね」
「うん」
本を両手で抱きかかえ上目遣いで頷く葵ちゃん。
葵ちゃんが家にいると、ちょっと嫌なことがあっても「まあ家に帰れば葵ちゃんがいるしな」ってなるし学校でむかつく人に会っても「そんな口きいていいのか?私は自宅で葵ちゃんとよろしくやってる身だぞ」ってなれる。戦闘力を求められる現代社会において葵ちゃんと同棲することは有効。
心の中でつい高速詠唱してしまった。
逸る心を深呼吸して落ち着かせると、私は扉を開けて外に出る。
「いってらっしゃい」
葵ちゃんが笑みを浮かべて遠慮がちに手を振る。
また、ひさしぶりな、景色に、私は。
「いってきます」
日差しの降り注ぐ空の下に身を躍らせた。




